アート
2020.01.17
犬童一心さん 映画監督〈インタビュー〉
高校生のときから、ずっと映画を撮っている。でも"映画監督になりた"かったわけじゃない。
「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」「のぼうの城」「引っ越し大名!」など数々の名作映画を発表し続けている犬童一心監督。映画を作り始めたころのこと、映画作りの現場で犬童監督がやっていること、そして最新作「最高の人生の見つけ方」、そして次回作について、たっぷりとお話をうかがってきました。3回連続でお届けします。
自分にもできると知ってアニメを作った。漫才が好きだからその世界を撮った。
――犬童監督が映画のお仕事をされるようになったきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
僕はもともと映画をやるつもりはなくて、基本的に広告の仕事、CMディレクターとしてやっていくつもりでした。
CMの仕事は、最初のころはおもちゃとお菓子のCMをいっぱいやります。そうすると、すごくアニメを作るんですよ。キャラクターものや、そうでないもの。いろいろなアニメを作りますが、あれはCMディレクター自身が演出しています。コンテを描いてアニメーション会社に説明して、動きを遅くしてくれとか、目だけを左右に動かしてくれとか指示すると仕上がってくるわけです。
それまでは自分が描けなきゃアニメーションは作れないと思ってたけど、描かなくてもアニメって演出できるぞって気がついて、だったら自主制作のアニメを作ってみようかなと思ったんです。
ちょうど映像の編集がデジタルに変わっていく時期で、フィルムに比べると凝った合成ができるようになっていました。仕事でデジタル編集をやりながら、アニメーションは今後、全部コンピューターの中で作るようになる、きっとコンピューターは一人ひとりが持つようになるから、誰もがアニメーションを作れるようになると思いました。だから実験してみようと思ったんですよ。
僕の大学の後輩で、山村浩二さんっていう今やすごく有名なアニメーション作家がいます。当時から才能があると確信していたので、山村さんに「手伝ってくれないか」と頼み、アニメーションを作ったんです。それが「金魚の一生」というアニメです。
「金魚の一生」は、でき上がった時点で満足してしまったので放っておいたんですが、友人の手塚眞君に教えてもらってピナ・バウシュのダンスを観に行ったときに、会場にキリンビールがやっているアートフェスティバルの応募用紙が積んであったんです。アートであれば何でも参加できるって書いてある。ダンスでも絵でもいいし、映画でも何でもいいと。で、実験として作ったアニメだったけど、もったいないなと思って応募したら、グランプリになったんです。賞金として映画でも演劇でも、次の公演の費用を出してくれるっていうスカラシップがついていました。
それで撮ったのが、「二人が喋ってる。」です。大阪の女性漫才師の映画です。僕は漫才や落語、アメリカンスタンドアップコメディなどが大好きだったので。落語やスタンドアップコメディは一人ですが、漫才って舞台に出できた時点ですでに二人っていうことに希望があると感じていました。このことが映画にならないかなと思って撮った映画です。
漫才師の仲がうまくいかなくなる話です。どんなにうまくいかなくなっても、ツーショットでその二人の話を撮っていると、ほのかな希望が見える。離れ離れになって電話のやり取りになったら、ツーショットに戻れるのか戻れないのかというサスペンスになる。クライマックスは二人で歌うんです。
これは美術館で上映するために作ったもので、公開する予定はなかったんですが、その「二人が喋ってる。」を偶然見たのが、映画監督でCMディレクターの市川準さんです。
「二人が喋ってる。」の試写を、友だちを呼んで渋谷でやったときに、鈴木君というCMプランナーがすごく気に入ってくれたからVHSをあげました。で、鈴木君が帰り道にセンター街を歩いていたら、たまたま前から市川準さんが歩いてきたんです。鈴木君が「今これ見てきたんですけど面白いから見ませんか」って市川さんにVHSを渡してくれました。
それが年末のことです。年が明けたらまったく面識のない市川さんが会社に電話してきた。で、銀座の東急ホテルの一階のレストランに呼び出されて、市川さんに「自分も大阪で映画を撮りたいからシナリオを書いてくれないか」って頼まれたんです。それが市川さんとの出会いで、映画をだんだんやるようになっていくいきっかけです。
その市川さんに頼まれた脚本が「大阪物語」です。このシナリオが「シナリオ」っていう雑誌に掲載された。それを読んだ人に、こんどは映画の「黄泉がえり」のシナリオを書いてくれないかって頼まれて。それでメジャー会社の映画をだんだんやるようになったんです。だから元を正すと市川準さんと鈴木君がセンター街でばったり会ってなければ、多分、映画は仕事にしていないです。
僕が脚本を書いて市川さんが撮った「大阪物語」で、主役の池脇千鶴はすごく評価されて賞をいっぱいもらった。池脇さんは吉本に所属したんですけど、吉本の「大阪物語」のプロデューサー、泉正隆さんが、これだけ賞をもらったからその勢いですぐ池脇の次の映画を作りたいと言い出したんです。
ところが、市川さんは「大阪物語」ですごい予算オーバーをしていました。ですから2作目も市川さんに任せるのが吉本にはちょっと躊躇があった。それで新人だったら大丈夫じゃないかと目を付けられたのが僕です。僕の「二人が喋っている。」には泉さんも協力してくれていたこともあり、それに同世代としての泉さんの友情もあったと思います。それで「次の池脇の映画を撮らないか」って言ってくれたのです。泉さんは市川さんとともに大変な恩人です。
僕を信用してくれて、題材は好きなものでいいって言われたので、漫画家の大島弓子さんのファンだったので「金髪の草原」を作ったんです。それからなんとなくずっと映画をやっています。ただ2019年の1月までは普通に正社員として会社にいて、CM の仕事もしていましたし、今もまだ会社とは契約してます。
――CM制作の仕事と並行して自主的にアニメを作ったり実写映画を作ったりと、すごいパワーですね。
パワーとかいるのかなあ。僕は中学のときから映画を撮りたかったけどカメラがなくて撮れなくて、高校になって撮り始めて、そのままずっとやっているっていう感覚なんですよ。だから撮らないっていう選択がない。飽きない限り。
映画監督になりたい、というのとは違うんですよ。当時8mmで映画を撮ったからといって、映画監督になるっていう道筋はなかったから。今はそういうインディーズから監督になる人がいますけど。
でも、小学生のときから本当に好きな映画監督がいっぱいいて、その映画がどういうふうにできているかを知りたくて、真似したかったんです。映画は、たとえば人が会話しているとき、こっちを撮って次にこっちを撮りますが、普通、そういうことにはなかなか気づかないで、面白いからただ見ちゃっているだけです。でも僕は、好きな映画監督の撮ったシーンとか、ニュアンスとか、それを真似したいっていう欲望があった。それで8mmで映画を撮りだして、そのままずっとやっているようなところがあります。
学校で教わりたくない。いつもやりながら勉強しているから、飽きない。
――学校で映画のことを勉強されたのですか。
僕は東京造形大学に行ったんですが、映画の実習は絶対取らないって決めていました。先生に映画の撮り方を教わりたくないんです。実習でこうやって撮るんだとか、編集はこうだとか教えてくれるじゃないですか。なんかそれに参加するのが嫌で。自分でやってみて作るんならいいんだけど、途中で誰かに普通はこうやって作るんだとかって言われるのがすごく嫌なんですよ。
CMはいいんです。商品があって、それを売るために仕事として作るのがはっきりしてるので。そうではなく課題を出されて撮るのは、勉強になるかもしれないけど嫌だからやらないで、自分が撮りたい映画だけを大学時代に撮っていたんです。卒業してCMをやり始めたら忙しいから、最初のアニメを作ろうと思うまで会社に入ってから6~7年ぐらい経ってます。
だから僕は、CMは撮っていたけど、助監督はやってません。自分でやりながら「こうやるのか」みたいに作り方を勉強してきたから、飽きないんだと思うんです。
市川さんが映画の世界に連れてきてくれたおかげです。脚本も、まともに書いたことないのにいきなり、2時間の脚本を書けって言われたわけです。経験がないから書きながら勉強するっていう感じです。CMが忙しくても、シナリオの依頼は基本的に断らないようにしていました。実戦で勉強です。
たくさん自主映画を見て影響を受け、高校生のとき初の8mm作品を制作。
――たとえば誰の映画が好きだったのですか。
高校生で作り始めたころ一番好きだったのは、サム・ペキンパー、深作欣二。自主映画を作ろうと決めてからは、8mmでどういう映画を作っているのかと思って、自主映画もすごく見ました。
自主映画は、高校の文化祭とかでやってる楽屋落的、面白8mmみたいのをやりたいわけじゃないから、そのころ「ぴあ」の最後のほうにあったオフシアター上映欄っていうので調べて行きました。そのころの自主映画の名作といえば、大林宣彦さんの「いつか見たドラキュラ」とか「Complexe」っていうすごい作品があった。その次の世代では大森一樹さんの「暗くなるまで待てない!」とか。
ものすごく影響されたのは、原将人さんの「おかしさに彩られた悲しみのバラード」という、1968年を舞台にした16mmの作品でした。原さんが18歳のときに撮ったこの映画は当時、草月アート・センターのフィルム・アート・フェスティバルでグランプリを受賞しています。18歳の少年が映画を撮りたいんだけど何を撮っていいか分からないっていう話です。その当時のベトナム反戦運動を背景に、カメラを持った男の子が、悩みながら東京をうろちょろする映画なんです。
高校生が自分で映画を作るというのは、こういうことだと、ものすごく感動したんですね。自分が生きている時代に、18歳っていう存在がどういうものなのかっていうのがすごく伝わってくるんです。
大学生のいろいろな映画も見ました。が、いい感じのそれっぽい画にお気に入りの曲をかけるだけのようなものや、テレビドラマを真似た映画が多くて、はっきり言ってこんな人たちとは混じり合いたくないと思っていました。そんななかですごかった人が立教大学にいた黒沢清さんです。黒沢さんの「SCHOOL DAYS」という作品をたまたま見て、この人は天才だなと思いました。まるで他の大学生と違う。映画には蓮實重彦さんも出てくるんです。蓮實さんのことは「映像の詩学」という本を読んでいたので知っていたんですけど、その映画を作った人が蓮實さんの学生だとは思わなかった。8mm映画でこんなすごい映画が作れるんだと驚きました。
「SCHOOL DAYS」で黒沢さんが立教大学の学内を上手に撮っているんですよ。学生って、学校の中を本当に好き勝手に自由に撮れるでしょ。それにも気がつきました。出ているのも、ぜんぶ立教の同級生か後輩です。今の自主映画は、ネットで公募して俳優や演劇をやっている人たちで撮るのがメインですが、当時は出るのは友人、年上の人が出るとたいてい家族か親戚でした。でも、うまく使えばプロの人ができないニュアンスを出せた。
それらの映画に影響されて、高校生のときに初めての8mm映画を作ったんです。高校時代であれば、高校の中を自由に撮れる。好きな時間に好きなように、本当の高校生を使って。自分の手元にあるのはカメラと高校と友だちしかない。だからその映画を作った。「気分を変えて?」という作品です。撮ったのは1978年です。「スターウォーズ」が日本で公開された年だったと思います。
原将人さんの映画はベトナムの反戦運動を背景にした18歳の男の子の映画でしたが、68年に撮られた原さんの映画のベトナム反戦運動の社会的盛り上がりに代わるものは、78年にはなかったんですよ。でも、高校生たちは「キャンディーズの解散」には盛り上がっていました。僕はもともとキャンディーズのファンとかではないんですけど、キャンディーズの解散の78年4月4日をクライマックスにして、後楽園球場に集まってくる人を8mmで撮りに行った。
コンサートが始まっちゃっても入れない人たちが球場の周囲を取り囲んでいました。主に高校生たちです。そういう人たちを撮って映画の中に取り込みました。面白かったなあ。
それを背景に、映画を撮れないでいる青年の話にしたんです。キャンディーズのコンサートが始まるのと主人公のドラマが一緒になる。今の時代ってそうだよなと思って。
音楽とダンスが、積み上げたものをいったん御破算にする。
――犬童監督の原点ともいえる映画「気分を変えて?」ではキャンディーズの解散コンサートが背景。最新作「最高の人生の見つけ方」でも、ももいろクローバーZのライブシーンが圧巻でした。「眉山 びざん」の阿波踊りもそうですが、犬童監督の映画ではお祭りや踊りのシーンが強烈な印象を残します。
確かに、ああいうシーンを撮るのが好きということもあります。「メゾン・ド・ヒミコ」にも全員で踊るシーンがありますし「のぼうの城」の田楽踊りもそうです。
映画は積み上げです。ストーリーも、キャラクターも脇役もどんどん積み上がっていくと、少し窮屈になる。その積み上げたものが、音楽とダンスだけのシーンで、一回無意味になるんですよね。いったん御破算になって、終わるともう一度意味に戻る。それがいいんです。
映画では脇役も含めてバラバラな個人を描いていくんですけど、音楽とダンスが始まると一体化して、終わってしまうと個人は間違いなくバラバラだっていうことが逆に確認できる。バラバラはそれはそれで悪くないと思ってる。盛り上がって、やったぜって終わって、みんながワーってそのまま終わる人生はない。
阿波踊りとかももクロは、依頼されて作った映画の都合ということもあります。「眉山」を頼まれたら阿波踊りを撮らざるを得ない。ただ少し普通よりも力を入れているというのはあるかも知れません。阿波踊りの時間の中に、過去と未来が同居しているような時間を作りたかったんです。
――「眉山」の壮大な阿波踊りのシーン、あれは映画撮影用にやってもらったものなのですか。
やってもらったんです。4日間やってもらった。徳島市が協力してくれて、何千人ものエキストラを呼んでくれて。
――市内の演舞場まで本番と同じように作ってありましたね。
あれは、実際の阿波踊りが終わったあとで撮影しました。本番のあとで会場を解体しないで、1週間残しといてくれって頼んで。踊っているのも撮影の前日までやっていた阿波踊りの「連」の人たちです。みなさん前日までやっていて、しかもものすごい訓練をされた方たちなので、ミスをするとか、ないわけですよ。観客もいつも阿波踊りを本当に見ている人たちにエキストラで来てもらった。だから意外と撮影そのものは楽だったんです。大変なのは準備です。
――我々からすると、ああいうシーンの撮影はものすごく膨大な仕事だろうなと思うだけで、どうやって準備して撮るのか、想像もできません。
膨大です。阿波踊りの徳島をやろうとするなら、地元の協力が必須です。撮影の1年以上前からロケハンをして、前年の阿波踊りを見て構成しなくちゃならないから。重要なのは、地元の人たちと良い関係を築くことです。今では「キセキ-あの日のソビト-」とか「泣くな赤鬼」などの作品で監督をしている兼重淳さんが僕の助監督を何本もやっているんですけど、彼がすごく早く徳島に入って、地元の「連」の人や役所の人、マスコミ関係などとしっかり関係を築いてくれました。
演舞場のシーンは夜の撮影です。演舞場の全体をライティングしながら俳優のアップも撮れるように、どこにいてもそれが成立するライティングになってなきゃいけない。それは照明の疋田ヨシタケさんがやってくれたんですが、本物の阿波踊りが終わったあとで撮影用にライティングをし直すのは大変なので、あの年は実際の阿波踊りのときから撮影用のライティングにしてあったんです。俳優も踊りも美しく見えるという、凝ったライティングを疋田さんが考えてくれました。優秀な人たちが一緒にやってくれれば、大丈夫なんです。
※記事の情報は2020年1月17日時点のものです。
②へ続く:犬童一心監督インタビュー②では、映画作りにおいて監督は何を考え、何をしているのか、なかなか知ることのできない映画監督の仕事の実際について、お話しいただきます。
■イベント情報
1月19日(日)「黄色い涙」上映&トークショー
犬童一心監督 は15:10~登壇予定です。
場所:京都みなみ会館
気分を変えて?
1978年 監督・制作・脚本:犬童一心 30分の8mm作品。キャンディーズの解散と映画にのめり込む少年の物語。ぴあフィルムフェスティバル入選。
金魚の一生
1993年 監督・脚本:犬童一心 金魚を題材に実写とアニメを組み合わせて製作された短編作品。キリンコンテンポラリー・アワード受賞。
二人が喋ってる。
1995年 監督:犬童一心/脚本:犬童一心、小林ひろとし 女性漫才コンビ「トゥナイト」が主演。漫才をやめたいと打ち明けるなるみと、引き止めるしずか。大阪の町を歩きながら喋り続ける二人の心の揺れを、カメラがドキュメンタリーのように追い続ける。
大坂物語
1999年 監督:市川準/脚本:犬童一心 出演:池脇千鶴 「8代目三井リハウスガール」の池脇千鶴が主演。売れない夫婦漫才コンビ(沢田研二、田中裕子)とその子供たちの物語。
金髪の草原
1999年 監督:犬童一心/原作:大島弓子/出演:池脇千鶴 自分を20歳だと思い込む80歳の独居老人「歩」と、大学を中退し老人のもとに通うヘルパー「なりす」が織りなすファンタジー。
黄泉がえり
2003年 監督:塩田明彦/脚本:犬童一心、斎藤ひろし、塩田明彦/出演:草彅剛死んだはずの人が蘇るという超常現象をベースにした、切ないラブストーリー。
眉山 びざん
2007年 監督:犬童一心/出演:松嶋菜々子、宮本信子 さだまさしの同名小説の映画化。一人暮らしする母親と、その入院の知らせを受けて徳島市に戻る娘。阿波踊りの夜の映像美を背景に描かれる母娘の絆。日本アカデミー賞において最優秀撮影賞他多数受賞。
最高の人生の見つけ方
2019年 監督:犬童一心/出演:吉永小百合、天海祐希、ムロツヨシ ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが主演した同名作品を、オリジナルとは異なる設定でリメイクした邦画作品。
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【PROFILE】
犬童一心(いぬどう いっしん)
1960年生まれ。高校時代より映画製作を行い、「気分を変えて?」(78)がぴあフィルムフエスティバル入選。大学時代、池袋文芸座と提携して16mm作品「赤すいか黄すいか」(82)、8mm作品「夏がいっぱい物語」を発表。大学卒業後CM演出家としてTV-CMの企画・演出を手掛け、数々の広告賞を受賞。
その後、インディーズ作品「二人が喋ってる。」(95)が、映画監督協会新人賞、サンダンスフィルムフェスティバルin東京グランプリを受賞。1998年に市川準監督の「大阪物語」の脚本執筆を手がけ、本格的に映画界へ進出。
1999年に「金髪の草原」で商業映画監督デビュー、夕張ファンタスティック映画祭グランプリを受賞。2003年には、「ジョゼと虎と魚たち」にて第54回芸術選奨文部科学大臣新人賞。2005年「メゾン・ド・ヒミコ」で56回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。「眉山 びざん」(07)、「ゼロの焦点」(09)、「のぼうの城」(13)で日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞。「黄泉がえり」(03)、「ゼロの焦点」(09)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。テレビドラマ「グーグーだって猫である」(16)放送文化基金賞。
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