いつでも恥をかく向こう側にいる人間でありたい

アート

沼田健さん イラストレーター・漫画家〈インタビュー〉

いつでも恥をかく向こう側にいる人間でありたい

本の挿絵や、体験ルポ漫画などを描くかたわら、過去には「秘密結社鷹の爪」の監督で知られるFROGMAN(フロッグマン)さんと一緒にラジオ番組に出演。ご自身でもYouTubeやポッドキャストの番組を持ち、マルチに活動するイラストレーター・漫画家の沼田健さん。"ドジっ子"を地でいくエピソードや福袋マニアな話を織り交ぜながら、「恥をかかないといけない」という座右の銘と共に、クリエーター沼田健の全貌に迫りました。

目立ちたがり屋で変わったことをするのが好きだった子ども時代

目立ちたがり屋で変わったことをするのが好きだった子ども時代


――沼田さんはどんな子どもだったんですか。


変わっていたかもしれません。目立ちたがり屋で、変わったことをするのが好きで、小学生の頃は当時「まいっちんぐマチコ先生」っていうちょっとセクシーなアニメが流行っていたんですけど、オープニングの歌に合わせて踊るっていうのが、僕の芸としてあったんですよ。「いつも薔薇色に~♪」って。なんかそんな感じで常に何かしら一発芸というかそういうのがありました。


クラスで演劇をする機会があって、台本にない台詞をアドリブで言ったらすごいウケたんですよね。それで人前に立ってパフォーマンスする面白さに目覚めたというか、演劇もすごく楽しいと思うようになって。中学に入ってもそれは続いて、合唱コンクールってありますよね。そこで指揮をやることになって、指揮者の手の仕草をデフォルメして大げさにやったらウケて最優秀指揮者賞をもらいました。パフォーマンス賞みたいな感じですけど。高校では演劇の他に、クラスメイトとバンドを組んでライブをしていましたね。


――イラストや漫画を描き始めたのはいつ頃なんですか。


高校時代に少し、バンド活動の一環として会報を作ってそこにイラストや漫画を載せてました。美術は得意ではあったんですけど、あんまりちゃんとやってなくて。進路を決める時、勉強はそんなにできなかったけど美術の成績は良かったから、美術でいこうって一浪して東京学芸大学へ入りました。学芸大は教員養成の大学なんですが、漫画家の古屋兎丸さんがその頃、美大卒業後に美術の教員をしながら漫画を描いていると知ったんです。そういう生き方もあるんだと思い、美術の教員資格がとれる学芸大の美術専攻、工芸専修に入学しました。


――工芸専修なんですね。


工芸がやりたいわけではなかったんですが、受験の都合上そうなってしまって。工芸というのはひたすら銅板などを叩いて器を作ったりするんですね。入ってみたら工芸の職人気質の世界みたいなのが肌に合わないし、学科内で人間関係がうまくいかなかったりで、嫌になってしまって。それで本腰を入れて漫画を書こうかなと思い立って......。


――なぜ漫画だったんでしょうか。


最初はとにかく工芸に触りたくない、現実から逃避したい気持ちからですね。大学ノートに「ドラゴンクエスト」と「ドラゴンボール」をごちゃ混ぜにしたような漫画を描いていたんですけど、途中からギャグでいこうって決めて、4コマ漫画を描いてました。「少年チャンピオン」とかの少年誌に応募したり、持ち込みもしたりして。その頃、同じくらいのタイミングで大学の友だちと一緒にコントをやろうって思ったんです。




「俺たちはもっと恥をかかないといけない」

――コントですか。それもまた突然ですね。


高校まで、目立ちたがり屋で人前に立つのが好きだったのに、大学に入ったらそういうのがカッコ悪くて泥臭いなって思い始めて。頑張ってる奴がちょっとダサいみたいな。でも、そうなるとめっきり自分がつまらなくなってしまって。


それで親友と「俺たちはもっと恥をかかないといけない」という話をしたんですよ。やっぱり何か爪痕を残したい、何もやってない大学生活にしたくない、泥臭くても何かやろうぜって。それで、僕は何のサークルにも入ってなかったので、映画研究会や演劇研究会にいる友だちを誘ってコントグループを作りました。


当時人気のジョビジョバ※1っていうコント集団や、ダウンタウンの松本人志さんの「寸止め海峡(仮題)」っていうコントビデオを観ながら台本を一言一句すべて書き起こして、その掛け合いを模倣することから始めました。


――沼田さんのコントグループ名はなんだったのですか。


それが、ちょうど始めたのが1999年だったんで「アンゴルモア大王」っていう名前で......(笑)


――ノストラダムス(笑)


そうです。1999年に恐怖の大王、アンゴルモア大王が降ってくるっていうノストラダムスの予言がありましたよね。劇団の劇は激しいの「激」、団は「男」で、「激男アンゴルモア大王」 っていう......(笑)


――それは恥ずかしいですね......。


恥ずかしいですよ! だから言いたくないんです(笑)。やり始めて3年目、最終的には演劇用の大ホールを借り切ってやるぐらいにはなりました。模倣からスタートしても、やっていくうちにみんなコントを考えられるようになるんですよ。イラストも漫画もそうなんですけどね、模写とか、模倣をするのは大事ですね。


4コマ漫画を描いている時も、ひたすら4コマ漫画を読みまくったんですよ。だから4コマ漫画はどうやって描いたらいいの? って聞かれたら、とにかくいろんな種類の4コマ漫画を読むことって答えます。そうするとオチのパターンが見えてくる。いくつかのパターンがあるんですよ。コントも同じですが、手数を知っているほど自分の中の引き出しになります。


※1 ジョビジョバ:1993年~。明治大学演劇サークル出身者で結成した6人組のコントユニット。




演劇、コント、漫画、イラストの修業時代へ

演劇、コント、漫画、イラストの修行時代へ


――その後、大学を卒業されたのが2000年ぐらいでしょうか。大学で教員免許をとって美術の先生になられたんですよね。


そうです。2足のワラジじゃないですけど美術の教員をして、ある程度の収入を確保しながら、漫画を描いたり、演劇をしたいという気持ちがあったんです。結果、美術の教員は8年間やりました。演劇は、松尾スズキさんや宮藤官九郎さんがいる劇団、「大人計画」のワークショップに1年間参加して勉強しました。


イラストレーターという仕事もよいのかなと思って、イラストが学べる専門学校にも1年通っていました。その学校にあの「スネークマンショー」※2の桑原茂一(くわはら・もいち)さんが先生として来ていたんです。それで自作のコントを桑原さんに直接見せに行ったりして。そうこうしているうちに、一緒に働かないかって言われてお手伝いに行くようになりました。社員ではなかったのですが、当時バナナマンさんも少し参加していたエンタテインメントユニット、「コメディ・クラブ・キング」のコント執筆に携わって、「Rising Sun Rock Festival(ライジング・サン・ロック・フェスティバル)」にも2回ほど仕事で行ったりしました。


※2 スネークマンショー:1975年~。桑原茂一、小林克也による日本のCMクリエイターユニット、ラジオDJユニット、コントユニット。カルト的人気を誇り、後のミュージシャンやお笑い芸人に影響を与えた。


――それがいつぐらいの時だったんですか。


20代中頃だったと思います。


――そのままコント作家や放送作家になるという道には進まなかったんですね。


いろいろチャレンジはしたものの、どれも尻すぼみになってしまって。その中では、イラストが一番ちゃんと仕事として成立したんです。漫画も雑誌の新人賞に応募して、大賞はもらえなかったけど「惜しいで賞」みたいなものにはかすったりはしていたんですけどね。イラストレーターの仕事の比率が大きくなって、最終的には教員を辞めて独立するという運びになりました。




FROGMANさんとの出会い。YouTubeチャンネル「沼と蛙」まで

――FROGMAN(フロッグマン)さんとの出会いはいつ頃なんですか。


さっき言った尻すぼみになっていた頃、深夜にたまたま見かけたTHE FROGMAN SHOW(ザ・フロッグマン・ショー)の「秘密結社鷹の爪団」というテレビ番組がすごく面白くて。簡単なフラッシュアニメを動かしているだけなのがかえって斬新で、こんなのテレビにしちゃっていいの? って。脚本も面白かったんです。調べてみたら脚本、監督、アニメ制作、音声の全てをFROGMANさん1人でやっていて、すごいなと。ホームページで「一緒に働くスタッフ募集」という一文を見かけたので、応募してみたら引っかかって、アルバイトをすることになりました。


ただ制作現場に行っても、有名な人や優秀なエンジニアばかりだったので、前線では何も活躍できなかったんです。でもFROGMANさんだけは、お前面白いやつだなって、なぜかいつも構ってくれていました。結局いたのは1~2カ月くらい。僕はドジっ子だったんで、円満退社ではないというか、半ばクビのようなカタチで辞めたんですけど......。


――ドジっ子......。一体何があったんですか。


FROGMAN さんが作ったスマホケースを表参道ヒルズで無料配布するイベントがあったんです。それで、お使いに行ってきてくれって頼まれて、紙袋に入ったスマホケースを麹町から表参道まで持って行ったんです。でも大雨だったんでしょうね、きっと。そんなに距離もなかったはずなんですが、すごい雨が紙袋を刺激したせいで、中のものがストンと全部落ちちゃったんです。配るはずだったスマホケースが全部びしょびしょになってしまって......。


――そんな漫画みたいなドジっ子話があるんですか......(笑)


あったんです(笑)。今となっては笑い話なんですけど、それが引き金になって退社することになりました。でも、なんか面白いから会社には遊びに来いよってFROGMANさんには言われて、その後もちょいちょい遊びに行っていたんです。


――なるほど。そこから東京FMのラジオ番組「鷹の爪団の世界征服ラヂヲ」(2012年~2018年)のレギュラー出演や、今放送中のYouTubeチャンネル「沼と蛙」へとつながっていくのですね。


しばらく没交渉だった時期もあったんですが、ひょんなことで縁が戻ったあとFROGMANさんが東京FMでラジオをやることになった際に、突っ込まれ役が必要だからお前も出なよって言われて。FROGMAN さんとタレントの鈴木あきえさんと3人でやっていました。まあ実際は2人+1人というかたちで、僕はクレジットされてなかったんです。ただの冷やかし役ですね。6年くらいでラジオ番組は終了しました。その後、紆余曲折あって「沼と蛙」という YouTubeの番組を一緒にやることになり、今もやっているという状況です。

FROGMANさんと放送しているYouTube番組「沼と蛙」




30日間通い続けた東京オペラシティ アートギャラリー

30日間通い続けたオペラシティギャラリー


――小田急線のイラストや、本の挿絵、ファッション誌での漫画連載などイラストと漫画のお仕事もガシガシされています。クリエイティブのアイデアはどこからヒントを得るんでしょうか。


たまにイラストとは関係ないことをしてチャンネルを変えるというか、演劇やコント、漫画だったり自分の中でたくさんのチャンネルを持っていることで、いろんな見方ができるなっていうのがありますね。ちょっと変わったところでは、「リハビリーヒルズ」というイラストレーターさんを集めて雑談するポッドキャストをやってます。同業者にいろいろ質問したり、憧れの人にゲストで出ていただいたり。それがアイデアのヒントになったりもします。


あとは美術館、ギャラリーにめちゃくちゃ通うっていうのもあります。初台にある東京オペラシティ アートギャラリーは友の会の会員になると3,300円(税込)で1年間行き放題なんですよ。すごくお得なんです。普通であれば1回の入場料が1,200円(一般)とかするんですよ。気に入った作家の絵を観るのに、今日も明日も行こうって30回行ったら3万円以上ですよ、お金的に。


――まぁそうですね......。


以前、大好きなジュリアン・オピーさんという作家の展覧会があったので、会員になって30回ぐらい行ったんです。そういうところからもヒントをもらいます。ギャラリーで考えながら観る時間があると、全然違うなと思いますね。あと30回も行けば、自分の中でこれだけ観たんだぞっていう説得力になるっていうか。ぱぱっとネットで検索して、模写するっていうのとは違う体験。いろんな角度から見ることができますね。


――ジュリアン・オピーさんの展覧会に30日間通ったんですか?


はい。今日で36,000円だなーとか思いながら。


――すごいですね......。発想が常人と違うというか、普通の人は年会費を払ったからって30日も行かないと思うんです。「元をとる」という次元でもないし。お金への執着もあるんでしょうか。


お金に対する執着はありますね。すごくあるって周りの人からもよく言われます。だから福袋とかすごく好きなんですよね。コスパの良いランチとか、格安旅行とか。


ジュリアン・オピーさんに影響を受けて生まれたパーカーイラストシリーズジュリアン・オピーさんに影響を受けて生まれたパーカーイラストシリーズ




今ここにあるものを逃したくない

――沼田さんは福袋マニアというか、福袋レビューをしていたり、福袋に対して並々ならぬこだわりがありますよね。でも福袋って、自分が要らないものも入っていたりするじゃないですか。それって買っても無駄だから、たくさん買うと逆に高くつくのでは、と思ってしまいます。


福袋によっては大いにそれはあり得ます。買って後悔する袋もありますよ。要らないものばかりの袋は「クソ袋」とか「鬱袋」と呼んだりするんですけどね。逆にめちゃくちゃいい物が入ったやつは「神袋」って言います。でも買うまでの間ドキドキするのが楽しい。


寒中見舞いに描かれた福袋レビュー寒中見舞いに描かれた福袋レビュー


――ギャンブル的な楽しみなんでしょうか。


そうですね。「神袋」に出合えた時のうれしさとか高揚感とか。でも今は情報戦なんですよね。人気の福袋は早朝から並んで買った人が中身をネットで公表してしまうので。


――なるほど。沼田さんも並ぶんですか。


並びますよ。


――すごく行動力がありますよね。ハマったら何度も通うとか、早朝から並んで買うとか、安くて美味しいもの見つけに行くとか。面倒くさくはないんですか。


面倒くさいとか、並ぶのが嫌だなっていうのもあるんですけど、今ここにしかないものってあるじゃないですか。例えば僕が大好きだった昔ながらの梅ジャムって、もう販売していなかったりするんですよ。すごくお気に入りの店があったとしても、いつか食べられなくなる時が来るかもしれない。だったらそこで逃さないように、行動を起こした方がいいなって僕は思うんです。




何もないところでも表現していく、表現者でありたい

何もないところでも表現していく、表現者でありたい


――結構刹那的なのですね。でも今回のコロナ禍で飲食店は厳しい状況におかれていることを考えると、お気に入りのお店もいつなくなるか分からないというのはリアルに実感できます。


そうですよね。後で後悔するんだったら今、みたいな気持ちが常にあります。


――それではそろそろ締めに入りたいと思います。沼田さんが今後やっていきたいことや目標を教えてください。


YouTubeにちょっと可能性を感じていて、FROGMANさんとの番組の他に、個人チャンネルでは、福袋を紹介したり、賞味期限切れのものを食べてみたりとか、いろんな放送をやっています。3日に1度ぐらいの割合で更新していて、80番組ぐらいたまったんですが、今は50人ぐらいしかチャンネル登録者がいません。でも楽しいから、面白いことを模索しながら続けていきたいですね。


――そのモチベーションはどこから来るんでしょうか。


やっぱり「恥をかかないといけない」っていうのがあるんで、やらないで年を取るより、やって年を取りたいというか。たとえ10人しか登録者がいなくても、やってダメだったら諦めもつきますよね。僕はいつでも恥をかく向こう側にいる人間でありたいと思っていて。正直これからもチャンネル登録数はそんなに増えないだろうし、今後どうなるか分からないですけど、何もないところでも表現していく表現者でありたいっていうか。カッコつけ過ぎですけど、何もしなかったら、何も生まれないと思うし。往生際が悪く生きたいんです。いくつになっても面白いことの渦中にいたい気持ちがあります。


――ありがとうございました。お仕事にしても趣味にしても、独自の行動哲学があって不思議な魅力のある沼田さん。いろんな方に「なんか面白いやつ」といじられるのも納得してしまいます。「恥をかかないといけない」という信念も、カッコいいなと思いました。今後アクティオノートでもルポ漫画でご登場いただく予定です。どうぞお楽しみに!


※記事の情報は2020年11月11日時点のものです。

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