ストリートビューは自分が何に心を動かされるのかを探しに行く場所

アート

辰巳菜穂さん イラストレーター・アーティスト〈インタビュー〉

ストリートビューは自分が何に心を動かされるのかを探しに行く場所

Googleストリートビューから見える世界中の風景を切り取って描き出す「Street View Journey(ストリートビュージャーニー)」シリーズが高い評価を受け、展覧会をはじめファッションブランドとのコラボレーションなど精力的に活動している、イラストレーター・アーティストの辰巳菜穂さん。2021年春に東京で開催された辰巳さんの個展にお邪魔したあと、アトリエにうかがってインタビューを行いました。イラストレーターになるまでのことや、作品についてたっぷりとお話をうかがいました。

建築家を目指した学生時代

イラストレーター・アーティストの辰巳奈穂さん



――辰巳さんの経歴を拝見すると、筑波大学の芸術専門学群に行かれていたそうですが、それは絵やイラストに関わる学科だったのでしょうか。


いいえ。大学では建築デザインコースに在籍していました。絵は受験のときにデッサン試験があるので、そのための勉強をしていたぐらいでしたね。


――建築を専攻されていたのですね。


ずっと建築家になりたかったんです。芸術、デザイン系で建築を学べる大学を目指していました。


――でも最終的には建築家にはならず絵の方へ?


大学で勉強していく中で、自分は本当に建築をやりたいのだろうか、出来るのだろうかと思いはじめて、大学を卒業してから服飾の勉強をしてみようと思い立ち、文化服装学院に入りました。夜間の学部だったので、昼間にWeb制作などをやっている会社でアルバイトをしていて、そこで企業のパンフレットやWebサイトを作る仕事を学んで、そこからフリーランスになりました。Webデザインの仕事をやりながら、何を本当に作りたいのかなーっていうのを模索し続けて、絵本を描き始めました。




絵を描くこと自体が好きになっていった



――絵ではなくて、絵本だったのですね。イラストレーターになりたい、という気持ちはなかったのですか。


絵を描くのは好きだったんですが、職業にできるとは思っていなかったんです。で、絵本作家もいいなと思って絵本を描き始めて、たまたま賞をもらったのをきっかけに本格的に絵本作家を目指して創作を始めたのですが、物語は浮かぶものの絵が描けなくて。ちゃんと勉強したいなと、イラストレーションの学校に通い始めました。


――それはイラストレーションの専門学校だったんですか?


専門学校じゃなくて、「イラストレーション青山塾」という、社会人のためのイラストレーションスクールですね。週に1回だけ夜に開講されます。そのスクールがすごく楽しかったんです。絵本のために絵の勉強を始めたんですが、絵が上達するにつれて絵を描くこと自体が好きになっていきました。それで、絵本だけじゃなくて、絵を描くことを仕事にできたら幸せだろうなぁと。そこからイラストレーターという仕事を目指し始めました。


――スクールを卒業されてから、イラストのお仕事は順調だったのでしょうか。


いいえ、お仕事をいただけるようになったのはここ2~3年ぐらいですね。それまではWebデザインなどのお仕事をやりながら、少しずつイラストレーションのお仕事ももらえるようになりました。自分の作品として絵の制作もするようになって展覧会を開いたり、イラストレーションのお仕事の分量も増えて、今はもう完全に絵だけでやっています。やっと思い描いていたカタチになったという感じです。




1日1カ所100日間描き続けたストリートビュー



――Googleストリートビューの風景を描く「ストリートビュージャーニー」シリーズについて教えてください。始めたきっかけは何だったのですか。


青山塾を出てから、自分はどんな絵が描きたいんだろう? と模索しながらいろんな絵を描いていたんですが、そのうち外国の風景が好きだなってことに気付いたんです。ただ外国の風景を描くには資料が必要で、たまたま私が方向音痴で待ち合わせ場所なんかの風景を予習するのにストリートビューを使っていて、これで外国を見てみたらどんな感じだろうと思い立ち、探しに行ったのが始まりです。


最初は資料集めみたいな感じで、Googleストリートビューで見た風景をずっと描き続けていたんです。それを当時通っていた「寺子屋」というイラストレーターの勉強会で見せたところ、ストリートビューを見て描くって面白いね! と言ってもらえて。何の絵が描きたいか模索中だったのもあって、面白いと言ってもらえたから、これをシリーズ化して1日1カ所、100日間続けてみようって思ったんです。


――100日間も......! すごいですね。では海外旅行が好きでよく出かけていたとかそういうことではないのですね。


旅行は普通に好きなんですけど、がっつり計画を立てて行く1人旅より、家族でハワイへ行ったり、そういう一般的な感じなので、特別に好きというわけでもないです。


――Googleマップを見ていい感じのところだから、そこに行ってみたくなるわけでもないのですか。


そこへ行きたいかどうかっていう気持ちと、そこの絵を描きたいかどうかという気持ちはあまり関係ないですね。ストリートビュージャーニーで実際に旅をしたいというより、自分が何に心を動かされるのか探しに行くという感じです。どんな風景に心がふるえるのか、どんな影のかたちが好きか、どんな色の感じが好きなのか、探しに行くこと自体が楽しい。そういう旅をしているような感覚ですね。自分が本当に足を運ぶこととはあまり関係がないです。


――ストリートビューを見て、ここがいい! とピンとくるものがあるんですか。


ありますね。だいたいアメリカの西海岸側や南米などが多いです。


――空が青い感じのところですね。


あまり高い建物がない場所で、かっこいいボックス型の建物が並んでいて、光が強いために壁や看板などの色が綺麗に出ているのがすごく可愛いなと思ったり。だだっ広いところに人工物がぽつんとあるような荒野みたいな風景も好きです。電柱の佇まいや、そこにできている影の長さや濃さもポイントで、ものの存在の美しさを感じると描き残したいなと思います。そういった自分にピンとくるアイテム的なものがあって、それがばっちりある風景を見つけるとよっしゃあ! ってなります(笑)。


Street View Journey : California 2020Street View Journey : California 2020


――建物のかたちが気になるのって、やっぱり建築を勉強されていたからというのもあるんでしょうか。


かもしれないですね。建物自体が好きっていうのはあります。


――描かれるのは自然の風景というより、ボコボコとした建物とか舗装された道路といった、人の手が入った場所がほとんどですよね。


人の気配を描きたいと思っているんです。人とか街って、常に移り変わっていつかなくなってしまうものだと思うのですが、そう考えると、紛れもなくそこに存在していたんだっていう事実そのものが貴重なことに感じられて、その存在自体を描き残していきたいと思うようになりました。




絵のモチーフになった場所を同時に見せる

――展覧会のやり方も面白いなと思って、絵の下に QR コードがあってスマホでQRコードを読むと Google マップで実際に絵のモチーフになった風景を見ることができるのがすごく楽しかったです。旅をしている感じを味わえるというか。あれは辰巳さんのアイデアなのですか。


はい。初めて個展をしたときにも付けてたんですよ。全部の絵ではありませんでしたが。それがすごく面白いって言ってくださる方がたくさんいて、それで個展をするときは絵の下にQRコードを入れて、絵のもとになった風景も見ていただけるようにしています。普通は展覧会の場で絵のモチーフになった場所って見られないわけじゃないですか。それがストリートビューの面白さでもあると思います。


ストリートビューを撮影するグーグルカーが収集した何の意図も入っていない情報としての風景を見て、私はこういう作品にしたんですよってことを分かってもらえるので。


Street View Journey : Los Angeles, USA 2020



――ライブ感がありますよね。絵の中だと電線が途切れたりしてるじゃないですか。リアルに電線が途切れているのはありえないので、ストリートビューを見たときの回線や解像度の状況などで画像が途切れていたんだなと思ったんですけれども、それってつまり、実際にある場所を描いているけど存在しない、という一種のパラレルワールドみたいだなと。それがとても面白いと思いました。


そうなんですよね。ストリートビューでは空間がゆがんでいたり、時間が経過することで見え方も違ってきます。そういうことが集積して、表出されているっていうのが面白いんです。この景色の元になったのは「情報」だったんだよっていう気づきにもなります。


ストリートビューは時間を遡ったりもできるんですよ。タイムマシン機能で過去を遡って見ると、建物が微妙に違っていたり、ヤシの木がちょっと小さかったりするんです。


Street View Journey : Los Angeles, USA 2020Street View Journey : Los Angeles, USA 2020


――風景は少しずつ変わりますよね。


看板が少しずつ錆びてボロボロになっていたり。そういった意味で、同じ場所なんだけど時間とともに変化している、重層的な風景っていうのも面白くて、それを作品に取り入れることにもチャレンジしています。




人を描かずに人を描く

――たぶん、そういう細かな変化って、普段その町に住んで歩いている人はあまり気づかないと思うんですよね。でもそれを徹底して俯瞰(ふかん)しているから分かるっていう。


距離感もあるんでしょうね。カメラから見てるみたいな、人の視点より少し上の方から見ているので、その突き放した感じっていうのが特徴になっているのかなと思います。


――ストリートビュージャーニーの街の絵は、人がいない、ある意味無機質な感じがあって、あえて人を描かないことで情報性を大事にされているという印象を受けました。でも、無機質なのにそこになにか温かみを感じるのは辰巳さん独自のフィルターなのかなと思いました。


人を描かなくても、人の気配は描きたいと思っていて、例えば建物の暗い入口、その中に人の生活があるかもしれないと想像をかきたてるような場面だったり、ぽつんと車が置いてあったりとか。人の気配を感じるようにしたいと思っているので、温かみとか何かしらを感じてくださったならうれしいです。


――ちょっとメランコリックな気持ちになる部分もあります。


メランコリックなところも好きだし、孤独感みたいなところも好きで、電柱の影の佇まいなどに心惹かれたりします。人って誰しも孤独な面があるじゃないですか。私の絵を見て、そこを通り抜けることでなにか励まされるというか、その人を肯定するような場になればいいなと。人を描くってことはある意味限定的な場面になってしまうと思うんです。人は人を見てしまうので。なので、人を描かないことで自分の世界をその中に見つけてほしいっていう気持ちがあります。





解像度が低い人たち

――展覧会では数点、人物も描かれていましたが、それは何か心境の変化が起こっていたのですか。


そうですね。昔より人に興味を持ってきました。というより、前から興味はあったんですけど、人を描く心構えをするのに時間がかかってしまっていたんです。最近ようやくストリートビューの中にいる人物を中心に描いてみたいなって、技術的な面でもその準備がやっと整ったので描き始めた感じです。建物を描いているだけじゃ追い切れないものがあることを感じて、人物にフォーカスしたもの、人物を通してのストーリーや背景みたいなものにも興味が出てきたんですね。


――ストリートビューに出てくる印象的な人ということでしょうか。


ストリートビューに映っている人ってすごく拡大しないと見えないじゃないですか。でも、顔を拡大していくと解像度がどんどん下がっていってハッキリ見えない。だから「解像度が低い人たち」って呼んでいるんですけど、それをシリーズの名前にして、解像度が低くて細かいところが見えないことで、その人の見えない本質とか、背景を想像して描いてみるということをやっています。


――なるほど。顔はハッキリ見えなくても、シルエットや佇まいは分かるから、それで想像力がかきたてられるのですね。


かなり無防備な姿なんですよ。カメラに撮られていると思ってないので(笑)。それも自然体でいいなーって。人の普段の姿が美しく映っている瞬間があって、そういうのを見ると興味をそそられますね。


E 71st St, New York / 2021E 71st St, New York / 2021


――ストリートビューという場を考えると、描くものや題材は世界中にいっぱいありそうですよね。辰巳さんの興味の対象がどう変化していくのかを追っていくのも面白そうです。


ストリートビューを題材にした作品では、ある程度テーマをきちんと持ってやっていきたいと思っています。先ほどの人物シリーズだったり、今考えているのは、この世からなくなってしまった場所を探して描くこと、あとはガラスへの映り込みっていうのも気になってますね。そういう何かしらのテーマを持って、それを探しに行ってシリーズにして描くっていうのも面白いかなと思っています。


――最後に今後の目標をお聞かせください。


海外での活動をもっと広げていきたいですね。もっと作品づくりにかける時間を増やしていきたいです。その活動の先として、海外のアートギャラリーで展覧会を開きたいと思っています。


――ありがとうございました。ストリートビュージャーニーが今後どんな旅になっていくのか、いちファンとして楽しみにしております。



■展覧会情報
NAO TATSUMI
SOLO EXHIBITION
"He saw , She saw"



東京展
8月12日~8月23日
hotel koe tokyo(※2022年1月末に閉館)


福岡展
8月26日~9月6日
TAGSTA


京都展
9月17日~9月26日
y gion


※記事の情報は2021年9月3日時点のものです。

※追記:2024年8月15日に再編集しました。

  • プロフィール画像 辰巳菜穂さん イラストレーター・アーティスト〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    辰巳菜穂(たつみ なお)
    福島県郡山市出身。神奈川県横浜市在住。
    筑波大学芸術専門学群建築デザイン卒業
    文化服装学院 / イラストレーション青山塾 / HB塾
    2017年よりGoogleストリートビューで世界中を旅し、独自の色彩と感覚でとらえた風景を描く「Street View Journey」を展開。ストリートビューで世界中を旅して集めた何気ないけれど愛おしい風景を、アクリルや油彩で描いている。広告、書籍、アパレルなどのイラストレーションも多数手がけている
    https://naotatsumi.net/

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