アート
2021.12.14
田中泯さん ダンサー〈インタビュー〉
田中泯 | 刺激を与えてくれる記憶が創造の源泉になる
1970年代以降、パリやニューヨークをはじめ、東欧諸国、東南アジアなどさまざまな国や地域で踊り、アーティストたちと数々のコラボレーションを行ってきた世界的ダンサーの田中泯さん。泯さんの踊り、生き様に迫った映画「名付けようのない踊り」(犬童一心監督)がいよいよ来年1月に公開されます。泯さんの活動拠点のひとつ、東京都中野区にあるオルタナティブな空間「plan-B」にお邪魔してお話をうかがってきました。インタビューは、前編・後編に分けてお届けします。
田中泯さんは1945年、終戦の年に生まれた。クラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自のソロダンス活動を開始。78年のパリ秋芸術祭での海外デビューを皮切りに、世界中にセンセーションを巻き起こした。85年、40歳で山梨県へ移住。踊りのための肉体ではなく、野良仕事でつくった身体で独自の踊りを追求していくことを決めた。
スクリーンデビューは57歳。初出演した映画「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督、2002年)では、第26回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞・新人俳優賞を受賞。以来、俳優として数々の映画作品に出演している。2022年1月から始まるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)役として出演予定。
映画「名付けようのない踊り」
――犬童一心監督が約3年の時間をかけて、泯さんを追い続けた映画「名付けようのない踊り」がいよいよ2022年1月に公開です。映画を作っていく中で、犬童監督とはどんな話をされていたのですか。
今回の映画の中にはすごい回数の踊りが入ってまして、一つひとつの踊りは全て30分以上の長さがあるんですね。僕はそれらの踊りを大事に扱うんじゃなくてバラバラにしちゃってくださいって言いました。どんなに短くカットされても、もう踊りとして流れは成立しているので、極端に言えば始まりと終わりがひっくり返ってても構いませんと。
踊りというのは、そこで踊りを見ている人たちと、その場所のためにやっているものなので、その場の空気を知らない人が映像だけを観る、というのはちょっと拷問に近いし、面白いはずがないんですよ。
そういうことで、監督が踊りを作ってくれないかという話をしていました。もともと最初にポルトガルへ行った段階*1では映画にしようなんて思ってはいなかった。でもその後、合計すれば10時間ぐらいある僕の踊りを、15分か20分ぐらいに編集して見せてくれたんですよ。それが面白かったんです。そう言ったら、犬童さんが映画にしようと決心をしたようです。
*1 ポルトガルへ行った段階:犬童一心監督が、田中泯さんのドキュメンタリー映画を作るきっかけとなったポルトガルのフェスティバル。犬童監督へのインタビューとあわせてご覧ください。
▼名付けようのない踊り(予告編)
――完成した映画をご覧になっていかがでしたか?
自分が畑で働いてるところや、家の周り、一緒に暮らしている猫が映っていたり、旅をしていたり、自分の環境を改めて映像で見せてもらったら面白かった。3年間といっても本当に短い時間です。僕は長い時間踊り続けてるわけですからその一部分ですよね。それを映画にして見せるなんて大それたことだと感じていたんですが、農場や家の周り、山など見知った場所を撮り続けてくれたのがだんだんうれしくなってね。
――最初と最後のシーンがポルトガル、サンタクルスの路地でした。あそこに何か感じるものがあったのでしょうか。
犬童さんとあそこを歩いた後にお茶を飲みながら「あそこいい場所だなあ」 「踊りがあったなあ」みたいな話をしていて、じゃあ踊ろうっていうことになって。
――「踊りがあった」というのは?
踊るような感覚があった場所ですね。踊るようなっていうのは、人によっては絵が描きたくなって、スケッチを始めるような感覚。それと変わらないんです。ただ僕の場合は全身が表現の全てですから、準備の要らない作業なんです。紙とか描くものとか、道具は必要ないんです。
東京大空襲は大事な核になっている記憶
――映画の中では泯さんの過去の出来事や記憶がアニメーションで挿入されていて、構成が面白かったです。
あれは犬童さんの古くからの友だちで、山村浩二さん*2という国内外でたいへん評価されている方のアニメーションですね。自分の子ども時代が決定的に今にも影響しているという意味で、自分がこれまで話したり、本に書いてきた時代のことを映像化してくれるというのは、ものすごく良かったですね。
*2 山村浩二 : アニメーション作家・絵本作家。「頭山」(2002年) はアメリカの第75回アカデミー賞にノミネートされたほか、アヌシー、ザグレブなど6つの映画祭でグランプリを受賞。「今世紀100年の100作品」の1本に選出される。
――アニメーションのテイストもとても良かったです。
リアルなことなんだけど1個1個は全てが夢の中にあるみたいなね。僕の中には子ども時代のことが、まだ生き生きと存在していて、それを「私の子ども」と呼んでいます。私自身の子どもが私の中にいっぱいいて、下手なことすると文句を言ってくる。それは今の僕に、他者との関わりの中で、純粋な目でいなきゃいけないってことを教えてくれる存在です。 それがいなくなったら僕はつまんないじじいになるだろうなあと思います。
――泯さんが生まれたまさにその日に東京大空襲があったそうですが、池袋で踊っていたシーンを見て、東京という街はそこから復興した場所なんだというのが伝わってきました。踊っている時に、そういった場所の記憶みたいなものも意識されているのですか。
その日に生まれたもんですから、大人たちからいろいろ聞かされてきました。それは当然戦争だとか兵器のことだとか。東京大空襲というのは、その時の記憶だけが大事なんじゃなくて、そのことで世界や人間を知るきっかけになっていくっていう意味で、私にとっては偶然ではあったとしても、大事な核になっている記憶です。
でも、それだけを大事にしているわけではない。それはその後に続く日本各地での空襲や、原爆のこと、その間子どもたちは疎開させられていたりと、その全体が関係があることとしてて自分の中に生き続けている。だから現在、起きている戦争や争いにも意識はつながっているんです。
――過去から今につながる、続いているものに思いをはせるということでしょうか。
そうですね。それが多分「創造」でしょう。創造というのは、例えば宮大工さんでいうと、もともとの木がどういうところに生えていたか、そういうことにつながっていく。そうすると海の汚染の問題や、さらに言えば CO2の問題にも当然関わってくる。当然のように生きる中で、刺激を与えてくれる記憶が最も創造の源泉になるものだと思う。
その人が一生かけて生きた「時間」を空想しながらそこに居る
――以前犬童監督へのインタビューで、泯さんに「メゾン・ド・ヒミコ」の出演オファーをした際に、「その場にどう居たらいいかを考えることはできる」と仰ったそうですが、その真意はどういうものだったのですか。
上手にその人を演じる、お芝居をするということに関してはひよっこのようなもので、経験がなかったのが理由でしょうね。僕は踊りという無言の表現で始まったものですから、大半の時間はそっちに費やしてきて、最初からお芝居をすることを目標に生きてきた人と比べようがないかなと。どんなに頑張ってもまずスタートラインが違います。僕がもし、その人たちと比べられるとしたら、本当にそこに存在しているということがしっかりと伝わる、そういう「居かた」をする、それが多分一番心が注げるということで、そんなようなことを言ったんです。
――「たそがれ清兵衛」では、月並みかもしれないですけれども、やっぱりあの泯さんと真田広之さんが対峙(たいじ)するシーンで、泯さんの存在感にすごく圧倒されました。
お芝居の中で生きている人、その人にも日常があって、日常の時間の流れの中にいるわけですが、僕はどうもセリフや何かも含め、その日常のふるまいを、その場限りのことをやるということではなくて、僕の出演しているパートは過去も未来もぎゅっと集まった、凝縮した人と時間、場所になっているんですね。
幸せなことに、そういう役どころを多くいただくというか、もっと言うと僕がそういう役どころを選んでいるということなんですけど。これは僕がやらなくてもいいんじゃないかな、という役はすみませんがとお断りしている実情なんですよね。「すごく存在感がありました」と言われることは正直にうれしいなあと思います。
1人の人間を演じるにあたって、できることならその人が一生かけて生きた時間を、時間までを空想しながらそこに居ようっていうことなんですよね。余計なことを言わなくても、一生生きた人なんだっていうふうに見せたい。ですから演劇をしてきた人たちとはちょっと存在の仕方、スクリーンの中での居方が違うんでしょうね。
――確かにそうで、その人の人生みたいなもの、あの瞬間に全てが凝縮されていたように見えて本当にすごいと思いました。
特にあれは初めてのお芝居だったものですから、山田洋次監督とか相手役の真田広之さんとか、みんなここにきて、僕がここで踊ってるのを見て「よし泯さんとやろう」って決めてくれたんです。
――この場所(plan-B)に来たんですか?
そうです。ここは僕のフランチャイズのようなものですから。2年ぐらいはコロナでやってませんけれども、普段はしょっちゅうここで踊っています。
――最近では、映画監督の是枝裕和さんが撮影した米津玄師さんのミュージックビデオも拝見して、あのミュージックビデオの中で一番目を引いたというか、やっぱり存在の仕方が違うなと感じました。
あれは出演するにあたって僕自身の感情とか、内面的なことは全てお任せしますと。表情から何から、ほとんど指示しないで泯さんに任せますと是枝監督が言ってくださって、頑張りました。1人の人になりたくなかったんですよ。いろんな世代の人がご覧になる作品だから、僕と同世代の人もいるだろうし、その人たちが思い当たる人になろうってやったんです。全ての人の。次回は是枝監督の映画にも是非とも参加させてもらいたいです。
▼米津玄師 MV「カナリヤ」
――「たそがれ清兵衛」から俳優をされて、約20年経っています。その中で、俳優としての自分に対する意識の変化みたいなものはありましたか。
間違いなくあります。何か1回でも映画やドラマに出るとすれば、それは僕にとっては1回分以上の利益というか。お金じゃなくて、得るものがたくさんがある。俳優さんはこういうふうに勉強をして、こんな努力をしているんだなっていうのを次々と発見しています。俳優という仕事の、ある種の深みというか、そういうものに少しずつ触れていることは確かです。
僕が生き続けている間、いつかは(俳優の仕事を)辞めると思いますけれど、今のところまだ続ける欲はありますね。演技をするということが僕にどれだけの気づきをもたらしてくれるのかっていうことにはすごく興味があります。
――俳優として演じることと、踊ることは違う面白さなのでしょうか。
そうですね。踊りは間違いなく言語が成立する以前に始まった表現だと思ってます。だから言葉がないわけです。言葉で納得してもらうために踊るわけではない。だから演じることと踊ることは、始まりも全く違うし、現実に違うこともいっぱいあるんです。それでもやっぱり人間の根源に深くつながっているということは確かだと思うから、両方できるって、こんなお得なことはなくて、こっちの方が面白いからあっちを辞めるっていうことは絶対ないです。
後編に続く
映画「名付けようのない踊り」ポスター
※画像クリックでpdf表示します
2022年1月28日(金)全国ロードショー
https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/
撮影場所:Live Space plan-B
※記事の情報は2021年12月14日時点のものです。
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【PROFILE】
田中 泯(たなか・みん)
1945年生まれ。66年よりクラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自の舞踊活動を開始。78年にパリ秋芸術祭「間―日本の時空間」展(ルーブル装飾美術館)で海外デビューを飾る。以降、独自の踊りのあり方「場踊り」を追求しながら、「カラダの可能性」「ダンスの可能性」にまつわるさまざまな企画を実施。ダンスのキャリアを重ねる一方、2002年に57歳で「たそがれ清兵衛」でスクリーンデビューし、以降国内外の映画、テレビドラマへの出演多数。
■踊りにまつわる団体・施設の設立
1978年 美術・映像・音楽など、無範囲な芸術集団として「身体気象研究所」を設立。
1982年 非営利実験スペースとしてplan-Bを東京に設立
1995年~ 国内外の民俗舞踊から舞台芸術まであらゆる踊り・芸能の映像記録の資料収集所「舞踊資源研究所」を運営
■主な映画出演作
2004年 「隠し剣鬼の爪」
2005年 「メゾン・ド・ヒミコ」
2011年 「八日目の蝉」
2012年 「外事警察 その男に騙されるな」
2013年 ハリウッド映画「47RONIN」「永遠の0」
2014年 「るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編」
2017年 「無限の住人」「DESTINY 鎌倉ものがたり」
2018年 Netflix映画「アウトサイダー」「羊の木」「人魚の眠る家」
2019年 「アルキメデスの大戦」 韓国映画「サバハ」
2020年 「記憶屋 あなたを忘れない」
2021年 「バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら」「いのちの停車場」「HOKUSAI」
2022年 「峠 最後のサムライ」
■主な受賞歴
1979年 舞踊批評家協会賞受賞(2003年までに計5回)
1982年 西独・ミュンヘン演劇祭 最優秀パフォーマンス賞受賞
1990年 フランス政府 芸術文化騎士章 (シュヴァリエ・デ・ザール・エ・レ・レトル)
1995年 サントリー地域文化賞受賞
1996年 日本税理士会地域文化賞受賞
2001年 日本現代藝術振興賞受賞
2003年 初映画出演 「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)日本アカデミー賞:最優秀助演男優賞、新人賞受賞キネマ旬報:新人賞受賞
2006年 独舞作品「赤光」、「透体脱落」朝日舞台芸術賞受賞、キリンダンスアウォードW受賞
2020年 日本ダンスフォーラム賞 大賞受賞
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