アート
2022.02.03
いとうあさこさん お笑いタレント・女優〈インタビュー〉
いとうあさこ|いつもどこか、俯瞰で見ている自分がいる
今年でデビュー25周年を迎えるいとうあさこさん。2月4日には初主演映画「鈴木さん」が全国公開。3月には所属劇団・山田ジャパンの公演、4月からは指原莉乃さんとW司会を務めるトーク番組「トークィーンズ」(フジテレビ)がスタート。お笑いにとどまらず、女優、司会者としてもますます活躍の場を広げるいとうあさこさんに、「演じること」への想い、創造の源泉などをうかがいました。
衣裳協力/POLS
初主演映画「鈴木さん」公開
――初主演映画「鈴木さん」がいよいよ2月4日に公開されますね。
そうなんです。撮影したのは2018年、世の中がまだコロナを知らない時代です。今から3年前なのですが、すごく前のことのように感じます。
――2018年当時、テレビ番組の海外ロケなども重なって多忙な状況の中、出演を快諾されたとお聞きしました。
佐々木想(ささき・おもい)監督が魅力あふれる方で。「まずはお話を」ということで待ち合わせをしたのが、真夏のとても暑い喫茶店でした。私の仕事が押していたので、「先に中に入って何かお飲みになっていてください」と連絡したのですが、シャツの色が変わるくらい汗でびしょびしょになりながら1時間近く外で待っていてくださったんです。もちろん作品の内容については拝読していたのですが、監督のその姿を見て「この人の映画に出たい」と思いました。
その後、小さい声でご自身の若い頃の失恋とか、人生を語ってくださって(笑)。それがとても楽しかったんですよ。「きっと周りの人たちは、この人の魅力に巻き込まれていくんだろうな」と思って、いざ現場に行ってみると、役者さんもスタッフさんも制作さんも技術さんも、みんな"静かに巻き込まれた"方ばかりで。そうして1つの作品ができたという感覚です。映画のタイトルは「鈴木さん」ですが、「鈴木さん、佐々木さん」という感じです(笑)。
――役作りについてお聞きします。「鈴木さん」の世界では、45歳以上の未婚者は市民権を失うという条例が制定されています。"45歳を目前に控えた介護施設を営むヨシコ"をどのように演じられたのでしょうか。
私の中ではわりとリアルな感覚のままでした。今ではずいぶん減りましたけど、例えば女性に対して「いい方いらっしゃいますか? 幸せですか?」みたいな質問って、やっぱり今でもあるじゃないですか。いい人がいること、結婚すること=幸せだ、みたいな考えは、私も分かりますし、昭和の時代では当たり前でした。ほかにも私が自分のことを「おばさんは」って言うと、「私も同じぐらいの年だからおばさんって言わないで」なんて言う人がいるんですけど、私は事実を言っているだけなんですよね。
ちょっとした言葉のアヤかもしれませんが、「おばさんを低く見ているのはどっち?」って思ったりします。日本でも考え方が変わってきて、変わろうとしていて、それはいいことなのですが、根底の部分で、今言ったような感覚はまだ残っていると思うんです。だから、台本を読んだとき、怒り、悲しさ、寂しさ、そういうものが自然に出てきて、その自然な気持ちのままやらせていただきました。そうしたら1回も笑うところがなかったんですよね。笑う気もしなかった。自然に怒って、自然に悲しくなって。だからあえてこういう役作り、ということは何もなかったです。
――確かに決して楽しい国の話ではありませんが、試写を観てこれは愛の物語でもあると感じました。
まあ、素敵。ある意味そうですよね。面倒を見ているばあちゃんたちへの情、兵役に出てしまった友達への思い、父親の思い出、そして鈴木さんとヨシコの関係。どれも「静かな愛」だと思います。
愛といえば、わりと順撮り(物語の進行通りに撮影すること)だったんですけど、途中からホルモンがうずいたのか、顔のセンターにできものができてしまって(笑)。最初は「ノーメイクで髪の毛も自分で結んで、等身大で出ます」なんて優等生なことを言ってたんですけど、できもののせいでメイクさんを苦しめてしまいました(笑)。そもそも撮影初日から、生え際に焦げ茶の粉をふられてたんですけどね、メイクさん曰く「薄毛が気になりました」って(笑)。
ロケ地で一緒に暮らした穏やかな日々
――撮影時、印象に残っているエピソードや共演者の方との思い出について教えてください。
映画の舞台になった介護施設は、現在も営業しているコテージタイプの宿泊施設で、撮影期間中はその部屋のひとつで暮らしていたんです。だから、何か技巧的なことはしなくても、ドアの開け閉めなど、実際に暮らしている雰囲気は自然に出ていると思います。
千葉県の山奥で、撮影が終わって部屋に戻ってテレビをつけると、気球が飛んでいるイメージ映像の横に「今日のニュース」が文字情報で出てくる謎の番組1チャンネルしかなくて。撮影期間は8日間で、その間にレギュラー番組出演のために2回東京に帰ったんですが、「うわ、未来の街だ」「テレビって気球だけじゃないんだ」って思いました(笑)。撮影現場には3日間ずつしかいなかったのに、そんな不思議な感覚になりました。
鈴木さん役の佃典彦(つくだ・のりひこ)さんはおしゃべりな方ではないですし、佃さんもそこで一緒に暮らしていたので、お互いに"穏やかな住人"という感覚でした。部屋から出てきて「おはようございます」って挨拶して、スタッフさんが作ってくれた豚汁を一緒に飲んで。ノラネコに名前を付けて、一緒に座って「寒いっすね」なんて言いながら東京に戻ったときに買ったネコ用チュールをあげたりだとか。
介護施設の入居者すみこ役の大方斐紗子(おおかた・ひさこ)さんも、「お弁当おいしかったね、今日は撮影ないんだよ」なんて言ってバタンってご自分の部屋に戻ったり。映画の世界観もあいまって、そんな穏やかな日々でした。唯一、市長役の宍戸開(ししど・かい)さんは現場でもすごく元気な方で、ムードメーカーでした。当時の私のマネージャーが、急遽、合コンの受付役をやったのですが、「今の(セリフの)『ちょっと!』は違うなー」なんて言いながら、現場を盛り上げてくださいました。開さんとのシーンが最後の撮影だったので、明るい印象が残ってるんですけど、今思うと開さんのアッパーな雰囲気がそうさせたのかもしれませんね。
――特に印象に残っているシーンはどこですか。
鈴木さんとスーパーでうどんを食べているシーンです。「がいしょく...」(鈴木)、「外食知らないの?」(ヨシコ)、「がいしょく...」(鈴木)、みたいな独特な台本だったので、おもしろいなと思ったのと、このシーンがとても平和だった気がして。
――介護施設に突然現れた謎の男・鈴木さんとヨシコさんの距離が縮まったシーンでしたね。
そうですね。鈴木さんは「外食」が楽しかったんでしょうね。「外食」という言葉がその後もまた出てきますので、おもしろいですし、大事なシーンだなと思います。
あと、ヨシコは軽トラを普段から乗っている設定で、実際に私が運転したのですが、ドアの閉め方、エンジンを切った後の鍵の置き場所などを、佃さんとぼそぼそと相談しました。「これ、エンジン切ったら、鍵はここっすかねえ」「そうだねえ」みたいな感じで。今はエンジンがボタン式の車も多いので、鍵の差し方、窓を手動で開けるときの仕草などが自然に見えるように、ずっとあちこち触っていました。
――いつもそういう細部にこだわった演技をされるのですか。舞台と映画で芝居の仕方の違いはありますか。
細部にこだわった演技だなんておこがましすぎて。でも結局舞台も一緒ですね。例えば湯飲み1つでも、どう持つのかで、いろんなことが違ってくるでしょうし。
――それでは、これからご覧になる方に向けて、映画の見どころを教えてください。
それぞれの立場や今置かれている状況、性別や年齢などによって、感じたり、感じなかったりするところが大きい映画だと思いますが、今年、コロナ禍が続いている今の状況で公開されることに、私の中では運命的なものを感じています。そういう意味でも1人でも多くの方に見ていただけたら、と思います。うどんを上手に自然に吸えたところも見どころです(笑)。
「なんて面白い世界なんだ」コメディの魅力にハマる
――小さい頃から芸能界に憧れがあったそうですが、実際に芸能界に入ろうと思ったきっかけは何ですか。
私が子どもの頃、芸能界は雲の上の存在でした。「芸能人はトイレに行ったら花を出してる」なんて噂を信じていましたしね(笑)。今みたいな身近な感覚ではなかったので、憧れてはいましたが、リアルではなかったですね。「アイドルの妹分募集」みたいなオーディションには応募しまくってましたけど(笑)、入れる訳がないし、入れる場所でもない、というイメージでした。
それがなぜ、ということですよね。今思うとすべてが自然だったのかなと思います。19歳で家出をしました。でもそれは夢を叶えるためではなく、若気のいたり。独り立ちをしたかっただけでした。家を出てから4、5年は結局、殿方の借金で馬車馬のように働くことになるんですが(笑)、少しずつやりたいことを思い出したり、見出したりしながら、という感じですね。
コメディがやりたいと思って、23~24歳の頃、夜間の演劇専門学校に通い始めました。演劇科は演劇論などの座学があったのですが、私にはそんな時間がなくて。演技、歌、ダンス、実技だけのミュージカル科に決めました。
通い始めるうちに、そもそもミュージカルが好きだったということを思い出したんです。小さい頃、「ウエストサイドストーリー」など、ミュージカルのマネばかりしてたなって。そこでミュージカル俳優を目指そうと思ったのですが、ミュージカル人口ってすごく多いんですよ。そしてそういう人たちは子どもの頃からダンスをやってるんですね。オーディションも受からないですし、「敵わないな」と思いました。
「やっぱりコメディがしたい」
そうこうしているうちに「やっぱりコメディがしたい」という気持ちが出てきて、ミュージカル科で一緒になった子と2人で喜劇という形で単独ライブをしたんです。友達しか来ないような小さい劇場でのライブですけど、いろんな芸能事務所に招待状を出したんです。200通くらい。そうしたら、1人だけ来てくれたのが、(現在所属している)マセキ芸能社の人だったらかっこよかったんですけど、違う事務所の方でした(笑)。なんと、人力舎の方が来てくださったんです。
来てくださったといっても、箸にも棒にもかからなくて。初日に「なめたらあかん」ということは十分、分かったのですが、その上で「なんておもしろい世界なんだ」って、この世界の魅力にハマってしまって。そこから12年間、まったく芽が出なくても、まったくへこたれることなく元気に過ごしていました。本当に「時の流れに身を任せ」ですね。
――12年間、芽が出なくても、焦ることなくご自身の道を追求できたのはなぜですか。
そこはなぜなのか、お答えするのが難しいのですが...... 事務所の人にも「売れない」って言われていましたし、実際、ネタ見せに行ってもダメでしたし、「そうなんだな」って普通に思っていました。「じゃあ、バイトどうしようか」ってことしか考えてなかったですね。牛丼店でバイトしてたんですけど、1つ9kgの肉を重ねて、冷凍庫に入れるんですよ。「そろそろ腰や膝がキツいぞ、ほかに何かいいバイトあるかな」とか(笑)。
――そうして過ごしてこられて12年間。大きな転機は?
「浅倉南、38歳(当時の年齢)。最近、イライラする!」っていうネタがあるのですが、ネタ見せで全落ちだったんですね。「イライラするっていう言葉があんまり良くないね」とか、「そこ外して作り直してくれる?」とか。自分がやりたいと思った部分をカットするように言われることが結構あったんです。もう1つよく言われたのが、「ライブじゃウケるだろうけど、テレビ向きじゃないんだよな」という言葉です。当時、「テレビ向き」「舞台向き」みたいなキーワードがあったんですよね。
そんな中、フジテレビの「爆笑レッドカーペット」のイベントに出ることになり、違うネタをやるように言われたのですが、「イベントだから好きなネタをやらせてほしい」とお願いして、この南ちゃんネタをやったらドカウケしまして。そしたら「ごめん、オレが見抜けなかった。ウケるんだね」って優しいスタッフさんが言ってくださって。「オレのセンスとは合わなかった」というような言い方もできると思うんですけど、「ごめんね」って謝ってくださったんですよね。その後、深夜の「爆笑ピンクカーペット」に出ることになり、そこでもウケて、ゴールデンの「爆笑レッドカーペット」に出ました。そこが転機ですね。
あと当時、「Around40~注文の多いオンナたち~」という天海祐希さん主演のドラマが放送されていて、「アラフォー」という言葉が悲しみを象徴するものではなく、前向きで明るいイメージに変わったのもよかったんだと思います。「こんなに元気で、脇汗かいても恥ずかしげもなくはしゃぐアラフォーがいるんだね」という感じで受け入れられたのかもしれませんね(笑)。なので「天海祐希さんのおかげ」といっても過言ではないです(笑)。
――売れるためにスタイルを変える方もいる中、貫かれた結果ですね。
いや、でも本当はそっちが正解だと思います。私はたまたま運がよかったんだと思います。意志が強い方なんで、納得してないネタを人前でやるのが嫌だったんです。納得してないネタも自分が作ったんですけどね。そこは、売れる、売れないではなく、おもしろいと思ったからやっただけで、年月を経るごとにそこの部分が強くなっていったのかもしれないです。でも本当にたまたまだと思います。タイミングと運とご縁ですね。
フッと冷めて俯瞰する。だから強いのかも
――南ちゃんネタにしても、「誰かを演じる」ことがいとうさんの表現の根底にあるのですか。
そうですね。小さい頃からどこか芝居がかっているところはあると思います。生き方も含めて。辛いことがあったら、雨の中でたたずんだりするんです(笑)。本当に悲しいし、辛いんですけど、どこか俯瞰で見ている感覚というか。例えば、中高時代の日記帳とか、大人になって読むと絶対恥ずかしいと思うんですけど、私の場合、他人が書いたように思えておもしろくて。当時、近藤真彦さんのファンだったんですけど、絶対に付き合う訳もないのに、「あなたは遠い人だ」とか、「私はピエロ」みたいなポエムを毎日したためていたんですよ(笑)。「この人、おかしな人だな」って思いながら読んでます。
さらに影響も受けやすいので、「サウンド・オブ・ミュージック」を観た次の日は校庭の真ん中で「エーデルワイス」をずっと歌ってるし。誰もいないのに(笑)。「ローマの休日」を観た次の日は、駅や学校の階段をしずしずと降りてみたり(笑)。そういう芝居がかった気質はずっとあるかもしれないです。
――では、いとうさんの創造の源泉は、「自分自身を俯瞰的に見ること」ですか。
そうですね。語弊があるかもしれませんが、私みたいなタイプは強いのかもしれないです。本当に悲しいのに、どこか俯瞰で見ている自分がいるので。大人になっても悲しいときはがっつり悲しめばいいと思うんです。例えば、松任谷由実さんの「翳りゆく部屋」というパイプオルガンで始まる曲があるんですけど、それを真っ暗な部屋で聴いたり。でも、本当に悲しいということだけは言わせてください(笑)。
ちなみに一度"雨の中たたずむ"を想像してみてください。しばらくすると急にふっとバカみたいに思う瞬間があるんですよね。「雨に濡れたらこれ、家入ったとき、床濡れるな」とか(笑)、1回冷める瞬間があるんですよ。その感覚がいいとは言わないですけど、もしかしてそのおかげで強いのかな、とは思います。そうやって毎日、暮らしてます。今の状況をどう捉えるかは60歳、70歳にならないと分からないですが、子どもの頃からそうやって生きています。
――気分に合わせたテーマソングをお持ちなんですね。
ありますね。駅まで歩くスピードが速くなるのが、渡辺美里さんの「My Revolution」。この曲を聴いていると無敵な気がして、エスカレーターなんて乗らないですよ、階段パーって上って。姿勢もよくなります。「電車を待っている自分」を演じたりして。プレイリストには常に入ってますね。生きるための応援歌です。
――日々、機嫌よく過ごす方法として、私たちもマネできそうです。
人間としてマルかバツかは別にして(笑)、楽しくは生きられると思います。コロナ禍で気づいたのですが、南原(清隆)さん率いる、葉っぱ隊の「YATTA!」(2001年)という曲があるんですけど、歌詞がすごいんです。「息を吸える 息を吐ける」で「やったー!」なんですよ。「それだけで、葉っぱ1枚つけて踊れるんだな、人間は」って思ったら、いい意味で何でもできるなって。その境地にいきたいです。
――コロナ禍でもその方向にいけるいとうさんは、やはり強い人なんですね。
もちろん、「いやぁぁ!」ってなったこともありますよ。コロナでコンビニ行くのも悪、みたいな頃、仕事もほぼ家の中でしたしね。毎日のようにリモート出演のための機材を運ぶバイク便がやってきて、自宅で収録して自分で箱詰めして、またバイク便がやってきて。「めっちゃ往来ありませんか?」って思って、何が正しいのか分からなくなりました。
あのときはイライラもしましたし、お昼の2時か3時でやることがなくなって、缶ビールを開けてしまいそうになるんですよね。でもそれはちょっと違うなと思って、ネットで明るいお姉さんの運動の動画を見つけて「大丈夫、まだまだ頑張ろう!」とか言われながら、最終的に80分ぐらいやるんです。汗びしょびしょになって、お風呂に入って、髪を乾かして、「よし飲もう!」って頃にちょうど、(区が流す)5時のチャイムが鳴るんです。「イーッ!」てなりながらも、何か見つけるんです。まだ、息が吸えてるから。
――そんないとうさんが今、ハマッていることは何ですか。
プライベートでは、仕事が少しでも空いていたら大久保(佳代子)さんの家に行って、大久保さんの犬のパコ美に顔中をなめさせること(笑)。うぶ毛を全部、パコ美が食べちゃうんですよ。だからどんどん薄毛になってます。ハマッているというか困っていること?(笑)。
――最後に今後のお仕事の展望と、チャレンジしたいことを教えてください。
直近では、劇団・山田ジャパンの公演「不安の倒し方について」(3月17日~27日/新宿シアタートップス)を完走することです。2回も公演がキャンセルになり大打撃を受けたので、今回は無事、完走できるのか。今はそのことを考えています。
チャレンジしたいことは、富士登山と和太鼓です。ほかにも、フラメンコ、フラダンス、ゴスペルとか。アッパーじゃなくて下向きのもの。そう、大地を踏みたいんです。大地をしっかり踏みしめて生きていきたいなと思っております。
映画「鈴木さん」ポスター(左)と、チラシ(右)
2022年2月4日(金)より、K2、池袋シネマ・ロサ他全国ロードショー
●物語
国家元首 "カミサマ" のもと、美しく輝く某島国の某町。少子化にあえぐその町では市民投票により、未婚者は市民権を失うという条例が制定される。廃ラブホテルで介護施設を営むヨシコは、迷い込んできた中年男性と結婚しようとするが......。
※記事の情報は2022年2月3日時点のものです。
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【PROFILE】
いとうあさこ
1970年6月10日生まれ、東京都出身。
1997年「ネギねこ調査隊」を結成。2001年「進ぬ!電波少年」(NTV)の企画“電波少年的15少女漂流記”に参加。2003年にコンビ解散後、ピンとして「いとうあさこ」で活動。「エンタの神様」(NTV)ではウクレレを弾きながらの自虐的な漫談。「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)では、80年代のアイドルの細かすぎて伝わらないモノマネ。「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ)では、南ちゃんのコスプレで自虐ネタを披露。「R-1ぐらんぷり2010」(関西テレビ)では、初の決勝進出を果たす。現在、テレビ「世界の果てまでイッテQ!」「ヒルナンデス!」(NTV)、「すイエんサー」(NHK)や、ラジオ「ラジオのあさこ」「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(文化放送)、「あさこ・佳代子の大人なラジオ女子会」(NHKラジオ第1)などにレギュラー出演中。その他、映画「クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁」や「怪盗グルーのミニオン大脱走」では声優として、ドラマ「東京タラレバ娘」(2017年/NTV)、「警視庁・捜査一課長 season3」(2018年/テレビ朝日)、映画「ピーナッツ」(2006年/内村光良監督)、「サブイボマスク」(2016年/ 門馬直人監督)「鈴木さん」(2022年2月公開/佐々木想監督)などに出演。劇団・山田ジャパンにも2008年の旗揚げより所属。
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