スポーツ
2023.08.18
村上佳菜子さん プロフィギュアスケーター・タレント〈インタビュー〉
村上佳菜子|恩師の言葉を胸に。プロフィギュアスケーターとしてのこれから
フィギュアスケートのソチオリンピック日本代表としての出場、四大陸選手権での優勝など世界を舞台に活躍し、2017年に選手を引退した村上佳菜子(むらかみ・かなこ)さん。現在はプロフィギュアスケーターやタレントとして活躍し、競技選手たちへの振り付けなど、さらに活動の場を広げています。「自分を育ててくれたフィギュアスケート界に恩返ししたい」と語る村上さんに、引退を意識した瞬間や恩師から学んだこと、これからの活動についてお話をうかがいました。
文:長坂邦宏(フリーランスライター)
アイスショーの1カ月半前から食事制限し、体をつくる
――村上さんはプロフィギュアスケーターとして数々のアイスショーで演技されていますが、アイスショーには年間でどのくらい出演されるのですか。
今年(2023年)は1月、5月に出演しました。アイスショーは現役の選手も一緒に滑りますので、しっかりと練習していないと、観客の皆様にはその差が分かってしまいます。ですからアイスショーに向けて厳しい練習を行い、自分を追い込んでいかないといけません。それがすごく大変で。
特に、体重の増減は表現の精度に影響するので、アイスショーのおおよそ1カ月半前から特に食事コントロールをして、しっかり体をつくっていきます。
一番つらいのは、食事を制限している時期に、テレビのお仕事などでどなたかが食べている場面の映像を観ることです。おいしそうと思うけれども我慢しなくちゃいけないから、本当につらくて......(笑)。
――食事制限中に食べ物の映像はおつらいですね。そういえば、先日テレビのロケで大好きなかき氷を3杯食べたとか。かき氷なら食事制限している時期に食べても大丈夫なのでしょうか。
かき氷もだめです(笑)。この前のロケは食事制限中ではなかったので、食べることができました。好きなものを食べられないのはつらいですが、ショーを迎えると「やっておいてよかった」と思えるんです。
――村上さんにとって、アイスショーとテレビのお仕事はどのようなバランスでやられているのでしょうか。
今こうしてテレビのお仕事をさせていただけるのも、フィギュアスケートがあったからだと思っています。アイスショーは観客の皆様に観て楽しんでいただく。テレビでは私が楽しんでいる姿も皆様に観ていただくお仕事です。スケートの方がウエイトは大きいかもしれませんが、気持ちの面では両方同じくらい大切です。
今は練習用のスケートリンクを借りたり、衣装制作する資金にも充てているので、テレビのお仕事もとてもありがたいです。
――アイスショーとテレビのお仕事を両立するとなると、忙しい毎日を過ごされていると思います。アイスショー前の練習はどのように行っているのですか。
アイスショーの1カ月前になると「週4日は絶対に滑る」と決めています。テレビのお仕事の合間を縫って、早朝や夜遅くに練習しています。1回の練習に1時間しか取れないので、その1時間にどれだけ密な練習ができるかをいつも意識しています。
今の方が心にゆとりができて健康的になった気がする
――競技を引退されたのは2017年4月ですね。生活は大きく変わりましたか。
選手の時は練習がお仕事なので、毎日練習する内容をコーチの山田満知子(やまだ・まちこ)先生にメールで送って、どの時間に先生にレッスンしていただくかを決めてもらい、それ以外の時間に学校へ行ったりトレーニングしたりする毎日を繰り返していました。夜は翌日の練習のために家でマッサージをして、早く寝る。そういう毎日でした。
今はアイスショーの前以外は好きなようにご飯が食べられますし、好きな時間に遊びに行けるようになりました。だいぶ生活が変わりましたね。
――リラックスできる時間が増えたということでしょうか。
そうですね。自分自身と向き合えるようになったかなと思います。競技生活を送っている時はスケートの技術のことで頭の中がいっぱいで追い込まれている気持ちも強く、あまり自分自身と向き合う時間がなかったように思います。
今の方が心にゆとりができて、「こんなものを食べてみたい」とか「自分に合ったスキンケアはどれだろうか」と考えたりする時間ができましたし、健康的になった気がします。
――引退前には疲労骨折などもされていましたが、今はけがなどありませんか。
特にないです。選手の頃はどうしても毎日練習しなければいけないので、けがが悪化しやすいですが、練習を休めないのでけがと付き合っていくしかありませんでした。私は3歳の時からフィギュアスケートをやっているので、それが当たり前だと思っていました。
今はトレーニングの仕方も変わってきて、スケートで使わない体の部分にも向き合いながらトレーニングするようになり、けがも少なくなりました。今思うと、選手の頃は「結果を残していかなくちゃいけない」というプレッシャーが大きくて、相当追い込まれていたんだなと感じます。
最後のポーズを決めた時に「あ、終わりだ」と思った
――引退を決意された時の心境を聞かせていただけますか。
2014年ソチオリンピックが終わったシーズンに、山田先生に「佳菜子は今辞めるのが一番いいと思う」と言われていました。でも私の中では「もうちょっとできる」という思いがあって、先生にお願いして続けさせてもらっていました。ただ、「2018年平昌オリンピックのシーズンの前までには終わりにする」と、自分の中でタイムリミットは設けていたんです。
その気持ちを持って挑んだ、2016年12月末の全日本フィギュアスケート選手権の時でした。フリープログラムで自分の持っているものを全て出し切って最後にポーズを決めた瞬間、張り詰めていた糸がプツッと切れたような感じがして、「あ、終わりだ」と思いました。その場でなかなか立ち上がれなくて、観客の皆様もスタンディングオベーションをしてくださり、「この景色を見るのも最後か」と思いながら、ご挨拶してリンクから引き上げました。今でも、思い出すと鳥肌が立つような感覚になります。たぶん、納得の演技ができたということだったんでしょうね。
その後2017年3月に大学を卒業し、シーズン終了後となる2017年4月23日に現役引退を表明しました。
――ソチオリンピック以降は苦しい時期が続いたのですね。
苦しかったです。山田先生がソチオリンピック後に「この先の方がしんどいよ」と言ったのがよく分かりました。2014年は浅田真央さん(2010年バンクーバーオリンピック女子シングル銀メダリスト)が競技生活を休養したり、鈴木明子さん(2012年世界選手権女子シングル銅メダリスト)が引退したりして、ずっと追いかけてきた人たちがおらず、目指しているものが分からなくなってしまいました。
3歳からフィギュアスケートをやってきたので、フィギュアスケートのない人生が分からなくて。この先どうしたらいいか心配で、すごく苦しかったです。毎日泣きながら過ごしていました。
――ちょっと話題を変えまして、スケートを通して、今までにさまざまな出合いがあったかと思います。これまでに印象に残っている楽しい思い出はなんでしょうか。
海外のいろんな国々へ行けたことが印象に残っています。一番の思い出は、中学2年生の時に行ったスペインのマドリードです。すごくすてきな街で、夜には生演奏付きのフラメンコを観たんです。その時、ものすごく感銘を受けて、2010年の世界ジュニア選手権ではプログラムにフラメンコの要素を取り入れて、優勝することができました。
普段、振り付けはスケートの先生にお願いするのですが、その時はスケートの先生とフラメンコの先生が一緒になって振り付けをしてくださいました。演技中の会場に流れる音楽も、手をたたく音やステップの音を入れてもらい、かなりこだわったプログラムになりました。
恩師の教え「愛されるスケーターになりなさい」
――村上さんは3歳の時からずっと山田満知子コーチに師事されていましたが、山田先生からの印象的な言葉や教えについて聞かせてください。
山田先生は本当に家族のような存在で、スケートリンクでは先生なのですが、リンクの外へ出るとお母さんみたいな存在でした。私が反抗期の時は、けんかもたくさんしました。
山田先生に教えてもらったことは私の中でたくさん生きていて、「初心を忘れない」という言葉は今も強く残っています。「いい流れに乗ると人は天狗になりがちだけど、それは絶対にしないように」とすごく言われました。
「愛されるスケーターになりなさい」というのも、山田先生からいただいた言葉です。「どんなに優勝しても、どんなに結果を残しても、みんなから愛されなかったら忘れられてしまう。でも結果が残せなくても、みんなから愛されるスケーターになれば、きっと誰かの心の中に残ることができる。そういう選手になってほしい」。これもとっても大事な言葉だと思っています。
――浅田真央さんも山田先生がコーチだった時代がありますね。村上さんは高校が同じだった浅田さんの制服をお下がりで着ていたとか。
真央ちゃんは小さい頃から一緒に練習していたので「お姉ちゃん」という感じです。山田門下生の間では、衣装を譲り受けることがあります。伊藤みどりさん(1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリスト)が着た衣装を真央ちゃんが譲り受け、それを私が譲り受けて着ることもありました。そしてさらに下の世代の人が着る。そういう文化があるので、お下がりを譲り受けることは自然な流れでしたね。
私は高校の時身長が低かったので、真央ちゃんのブレザーをぶかぶかのまま3年間、着続けていました。その後、ブレザーが誰の手に渡ったのかは分かりません。親同士でどんなやりとりをしていたのか、本人たちはあまり知らないんです。
プロとして、フィギュアスケート界に貢献できること
――ずっとフィギュアスケートをやってこられ、プロになった今、日本のフィギュアスケート界のために何か貢献したいと考えていることはありますか。
自分がフィギュアスケートに育てられ、フィギュアスケートのおかげで生活ができていますので、何か恩返しをしたいという気持ちはあります。
私自身の新しい取り組みとして競技選手たちの振り付けをしているのですが、もっともっと選手たちに認めてもらえるような振付師になりたいと思っています。ルールも毎年ちょっとずつ変わったりするので、振り付けや解説に生かせるようにしっかり勉強しています。おかげで、現役の時よりもルールに詳しくなりました(笑)。
それから、SDGs(持続可能な開発目標)に注目しています。昨年バスケットボールの試合を観に行ったのですが、売店のお皿には土に還る生分解性プラスチックが使われていたり、使わなくなったバスケットボールからアクセサリーを作っていたり、SDGsに積極的な歌手の方がハーフタイムショーを盛り上げていたりして、勉強になりました。
スケートリンクは製氷したり、維持するのに水と電気を使います。SDGsの観点からすると、ちょっと離れていますよね。アメリカでは雨水を利用したり、太陽光発電を使ったりといった新しい取り組みが見られます。そこまでやるのは難しいかもしれないですが、日本のフィギュアスケートに携わる方々にSDGsを意識してもらえるような取り組みができたらいいなと思っています。
テレビに出演する人としては、もっともっと楽しく、いろんなジャンルで活躍できる人間になりたいと思っています。お芝居もやってみたいです。「これしかできない」じゃなくて、「こんなこともできます」というアピールポイントを増やしていきたいと思います。
一直線に考えすぎないで視点を変えてみることが大事
――これまで厳しい選手生活の中で困難に直面し、心が折れそうになったとき、どう克服してこられましたか。アスリートとして多くの勇気や感動、そして笑顔を与えてくださる村上さんの考えを聞かせてください。
現役を引退してプロになって分かったことは、「少し楽観的に考える」ということですね。真面目な人ほど、自分を追い込んでしまうものです。私も選手の時は「ジャンプをパーフェクトに決めなくちゃ」とか「ここで結果を残さないとだめだ」とか、自分を追い込むようなことばかり考えていました。
プロになってからも「ジャンプを完璧に跳ばなければいけない」と考えたらしんどくなって、ジャンプを2~3年跳ばなかった時期がありました。でも、ある時ふと軽い気持ちでジャンプを跳んでみたら、意外にうまくいったんです。「こんな軽い気持ちでも跳べちゃうんだ」という気づきがありました。
一直線に考えすぎないで視点を変えてみると、物事をポジティブに捉えられるような気がします。私自身こう考えられるようになったのも、競技選手からプロになり、心に余裕ができたことが大きいのかもしれません。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしています!
スタイリスト:柳翔吾
ヘアメイク:高山ジュン
取材協力:三井不動産アイスパーク船橋
※記事の情報は2023年8月18日時点のものです。
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【PROFILE】
村上佳菜子(むらかみ・かなこ)
1994年生まれ。愛知県名古屋市出身。中京大学附属中京高等学校、中京大学を卒業。フィギュアスケートをしていた姉の影響で3歳からスケートを始める。2009年ジュニアグランプリ(JGP)ファイナル初出場で優勝、2010年世界ジュニア選手権優勝。2010年〜2011年シーズンのグランプリ(GP)シリーズ アメリカ杯で優勝し、グランプリファイナルで銅メダルを獲得。2013年全日本選手権で総合2位となり、2014年ソチオリンピックに出場。2014年四大陸選手権で優勝、同年の世界選手権に5年連続代表入り。2017年4月23日に競技生活から引退を表明。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショーへの出演や解説・振付・指導者として活動するほか、タレントとしても活躍中。
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