アート
2023.05.30
大江千里さん ジャズピアニスト〈インタビュー〉
大江千里|ニューヨークへのジャズ留学から僕のチャプター2が始まった
シンガーソングライターとしてデビューし、「十人十色」(1984)、「Rain」(1988)、「格好悪いふられ方」(1991)、「ありがとう」(1992)などの大ヒットで、ポップスターの地位を確立した大江千里さんは、47歳にしてジャズを学ぶために渡米。現在はニューヨークを拠点にジャズピアニストとしてのキャリアを積んでいます。そんな大江さんに、キャリアをリセットしてまで挑んだジャズへの思い、そして現在の活動や今後の展望などについて、お話をうかがいました。
還暦を迎えても「格好悪いふられ方」を歌うのかという自問
──大江さんは、いつ頃からジャズに興味を持ち始めたのでしょうか。
僕がまだ15歳ぐらいの頃、ヤマハのポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)に応募するようになった時期に、ポプコンのプロデューサーの方から大阪のヤマハなんばセンターで開催されているポップスの作曲のワークショップに誘われました。そのワークショップの帰り道、アメリカ村の三角公園の近くに中古レコード屋があって、なんとなく寄るようになったんです。
そこで初めてジャケ買いしたのがアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)の「ストーン・フラワー(Stone Flower)」というボサノバのアルバムやクリス・コナー(Chris Connor)のベスト盤でした。それは15歳の僕には全く聴いたことがない音楽でした。「何じゃこれ?!」って。聴いたことがないコード、メロディー、そしてスケール(音階)。その頃はまだモードなんて知りませんでしたから、本当に衝撃的で、雷に打たれたようになりました。
それからはビル・エヴァンス(Bill Evans)、セロニアス・モンク(Thelonious Monk)、ウィントン・ケリー(Wynton Kelly)、それにボーカルのトニー・ベネット(Tony Bennett)など、手当たり次第にジャズの中古のレコードを買っては聴きました。
──その後、シンガーソングライターとしてデビューされたのですね。
はい。大阪府枚方市のライブハウスでオリジナル曲を歌っている時に、ソニーレコードの当時の新人開発部の方から声をかけられました。「ソロでシンガーになる気はありますか?」と。それでその時の録音テープが東京のエピックソニーのプロデューサーの元へ届き、すぐにアシスタントの方が神戸に会いに来てくださいました。その時「こういうアーティストを担当してます」って聞かされた名前の一人に、佐野元春さんがいました。デビューのチャンスが来た喜びよりも緊張の方が先に来ました。ジャズは教則本を買って勉強していましたが、しばらく脇へ置いて、シンガーソングライターとしてのスキルを上げようと決意して、映画を観て歌詞のヒントになりそうなセリフをメモしたり、それを参考に曲を書いたりと、ガムシャラに曲を作りました。
──その後、数々のヒット曲を世に送り出し、ポップスターとしての地位を確立しながら、どうして再びジャズの道を進もうと思われたのでしょうか。
40代に入った頃、犬の散歩をしていてふとショーウインドーに映る自分の姿を見た時、思ったんです。自分はこのまま、還暦を迎えても赤いちゃんちゃんこを着て「GLORY DAYS」や「格好悪いふられ方」を歌うのかって。それはそれで覚悟をしなきゃダメだぞって。
当時実年齢で作れるポップスのモチーフを自分なりに探して、自分にしか作れないポップスを作ろうとチャレンジし始めている時期だったのですが、自分が思う甘酸っぱい「ポップスの旬」からは少し遠ざかりつつあるとも思うようになって、自分が目指す音楽と何かが違うと感じていました。ちょうどその数年前に母を亡くし、当時一緒に暮らしていた犬が2匹とも立て続けに亡くなり、さらに同い年の友達が医療事故で亡くなり、その後1年365日メールでやりとりする大切な親友が長い闘病の末、天国へ旅立ちました。いっぽうで、僕自身も40歳の頃から何度も腫瘍ができて手術をするなど、人生について考えさせられる出来事が重なりました。「人生は一度きり」。そう考えたら、「俺はやっぱりジャズをやりたい」という気持ちがむくむくと湧き上がってきたんです。
ジャズを学ばない限り、この先の僕の人生はない
──とはいえ47歳でアメリカに渡って、ジャズの名門の音楽大学であるニュースクールに入学するなんて、すごいですね。
僕は29歳の時初めてニューヨークを訪れ、この街が大好きになり、一時期はアパートを借りて日本と行ったり来たりしながら4年ほど滞在していたんです。その頃自分が住むウエストビレッジのアパートの近くでよく見かけたのが、大きなベースを抱えて歩くTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC(以下、ニュースクール)に通う大学生の姿です。47歳の夏、ふとそれを思い出しニュースクールをインターネットで検索してみたら、海外からでも受験できることが分かりました。それならと、自分が演奏した録音テープと、自己推薦文を送ってみたんです。
「僕は今までポップスの世界で頑張ってきました。今のジャズのスタンダード曲も、もともとは流行歌です。僕がニュースクールに入学したら、ジャズボーカルの大御所、ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)がヒットチャートで1位を取るような曲を書いてみせます」って。今読むと顔から火が出るような盛り盛りな推薦文を送ったんです(笑)。そうしたら受かったんですよ。
──日本での音楽活動をスパッと辞めて、渡米して音大生になるとは、かなり思い切りましたね。
僕はそれまでシンガーソングライターに命を懸けてやってきたので、ジャズとポップスが両立できるような生易しいものではないことは分かっていましたし、本気でジャズをやるなら、今やっている仕事は全部辞めて、日本の拠点も全部引き払い、退路を断って臨まないと無理だと思いました。合格通知が届いたのが11月で、新学期が始まるのが年明けの1月だったから、合格した途端に車もバイクも衣装などの家財も全部大急ぎで処分し、ニューヨークでのアパートを決めるために12月に3日間渡米しました。
──退路を断って渡米するくらいジャズに対する思いが募っていたのですか。
はい。あの時の僕は「ジャズを学ばない限り、この先の僕の人生はない」と思うぐらい気持ちが高まっていました。僕の人生の中の「ジャズ」というワードが、全部ハイライトされた時期でしたね。
ポップスの血をジャズに入れ替える
──そんな思いを胸に入学した世界最高峰の音楽大学、ニュースクールはいかがでしたか。
世界中からジャズを学ぶために若き精鋭たちが集まっていました。先輩には現代のジャズをけん引するロバート・グラスパー(Robert Glasper)やホセ・ジェームス(Jose James)がいますし、同級生にはジャズメイア・ホーン(Jazzmeia Horn)やカミラ・メサ(Camila Meza)などがいました。それほどニュースクールはキラキラした世界で、毎日が輝いていました。
でも勢い込んで海を渡った僕はジャズに関して素人同然でした。「リズムチェンジ」すら知りませんでした。リズムチェンジというのはジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)の「I Got Rhythm」のコード進行のことで、このコード進行で作られたジャズの名曲は多く、ジャズをやる人なら誰もが知っている基本中の基本ともいえるコード進行なんです。でもそれすら僕は知らなかった。
試験で先生に「じゃあリズムチェンジを弾いてみて」って言われた時、僕は最初はロック調、次はボブ・マーリー(Bob Marley)風にレゲエ、次はワルツで、最後はバラードと、リズムをチェンジして弾いて「どんなもんでしょう?」って顔をしたら、先生はポカーン(笑)。「あなた本当にジャズを全く知らないんだ」って驚かれました。大学に入ったばかりの頃、先生から「あなたの音楽は素晴らしいけれどジャズじゃない。ジャズを本気でやるなら今ある血を本気で全部入れ替えるくらいの気持ちでやらなければジャズにはならない」と言われました。
──大江さんはJ-POPでは大御所だったのですから、そこまで頑張らなくてもいいように思うのですが、どうしてそこまで頑張れたのですか。
それはやっぱり10代で聴いたジャズへの憧れだったと思います。どうしてもあの謎を解き明かしたいという衝動には逆らえなかった。実際入学すると一学生ですから、日本の音楽界にいた時とは違って、悔しいこと、はたから見ると恥ずかしいようなこともたくさんあったけど、憧れ続けた本物のジャズに囲まれてジャズが学べるという喜び、それに勝るものはありませんでした。どんな辛くても「ジャズを学べているんだ」と感じるだけで心が自然と躍りました。
ニュースクールには、憧れて、憧れて、憧れ続けた本物のジャズがありました。ジョン・コルトレーン(John Coltrane)のバンドでベースを弾いていた本物のジャズレジェンド、90歳のレジー・ワークマン(Reggie Workman)が教師として僕の目の前にいるんですよ。そんな環境なら、やるしかないですよね。
──でも、同級生たちはみんな、大江さんよりはるかに若い方ばかりですよね。
はい。親子ぐらい違います。だから最初は友達もできなくて寂しかったですね。みんな若くて、本当にうまくてね。中には僕が日本のスタジアムでやっていたコンサートのYouTubeを見て驚いて問い詰めてくる子もいたけど、まぁ驚いているのも3日ぐらい。時間が経てばみんな忘れちゃう。そのくらい各自が自分のことに必死の世界でした。それが良かった。ただただジャズに集中できる時間だったんです。
──最初は初心者同然だったそうですが、そこからどうやって本場のジャズを自分のものにしていったのですか。
最初はどんなに練習しても長い間全く上達しなくて、途方に暮れていました。ニュースクールには著名アーティストのプライベートレッスンが受けられるシステムがあって、幸運なことに僕はアーロン・ゴールドバーグ(Aaron Goldberg)というジャズの第一線で活躍しているピアニストのレッスンを受けることができました。
で、どんなことを教えてもらえるんだろうと意気揚々と出かけて行ったら、「君は歌手だろ、だったらまずマイルス・デイヴィス(Miles Davis)の『Straight No Chaser』のソロを覚えて歌えるようにするのがいいよ」って言われたんです。つまりソロを耳でコピーしてニュアンスまで完璧に口で歌えるようにしろと。
最初は「そんなの簡単じゃん。もっとジャズの芯を教えてよ」って思ったけど、言われたとおりやってみたら、思ったよりすごく難しかったんですよ。ちょっとリズムが前のめりで食い気味なところや、ジャズならではの独特なタメなど、楽譜には書けない微妙なニュアンスまで含めて歌えるようになるまでには、結局1年かかってしまいました。
Miles Davis「Straight, No Chaser」
──それはまさに「ポップスの血をジャズに入れ替える」ということですね。
まさにそう! そうやって毎日必死で練習をしていて、ある日、みんなと一緒にステージに上がって発表会で演奏している時に、たぶんシダー・ウォルトン(Cedar Walton)の「Bolivia」っていうラテンの曲だったと思うんだけど、僕のソロがぴたっと決まったんです。終わった後、初めてみんなから拍手をもらって、先生からも「センリ、ほんのちょっとジャズになってきたな」って言われました。その頃から少しずつ変わり始めたのだと思います。
その後、上級クラスに上がって、音楽の仕事ができるライセンスカードを学校側から支給され、演奏の仕事をあっせんしてもらえるようになって、どんどん面白くなってきました。そしてグリーンカードを申請して自分のジャズレーベルを立ち上げました。そうして卒業のシニアリサイタルでジャズデビュー盤にもなった曲「Boys Mature Slow(男子成熟するに時間を要す)」を演奏したんです。
" SENRI OE TRIO " BLUE NOTE TOKYO LIVE 2022
デビュー40周年記念アルバム「Class of '88」は僕にしかできないアプローチでチャレンジした作品
──2023年5月24日発売のデビュー40周年記念アルバム「Class of '88」についてうかがいます。どのようなアルバムに仕上げたのでしょうか。
今回のアルバムは、ポップス時代に作ったセルフカバー8曲と、新たに作った3曲で構成されたアルバムで、いわば「NEW SENRI JAZZ」のアルバムに仕上がっています。セルフカバー曲は特設サイトで募った曲から選曲し、日本盤CDには、アマチュア時代の楽曲「香港ぶるうす」をボーナストラックとして追加収録しました。
アーティスト名:大江千里
タイトル:「Class of '88」
発売日:2023年5月24日(水)
発売元:Sony Music Labels/ALDELIGHT
初回生産限定盤 [2CD+DVD] MHCL-3032/4 / 8,800円(税込)
通常盤 [CD] MHCL-3035 / 3,300円(税込)
初回生産限定盤のみ CD「Senri Jazz ~First Decade~」
・JAZZ活動10年を記念して、過去7枚のオリジナルJAZZアルバムから14曲を厳選したリマスターベスト盤
初回生産限定盤のみ DVD「大江千里Piano Concert ~Remember Homeroom!~」
・2023年1月7日ルネサンスクラシックス芦屋ルナ・ホールでのLIVEを全曲収録したDVD
──聴きどころはどんなところでしょうか。
セルフカバー曲は原曲を書いたのも、歌っていたのも僕。それをジャズ側からアプローチするのも僕ということで、アレンジには結構苦しみました。ポップスのシンガーソングライター、大江千里は「絶対に譲らない」人なので圧がすごい(笑)。とはいえ、逆に僕自身の曲だからこそ、原曲のメロディーや歌詞が大事だということに改めて気がついて、それからは面白いほどチャレンジできました。当時の僕が書いた原曲の良さを損なわずにジャズとして成立させながら、僕にしかできないアプローチで曲が持つ新たな魅力にスポットを当てる。それによって当時のファンの方が聴いても「いい」と感じてもらえるように仕上がったと思っています。
──それはファンも絶対に聴きたいですね。
好きになってほしいなあ。きっと楽しんでもらえると思います。
──デビュー40周年を迎えましたが、今後日本の音楽シーンに戻るという選択はありますか。
今日みたいに時々日本に帰って、さっきも天ぷらうどんを食べたんですけど、「日本っていいなぁ」としみじみ思います。でも僕は日本を去る時に、いったん退路を断ちました。シンガーソングライターとしてやり切って、ポップスの大江千里としてのチャプター1は完結しました。そして今はチャプター2がゼロからニューヨークで始まっています。だからもうステップバックはあり得ない。もちろん日本は素敵だけど、今の僕のリアリティーは向こうにある。だから、ニューヨークに戻ってチャプター2を続けていきたいと思っています。
──本日はお忙しい中、ありがとうございました。ポップスターからジャズピアニストへ。年齢に関係なく挑戦し続ける姿勢に心を打たれました。今後の更なるご活躍を期待しています!
※記事の情報は2023年5月30日時点のものです。
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【PROFILE】
大江千里(おおえ・せんり)
1960 年生まれ。1983 年にシンガーソングライターとしてデビュー。
「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」「ありがとう」などヒット曲が数々。
アルバム「APOLLO」でオリコン1位。渡辺美里「10 Years」 「すき」、松田聖子「Pearl-White Eve」、光GENJI「太陽がいっぱい」などの提供曲でも知られる。
2008年、ジャズピアニストを目指し渡米、NYの THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC に入学。
2012年、大学卒業と同時に自身のレーベル「PND Records」を設立。
同年、1stアルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビュー。
2015年、渡米からジャズ留学、大学卒業までを記した著書「9番目の音を探して」(KADOKAWA)を発表。
2016年夏、初のジャズボーカルアルバム「answer july」を発売。アトランタジャズフェステイバル、デトロイトジャズフェステイバル、アルバニアジャズフェスティバルなどにソロピアニストとして参加。
2018年、デビュー35周年記念として「Boys & Girls」を発売。
2019年、「Hmmm」を ドラムのアリ・ホニック(Ari Hoenig)、ベースのマット・クローへジー(Matt Clohesy)とのトリオで制作。このアルバムが全米ジャズラジオ局のオンエアチャートを示す「JAZZ WEEK」で39位(2020年3月9日付)を記録。
2022年6月、全米1の音楽フェステイバル「Summerfest2022」にトリオで参加。
2022年11月、初のレシピ本「ブルックリンでソロめし!」(KADOKAWA)を発売。
朝日新聞、ニューズウィーク日本版にてコラム連載中。NYブルックリン在住。
2023年5月24日に40周年記念アルバム「class of ‘88」を発売。
夏には、40th Anniversary Celebration 「大江千里 Premium Piano Concert “Door Number “YOU”」の開催が決定。
https://classics-festival.com/rc/performance/40th_senri-oe_piano/
【大江千里デビュー40周年プロジェクト スペシャルサイト】 http://www.110107.com/Senri40
【note】 https://note.com/senrigarden/
【Instagram】 https://www.instagram.com/senrioe/
【Twitter】 https://twitter.com/1000hometown
【PND RECORDS】 http://peaceneverdie.com/
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