「ねじガール」―― モチベーションが高い人が、たまたま女性だった

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興津螺旋株式会社〈インタビュー〉

「ねじガール」―― モチベーションが高い人が、たまたま女性だった

ありとあらゆる機械に使われている「ねじ」。それは産業の塩と言われるほど大切な、日本のものづくりの土台を支えている存在です。その「ねじ」をつくる女性たちが、ステンレスねじのトップメーカー興津螺旋株式会社にいます。彼女たちは、どんなきっかけでねじを作るようになったのでしょうか。興津螺旋株式会社の柿澤宏一社長と、ねじ作りの女性職人「ねじガール」の一人、森田知世さんに、お話をうかがいました。

より付加価値の高いねじ作りを目指す興津螺旋

――柿澤社長に、まず興津螺旋の概略についておうかがいしたいと思います。

柿澤社長:興津螺旋は昭和14年に私の祖父が創業した会社です。もともと祖父は材木屋の次男坊だったんですが、ある時に親戚が勤めているねじ工場を見学させてもらったら、機械からねじがどんどんできてくるのをみて、面白そうだと。それで始めたそうです。創業してすぐ太平洋戦争が始まってしまい、戦中はゼロ戦のリベットを作り、そして終戦後は鉄製の木ねじを作っていました。その後ステンレスねじの製造を開始し、やがてステンレスねじ専業となります。

――どんなきっかけでステンレスねじ専業になったのですか。

柿澤社長:戦後のある期間、この工場でアルミサッシ製造の下請けもやっていたことがありました。アルミサッシはステンレスねじを使うので、最初はステンレスねじを仕入れたのですが、仕入れてみたら値段が高いのにびっくりして、こんなに高いなら自分の工場で作ろうということになりました。当時、普通の鉄ねじの10倍以上だったんじゃないでしょうか。需要が高かったので増産をしていくうちにステンレスねじの専業メーカーとなり、今では国内でトップクラスのシェアとなっています。ただ今私たちはステンレスねじ専業というところから、違う方に進んでいきつつあります。

↑興津螺旋株式会社 柿澤宏一社長興津螺旋株式会社 柿澤宏一社長


――それはどういうことでしょうか。

柿澤社長:加工が難しいため高価だったステンレスねじですが、素材が改良されて加工性が良くなり、だんだん海外製品が増えてきたこともあり、ホームセンターなどで一般の方も買える「規格品」は、値下げ競争になってしまいました。それで、今私たちは、図面ものと言っていますが、メーカーのニーズに合わせた特殊形状のねじを作ったり、あるいはチタンやニッケル合金といった、いわゆるレアメタルと言われる素材のねじ。これらはステンレスよりはるかに製造が難しいのですが、そういった素材のねじを作る方向にシフトしています。

――特殊形状のねじとはどういうものですか。

柿澤社長:たとえば自動車などで、ねじにスペーサーをかませて使っていた部分があったとすると、ねじとスペーサーを一体成型してしまえば、わざわざスペーサーを用意して取りつける必要がありません。それはパーツとしても工賃としてもコストダウンになります。そういった特定の目的のためのねじですね。

↑興津螺旋株式会社で生産しているチタン合金ボルト(加工が難しいスーパーフラットヘッド型)興津螺旋株式会社で生産しているチタン合金ボルト(加工が難しいスーパーフラットヘッド型)



ねじガール1号は「工場で働いてみたい」と言った事務職採用の女性だった

――興津螺旋は女性ねじ職人の「ねじガール」で有名ですが、なぜねじの製造現場に女性を登用するようになったのでしょうか。

柿澤社長: 以前はうちの工場も男性だけだったんです。2010年ごろからだんだん優秀な新卒社員の獲得に苦労するようになって、2012年の採用は終わってみたら、男性は採用できず、女性3人しか採れませんでした。どうすんのってことになって。これ、男性に限定した採用をしてたら、今後少子化だってあるからもっと深刻になっちゃうし、困っちゃうよねと。で、将来的には女性が現場で働くような時代になるだろうし、現実問題そうせざるを得ないと思っていました。そうしたらちょうどその2012年に入社した女性社員が「工場の仕事に興味があるんですけど」って言ってきたんです。その時はまだ女性が働けるような工場の環境というのは全く用意できていなかったので「爪が汚れたりいろいろ大変なんだよ」って言ったのですが、「大丈夫です。汚れはお風呂に入ればとれます」って言うから、これは渡りに舟だと。それで製造部門での仕事をお願いしました。それが「ねじガール」第1号の誕生です。


↑興津螺旋の工場。女性も男性も生き生きと仕事をしている興津螺旋の工場。女性も男性も生き生きと仕事をしている
――今は何人ぐらいねじガールがいるのですか。


柿澤社長:製造現場では約30人中、一時期10人ぐらいいました。今は8人です。

――製造現場の1/4以上は女性なんですね。では、ねじガールの森田さんにお尋ねします。森田さんが興津螺旋に入ろうと思ったのはどうしてですか。


↑ねじガールの一人、製造部の森田知世さんねじガールの一人、製造部の森田知世さん
森田:私はいま入社6年なんです。大学では工学部で化学の勉強をしていて、就職の時、ものづくりに関わりたいと思っていろんな会社を見学したんですが、興津螺旋は会社説明会で社長が自ら学生にお話してくれたり、工場見学の時も全部一緒に回ってくれましたし、工場での質疑応答ではねじガールの先輩も担当してくれて、この会社なら私も楽しく働けるんじゃないかなと思って入社しました。

――ねじガールになるつもりで入社したのですか。

森田:いえ、最初は技術寄りの営業の仕事をしたいなと思っていたんです。でも配属を決める前の研修で、現場の研修をしたら、営業よりも製造の方が楽しそうだなと思ったんです。それでねじガールを志望しました。たぶんわたし、ねじガール3号くらいだと思います。

――ねじの製造現場のどこが面白そうだったんですか。

森田:先輩が現場ですごく楽しそうに仕事をしていたのがとても印象的でした。それまで仕事ってなんとなく「嫌なもの」みたいなイメージがあったんです。でもねじガールの先輩はねじ作りを、なんかワクワクしながらやってるみたいだったので、きっと楽しい仕事なんだろうなと思いました。

きっと楽しい仕事なんだろうなと思いました。



女性、というよりモチベーションのレベルが高い人が入ってきてくれた

――柿澤社長にうかがいます。それまで男性だけだった工場に女性が入ってことで、良かった点はありますか。

柿澤社長:採用の話に戻りますが、たとえば男性なら「ものづくりがしたい」と言って就職する話はまあ普通ですよね。うちの場合はねじ工場ですから「ねじを作りたい」と言うわけです。でも女性の場合、「ねじが作りたい」って言うのは、かなりハードルが高いんです。普通なら工場の仕事は危ないという理由で女性にはやらせてくれないことが多いし、うちのように会社としては良くても、親御さんから反対されるわけです。女性は、男性にはないそのような難関を越えて工場に入ってくるわけです。ねじガールはものすごくモチベーションが高いですし、「お父さん、お母さん、私のことを理解してくれてありがとう。会社も受け入れてくれてありがとう」って感謝を持って製造現場で働いてくれるんです。

女性、というよりモチベーションのレベルが高い人が入ってきてくれた


――女性が製造現場で働く場合は、スタート時点のモチベーションが違うんですね。


柿澤社長:そうなんです。入社してからの技術の習得のスピードも、女性の方が圧倒的に速いですね。ですから「女性が製造現場に入った」ということが本質ではなく「モチベーションのレベルが断然高い人が入った」ということが本質で、それがたまたま女性だっただけのことなんだと思います。

――なるほど。今は工場では女性比率が3~4割ということですが、今後はもっと増やしていくご予定でしょうか。

柿澤社長:それが、興津螺旋の全従業員では、女性がもう半分を超えているんですよ。

――え、そうなんですか! 


※記事の情報は2019年7月30日時点のものです。


Vol2へ続きます

  • プロフィール画像 興津螺旋株式会社〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    興津螺旋株式会社は1939年に木ねじ工場としてスタート。1967年にはステンレスねじの可能性に着目し、1980年にはステンレスねじの専業メーカーへ移行しました。現在ステンレスねじ国内トップクラスの生産量。また加工が難しいチタン合金ボルトなどの設計・製造・販売も手掛けており、国内屈指のねじづくりの技能集団として高く評価されています。
    興津螺旋株式会社 ウェブサイト http://www.okitsurasen.co.jp/

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