食
2019.11.19
八木崇博さん 頚城(くびき)酒造株式会社代表取締役〈インタビュー〉
中山間地*を活性化させ、地域に貢献したい。農業の若き担い手たちと地酒蔵元の挑戦
新潟県上越市柿崎区の山あい。耕作放棄が進み廃村寸前の危機に向き合う集落で、地元の若き農業従事者たちが酒米を作り、その米で地元の造り酒屋が酒を造るというプロジェクトが行われています。プロジェクトが目指すのは、酒造りをきっかけにした中山間地農業の活性化、そして地域全体への貢献です。
米をつくり酒を醸す「柿崎名水農釀プロジェクト」
上越市柿崎区。日本海沿いの小さな町から30分ほど山に向けてクルマを走らせる。急勾配を登ると、景色が美しい棚田地帯に変わる。尾神岳の豊かなブナ原生林を水源とし、環境省「平成の名水100選」に選定された大出口泉水(おおでぐちせんすい)が、清冽で豊富な水を絶え間なく棚田に供給している。
この泉の直下の棚田でいま、地元の若手農業経営者と地酒の酒蔵が協力して、米作りと酒造りを行う地域活性化事業「柿崎名水農釀プロジェクト」を展開している。10月のある日行われた稲刈りの当日、棚田へ取材におじゃました。プロジェクトの中心メンバーである新潟県・頚城酒造(くびきしゅぞう)の蔵元、八木崇博社長が、プロジェクトの目的などについて話してくれた。
――ここで作っているのは、どんな種類の米なのですか。
ここでは越淡麗という新潟県独自の酒造好適米をメインに作っています。越淡麗は、新潟県で開発されて、新潟県の酒造会社のみが使っている酒造好適米で、山田錦と五百万石を両親に持つ米です。
――さすがに刈る直前の米は重たそうですね。まさにたわわに実っています。
これは実は難しくて、肥料やり過ぎると重くなり過ぎて倒伏するんです。倒伏すると、こういう特殊な品種は穂発芽して品質が非常に悪くなったりしますが、実らないのも良くない。そのへんが米作りの難しいところです。
――この地域の棚田は、ずっと昔からあるものなのですか。
あったみたいですね。集落の人たちとお酒を飲みながら聞いた話によると、何百年も前から存在しているという話です。新しくこの100年以内で開拓されたような土地ではありません。
手間、少ない収量、危険。美しい棚田の現実
――美しい棚田、見事な風景ですね。
棚田は景色はいいのですが、農作業は大変です。この棚田で5枚くらいのところでも、平野部の田だったら1枚に区画整理されていて、機械で効率的にやれます。それに比べると、中山間地の農業はすごく手間がかかるんです。
たとえば、棚田には田と畔(あぜ)のほかに傾斜地があって、そのぶん収量は減ります。それなのにそこも草刈りはやらなくてはいけません。平野部なら畔が切ってあるだけで、その部分だけ草を刈ればいいのですが、棚田では草を刈る面積も何倍にもなります。しかも、傾斜地では、基本的に車輪がついている草刈り機は使えず、手持ちの刈り払い機で歩きながら刈らなくてはなりません。
水はきれいですが冷たいので、成育も遅れます。天候に恵まれた年は豊作になるとはいえ、平野部に比べると収量は圧倒的に少ない。危険も伴います。コンバインを入れるだけでも危ないんです。乗り入れから落ちたら、下手したら死ぬかもしれません。コンバインでは刈りきれない場所もたくさんあるので、そこは鎌を使って手で刈ります。
――農業を知らない私たちが勝手に抱いていた牧歌的な棚田のイメージが、くつがえされます。
本当に厳しいところなんです。厳しいにもかかわらず収量は少ない。そのぶん棚田の価値をお客さまがわかってくれて、高く売れればいいのですが。
「棚田の米はおいしい」という、価値を知ってほしい
――棚田の価値とは、どんなものですか。
ここは環境省の「平成の名水100選」に選ばれた水をそのまま使った、いわば「名水掛け流しの棚田」です。水の確保をため池等に依存しているような平場で米を作るのとは違いがでます。
――いい品質の米ができるということですか。
はい。水がいいことに加えて、中山間地では寒暖差も大きいので、お米がより登熟します。食用米は、すごく食味がよく、おいしくなるんです。
――「棚田の米はおいしい」とは、意外です。初めて知りました。
「お米の白さが違う」と、中山間地の水のいいところで米を作っている農家の方々は言いますね。いわゆる輝きが違うと。実際においしいです。収量も少なくて作るのも大変だけれど、この中山間地の棚田で作る米の価値をきちんと発信していきたい。ここに来て実っているところを見てもらえれば、製品に価値を見いだしてもらえる可能性は高いと思うんです。でもいま中山間地の農業を担っている人は年配の方々が多いので、なかなか新しいことはできない。ぼくらがここで酒米作りをはじめたのも、そこが一番の理由です。
――この景色を見たら本当に魅力を感じます。でも、なかなかここまで人に来てもらうのは難しいですね。
観光客の皆さんが大挙して押し掛けるようになっても困るかもしれませんし、難しいです。どうやったらこの地域の価値をわかってもらえるのかが、僕らの活動の重要なところです。そのためにまず「酒」という形で発信してみようかということなのです。
名水から生まれる、繊細でクリアな味わいの酒
――この米と水は、お酒に適しているのですか。
いい水が流れていい米ができると、品質はもちろんいいですね。さらに大出口泉水で仕込んでいるわけですから、親和性は高い。名水から自然に酒が生まれています。
――どのような味のお酒になるのでしょう。
水がやわらかい軟水なので、吟醸造りに向いています。ゆるやかに醗酵していきます。透明感のある、非常に繊細できめ細やか、クリアな味わいの酒ができやすい。
――このプロジェクトでは、どれくらいの量のお酒ができるのですか。
このプロジェクトの棚田は現在では13反、つまり約1.3ヘクタールです。そのうち1ヘクタールで越淡麗を、残りの3反で山田錦を作っています。どんなお酒を造るかにもよるんですが、だいたい5反くらいでタンク1本、つまり4号瓶で3千本程度ができます。
――そうすると全部で7、8千本くらい。意外とたくさんできるものですね。
畔にいると距離感がわからないんですが、田は意外と奥行きがあります。端まで歩いてみたらけっこう広いですよ(笑)
耕作放棄で荒れた土地は、自然には還らない
柿崎名水農釀プロジェクトの米作りを担う「柿崎を食べる会」は、地元で農業を継いだ若者、いわゆるIターンで就農した人、世界中を旅した後に中山間地で農業経営をしている人など個性豊かな8人の農業経営者で構成する、米作り農家のグループだ。この日の稲刈りには「食べる会」の他、総務省の地域活性化事業「地域おこし協力隊」の隊員、頚城酒造の社員など、プロジェクトの構成メンバーが総出で参加した。
――柿崎名水農釀プロジェクトは、どんなきっかけで始まったのですか。
平成20年に、柿崎の湧き水である大出口泉水が「平成の名水100選」に選ばれたんです。ここの自然環境が豊かだという変わりようのない指標ですから、素晴らしいことです。この水で酒を仕込んだら柿崎のためにも良い提案になるなと考えて、まずは、仕込み水として使わせてほしいと水を管理している東横山集落にお願いしにいきました。
断られるかなとも思ったんですが、町内会長さんには、ぜひ使ってくれと言われました。そのとき町内会長さんに話を聞くと、もうこの集落には人がいない、耕作放棄地がひろがって、この後つながらない、このままだと廃村になるということでした。それなら、ここの水で仕込んだ酒を販売して知名度が上がったりすると、少しでも違ってくるかもしれない、ということで、仕込み水に使わせていただけることになりました。水は酒に適合するかどうかわからなかったのですが、結果的に相性も良くバッチリでした。
そのお酒は23年に製品化して、4千本を販売することができたんです。ただ、おいしいと評価はしてもらえたのですが、酒が売れるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。この場所の知名度が上がるわけでもない。何も起こらない。ウチの蔵のビジネスにはなるかもしれないけれど、これでは本質的に何も変わらない、と感じました。
私は、耕作放棄地って、ほうっておけば原生林に戻って自然が保たれると、なんとなく思っていましたが、やはりそうじゃないらしいんですね。人の手が一度加わったところは、管理し続けないと、生態系がかわってしまって維持できない。「荒れる」というのは自然に還るのではなく文字通り荒れるのだ、という話をこの集落の人たちに聞きました。水も、いまはきれいなまま下に流れていきますが、これが荒れたら、流れが滞るかもしれません。我々は下の平野部に住んでいますが、こういう中山間地が整備されているから名水が下まで流れてくる。この集落がなくなるかもしれないというのなら、じゃあどうにかしないといけないんじゃないの、と考えるようになったのです。
水を使うだけでなく米を作る。人が集まり活力が生まれる
集落は人がいないと悩んでいます。大切なのは人なのですから、酒に水を使うだけじゃ何も変わらない。もっと、人がからんで地域から盛り上げていけるような、そういう形が必要でした。
柿崎の農業の若手で作る「柿崎を食べる会」のメンバーとは、ずっと前からつきあいがありました。彼らとは以前から地域を盛り上げていこう、面白いことをやっていこうという話をしていて、彼らも中山間地を盛り上げる活動をやっていたので、人がからんで、活力を生むためには、水だけじゃなく、このままだと耕作放棄される土地で米をやるしかない、これは一緒にやるしかないんじゃないかと話をして、すぐにやろう、ということになりました。それで平成24年に最初の田植えをやりました。
――米作りとなると簡単ではなかったのではないですか。
米作りをさせてください、と集落に言いにいったら、町内会長にバックアップしてもらっていたとはいえ、やはり小さい集落ですから、おまえら何考えているんだ、という反応もあったんです。得体の知れないのが来て儲けようとしてる、どうせ続かないだろうと、疑念を持たれて当然です。
――でも最終的には理解していただいて、土地も使わせてくれることになったのですね。
皆さんの悩みは同じだから、きちっとお話をしたら、最後はわかっていただけました。これは食べる会のメンバーに中山間地で農業をしている人がいたのが大きかったですね。もうひとつ良かったのは、ここは酒造りが盛んな地域ですから、若いころは農閑期の冬に酒造りに蔵人として働いていた人がたくさんいて、酒造りに一定の理解があったことです。皆さんと一緒にお酒を飲むと、当時の話をしょっちゅう教えていただきます。80代の人が多いのですが、皆さん本当にいっぱいお酒を飲まれるんです(笑)。
――棚田での米作りを始められて、苦労したことはありますか。
かつては私も「農業やろう」と思い立ったら今日からできるのかなと簡単に考えていたのですが、実は新規就農というのはものすごくハードルが高いのです。田植え機、コンバイン、乾燥機、作業所などなどイニシャルコストが何千万円もかかります。
昔は、かなりの部分が補助金で賄われていましたし、米価が高かったから、借金をしても何年で返せるという計算が成り立ったんです。いまはそういうことも難しいので、よっぽど覚悟を決めてやらないと、新規就農は難しい。
幸いにして、このプロジェクトでは「食べる会」のメンバーが、人も自分の機械も持ち出してくれるから成り立っています。田植えも稲刈りも自分のところの農繁期と重なるわけですから、大変です。
田んぼは、集落の複数の方からもう自分たちでは作れないかなというところを中心に分けていただいたものなので、点在しています。やっぱり作れなくなりそうなところというのは、作業効率が悪いところから順にそうなっていくわけですから、条件はあまり良くないわけです。どれだけ大変だったかは、実際に分担して農作業をする「食べる会」のメンバーが言わないからわからないのですが、試行錯誤もいろいろあったようです。7反から始めて、いまは倍近くの13反になっています。
酒はあくまできっかけ。本丸は食用米作りの活性化
――このプロジェクトで、利益は出るのですか。
これで儲けようとしてやっているのではないんです。できた酒米は、収量や出来不出来にかかわらずウチの蔵が一定の金額で買い取ります。お酒の売り上げの一部も会に寄付して、何かやるときにそのお金を使います。これは造り酒屋としての根幹的な事業です。できたお酒をきちんと理解して買ってもらえればいい。そういう価値はお金で換算できないから、そんなに持ち出しているとは思っていません。認めていただいて、応援してくださるお客さまはいらっしゃるので、ほかのビジネスの部分できっと生きると思っています。
「食べる会」のメンバーも同じです。面白いかもしれないけど、損得だけでいうと、得なことなんてない。みんな自分の農業経営だっていろいろ大変なのです。自分の田んぼを平地でやっている人もいますし、こことは違う中山間地を主力にしているメンバーもいます。わざわざここまで作業しに来るだけでもひと仕事です。
――1年目、最初の酒ができたときの感慨というのは、どのようなものでしたか。
品物ができて、我々もうれしかったのですが、翌年の田植えの前に東横山集落の町内会館で皆さんとその酒を飲んだときの、集落の人たちのうれしそうな顔がすごく印象的でした。おいしいと言っていただけた。たくさん飲んでいただけた。
ただおいしい酒だったら、世の中、たくさんあると思うんです。でも品質的においしいだけで後世につなげていけるのかと考えると、なかなか難しい。品質が良いのは当然ですが、加えて、この地ならではの地酒の物語にどう共感してもらえるかというのが、僕らの生きていくうえでもっとも大事なことだと思っています。
――プロジェクトの今後はどうなっていくのでしょう。やはり継続が大切ですか。
そうですね。ただ、お酒は飲める人が限られていますし、応援してくれる人がどれだけ増えても、毎日食べるお米の需要とは比べ物になりません。酒はあくまで地域の素晴らしさを発信するきっかけであり、ここからの仕掛けで、きちんと食用米に展開することが大目標です。人がここに入って、後継者が育って、この棚田が維持されるということです。そこにどうやって突き進んで、成果を出していくか。まだ何も成し得ていません。まだまだ、これからなのです。
――稲刈りのお忙しい日に、どうもありがとうございました。
昔話の舞台のようなのどかな風景の裏にある、中山間地の厳しい現実。そこに価値を創出して集落を活性化させようという人たちの奮闘。日本の農業と地域の暮らしを再生させようという静かだけれど熱い思いが伝わってきた取材でした。プロジェクトメンバーの皆さま、ご協力ありがとうございました。
頚城(くびき)酒造株式会社
〒949-3216 新潟県上越市柿崎区柿崎5765番地
025-536-2329
https://www.kubiki-shuzo.co.jp/
柿崎を食べる会
http://www.yoneyamamai.com/
※記事の情報は2019年11月19日時点のものです。
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【PROFILE】
八木崇博(やぎ たかひろ)
頚城(くびき)酒造株式会社代表取締役。1976年生まれ。日本酒がある風景の中で育つ。明治大学農学部農芸化学科卒業後、建築資材メーカーでの営業職を経て、2002年家業である頚城酒造株式会社に入社。33歳のとき代表取締役に就任。「故郷に対する感謝を忘れず、故郷の継続的な発展に貢献できる造り酒屋」になるべく日々まい進している。頚城酒造は、1697年、現在の上越市吉川区で八木家が酒造りを開始。昭和11年に親戚関係にあった小松酒造との合併で頚城酒造に。崇博氏は前身の八木酒造時代から数えて18代目、頚城酒造として3代目の蔵元。
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