大量の廃棄デニムをリメーク。オリジナルブランドとして蘇らせる取り組み

DEC 23, 2022

山澤亮治さん 株式会社ヤマサワプレス 代表取締役〈インタビュー〉 大量の廃棄デニムをリメーク。オリジナルブランドとして蘇らせる取り組み

DEC 23, 2022

山澤亮治さん 株式会社ヤマサワプレス 代表取締役〈インタビュー〉 大量の廃棄デニムをリメーク。オリジナルブランドとして蘇らせる取り組み アパレル製品の大量廃棄が社会問題化する中、廃棄デニムの再生に挑戦している人がいます。衣類のアイロンプレスや検品などを行う株式会社ヤマサワプレスの代表、山澤亮治(やまさわ・りょうじ)さんです。山澤さんは、アメリカから大量の廃棄寸前のデニムを仕入れて、リメークするオリジナルブランドを立ち上げました。その取り組みは話題を呼び、国内外のアパレルブランドや専門学校との協業、さらに生地の産地からのリメークの相談など、さまざまな形で広がりを見せています。廃棄デニムとの出合いや、リメーク事業のこれからについて、お話をうかがいました。

働きがいも経済成長も 住み続けられるまちづくりを つくる責任つかう責任




アイロン職人の父と20歳の時に起業

──まずはヤマサワプレスについて教えてください。


ヤマサワプレスは僕が20歳の時に、父と一緒に設立した会社です。フリーランスでアイロン職人をやっていた父親に誘われて、始めました。


さかのぼって話をすると、僕は中学の時からサーフィンをやっていて、高校を卒業するタイミングで、親に認めてもらい2年間サーフトリップをさせてもらえることになったんです。


サーフカルチャーをはじめとするアメリカ西海岸の文化に触れる中で、古着とかデニムといったファッションがどんどん好きになっていきました。当時(1990年代)は、いわゆる渋カジ、アメカジが流行した時で、そうした環境もあって、アパレルにすごく興味を持つようになったんです。


ちょうど僕がサーフトリップから帰る頃に父親は会社を立ち上げることを考えていて、「アイロンプレスの会社を一緒にやらないか」と誘われました。


山澤亮治さん


――設立当初から経営に関わっていたんですか。


アイロン職人として父の下につきながら営業をしていました。経営というほどではないですが、会社の方針を考える立場にはありましたね。経理は母がやってくれていました。


父が職人として何十年もかけて集めてきた名刺に片っ端から手紙を書き、反応があったところに会いに行って、仕事を増やしていきました。父のアイロンの腕は確かなもので、業界内でも有名だったみたいです。なかなか仕事が取れない中で、父の評判に助けられました。


父は今でも現役です。僕も時間のある時は隣に行ってアイロンがけをしますけど、まだまだ学ぶことだらけです。




アメリカで出合った廃棄デニムの山

――アイロンプレスの会社が軌道に乗っていく中で、どうして古着の事業を始めようと思ったのですか。


背景としては、長らく続くアパレル業界の低迷があります。メーカーの大量生産のロット数がどんどん減っていき、業界全体が寂しい状況になっていく中にあって、うちの業績は伸びてはいましたが、その伸びの勢いも止まりました。何かもう1つ柱となるような事業をつくれないかなと考えた時に、最初に思いついたのが、サーフィンで興味を持った古着だったわけです。それで視察のため、2019年にアメリカ・ロサンゼルスのローズボール・フリーマーケット(Rose Bowl Flea Market)*1に行きました。


ローズボール・フリーマーケットには、20代の頃から何度か遊びに行っていたんですが、仕事として行くのはこれが初めてでした。その時、向こうにいる日本人の知り合いに、古着ビジネスをやりたいという話をすると、「リーバイス」501(リーバイスの代表作)がうず高く山のように積まれた画像を見せてくれたんです。それらは股が破れている、汚れがひどいとかで、全世界どこの古着屋でも扱ってもらえず、廃棄される運命にあるものでした。


うちとしては、普通に古着を仕入れるよりも安く仕入れられるので、思い切って買い取ることにしたんです。まず10t仕入れて、追加で10t、合計で20tの廃棄デニムを仕入れました。ただ、もしそれが501じゃなかったら、買わなかったと思います。ずっと変わらないモデルである501だからこそ、惹かれるものがありました。


*1 ローズボール・フリーマーケット(Rose Bowl Flea Market):ロサンゼルスの多目的球技場「ローズボール」で月に1回開催される、アメリカ最大級のフリーマーケット。古着や雑貨、家具など、2,000以上の業者が出店する。


山澤亮治さん




強烈な汚れ、臭いとの戦い

――20tというのはなかなかのインパクトですね。そこからデニムのアップサイクル*2を事業として始めていくことになるわけですが、軌道に乗るまでにはご苦労があったのでは。


まず大変だったのが、その汚れと臭いでした。ほこりがべっとりくっ付いているようなものもあって、臭いがすごかった。ヤマサワプレスでは洗濯代行業もやっていて、洗いに関してはある程度のノウハウがあるので、いつも通り洗濯機に入れて、市販の業務用の洗剤で洗ったんですが、まったく落ちませんでした。


これはまずいと思い、対応策の研究を始めました。クリーニングに詳しい友達に相談し、洗剤の調合、分量や手法をいろいろ試して、1年ぐらいかけてなんとかデニムの汚れと臭いを落とせるようになりました。


*2 アップサイクル:本来捨てられるはずのものに新たな価値を与え、さらに価値の高いものへと生まれ変わらせるリメークの仕組み。


山澤亮治さん



――汚れと臭いを落とすのに1年ですか! ちょっと想像がつかないです。


まだ少し臭うものがあるので、後でお見せしますね(笑)。


それから、きれいになったデニムでつくった生地を、アパレルブランドをやっている知り合いのところに担いでいって、「これで服をつくりませんか」と営業を始めます。ところが、同じものがつくれないのと、デニムを縫う技術がないということで、まったくあてが外れました。


他社では扱ってもらえないので、じゃあ原点に立ち返って自分たちの技術を使おうということになり、立ち上げたのが自社ブランド「One-o-Five(ワン・オー・ファイブ)」です。


One-o-Fiveの商品。色合いの違う生地など、元は別々のデニムから取った生地を組み合わせてデザインされるOne-o-Fiveの商品。色合いの違う生地など、元は別々のデニムから取った生地を組み合わせてデザインされる




業界全体の問題意識がつなげた輪。一大プロジェクト「デニムdeミライ」

――そうして始めたアップサイクルの取り組み。それが広く知られるようになったきっかけは何だったんでしょうか。


アパレルメーカーを回っている時に、断られはしたんですけど、業界内で結構話題になったみたいなんです。それを聞きつけた伊勢丹のバイヤーさんが、2020年の冬にここ(ヤマサワプレスの本社)を訪ねてくれたことが、大きなきっかけになりました。伊勢丹が取り引きしているデザイナーさんたちにこのデニムを使ってほしいという話になり、詳細を詰めていく中で、多くの人に参加していただく「デニムdeミライ*3」プロジェクトに発展していったんです。


*3 デニムdeミライ:株式会社三越伊勢丹、株式会社阪急阪神百貨店など小売6社が共同でヤマサワプレスのデニムをアップサイクルしたプロジェクト。2022年3月~4月の間、東京の伊勢丹新宿店をはじめ、大阪、福岡、群馬、愛知、山形の百貨店、セレクトショップで、国内外60以上のブランドやアーティストの手を介した200型以上のアイテムが販売された。



――「デニムdeミライ」は、百貨店、セレクトショップ、国内外のブランドといった、垣根を越えた企業・クリエーターが集まる、前代未聞の取り組みになりました。どうやって実現させたのでしょうか。


伊勢丹のバイヤーさんがうちを訪ねて来てくれた頃には少しずつ、アパレルブランドから声がかかったり、テレビの取材が入ったり、ブランドの知名度も上がってきていました。ちょうどSDGs(持続可能な開発目標)とかサステナブルという概念や企業理念が広がり始めて、業界全体が動き始めた頃でもあり、「20tの廃棄デニムの再活用」という活動のインパクトが強かったんだと思います。


デニム



――「デニムdeミライ」を振り返ってみて、いかがですか。


記者会見にはたくさんのカメラマンがいて、伊勢丹新宿店のメインのステージにはいっぱいデニムが積んであって、しかも新宿店の全館で開催される。ちょっともう言葉にできないような......。会見で自分がしゃべっている時も、なんだか夢みたいだなぁと思っていました。アパレル低迷の中で、何か発信したいと思っていたことがひとつの形になった。まさに夢がかなった瞬間でしたね。


――一緒に会社を立ち上げたお父様はどのような反応でしたか。


父ははじめ、「(新宿は)遠いから見に行かない」って言っていたんですよ(笑)。でも一緒に車に乗せて連れていきました。現場では「ふ~ん」っていう感じで何も言わなかったんですけど、後になって母に聞いたら、帰宅して夜にお酒を飲んでいる時に「あいつもなかなかやるな」って話していたらしいです(笑)。


――まさに職人のイメージどおりですね(笑)。


そうなんです。会社の方針については任せてくれていて、大量のデニムを仕入れた時も何も言わなかったですし。でもいろいろ苦労かけてきたし、心配はしていたと思うんですよ。だからその話を母から聞いた時は、うれしかったですね。


山澤亮治さん



――その後の反響はどのようなものでしたか。


2022年度の「毎日ファッション大賞」*4で話題賞をいただくなど反響はかなりのものでしたね。伊勢丹さんや阪急さん、そのほかいろんなセレクトショップのお力あってこそですが。


デニムに限らず、全国の生地の産地から、自分たちの生地を使って何かできないかという相談が来るようになりました。アパレルブランドから、サステナブルに関連したブランドの企画に関わってほしいという依頼もあります。


「デニムdeミライ」で服飾の専門学校である文化服装学院とも協業したんですが、その時に手伝ってくれた学生が、新卒でデニム事業部に入ってきました。来年も専門卒の子たちが入ってくる予定で、そうしたクリエーティブな素養を持った人材が、この事業の柱になっていくんだろうなと思っています。


これまでも新卒採用を行ってきましたが、プレスや縫製で募集してもなかなか集まらなかったのが、デニム事業を通して若い人たちが「縫製をやりたい」と来てくれるのは、本当にうれしいですね。


*4 毎日ファッション大賞:「毎日新聞」創刊110年を記念して1982年に創設(経済産業省後援)された国内ファッション業界で権威のある賞。2022年度の「話題賞」を、松任谷由実と並んで「デニムdeミライ」が受賞。




若い人たちにとって「環境配慮」は当たり前。技術継承も「サステナブル」につながる

――やはり若い人たちはサステナビリティーに対して敏感なのでしょうか。


敏感というより、当たり前になってきたんじゃないですかね。僕ら世代はファッションと環境配慮は別のものとして捉えますけど、もうそれが時代遅れになってきているような気がします。今の若い人たちにとっては、「サステナブル」とか「環境配慮」と押し付けられるのではなくて、ただかっこいいと思って着ているものの背景にそうした物語があればいいという感覚ですね。


環境配慮もサステナブルなんでしょうけど、僕としては若い人たちに技術を継承していくのもサステナブルなのかなと思います。


――さまざまな業界で職人の不足が叫ばれていますが、職人の技術の継承も重要な課題ですね。


職人という言葉の定義自体が、これからもっと変わっていくんだろうなと思います。職人っていうと、「背中を見て黙ってついてこい」っていうイメージがあるじゃないですか。でも、若い感覚を持った人たちに入ってもらうことで、職人の技術がもっとブラッシュアップされていく。


若い彼ら彼女らと一緒に仕事をしていると、職人って「アーティスト」だなと思うんです。僕の縫い方に対して、「いやいや、こっちの方がいいですよ」というふうに、本当に多様な意見が出てくるんです。ファッションブランドのデザイナーもアーティストであり、ある意味職人ですよね。工場でいろいろ考えながら生地を選ぶ時点で、もう作品のイメージができている。あれは職人技ですよ。




職人同士のコミュニケーションを活発にして、街を盛り上げたい

――今後、会社として、ご自身として、取り組みたいことを教えてください。


アップサイクルという新しいリソースで、会社としてこれまで以上にアパレルブランドの価値を高めるお手伝いができればいいなと思っています。リーバイスの本国アメリカにも技術を売り込んでいきたいですね。廃棄デニムが日本の技術でこんなにもきれいになるということに注目してもらえれば、また別の形で協業できる可能性があるんじゃないかなと期待しています。


それから、会社があるこの東京都足立区を「職人の街」にしたいという思いがあります。足立区って結構職人が多いんですけど、後継者がいないことから廃業してしまうところもあって。技術があるんだから、例えばうちの社員から染物屋さんとか縫製業者に後継ぎを出してもいいと思っているくらいです。そうやってのれん分けして、地域でいろんなことができるようになっていけばいい。


山澤亮治さん


そういうふうに職人同士のコミュニケーションをもっと活発にしていって、コミュニティーをつくって街を盛り上げていけたらいいなと思うんです。近郊の職人、アーティストを集めて、荒川の土手で古着のマーケットとか、音楽フェスとかやりたいですね。


――荒川でフリーマーケットや音楽フェス、楽しそうですね! さまざまな人と技術をつなげて、新しいものをつくっていく。山澤社長は、職人であると同時に、アイデアマンでもありますね。今後もどんどん広がっていく取り組みに期待しています。


※記事の情報は2022年12月13日時点のものです。

  • プロフィール画像 山澤亮治さん 株式会社ヤマサワプレス 代表取締役〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    山澤亮治(やまさわ・りょうじ)
    株式会社ヤマサワプレス 代表取締役
    東京都足立区生まれ。1995年にアイロン職人である父とヤマサワプレスを設立。2019年にアメリカから大量の廃棄デニムを仕入れて、リメークしてオリジナル製品として蘇らせるというアップサイクル商品を扱うファッションブランド「One-o-Five(ワン・オー・ファイブ)」を立ち上げる。ヤマサワプレスのデニム生地を使って、6都市の百貨店などでアイテムを展開した2022年3月開催のプロジェクト「デニムdeミライ」は、ファッション業界のみならず一般消費者からも注目を集め、2022年度の「毎日ファッション大賞」で「話題賞」を受賞した。

    ■One-o-Five
    リーバイス501のリメークアイテムをはじめ、ジーンズ、スカート、バッグなどの各種オリジナル商品を扱うファッションブランド。生地の選定から出荷までをヤマサワプレスの自社工場で行う。職人一人ひとりの手によって制作しており、カスタムオーダーにも応じる。「デニムdeミライ」を経て、本国アメリカのリーバイス社からその取り組みは認められている。

    ヤマサワプレス 公式ホームページ
    https://yamasawapress.jp/
    One-o-Five 公式ホームページ
    https://one-o-fivedenimtokyo.com/

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