【連載】シリーズ小説「2020年の食卓」
2022.01.25
洸院
格差弁当
感染症や気候変動、テロや戦争。世界中でいろいろな問題が起きています。生きづらい時代ですが、性別や年齢も貧富の差も問わず誰もが平等に持つことができるもの、それは「希望」ではないでしょうか。なんだか疲れてしまった、心が痛くて動けない。そんなあなたに小さな物語をお届けします。
2008年に何があったか覚えていますか。2001年のアメリカ同時多発テロ事件から7年後、そして2011年に起きた東日本大震災の3年前。たくさんの人々が犠牲になった出来事に比べれば印象は薄いかもしれませんが、2008年は「リーマンショック」があった年なんです。
僕はそのとき大学3年生でした。ご推察のとおり就活直撃で、やっと見つけた地方の就職先は思い描いていた仕事内容とかけ離れていて1年で退職。都内の実家に戻り、バイトを転々としているうちに、夢や向上心はすっかり消えてしまいました。
そうこうしているうちにやってきたコロナ禍。半年前まで働いていた工場が廃業になり完全に仕事をなくした僕は、ある日の昼過ぎ、浮かない気分で上野公園をブラブラしていました。
閑散とした噴水広場のベンチに座って、温めてもらったコンビニ弁当を開けます。以前は遠足の子どもたちをよく見かけた場所です。上野公園には動物園もあるし、大きなクジラが目印になっている科学博物館をはじめ、たくさんの美術館、博物館があって、子どもの遠足にピッタリです。
小学生の頃、僕も学校行事で何度も来て、友達と展示物を見ながら「大きくなったら何になりたい?」なんて話したものでした。
「アタシは考古学者」
「僕は宇宙飛行士!」
「画家になりたいなぁ」
「獣医さん」
お互いに言い合いながら、自分たちは大人になったら何になるんだろうと想像していました。
......大人になったって、何にもなれない......そんなこと考えもしなかった。
そういえばこの夏に小学校の同窓会があるらしいけど、僕は行かないだろうな。誰だって仕事がうまくいっていないときは旧友になんか会いたくないよね。30歳過ぎても親に養ってもらっているなんて、みんなに言えるわけがない。
夢を叶えるどころか、ふつうの会社員にもなれなかった僕。何者でもない僕は、ただ僕であるというだけ。
僕は割り箸でコンビニ弁当の鶏の唐揚げを突き刺しながら、小学生のときあった「弁当の格差」を思い出しました。たしか5年生のとき、小学校の校舎建て替えで給食室も閉鎖になり、半年くらい給食がなかった期間の出来事です。
弁当の格差には2種類あって、1つは食材の値段。僕のクラスにもステーキやデカいエビフライを入れてくる子がいたし、逆におにぎりだけ持ってくる子もいました。
もう1つの格差は見た目。その頃から「キャラ弁」が流行り出していて、ウインナーやゆで卵をいろいろな形にカットできる調理器具や、丸いおにぎりに貼るだけでサッカーボールになる海苔などが出回り始めていました。見た目の派手さやかわいさを競うレースは日に日に加熱していくようでした。
その頃、僕の母は早朝から仕事に出ていて、弁当を用意する時間がありませんでした。それなのに僕は毎日、誰が見てもヒエラルキーの上位に位置する弁当を食べていました。
僕の弁当は、近所に住んでいる同級生のタムラのお母さんが作ってくれていたからです。
朝、集団登校班の待ち合わせ場所でタムラが渡してくれる弁当を自分の手提げバッグに詰め込み、学校へ向かいます。まだ温かい弁当を渡されるとき、僕はいつも恥ずかしくてイヤな気持ちになりました。その感情は、今思うと卑屈さだったのかもしれません。
タムラと僕の弁当には、定番のタコさんウインナーはもちろん、花の形に切ったニンジンや目鼻のついたおにぎりなど、いつも手の込んだものが詰め込まれていました。
ある日、たまたま近くにいたタムラの友達が僕の弁当を覗き込み、「あれ、なんでタムラさんと同じお弁当食べてるの?」と、大きな声で聞いたのが格差弁当事件の発端でした。
「タムラんちのおばさんが作ってくれるから」
僕がしぶしぶ説明したら、悪ガキグループが「オマエ、タムラとドウセイしてんのかよ」と騒ぎ始め、しまいにはクラスの大勢が「オレのも作って!」「アタシも!」なんて言い出して収拾がつかなくなってしまいました。
それが校長に伝わった結果、親に向けて「アレルギー対策、衛生上の観点からお友達の弁当は作らないように」というプリントが配られたのです。プリントにはついでに「食材に過剰な費用をかけないよう考慮いただきたい、いわゆるキャラクター弁当も差し控えてほしい」という要請も書かれていました。弁当の格差のことを先生たちも気にしていたんだと思います。
それから僕の弁当は惣菜パン2個が定番になったけど、ニヒルを気取りたい男子小学生としては、その簡単な昼食は逆にカッコ良いもので、タムラのお母さんの弁当のことはすぐに忘れてしまいました。
クラスの弁当のヒエラルキーが急変したからといって、弁当を大急ぎでかきこんで校庭に飛び出していく昼休みの楽しさに変わりはありませんでした。ステーキやエビフライだった子も、プリント配布以降はおいしそうに卵焼き弁当を食べていました。
今思えば、小学生だった自分たちにとって、ホントは弁当に格差なんかなかったな。格差があると思っていたのは周囲の大人たちと、毎朝弁当を渡されるたびに卑屈な感情を抱いた僕だけだった。
上野公園でコンビニ弁当の油っぽい唐揚げを食べながら、僕はタムラのお母さんが毎日丁寧に作ってくれた弁当と、タムラの丸い顔を思い出していました。ピアノの先生になりたいと言っていた、おとなしくて優しいタムラ。今何をしているんだろう。ピアノの先生になったかな。結婚して子だくさんの主婦になって、お母さん譲りの心を込めたお弁当を作っているのかな?
何にせよ、タムラはタムラらしく生きているんだろうな。
......あれ? コンビニ弁当をつついていた僕の箸が止まりました。
ふつうの会社員にさえなれなかった僕。何者でもない僕は、ただ僕であるというだけ。生きている意味なんてあるのかな?
直前に考えたことが頭に浮かびます。タムラはきっとタムラらしく生きている。それと同じように、僕は僕らしく生きればいいんじゃないの?
「大人になったって、何にもなれない」...... いや、ちゃんとこうして大人の僕になってるじゃないか。
僕は弁当を膝に乗せたまま「僕」について考えました。悪いところと良いところ。できないこととできること。
同窓会に行ってみようかな。もしタムラも来てたら弁当のお礼も言おう。
不遇な現在を乗り越えるパワーを与えてくれるのは、弁当の格差なんか意に介さず遊んだ仲間たちかも......そんな気がしてきました。
了
※記事の情報は2022年1月25日時点のものです。
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【PROFILE】
洸院(こういん)
小説家、エッセイスト。より多くの人々に『文字から得られる感動や楽しさ』を味わっていただくため、新しい時代に即した親しみやすい文芸の在り方を模索し続けているノンジャンル作家。本シリーズのテーマは、平易な日本語で綴る純文学です。
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