水わさび栽培発祥の地・有東木と、400年続くわさびづくり【後編】|食と土木構造物のおいしい関係

【連載】食と土木構造物のおいしい関係

わさびの門前

水わさび栽培発祥の地・有東木と、400年続くわさびづくり【後編】|食と土木構造物のおいしい関係

「食」と「土木構造物」という言葉を並べると、少し意外に聞こえるかもしれません。しかし、その土地の自然環境という視点で食を見つめると、土木構造物が深く結び付くことがあります。連載第2回は、水わさび栽培の発祥の地として知られる静岡県静岡市葵区有東木(うとうぎ)のわさびです。後編では畳石式(たたみいししき)と呼ばれるわさび田の構造が、土木構造物としてわさびのおいしさをどのように支えているのかを解説。有東木で17代続くわさび農家「わさびの門前」を取材しました。

写真:大谷 次郎

前編はこちら

水が流れているか。わさび栽培で大切なのは日々の管理

安倍川の上流、標高700mほどの山あいにある、水わさび栽培発祥の地・有東木。切り立った斜面にわさび田が段々畑のように連なり、青々とした茂るわさびの葉の下で湧水が絶え間なく流れ続けている。一見すると、自然の沢に沿ってわさびを植えただけのようにも見えるかもしれない。しかし、それらのわさび田には、大きさの異なる石が何層にも組まれている。


「わさびづくりで一番大切なのはとにかく日々の管理、見回りだと思います。わさび田でまず見るのは、水がしっかり流れているかどうかです」


そう話すのは、「日本一古いわさび農家」といわれる「わさびの門前」17代目、白鳥義彦さんである。わさび田に落ち葉やごみが水路に詰まっていないか。台風や大雨で水の流れが変わっていないか。落ち葉などが詰まり流れを妨げていないか。「わさびの門前」では、のべ1.3ヘクタールほどにも及ぶわさび田を有東木地区や山梨県の一部に有しているが、2週間に1度、すべてのわさび田を見回ることにしている。


前編でも説明した通り、わさびの生育には、酸素を多く含む水が欠かせない。さらに、わさびは8~18℃の水が流れる場所で育ち、年間の水温差が小さいほど生育が早く、収量も多くなるといわれている。有東木を含む静岡県内には、年間を通して13℃前後で安定した湧水が各地にあり、それが日本一のわさびの生産地を支えている。


ただし、水が湧いているだけでは、わさびの栽培を管理するには十分ではない。その湧水を滞らせないよう常にわさび田に行き渡らせる仕組みが、高品質でより多くのわさびを栽培する上で重要になる。


上方のわさび田ほど、水は冷たい。清冽な水を清冽なまま下のわさび田までいかに行き渡せるかが大切になる




不純物をろ過し、絶えず水が流れる仕組みをもたらす「畳石式わさび田」

有東木で水わさび栽培が始まったおよそ400年前に採用されていたのは、「地沢式(じざわしき)」と呼ばれる栽培方式だった。わさび田に3~4%ほどの傾斜をつけ、表面から泥や大きな石を取り除き、礫(れき)と砂を作土として利用する構造だ。比較的簡素なわさび田だが、水は主に作土の表面にしか流れず、水温や通気性も均一になりにくいため、わさびの育成にムラが出てしまうというデメリットもある。


これに対し、現在、有東木をはじめ日本国内で主流となっているのが「畳石式(たたみいししき)」である。1892(明治25)年頃、現在の伊豆市中伊豆で、石垣づくりに携わる石工(いしく)の平井熊太郎が開発したとされ、その後、有東木を含む静岡各地、全国へと広がっていった。


畳石式わさび田は、下から「畳石層」「石礫層」「作土層」の順に積み上げられている。最下部の畳石層には大きな石を置き、その上に中ほどの礫、さらに細かな礫と砂を重ねていく。上のわさび田から流れ込む水は、一見するとわさび田の表面だけに水が流れ、さらに下のわさび田に流れていく仕組みに見えるが、実際は違う。


一部の水は作土層に浸透し、石礫層、畳石層を通ってわさび田の下にある暗渠を抜けていく。さらに、表面を流れてきた水と田尻水路(水止め)の下で合流し、次のわさび田へ流れていくのである。地沢式のように水がわさび田の表面を流れるだけでなく、表面と地中の両方へ水を通し続けることが、畳石式の大きな特徴と言える。


畳石式わさび田の構造(「静岡わさび農業遺産推進協議会 静岡水わさびの伝統栽培」の「畳石式わさび田のしくみ」を基に作成)


この構造によって、湧水の水温が低いまま根の周囲まで保たれ、水に溶けた酸素や養分も根へしっかりと届く。また、水が滞留しにくいというだけでなく、細かな不純物が作土層や石礫層を通る際にろ過され、常にきれいな水を下のわさび田に供給できるというメリットもある。そのため畳石式は、軟腐病などの病害に強く、根茎が肥大した高品質なわさびを育てやすいといわれている。


白鳥さんは、畳石式にはもう1つの役割があると話す。「わさびは根から、周囲の植物の生育を妨げるわさびの辛味成分(アリルイソチオシアネート)となる物質を出すが、それが自らの生育にも影響する。しかし、畳石式では水を流し続けられる仕組みのため、辛味成分が根の周囲にたまりにくくなり、しっかりと根茎が成長したわさびができる」のだという。


下段へ水が流れ落ちる積石に波板を張るのは、勢いよく落ちた水が跳ね上がり、わさびの葉を傷つけないようにするための白鳥さんの工夫でもある


では、この石積みは、わさびのおいしさとどのようにつながっているのだろうか。畳石式のわさび田そのものが、わさびに辛味や香りを加えているわけではない。畳石式が担うのは、温度の安定した水と酸素を根へ届け、余分な水や不純物を排出し、わさびが長い時間をかけて健全に育つ環境を整えること。白鳥さんが「日々の管理が一番大切」と言うのも、この環境を保ち続けることを意味している。根が傷まず、病気を避けながら根茎を十分に太らせることが、高品質なわさびを育てる土台になる。


一方で、有東木では、井戸頭を基準にわさび田を造成していくが、水源から離れた下のわさび田ほど、生育条件は少しずつ厳しくなる。例えば、夏場には井戸頭付近で15℃だった水が下の段では18℃になることもあり、白鳥さん曰く、「下へ行くほどわさびは大きくなりにくい」のだそう。水温が高いということは溶存酸素が少なくなり、さらにはわさび自身が発するアリルイソチオシアネートの濃度も濃くなる。この差をいかになくすかが、品質に差のない良質なわさびを生む条件にもなっている。


また、有東木は、同じ静岡県内のわさびの産地である伊豆地域に比べて冬の冷え込みが厳しく、わさびの生育にも時間がかかる。白鳥さんは、「時間をかけて育つことで辛味や風味が蓄積し、その奥に甘味が広がるような有東木らしいわさびの味わいになる」とも言う。そうしたわさびという特殊な植物をいかにしておいしく、効率よく育てるか。その長い生育期間を足元から支えているのが、湧水を絶えず根へ通す畳石式わさび田なのである。


例年、5月~11月にはわさび田に寒冷紗をかけ、直射日光からわさびを守る




収穫の後、次のわさびを迎えるための手入れ

デリケートなわさび栽培において畳石式のわさび田は万能な栽培方式だが、一度わさび田を築けばいつまでも使い続けられるものでもない。苗を植えてから収穫するまで、わさびが成長する1年半~2年では、わさび田にはろ過で出た不純物がたまる。そのため、収穫を終えたわさび田では、次の苗を迎え入れる前に「泥流し」という作業を行わなければならない。作土層にたまった泥や落ち葉などを水で洗い流し、作土を掘り返す「耕運」を行い、作土層を整える必要がある。


収穫を終えたわさび田には、わさびの根や葉などが残っていることも。「この根っこを丁寧に取り除かないと次に植えるわさびが腐りやすくなる」と白鳥さんは話す


ポンプを使った泥流し作業。下のわさび田にどろ水が流れ込まないようにする板を張る(写真提供:わさびの門前)


耕運して終わりではない。湧水の流れを遮り、作土層を日光に当てて乾燥させる期間もある。これは、わさびを食害するトビケラやカワゲラの仲間などの水生昆虫を増やさないためにも重要な作業で、作土層を乾燥させることで、害虫となる水生昆虫を死滅させるのだという。


有東木のわさび栽培では、湧水に栄養素がしっかりと含まれるため肥料を使う必要がなく、さらに、下流で飲水の水源になることが多いため農薬の使用を極力抑えられる。この泥流しの作業が、次の生育環境をつくることになる。


わさびの門前の作業場にある、自社のわさび田のマップ。いつ植えたかなど、各わさび田がどのような状況かを確認できる


白鳥さんによれば、50年ほど前まで、有東木にはわさび田の造成を担う石工(いしく)という職人が複数いたという。しかし、現在はそうした石工がいなくなり、農家自身が石を積み、わさび田を修復している。白鳥さんも若い頃、石工と一緒に田をつくりながら、その技術を身につけた。


畳石式では、水の量や斜面の状態を見ながら、石の大きさを選び、水が抜ける道をつくる。上から見れば1枚のわさび田でも、その地下には、水を均等に通すための構造が隠れている。栽培の知識だけでなく、石を組み、水路を整え、壊れた田を復旧させる技術まで、農家が担っているのである。


有東木のわさびづくりにおいて、湧水は地球の営みが生む自然の恵みである。しかし、その恵まれた水を使い良質なわさびを栽培するには、畳石式わさび田が欠かせず、そのわさび田を日々見回り、整備し直す管理と、時には積み直す技術が必要になる。


自然が生み出した湧水と、その恵みを最大限に享受する畳石式わさび田。有東木の良質のわさびは、「わさびの門前」をはじめとした農家が代々受け継いできた手入れの技術と知恵に支えられている。



(参考資料)
静岡水わさびの伝統栽培~発祥の地が伝える人とわさびの歴史~ [PDF]
静岡水わさびの伝統栽培 静岡県わさび栽培地域 世界農業遺産・日本農業遺産保全計画 [PDF]


※記事の情報は2026年9月29日時点のものです。

  • プロフィール画像 わさびの門前

    【PROFILE】

    わさびの門前(わさびのもんぜん)
    静岡県静岡市葵区有東木地区で約400年続く、日本最古のわさび農家といわれる。30軒ほどのわさび農家がある有東木地区でも、唯一のわさびの専業農家。完全無農薬、かつ化学肥料を使わずに栽培される良質なわさびは、ミシュランの星付きの寿司店やレストランなど、味にこだわる多くの飲食店に卸している。
    公式サイト https://wasabiya.net/

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