【連載】仲間と家族と。

ペンネーム:熱帯夜

姉の記憶

どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。

 私には4歳年上の姉がいた。記憶はとても薄い。なぜかというと、私が5歳の時に、姉は9歳で亡くなったからである。姉は生まれつき身体が弱く、健常な人が何気なくできることもできない辛い状況だったようである。

 私は、姉には正直言って良い思い出があまりない。私は生まれつき健康で、運動に関してもなぜか飲み込みが早く、姉にとっては目の上のたんこぶだったのだと思う。そのせいか、私はことあるごとに姉に虐められていたような気がする。

 幼い私にとっては、意地悪で恐い姉でしかない。でも私にとっては姉であり、私は、嫌がる姉の後を常に追いかけていたそうである。姉は、身体は弱かったが頭は良かったらしく、小学校の担任の先生を論破するなど、論理的思考に長けていたそうである。

 父は当時、三重県に単身赴任しており、春休みや夏休みのような長い休みには、母と姉と私は一緒に父のところへ行っていた。姉は小児喘息を患っており、東京よりも田舎での生活は身体にも良かった。父は社宅に入っていて、当時は同じような年齢の子どももたくさんいた。休みの時にだけ来る私たちにも遊び相手はたくさんいたのである。

 ただ、姉と同い年の子どもはたたくさんいたけれども、たまたま私と同じ年齢の子どもは少なかった。私は常にみそっかすで、姉からするとせっかく同年代と遊んでいるのに私がくっ付いてきて、面倒をみるのが鬱陶しくてしょうがなかったと思う。

 こんなことがあった。田舎らしい浅い小川が流れていて、ザリガニを捕ったり、亀がいたり、カエルがいたりという、みんなの楽しい遊び場があった。その日、姉と同年代の子どもたち、そして私は8人ぐらいで遊んでいた。

 そろそろ川遊びも飽きてきて、次に自転車で近くの丘に行って遊ぼうとなったのだと思う。そうなると、まだ補助輪付きの自転車にしか乗れない私は、移動するためには明らかに足手まといだった。そこで事件が起きた。私は後ろから何者かに押されて、岸から小川に落ちたのである。

 姉は、全身ずぶ濡れになって大泣きする私を、社宅に投げるように放り出して、自分はすぐさま友達と合流して遊びに行ってしまった。私の記憶は曖昧な部分が多いが、確かに背中を押された感覚が残っているのと、そのときの姉の反応が素早くて、すぐに私を助け出して「風邪をひいたら大変だから今日は家に帰ろうねと」優しくささやいたのである。あとで私は、あれは姉にやられたんだと確信するようになった。

 ほかにも、自分がやったことを私のせいにして母をまんまと騙し、母から私がこっぴどく怒られるなんてことはざらだった。その時の私には姉に対する怒りしかなかったが、いまから思うと、運動会や遠足といった小学校時代の楽しい行事にも、体調によっては参加できず、通院と投薬が続き、不安だったり、寂しかったり、自分の境遇に対する漫然とした憤りがあったのだと思う。

 その横で、脳天気に我が人生を謳歌している弟に嫉妬してもやむを得ないのではないか。私の何気ない言動が姉を傷つけていたのではないだろうか。子どもがゆえの無邪気な発言が相手を傷つける、そんなことがあったとしてもおかしくはないと思う。天国の姉に聞けて、もしそんなことが多かったのであれば、いまからでも謝れるのに。

 私もわずか5年間の付き合いだったので、姉に関して思い出せることは少ない。どうしても虐められたことばかりが頭に出てきてしまう。でも、そんな姉に対して、私の中でたった一つ、いまでも光り輝いて大切にしている思い出がある。

 あとから母から聞いて時系列を考えると、姉の亡くなる三日前のことである。当時、実家は古い木造の2階建てで、2階に通じる階段はことあるごとに、私たちの遊び場になっていた。その日なぜか姉は穏やかで、スッと私の横に来て、階段に行こうと言った。

 姉は手に裁縫道具と水色の生地を持っていた。私は何が始まるのかとビクビクしていた。正直、ついに針で刺されるのかと、かなり警戒していたのを記憶している。だがそこで姉は、私の頭のサイズを測り、生地を裁断したり縫い合わせたりを始めた。最後に布の袋に綿を詰めてぼんぼりを作って、先端に縫い付けた。水色の三角とんがり帽子のできあがり。

 それを私の頭にかぶせて、「似合ってるよ。これあげる」と言った。何が起こったのか分からないまま、私の記憶はそこで終わってしまっている。その三日後に姉は帰らぬ人となった。死因は小児喘息による呼吸困難及び心不全。わずか9年間の短い人生だった。

 姉の葬儀の時に、不思議と涙が出なかった、5歳の私には、まだ人の死というものが分からなかったのかもしれない。後日、母に例のとんがり帽子の話をしたら、姉は私のことを本当に心配していたという話を聞いた。おそらく自分の寿命をどこかで覚悟していたかのようだったと。

 人の記憶は当てにならない時もある。私は常に虐められていたと思っていたが、母に言わせると必ずしもそうではなかったようなのである。三重県での小川転落事件も、真相は私の記憶とちがっていた。私のことを邪魔だと思っていたのは姉ではなく、姉の友だちで、私はその子に突き落とされたそうである。姉はそれが頭にきて、まずは私を家に送り届け、そのあと突き落とした子とその親に文句を言いに出て行ったそうである。

 虐められた確かな記憶もある。でも姉はいつも、私を最後まで姉として守れないという葛藤と闘っていたと母は言う。

 人の運命は変えられない。でも、もし神様にお願いできるのなら、たった一回でも姉と話させてくれたらと思う。そうすれば私の姉への思いは大きく変わるだろう。私は父と姉を早くに亡くした。父との思い出はたくさん残っているが、姉との思い出は少ない。それでも私のなかに姉が生きていると感じるときがある。姉が全うできなかった分まで、心のなかの姉とともに、私は生きていく。


※記事の情報は2019年7月23日時点のものです。

  • プロフィール画像 ペンネーム:熱帯夜

    【PROFILE】

    ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)

    1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。

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