小学5年生の決断

MAY 12, 2020

ペンネーム:熱帯夜 小学5年生の決断

MAY 12, 2020

ペンネーム:熱帯夜 小学5年生の決断 どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。

 以前、人生のターニングポイントについて書いた。今回は人生の決断について書いてみようと思う。私ではなく息子の決断について。たった18年間の人生のなかで、彼にはいくつかの決断があった。最初は小学5年生の初秋の頃である。

 息子はいつものように野球の練習が終わり帰宅した。当時、彼はBチーム(5年生中心のチーム)の主将、私はヘッドコーチを務めていた。その頃の親子の習慣として、マンションに入った瞬間に私は野球チームのコーチから父親に戻ることにしていて、息子と二人で必ず風呂に入った。そこであれこれと話すことで、時としてグラウンドで息子にとっては理不尽に思える行動を取る父親とのバランスを取っていたのである。

 その日もいろいろ話した後、最後に息子が、考えていることがあると言って来たのである。それは、「チームを移籍したい」ということであった。これには驚いた。一瞬何を言っているのか分からなかった。青天の霹靂とはこのことである。

 息子はO小学校の生徒だけで構成されているチームに所属していた。地域には小学校が多く、各少年野球チームはほぼ、それぞれの学区の小学校の生徒だけで構成されていた。つまり、この状況でチームを移籍するということは、小学校を転校することに匹敵するのである。いや、もっと複雑なことに、息子が望んでいたのは、小学校はそのままでチームだけ移籍するということだった。

 小学生とはいえ、ベースとなる小学校の仲間を裏切ることになるのではないか。それはあと一年以上もある息子の小学校生活に良い影響があるとは到底思えなかった。しかも、私はそのときにすでに翌年の監督に内定していたのである。それは息子も知っていた。

 風呂から上がり、夕食を済ませてから、真意を知るべく話をした。結論からすると、彼はもうこのチームにいても成長できないと感じたのである。理由は、一生懸命に練習する選手が、6年生で一人、5年生で自分だけ、4年生で一人しかいないから、同級生でも野球の話ができないし、強くなるために自分がやりたいことは全て反対されて、時として面倒くさい奴と煙たがられる、そういう環境がたまらなく嫌だというのである。

 草創期からライバルといわれていたYというチームはいまや優勝争いをするチームにまでなっていて、そのチームに幼稚園の頃から一緒に校庭開放などで野球をしながら遊んでいた同級生がいるのも大きな理由だという。たまたまその1ヶ月前に、そのチームの練習方法を教えてもらおうと、その監督にお願いして合同練習をしたばかりであった。その時に息子の中で、自分の中のモヤモヤが明確になり、自分が成長するにはこのチームに移籍するしかないと決めたようである。

 学童野球では、強いチームがより強くなろうと選手を移籍させたりすることを防ぐために、息子の地域の連盟規則では「同一年度内に別チームに登録できない」ということが明文化されている。つまり今移籍すれば、今年中は息子は公式戦に出場できなくなるのである。息子はそれでも構わないと言った。それでも来年からはYチームでプレイできればそれで良いと。小学校の仲間とのことや、世話になった先輩や、慕ってくれる後輩のことも話したが、息子の決意は固かった。

 私は覚悟を決めて、先方のチームの代表と監督に相談した。以前からこの二人とはチームを超えて付き合っていただいていたので、正直に相談をした。二人とも当初は反対されたが、息子のことは幼い頃から良く知っていてくれたので、あらゆることを覚悟しても来たいというのであれば、快く受け入れるとまでおっしゃってくれた。私も覚悟を決めなくてはならなかった。

 ただし最後に息子に話さなくてはならないことがあった。私は来年Oチームの監督なのである。息子はYチームに移籍する。同一リーグなので、何度も対戦することになる。それは、まさに私が幼少の頃にはやった「○○の星」という漫画の主人公とその父のようになってしまうということだ。

 息子には、自分の決断であれば、父として尊重し移籍についても、移籍後も応援する。ただし、公式戦となったら容赦はしないと伝えた。息子の弱点も癖も全て私は知り抜いている。そこを最大限利用して、完膚なきまで叩きのめすと。監督の私にとっては、選手としての息子は裏切り者だからである。息子は目に涙を浮かべて、歯を食いしばりながら、私を睨みつけて言った。「僕は負けない」と。

 そして、最後に朝練はもう続けてくれないのかと息子は聞いてきた。私は一瞬逡巡したが、「朝練は父親として付き合っているから、お前が望むなら私は続ける」と伝えた。そのときだけは一瞬息子に安堵の表情が見えた気がした。移籍が家庭内で決まった瞬間である。来週からOチームの代表、Yチームへの挨拶、そして念のためO小学校の校長への報告など、準備をすることにした。

 それから数日後、息子から改めて話があると言ってきた。今度は何だ、と思いながら話を聞くと、前言を撤回したいと言う。つまり移籍せず、そのままOチームに残りたいと。はあ? という気持ちであったが、息子なりに悩んで、数日間にいろいろなことがあったようである。

 彼があの固い決意を翻した一番大きな理由は、尊敬する二つ上の先輩の言葉だったようである。その先輩いわく、息子が小学3年生からひたすら努力をして、結果を残し、練習も一日もサボらず、毎回の練習の日には一番に来て道具を運び、練習の終わりには最後まで道具をしまったり手入れをしたりするのを全部見てきた先輩が、当時の監督に息子をキャプテンにと進言してくれたそうである。その先輩から言われたそうだ。

「たとえできなくても、最後まで諦めないのがヒロシだろ。チームを動かす前に逃げるな。俺の好きなチームだから、お前に任せたんだ。頼むから最後までこのチームを頼む」

 当時の息子には大きな出来事だったと思う。ある程度段取りを進めていた私は、全ての関係者に頭を下げて、謝罪行脚をした。そして息子は残留した。

 17歳になった息子と、このことを話した。あのとき移籍したかった本当の理由と、移籍を諦めた理由を聞いてみたかったのだ。移籍したかった理由は、自分はコントロールが良いけど球威がなかった。だから打たせて捕るタイプだったけど、打たせるとエラーするから勝てないと思った。強いチームの意識の高い選手の中で通用するか試したかった。そして何よりも勝ちたかった。

 諦めた理由は、移籍したいと強く願ったけど、心のどこかでチームメイトを置いていくことに罪悪感があった。一生懸命野球をやっている後輩から、自分も連れてってくれと言われてもそれができず、自分にも一生懸命最後まで接してくれた先輩がいたのに、自分はそれを後輩にやらないで自分のためだけに移籍して正しいことなのか分からなくなった。大切な仲間を捨ててまでやるべきものなのか分らなくなった。

 こんなことを話してくれた。物事には先を読む力が必要なときがあるが、それだけではないと私は思う。何が正しいのか、間違っているのか、なかなか判断は難しい。ただ少なくとも、息子は小学6年生までOチームで野球をやり遂げ、今でもそのときの先輩や後輩と付き合っている。その人脈があるだけでも、あのときの息子の判断は正しかったと思ってやりたい。

 この時の経験が後の彼の決断にも少なからず影響があったと思う。中学校に進学するとき、O小学校からはO中学校に進学するのが普通であるが、息子はいわゆる越境入学を選択した。小学校で最後まで同一チームでやり遂げた後は、彼の意思で指導者が尊敬でき、仲間も同じリーグからつわものが集まってくる中学に自ら進んだのだ。そこには彼が移籍を願ったYチームの選手も多く入学した。同じリーグの覇者であったKというチームの選手もいた。格好良く言えば、小学校できちんとけじめをつけてから、中学は念願の強豪チームへと進んだのである。

 今年、息子は大学に進学した。第一志望の大学ではなかったようだが、自分の将来の夢を実現できるカリキュラムのある大学に進むことになったのである。彼なりにいろいろな人との出会い、野球での経験、そして何よりも自分自身の心の声に耳を傾けて、自分の将来の夢を持ったようである。

 小学生の時に自分の思いを封じてでもやり遂げたということが、彼のその後の人生に深みを持たせてくれたのではないだろうか。最後に決断するのは自分だ。でもそこに至るまでに、選択肢を多く持てるか。その選択肢が多ければ多いほど悩みも多くなるが、決断した時の力は大きくなる。私はそう思っている。

 息子の決断の原点は小学5年生の時。私としてもあのとき移籍しなくて良かったと思う。ただ、邪な私は、もしも親子対決になっていたら、ちょっとヒーロー気取りができたかと、少し残念にも思うのだが。

  • プロフィール画像 ペンネーム:熱帯夜

    【PROFILE】

    ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)

    1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。

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