ウユニ塩湖――アンデスの高地で空と大地が交わる「天空の鏡」

JUN 30, 2020

旅行&音楽ライター:前原利行 ウユニ塩湖――アンデスの高地で空と大地が交わる「天空の鏡」

JUN 30, 2020

旅行&音楽ライター:前原利行 ウユニ塩湖――アンデスの高地で空と大地が交わる「天空の鏡」 "創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。何不自由のないコンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。

※本文の記事で書かれている内容や画像は2000~2018年の紀行をもとにしたものです。

ふだん海外で自分が好んで行く場所は、大自然より都市や建造物といった"人"に関わる場所が多い。しかし、こと南米に関しては違った。旧大陸では見られないような大自然の景観に圧倒され、それまで30年近く海外旅行をしてきた私でも、新鮮な感動を覚えていた。それまで見たことがない大自然から、人間の想像力をはるかに超える巨大なスケールを感じたのだ。今回はその南米の旅の中で、ひときわ印象に残ったボリビアのウユニ塩湖の旅を紹介したい。



ウユニ塩湖を目指して、ボリビアの古都スクレへ

ウユニ塩湖があるボリビアに入る前、私はほぼ1カ月、ブラジルを旅していた。アマゾンやイグアスの滝、パンタナール湿地帯を巡り、その後ウユニを目指したのだが、その際にひとつ気になることがあった。高山病だ。標高がゼロメートルに近い場所からいきなり、標高4000m近いアンデス高地を目指すのは無謀に思えた。そこで途中にある標高2750mの古都スクレに1週間ほど滞在し、身体を慣らしてからウユニに向かうことにした。


落ち着いたスクレの街並み落ち着いたスクレの街並み


古い植民地時代の建物と石畳がよく似合うこの街は、学生が多いせいか手頃なカフェやレストランも多く、私はすぐに気に入った。昼間は少しの観光とカフェでの物書き、夜は読書で1週間が過ぎた。ネットも通じるので、仕事をするにも問題がなかった。心配していた高山病だが、最初のうちは夜になると息苦しくなり、何度か起きてしまうこともあった。しかし次第に身体も慣れ、翌週、私はウユニの町へ向かった。



富士山より高い場所にある塩湖

ウユニ塩湖は、日本では「塩湖」として知られているが、本当は「塩原」と呼ぶのが正しい(英語では「salt flat」という)。南北約100km、東西約120kmにわたり、新潟県ぐらいの面積がある。「湖」といっても、ふだんは干上がった乾いた塩の大地だ。広いにもかかわらず塩湖の高低差はわずか50cmほどで、ほとんど平らと言ってよく、ひとたび雨が降ると薄い膜のように水が張る。

標高約3700mの高地になぜ「塩の湖」があるかというと、数百万年前にアンデス山脈が隆起し、その時に海底が海水とともに持ち上げられたためだ。今までイスラエルの死海や中国のアイディン湖などの塩湖に行ったことがあるが、これほどまでに広く、また標高が高い場所にある塩湖に行くのは初めてだった。


近くで見ると塩湖の表面は亀の甲羅のようにひび割れていた近くで見ると塩湖の表面は亀の甲羅のようにひび割れていた



ツアーに参加して湖へ

ウユニの町は塩湖から少し離れているので、そこにいるだけでは「絶景」は拝めない。そこで現地のツアーに参加して、塩湖を目指すことになる。私が訪れた8月は、現地では冬の乾季に当たる。日本では、水が張って空が映り込む「天空の鏡」が人気なので、雨季を目指して行く人が多いというが、雨季なのでやはり曇っている日が多い。一方、晴れた空が好きな欧米人は、一般的には乾季に訪れる。

それでは乾季には「天空の鏡」は見られないのかというとそうでもなく、旅行会社はいつでも水が残っているポイントを知っていた。ただし、それは欧米人向けのツアーとは異なるので、リクエストベースでツアーを催行している。口コミで調べた旅行会社へ行くと、その前に「明朝、出発!」という紙が貼られていて自分の名前を書き込むようになっていた。名前の空欄が埋まれば、ツアーが実施されるのだ。このネット社会に、久々のアナログ方法で参加表明をした。夕方にはツアーの催行が決まった。参加者は日本人と韓国人だけだった。


人口1万人ほどのウユニの町から塩湖行きのツアーが出ている人口1万人ほどのウユニの町から塩湖行きのツアーが出ている


次は準備だ。天気がいいと日中は20度を超えて暑いくらいのウユニだが、標高が高い上に乾燥しているので、昼夜の寒暖差が大きい。「用心しても用心し過ぎることがない寒さだ」と聞いていたので、耳が隠れる毛糸の帽子、手袋、マフラー、カーディガンを町の土産物屋で購入した。それが大げさではないことが、すぐに証明された。長靴は旅行会社が貸してくれた。




満月が輝く中、夜明けを待つ

夜明けを待つ中、撮影を楽しむ旅行者たち。暗闇の中では、満月は太陽のように明るい夜明けを待つ中、撮影を楽しむ旅行者たち。暗闇の中では、満月は太陽のように明るい
その夜、旅行会社の前に明け方4時半に集合し、四輪駆動車2台で塩湖へ向かった。昼の暖かさが嘘のように夜は寒かった。途中で参加者を拾いながら小一時間ほど走り、車は人工の光が見えないほど人家から離れた、一面に水が張っている場所に到着した。車外に出ると湖水は深さ10cmほどしかなく、水たまりを歩くのと同じくらいの感じだった。満天の星空を期待したが、その夜はひときわ明るい満月(スーパームーン)。月は見つめると眩しく、懐中電灯がなくてもお互いの顔がわかるほど明るかった。私たちはそこで1時間ほど夜明けを待った。

風はほとんどなかったが、それでも夜明けが近づくにつれ、気温が下がっていくのを感じた。いくら防寒具を着ても、薄い長靴から冷たさが忍び寄り、やがて足先の感覚がなくなっていく。最初ははしゃいでいた参加者たちも、次第に無口になっていった。寒さに耐えきれなくなった者は、車に戻って暖を取っていた。私は暗いか明るいかだけの色のない世界に立ち、原初の海はこんなではなかったのだろうかと夢想していた。


日の光と共に、世界は色彩を帯びてくる日の光と共に、世界は色彩を帯びてくる



異世界から現実へ

やがて、空が白み始めた。

『「光あれ」と神は言われた。すると光があった。神はその光を見て、よしとされた』(創世記1章3節)

日の光を見て、聖書の一節が頭に浮かんだ。光と共に、世界に色彩が訪れた。そして湖面に空が映り込んでいく。静止した湖面は鏡のように地上のものを映し出していた。今まで多くのご来光を見てきたが、それまでのどの風景とも違っていた。「天地創造」の世界はこんな感じだったのだろうか。

やがて空の色は紫から濃い青、そして薄い青へと変わり、車やツアー参加者など地上のものにも色がつき始めた。太陽の登場と入れ替わりに、今度は月が反対側の地平へ退場していく。幻想から現実へ。私は"現実"へみるみる引き戻されていった。


水の上を走っているように見える車水の上を走っているように見える車

塩湖の中央へと向かう

翌日、私はウユニ塩湖を縦断する別のツアーに参加していた。雲ひとつない青空の下を、旅行者たちを乗せた車が走る。目的地は湖のほぼ中央にあるインカ・ワシ島だ。島へ車で行くというのもおかしな言い方だが、干上がった湖面は車が走れるほど固く、また車がよく走るところは色が変わり、道路のように固くなっているのがわかった。その道を進めば迷うことはないが、広大な湖の中央に近づくにつれ、もはや前にも後ろにも目印となるものは見えなくなる。もし徒歩で方向を見失えば、大変なことになるだろう。


車が頻繁に走るところには跡がつき、道ができる車が頻繁に走るところには跡がつき、道ができる


途中、昼食休憩に塩湖の真ん中で車は止まった。旅行会社が作ったサンドイッチを、みな思い思いの場所で食べる。足元の塩を削って舐めてみた。普通に塩辛く、むしろおいしい塩かもしれない。

他の旅行者たちは、トリック写真を撮って遊んでいた。周囲に目標物がなく、空気が澄んで乾燥しているので遠近感が狂い、小さな人形に人が追いかけられていたり、大きなリンゴを人が持ち上げていたりするような写真が撮れるのだ。欧米人旅行者は「天空の鏡」のことは知らなかったが、このトリック写真撮影を楽しみに来ている人たちも多かった。私も真似して写真を撮ってみたが、出来はよくなかった。



塩湖に"浮かぶ"サボテンの島

ウユニ塩湖には32の「島」があるというが、観光用に開放されているのはインカ・ワシ島だけらしい。雪景色のような塩湖のそこだけ、茶色く色がついている。この島まで来ると他のグループの観光客もいた。島のあちこちには、人の背丈の数倍はありそうなハシラサボテンが生えていた。この島の主人は彼らだろう。


途中何十kmも生物のいない死の平原なのに、ここにだけ植物が生えていることに驚く。私には、サボテンがまるで大洋の中の孤島に住む漂流者のようにも見えた。しかしそこに哀れさはなく、むしろたくましい印象を感じる。

人がこの島を訪れる何万年も前から、島にはサボテンが生えていたのだろう。数万年後、人間が絶滅したとしても、あのサボテンはまだここに生えているのかもしれない。そんな空想がよぎった。


人の背よりも高いサボテンが生える島人の背よりも高いサボテンが生える島
私が人の創造物に惹かれるのは、そのバックストーリーを含め人間臭さが感じられるからだ。ところが自然が創り上げた景色には、そんな情念は一切ない。だからこそ昔から人間は自然の造形を時には敬い、時には畏れたのだろう。自然の雄大なスケールは、時に人間の想像力をはるかに超える。そこに新たな創造のヒントが隠されているのではないだろうか。


自然の雄大なスケールは、時に人間の想像力をはるかに越える

  • プロフィール画像 旅行&音楽ライター:前原利行

    【PROFILE】

    前原利行(まえはら・としゆき)
    海外旅行ライター&編集の仕事以外にも、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に興味を持ち、執筆している。世界史オタク。最近では海外での音楽フェスと美術館巡りにはまっている。

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