音楽
2020.02.07
神保彰さん ドラマー〈インタビュー〉
ドラムと作曲は自分の音楽の両輪
日本のフュージョンを代表するバンド「カシオペア」のドラマー、神保彰さん。最先端のドラムトリガーシステムと電子音源を駆使し、メロディ、ハーモニー、リズムを一人で叩き出す多重演奏のソロパフォーマンスという超人的な「ワンマンオーケストラ」を編みだしています。また2020年1月には27枚目のリーダーアルバムを発表。還暦を迎え、ますます旺盛に音楽活動を行っています。インタビュー後編ではワンマンオーケストラをはじめた経緯や、2枚同時発売となったニューアルバム「26th Street NY Duo」「27th Avenue LA Trio」のお話をうかがい、その創造性の源泉を探ります。
「ワンマンオーケストラ」でドラムの可能性を拡張したい
――インタビュー後編では主にソロ活動についておうかがいします。「ワンマンオーケストラ」について教えてください。ワンマンオーケストラとはどういうものですか。
ワンマンオーケストラとは、ドラムと電子音源を連動させて、ドラムだけでメロディからリズムまですべての音を出すものです。ですから一人だけでバンド全部の音が出せます。これはカラオケじゃないんです。
伴奏でカラオケを使うと、ドラマーはカラオケに合わせないといけないんですよ。カラオケがリズムのご主人様です。でもワンマンオーケストラは、自分がご主人なんですよ。そこに大きな違いがあります。
【LIVE(ワンマンオーケストラ)】サラバ、愛しき悲しみたちよ / 神保彰(from ももいろクリスマス 2017 ~完全無欠のElectric Wonderland~)
――神保さんはなぜ「ワンマンオーケストラ」を始めたのですか。
80年代の半ばくらいのことですが、ヤマハが電子ドラムを作ったんです。それにはドラムの音に加えてメロディを出す機能がついていたので、それをちょっと仕込んでカシオペアのライブの時、ドラムソロで使ったんです。そうしたら、ものすごくウケたんですよ! それがきっかけです。
その後、ドラムソロにメロディが入るとこんなにウケるんだっていうのが、すごく大きなモチベーションになって「じゃあ、もっと面白いことをやってやろう」と、どんどんネタを作り始めました。その後電子ドラムの機能も向上してきたのもあって、やがて一人で1曲、まるごとできるようになったんです。
1996年ぐらいになると、一晩ライブができるぐらいのネタができたので、それで「神保彰のソロドラムパフォーマンス」という名前でライブをはじめました。それがワンマンオーケストラのはじまりです。
――今や一人で演奏しているとは思えないほど高度になっているワンマンオーケストラですが、どんなことを目指しているのでしょうか。
たしかにワンマンオーケストラは全部自分で叩いてメロディーもハーモニーもすべての音を出しているので、一打でもミスをすると曲全体の骨格が崩れて破綻してしまうこともあります。でもあえて挑戦しているのは、「ドラマーひとりでここまで演奏ができる」という限界を、どこまで拡げていけるか。そこに興味があるからだと思います。
一人で日本各地に行くのは、バンドでは見られない景色を見たいから
――ワンマンオーケストラで日本中のライブハウスを回るツアーに出られていますね。
毎年1月から6月まで、半年間をワンマンオーケストラのライブの期間としています。一時期は「煩悩の数だけ回る」ということで半年間に108本もやっていたこともありました。最近はそこまではやらないですけど、それでも年間に60~70本はやっています。
――半年で108本も回るツアーは相当ハードだと思うのですが、ワンマンオーケストラのツアーを今も毎年続けているのはどうしてですか。
やっぱり喜んでくれるお客さまがいることですね。毎年行く場所も少なくありませんが、必ず見に来てくださる方がいらっしゃいます。
バンドで動くとなると、会場の都合やメンバーのスケジュールあわせ、経費的な面も含めてどうしてもフットワークが鈍くなってしまうんです。一人だったら小さなライブハウスでも身軽に色々いろいろな所に行けます。ですからバンドでは行けないようなライブハウスなどにも行くようにしています。
ライブハウスは客席が近いですし、ワンマンオーケストラはいつもドラムを真ん中において、客席を取り囲むようにセッティングするので、お客さまとの距離が特に近いんです。それも他のライブでは味わえない楽しさです。
リーダーアルバムを毎年出すということ
――一方で神保さんはリーダーアルバムもたくさん出されています。2020年もすでにアルバムを出されましたね。
2020年1月1日にアルバムを2枚発売しました。リーダーアルバムとしては26作めと、27作めになります。
――これだけの枚数のリーダーアルバムを発表しているドラマーは珍しいと思うのですが、アルバムに強い思いがあるのでしょうか。
自分の中では作曲とドラムの演奏は車の両輪みたいな位置づけなんです。僕は常に楽曲は書いて、ある程度曲がたまってくると、作品として残したいという気持ちになります。
リーダーアルバムは86年から97年まで毎年出して、それから10年ブランクがありまして、2007年からまた毎年出すようになりました。当初オリジナルアルバムは、年1枚だったんですが、そのうちオリジナルアルバムとカバーアルバムを2作同時にリリースするようになって、最近はよりハードルを高くしてオリジナルアルバムを2作同時発売っていう感じにシフトしています。
――作曲をはじめたのはどんなきっかけだったのでしょうか。
僕はドラマーですから、もともと作曲はしていなかったし、自分に曲が書けるなんて微塵も思っていませんでした。でもある時、野呂さんから「次のアルバムのために必ず一人曲書いてくるように」というお達しがあったんです。
作曲をしたことがないドラマーに曲を書いてこいなんて、ずいぶん無茶な話だなと思ったんですが、まぁ自分なりに頑張ってみようと思って、曲の断片のようなものを作って、野呂さんのところに持って行ったんです。そうしたら、「もっとこういう風にしたほうがいいよ」ってアドバイスをもらって、また直して持って行ってと添削を何十回となく繰り返してようやく1曲できたんですね。それで「ああ、自分にも曲が書けるんだ」と思って。それが「RIPPLE DANCE」という曲です。それが最初で、それから作曲をするようになりました。
神保彰 ひとりカシオペア「RIPPLE DANCE」
――その時、作曲って面白いと思ったんですか。
苦しかったですけれども、作品になった時に今まで感じたことのない充実感がありました。聴いてくれた人から「神保さんの曲よかったよ」なんて言われるとすごく嬉しかったんです。だったら次のアルバムでも書きたいっていうモチベーションにつながって。
最近は年間100曲作ることを目標にしています
――曲はどのくらいのペースで作っているのですか。
最初の頃は1曲作るのに、半年がかりでした。でも曲数を重ねるごとにだんだん作るペースが速くなって。で、最近では年間100曲を目指して書いています。
――1年で100曲ですか!
あくまで目標で実際は100曲まではいかないんですよ。たいてい途中で挫折するんですけど(笑)。2019年は80曲までいきました。
――すごいですね。
僕の場合、毎年1月から6月までがワンマンオーケストラのツアー期間なんですが、主にその旅の間に曲を書くんです。
ツアー中って実は結構時間があるんですよ。朝起きてチェックアウトするまでの時間や、目的地についてリハーサルに入るまでの時間とか。ヤマハのウクレレサイズのミニギターを常に持ち歩いて、鼻歌でメロディを歌ってスマホに録音するんです。後でそれを聴き返して、良ければそのつなぎを作っていって、曲になったらパソコンにデモを打ち込んで曲に仕上げます。
2枚のニューアルバムは、それぞれ自分の明るい側面と、ダークで尖った側面を表現
――2020年1月1日に発売された2枚のニューアルバムについてお話をお聞かせください。
ここ5年くらいは、毎年元旦にニューアルバムを出しています。
――今年は「26th Street NY Duo」と「27th Avenue LA Trio」の2枚が出ています。それぞれどんなアルバムなのでしょうか。
1つはニューヨーク、1つはLAで作ったアルバムです。誰の心の中にも明るい部分と、ちょっとダークでとんがった部分があると思うんですが、自分の中のその両面を、それぞれをアルバムにしました。
「26th Street NY Duo」はジャケットどおり、夜のイメージでダークで都会的なサウンドです。今回DUOということで、ニューヨークのトップミュージシャンであるベースのウィル・リー、ギターのオズ・ノイとやっています。
26th Street NY Duo
Featuring Will Lee & Oz Noy
もう一つの「27th Avenue LA Trio」は明るいイメージで、以前から共演しているベースのエイブラハム・ラボリエル、ピアニストにラッセル・フェランテとパトリース・ラッシェンを招きレコーディングしました。こちらはLAらしい透明感と奥行きのあるサウンドです。
27th Avenue LA Trio
Featuring Abraham Laboriel,Russell Ferrante & Patrice Rushen
――昨年は還暦を記念したベスト盤も出されていますね。
はい。もし神保彰の音楽を初めて聴いていただけるのであれば、昨年の還暦記念ベスト盤を聴くとだいたい今までの自分音楽の流れがわかってもらえると思います。還暦ベスト盤と、この新しい2作を聴いていただけると、初めての方でも僕の活動がおわかりいただけるかなと思います。
体のメンテナンスとお客さまからのフィードバックが「創造」の源
――カシオペア、ワンマンオーケストラ、リーダーアルバム、そして数々のユニットへの参加など非常にエネルギッシュに活動されている神保さんですが、尽きない創造性には秘訣があるのでしょうか。
ドラムは、ある程度フィジカルな楽器なので、年齢も還暦を迎えたのもあり、体を良い状態で保つことには興味を持っています。幸いなことに妻がヨガのインストラクターなので、40分程度のプログラムを組んでもらって、それを毎日欠かさず、ツアー先でもやるようにしています。
あとはやっぱりライブの時などのお客さまの拍手が、エネルギーになりますね。やっぱり「創造」って、自分の中からエネルギーを出す作業だと思うんです。それに対してエネルギーを吸収する部分もないと、枯れちゃいますよね。そのエネルギーをいただく部分っていうのは、やはりお客さまからのフィードバックなんです。ライブ会場で、お客さまからいただく拍手もそうですし、最近はSNSの時代ですから、ファンの方からの自分の作品に対するいろいろな批評、そういうものもダイレクトにもらえるようになりました。僕にとって、お客さまからのコメントや励ましが、やっぱり一番のエネルギーの源だと思います。
ドラムに、作曲に、とますますエネルギッシュに音楽活動を続ける神保さん。昨年発表した2枚のアルバムとベスト盤は 3枚揃ってJAZZ JAPAN AWARD 2019の「アルバム・オブ・ザ・イヤー:フュージョン部門」を獲得するなどジャズファンからも高い評価を得ています。それにしてもインタビューをしていても還暦とはとても思えない若々しさに驚かされました。今年の「神保彰ワンマンオーケストラ 全国行脚2020」でも日本各地を回られます。ぜひお近くの会場で、その神業を目の当たりにしてください!
※記事の情報は2020年2月7日時点のものです。
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【PROFILE】
神保彰 (じんぼ・あきら)
1980年、カシオペアでプロデビューして以来、40年近くの長きにわたって常に音楽シーンの最先端を走り続けるトップ・ドラマー。2007年、ニューズウィーク誌の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。メロディーやアンサンブルを1人でたたき出すワンマンオーケストラというスタイルは唯一無二。世界のトップドラマー500人を紹介するサイトDRUMMERWORLDに載っている日本人2人のうちの1人。米ドラム誌Modern Drummer Magazineの表紙を飾った唯一のアジア人でもある。2011年、国立音楽大学ジャズ専修客員教授に就任。カシオペアのサポート等の国内でのバンド活動に加えて、ワンマンオーケストラ名義のパフォーマンスやセミナーで世界中をツアーし、多忙な日々を送っている。
神保彰オフィシャルウェブサイト
http://akira-jimbo.uh-oh.jp
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