音楽
2020.02.05
神保彰さん ドラマー〈インタビュー〉
「はげ山の一夜」のスティーヴ・ガッドのドラムが衝撃だった
日本のフュージョンを代表するバンド「カシオペア」のドラマー、神保彰さん。デビュー以来常に音楽シーンの最先端を走り続け、2007年には「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれるなど世界的に注目を集めるドラマーです。今回はドラムを始めたきっかけやその創造性の源泉について、神保彰さんにお話をうかがいました。
グループサウンズのドラムに憧れて茶碗を叩いていた
――最初に、ドラムを始めたきっかけを教えていただけますか
僕の世代は小学校の頃、グループサウンズが大流行していたんです。GSが出てきて初めてテレビでもフロントの人だけじゃなくて、ドラムやベースなど、バンドメンバー全員にスポットライトが当たったんです。それを見ていて、僕はなぜかドラムに惹かれました。
子供心に不思議に感じたのが、ドラマーがリーダーの場合が多いんですよ。例えば「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」とか。なんで後ろでドラムを叩いているジャッキーさんがリーダーなんだろうっていうのが、子供の頃にすごく不思議だった。でも奥にいるのに存在感があったんですね。それで僕もドラムを叩いてるつもりでお茶碗をチャカチャカ叩いて怒られたりしていました。
――実際にドラムセットに出会うのはいつですか。
父親が中学入学のお祝いで入門用のヤマハのドラムセットを買ってくれました。
――最初はどんな曲を叩いていたんですか。
当時は教則本もないので、見よう見まねでドラムを叩いていたんですが、曲は父が当時エレクトーンを弾いていたので、父のエレクトーンとあわせてポピュラーソングを演奏していました。
――エレクトーンとの合奏は楽しかったですか。
楽しかったですね。父がボサノバっていうのはこんなふうにやるんだよって教えてくれたり。それで半年くらいは盛り上がっていましたけど、ドラムの先生もいないし情報もないので。すぐ煮詰まってしまったんです。それでだんだん叩かなくなってしまって、やがて押し入れにしまわれて、しばらくドラムと離れるんです。
スティーヴ・ガッドの演奏に衝撃を受けてドラムを復活
――ドラムの化身のような神保さんが、いったんドラムをやめたとは意外です。
そうなんですよ。中学から高校2年くらいまでは、プラモデルなどにハマってました。
――もう一度ドラムをたたくことになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
高校の時に、友だちがデオダートというブラジルのキーボーディストのアルバムを「これすごくかっこいいから」って、貸してくれたんですよ。今まで自分が聴いたことがなかったような音楽でした。とても心地よいんだけれども、リズムが主体になってる。それがCTI ※1というジャズのレーベルのレコードでした。
――高校生でジャズとは、ませてますね。
僕の世代だとレッド・ツェッペリンやディープ・パープルから音楽に入るのが定番なんですけど、僕はそういったハードロックは通ってなくて、デオダートでいきなり火が点いて、CTIのレコードをどんどん漁って聴くようになりました。
――それで押し入れからドラムが出てくるわけですか。
ドラムをもう一度叩きたいと思ったのはボブ・ジェームスの「One」というアルバムです。このアルバムに「はげ山の一夜」というクラシックの曲をジャズアレンジした作品があったんですが、そのドラムが、それまでの僕のドラムの概念をひっくり返すような演奏でした。それがスティーヴ・ガッドというドラマーの演奏でした。
――スティーヴ・ガッドの演奏は今までのドラムとどう違ったのでしょうか。
それまでの僕のドラムのイメージはあくまで「脇役」だったんですが、その時のスティーヴ・ガッドの演奏はドラムが完全に主役でした。「ドラムってフロントに立てる楽器なんだ」というのが衝撃的で、それでまたドラムを叩きたいと思ったんです。
――ドラムを再開してからはどんな演奏をしたのですか。
とにかく、スティーヴ・ガッドのコピーですね。どうやっているんだろうって。当時は情報が何もなくて、スティーヴ・ガッドがどんな顔なのか、白人か黒人かも分かりませんでした。
その後、高校のクラスの仲間とバンドをはじめ、それで大学に入ってビッグバンドに入りまして、大学時代はそのビッグバンド活動一色でした。
櫻井さんの家に遊びにいったら野呂さんがいて、カシオペアに
――神保さんは大学生の時にカシオペアに加入したそうですが、どんなきっかけだったのでしょうか。
あるとき大学のビッグバンドのステージで、ベーシストが急に出られなくなってしまったことがありました。その時メンバーの一人が「自分のゼミにカシオペアのベーシストの櫻井さんがいるから、ちょっと頼んでみる」ってお願いしたら快く引き受けてくれて。それでいっしょに演奏したら櫻井さんが「とってもいい感じだったね」と言ってくれました。
そしたら数日後、櫻井さんから「ちょっと家に遊びにおいでよ」って電話がかかってきたんです。それで行ったら、野呂さんがいるんですよね。どういうことなのかなと思っていたら、そこでカシオペアに入らないかって誘われました。実は当時新しいドラマーを探していて、櫻井さんが野呂さんに、いいドラムがいるからって言って、そのステージを野呂さんが見ていたそうなんですよ。向谷さんもいたらしいです。
――じゃあ、その本来のベーシストがライブに出られていいたら?
普通に就職していたと思います(笑)。
グルーヴを意識するようになったらお客さんが踊るようになった
――神保さんはカシオペアには何年在籍したのですか。
79年の終わりにカシオペアに加入して、アルバムが出たのが80年でした。それで90年までメンバーとして在籍して、97年からはサポートという形で復帰しています。ですからメンバーで10年、サポートで20年という感じですね。
――カシオペア時代で思い出深いのはどんなことですか。
やっぱりメンバーとして在籍していた80年代ですね。当時アルファレコードという会社に所属していて、社長の村井邦彦さんが「せっかくインストバンドなんだから世界中でやろうよ」って言ってくれて、ヨーロッパ、南米、東南アジアなど世界中で演奏しました。そんな機会を持てたというのは、すごくラッキーでしたね。
またアメリカでレコーディングしたときのプロデューサーだったハーヴィー・メイソンの一言は自分としては転機になりました。
――ハーヴィー・メイソンにはどんなことを言われたのですか。
当時のカシオペアの音楽って、テクニカルなことに意識がいっていて、曲を作っても隙間があると音で埋めてしまうみたいな、すごく忙しい演奏スタイルでした。それに対してハーヴィーさんは僕たちに「とにかくシンプルに。余計なことは一切やるな」と要求したんです。
最初は半信半疑でした。こんなのでいいのかなって。でも僕にとってはハーヴィー・メイソンは、雲の上の人ですから、言われたとおりアルバムを作って、ツアーに出たんです。そのツアーで初めてハーヴィーさんの言っていたことがわかりました。ライブでお客さんが立って、踊ってくれるようになったんですよ。
それは一言で言えば「グルーヴ」だと思います。以前のカシオペアってあまり踊れない感じだったんです。それがハーヴィーさんがアドバイスで、みんなを巻き込んでいっしょに楽しめるバンドに変わっていったんです。
――ちょっと話が戻りますが、97年からは現在に至るまでサポートメンバーとしてカシオペアに参加されています。それはどうしてですか。
90年にカシオペアをやめてから、さまざまな活動をしてきました。今はワンマンオーケストラなどのソロ活動もあり、他のユニットもやっているので、カシオペアに関してはサポートという形が自分としてはいい距離感が取れると思っています。
――ありがとうございました。では、インタビュー後半はワンマンオーケストラ、そしてソロアーティストとしての活動についてお聞かせください。
※記事の情報は2020年2月5日時点のものです。
インタビュー後編へ続く
-
【PROFILE】
神保彰 (じんぼ・あきら)
1980年、カシオペアでプロデビューして以来、40年近くの長きにわたって常に音楽シーンの最先端を走り続けるトップ・ドラマー。2007年、ニューズウィーク誌の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。メロディーやアンサンブルを1人でたたき出すワンマンオーケストラというスタイルは唯一無二。世界のトップドラマー500人を紹介するサイトDRUMMERWORLDに載っている日本人2人のうちの1人。米ドラム誌Modern Drummer Magazineの表紙を飾った唯一のアジア人でもある。2011年、国立音楽大学ジャズ専修客員教授に就任。カシオペアのサポート等の国内でのバンド活動に加えて、ワンマンオーケストラ名義のパフォーマンスやセミナーで世界中をツアーし、多忙な日々を送っている。
神保彰オフィシャルウェブサイト
http://akira-jimbo.uh-oh.jp
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