日本人がカバーしたジャズ・ソング Part1

FEB 6, 2024

音楽ライター:徳田 満 日本人がカバーしたジャズ・ソング Part1

FEB 6, 2024

音楽ライター:徳田 満 日本人がカバーしたジャズ・ソング Part1 クリエイティビティを刺激する音楽を、気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドする「創造する人のためのプレイリスト」。今回は、曲名はわからなくても多くの日本人が知っている、「日本人がカバーしたジャズ・ソング」を紹介します。

ジャズのスタンダードとなっている曲の中で、特に日本人に愛されてきたのが「歌モノ」=ヴォーカル曲である。現在、音楽ジャンルとしての「ジャズ」は、J・POPのような人気やセールスは得られていないが、こと「ジャズ・ソング」に関しては、耳にすれば曲名はわからなくても「ああ、知ってる」とうなずく昭和生まれが多いはずだ。

その理由は、何十年もの長きにわたって、さまざまな日本人歌手が連綿とカバーしてきたことによる。それらのカバーが他の歌手や次の世代の歌手に歌い継がれることで、曲自体の認知度を高め、日本人が作ったオリジナル曲と同じように愛されてきたのだ。

数多ある曲の中から、今回は、1930年までに原曲が発表された作品をご紹介しよう。ただし、ごく一部に過ぎないので、機会があれば、ぜひPart2も書かせていただきたい。



1. セントルイス・ブルース(St.Louis Blues)/八代亜紀


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いわゆる「ブルース進行」の元になったことで知られる曲。ブルース(Blues)自体は19世紀後期、アメリカのディープ・サウス(深南部)における黒人霊歌や労働歌から発展したといわれており、作曲者とされているウィリアム・C・ハンディ(W.C. Handy)は、1903年にそうしたブルースの生演奏を耳にし、1914年に採譜しただけという説もある。

ともあれ、哀調漂う主題部と、陽気な展開部のコントラストが魅力的なこの曲は、アメリカ本国でも多くのアーティストにカバーされてきており、特にサッチモこと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)のバージョンは、日本でもよく知られている。また、グレン・ミラー(Glenn Miller)がマーチ風にアレンジしたインスト曲「セントルイス・ブルース・マーチ(St. Louis Blues March)」は、ブラスバンドの定番演奏曲でもある。

日本でもディック・ミネ、笠置シヅ子、江利チエミ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、古井戸、吉田日出子など、幅広いジャンルのアーティストにカバーされている。今回紹介するのは、八代亜紀が2015年に発表したアルバム「哀歌」に収められたバージョン。円熟味あふれる歌声と、山木秀夫、高水健司ら超一流のミュージシャンによる、いぶし銀のスウィンギーな演奏が心地いい(動画は同年に行われたライブ・バージョン)。

この原稿を入稿した直後、八代亜紀さんの訃報を知った。それから毎日のように、その歌声を聴いている。ご冥福をお祈りします。



2. 東京節(パイノパイノパイ)(Marching Through Georgia)/あがた森魚

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「ジャズ・ソング」と呼ばれてはいても、実のところその定義は曖昧だ。というのも、日本の場合、ジャズはまず社交ダンスのための音楽=ダンスミュージックとして入ってきたからだ。そのあたりについては長くなるので、瀬川昌久氏や毛利眞人氏の著書などに当たっていただきたい。

要は声楽を含むクラシック音楽や「蛍の光」などの文部省(現在の文部科学省)唱歌以外の舶来(西洋)音楽は、すべて「ジャズ」とひとくくりにされていたのである。だとすれば、従来はジャズ・ソング扱いされていなかった曲であっても、立派にその条件を満たしているのではないだろうか。例えば、この「東京節(パイノパイノパイ)」のように。

原曲は南北戦争末期の1865年にヘンリー・クレイ・ワーク(Henry Clay Work)が作ったインスト曲「ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)」だが、1918年、演歌師の添田知道がそのメロディーに当時の社会や政治を風刺する歌詞を付けて歌ったところ大流行。

俗謡として広く知られるようになり、戦前は榎本健一ら、戦後になっても東海林太郎(しょうじ・たろう)、春日八郎、森山加代子、植木等、ザ・ドリフターズ、なぎら健壱、うめ吉、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットなどに、歌詞を変えてカバーされ続けてきた。アメリカのジャズが黒人たちから生まれたように、ジャズを庶民の音楽と捉えるなら、この歌こそ最も日本の庶民に愛されたジャズ・ソングかもしれない。

今回は、2007年にあがた森魚(あがた・もりお)が発表したアルバム「タルホロジー」に収められたバージョンを選んだ。大正期の東京風景が綴られた添田知道による歌詞を、同じく東京生まれの鈴木慶一、細野晴臣と、気持ち良さげに歌っている。



3. ダイナ(Dinah)/ディック・ミネ

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筆者は一度だけ、ディック・ミネを生で見たことがある。大学時代、たまたま池袋西口公園(当時)を通りがかった際に、ジャズ・フェスティバルのようなイベントをやっており、そこで彼が「ダイナ」を歌っていたのだ。晩年ではあったが、しっかりした歌声で楽しそうに歌っていたことを覚えている。そのディック・ミネの代名詞的な曲が、この「ダイナ」である。

ディック・ミネを知っている人は現在50代以上になるだろうが、一人の歌い手としても、日本にジャズを広く知らしめ普及させたという意味でも、もっと評価されて然るべきだと思う。

筆者が物心ついてからは「夜霧のブルース」や「人生の並木路」のようなスローな歌が中心で、先の「ダイナ」もかなりテンポを落としていたが、1935年に自身の訳詞(三根耕一)でこの曲を吹き込んだ時は速いテンポで溌剌(はつらつ)と歌っているので、ぜひCD「Empire of Jazz」に収録されたバージョンを聴いていただきたい。まるでB'zの稲葉浩志のような横文字的日本語発音でスウィングする歌声と、抜群のリズム感に驚くはずだ。

原曲はサム・M・ルイス(Sam M. Lewis)とジョー・ヤング(Joe Young)が作詞、ハリー・アクスト(Harry Akst)が作曲し、1925年に発表。アメリカでも日本でも多くの歌手やミュージシャンにカバーされているが、日本の場合、榎本健一はダイナを「旦那」にしたり、あきれたぼういずは浪曲風にしたり、ザ・タイマーズは禁煙を揶揄する歌にしたりと、原詞を離れた自由な解釈で歌われている(替え歌ともいう)ことが多く、それぞれに魅力があるので、興味を持たれた方はそちらもどうぞ。



4. 私の青空(My Blue Heaven)/夏川りみ


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数あるジャズ・ソングの中でも、おそらく日本人に最もよく知られ、愛されている歌だろう。それほど多くのアーティストに歌われており、高田渡、畠山美由紀、大滝詠一など名カバーも多い。その大きな理由は、メロディーの素晴らしさもさることながら、「夕暮れに~」で始まる堀内敬三の訳詞にあるだろう。なぜなら、戦後のカバーではほとんどの歌手が、1928年に堀内が書いた日本語詞をそのまま歌っているからだ。

堀内は単なる訳詞家ではなく、今で言う音楽プロデューサーのような役割を果たしていたようだが、その初期の作品である「私の青空」と後述する「アラビアの唄」は、どちらも短い語数ながら的を射た名訳である。

原曲は1927年にジョージ・A・ホワイティング(George A. Whiting)作詞、ウォルター・ドナルドソン(Walter Donaldson)作曲で出版。翌年、ジーン・オースティン(Gene Austin)が歌ったレコードが500万枚以上の大ヒットとなり、以後はスタンダードとして定着した。

ここでは、「涙そうそう」で知られる沖縄県石垣市出身の夏川りみが2021年に発表したカバーアルバム「あかり」に収められたバージョンを。アコースティック編成によるゆったりとした演奏に乗せた、伸びやかで落ち着きのある歌声が印象的だ。



5.アラビアの唄(Sing Me A Song Of Araby)/二村定一

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「砂漠に陽が落ちて」という歌い出しで知られる、オリエンタルな曲調の歌。原曲は1927年公開の映画「受難者(The Garden of Allah)」の主題歌としてフレッド・フィッシャー (Fred Fisher)が作詞・作曲したものだが、本国アメリカではヒットせず、日本だけのローカルヒットとなった。実はこの曲は1928年、「私の青空」で紹介した堀内敬三がNHKラジオ(当時はJOAK)の洋楽主任としてジャズの番組を制作する際に訳詞したもので、そのとき歌ったのが、二村定一という歌手である。

二村定一といっても現在では知る人も多くないだろうが、同じ1928年に前述の「私の青空」(当時のクレジットでは「あほ空」)とこの「アラビアの唄」をカップリングで発表し、当時としては記録的な大ヒットを得て、一大ジャズ・ソングブームを巻き起こした人物で、戦後、フランク永井にカバーされた「君恋し」というオリジナルの大ヒット曲も持つ。

ただし、スローなバージョンに慣れた現在の耳で聴くと、どちらの曲もテンポが少し速すぎる。また二村の歌も男性にしては甲高く、しかも「浅草オペラ*」出身ゆえの声を張り上げる唱法で、ジャズっぽい洒脱さに欠ける。というのも、この時点では、「スウィング」という概念がまだ日本で定着していなかったのだ。

現在ではむしろ、1933年にこの曲をカバーした川畑文子や、同じく1930年代に録音した榎本健一らの方がジャズっぽく感じられるだろう。だが、1928年の時点では、この二村の歌唱こそが、日本の民衆に受け入れられた「ジャズ」だった。一口にジャズ・ソングといっても、その内容は時代時代でかなり移り変わっているのである。

* 浅草オペラ:大正末期の浅草興行界で栄えた、オペラやオペレッタ、ミュージカルなどの日本語音楽劇の総称。欧米のオペラやオペレッタを日本語の歌詞で上演したものや和製オペラがある。高尚なイメージのオペラとは一線を画した、肩肘張らずに楽しめる大衆芸能だった。



6. 洒落男(A Gay Caballero)/榎本健一(2021年)

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その二村定一とも縁の深いのが昭和の喜劇王、エノケンこと榎本健一。彼の代表曲といえば、この「洒落男」だろう。筆者は1983年、当時ビールのCMに使われたこの歌を気に入ってレコード店へ走り、シングル盤を買ったことをよく覚えている。

原曲は1928年、ルー・クライン(Lou Klein)作詞、フランク・クルーミット(Frank Crumit)の作曲・歌で発表されたワルツ(三拍子)。元の詞は田舎からリオ・デ・ジャネイロに出てきた男がキャバレーの女性に騙されるというものだが、日本ではバンジョー奏者の坂井透が日本語詞を付けて自ら歌ったのが最初で、男を村じゅうで一番のモボ(モダン・ボーイの略)、リオを銀座、女性をカフェーの女給(現在でいえばキャバクラ嬢)に変えている。

その後、坂井の訳詞のまま、二村の歌で1930年に初音盤化されたが、のちに二村はエノケンの相手役として同じ舞台に立ち、この「洒落男」や前出の「私の青空」「アラビアの唄」、後述する「月光価千金」などを一緒に歌い踊っていた。ふたりの持ち歌が重なっているのはそのためである。

エノケンは「日本一のジャズ・シンガー」と呼ばれることが多いが、声自体はだみ声で決して美声ではない。しかし、絶妙なリズム感と舞台で鍛えた口跡で、どんなジャンルの歌でも軽々と歌いこなしてしまうのである。

この「洒落男」も、言葉の区切り方、抑揚や緩急の付け方、さらにアドリブなど自由自在といった趣で、聴いていて惚れ惚れとしてしまう。その自由自在さを知りたい方は、リンクしてあるApple MusicやAmazonのデジタルミュージックのバージョンよりも、フルバンドによるバージョンが聴けるレコードなどを探して聴いていただきたい。



7. 月光価千金(Get Out And Get Under The Moon)/山下久美子


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やはり1928年、ウィリアム・ジェローム(William Jerome)とチャールズ・トバイアス(Charles Tobias)による作詞、ラリー・シェイ(Larry Shay)の作曲で出版された曲。ビング・クロスビー(Bing Crosby)をはじめ、さまざまな歌手が歌っているが、特にナット・キング・コール(Nat King Cole)とドリス・デイ(Doris Day)のカバーが知られている。

日本では同年、浅草オペラの演出家として名高い伊庭孝(いば・たかし)が日本語詞を書き、やはり浅草オペラの人気歌姫だった天野喜久代が吹き込んだバージョンが初とされている。なんといっても「月光価千金(げっこうあたいせんきん)」というタイトルが素晴らしいが、これは中国の蘇軾(そしょく)という政治家の漢詩にあった「春宵一刻値千金」から取ったものだという。

アメリカはもちろん、日本でも榎本健一、川畑文子、吉田日出子、松坂慶子&志穂美悦子、河口恭吾など、多くの歌手にカバーされており、聴けば多くの人が「ああ、あれか」と思うほど日本人によく知られているので、特に説明は不要だろう。ここでは、山下久美子が2005年に発表したアルバム「Duets」の中で、8ビートに乗って軽快に歌うバージョンをどうぞ。



8.貴方とならば( I'm Following You)/川畑文子

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これまで何度か触れてきた、川畑文子の登場である。彼女はアメリカ本土と日本でダンサー・歌手として活躍した、ハワイ生まれの日系三世。幼い頃からダンスを学び、13歳の頃にはすでに天才少女ダンサーとして評価され、全米のヴォードヴィル・シアター四十数箇所で公演する契約を結んだという。

日本を初めて訪れたのは1932年、16歳の秋で、翌年から1935年までの2年間に30曲以上の歌を録音するとともに、舞台や映画にも出演。コケティッシュな容姿と脚を高く上げるダンスで大人気を博す。1935年5月、まだアメリカでの公演契約が残っていたため離日。1938年に再来日してレコーディングや公演を行うものの、約1年後に結婚引退したため、日本では実質わずか3年の活動だった。

ここで紹介する「貴方とならば」は、最初の帰国直前にレコーディングしたもので、自身も出演した映画「うら街の交響楽」の主題歌でもあった(この映画はサイレントではなくトーキー)。

原曲は、デーブ・ドレイヤー(Dave Dreyer)の作詞・作曲(バラード・マクドナルド/Ballard MacDonaldの作詞という説もある)で、ガールズ・グループの元祖といわれるダンカン・シスターズ(Duncan Sisters)が主演映画で歌った1930年の作品。当時、日本では岸井明、リキー宮川といった面々もカバーしているが、川畑のバージョンは、日本語がうまくないがゆえの独特な歌い回しが、むしろアンニュイささえ感じさせて魅力的だ。ちなみに日本語詞は、三根耕一すなわちディック・ミネによるもの。

そして、引退からちょうど40年後、川畑文子は「伝説の天才少女」として再び脚光を浴びる。オンシアター自由劇場のミュージカル「上海バンスキング」において、吉田日出子が川畑そっくりの歌い方で「貴方とならば」を歌ったからだ。この続きは、Part2が実現した際にご紹介したい。



9.ラモナ(Ramona)/細野晴臣


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1928年公開の映画「ラモナ(Ramona)」の主題歌で、作詞・作曲はL・ウルフ・ギルバート(L. Wolfe Gilbert)とメイベル・ウェイン(Mabel Wayne)。主演女優のドロレス・デル・リオ(Dolores del Rio)自身が歌い、大ヒットを記録した(ただしこの映画はサイレントなので、映画の中で流れたわけではない。映画のプロモーションでドロレスが歌ったという意味)。

日本では、1930年に宝塚歌劇団のレビュー「パリゼット」で歌われたのが、公の場での最初のカバーと思われる。その後、1936年にディック・ミネ版が発表。他にも笈田敏夫(おいだ・としお)、ザ・ピーナッツ、フランク永井によるカバーが確認できる。

この細野晴臣のバージョンは、2011年のアルバム「HoSoNoVa」のオープニング・ナンバーで、細野自身が改めて日本語詞を付けている。東日本大震災の直後に発表(レコーディング自体は震災前)されたこともあり、ゆったりとしたワルツ(三拍子)のリズムと、細野の声の温かみのある低音に心癒やされた日本人は、筆者だけではないだろう。



10.明るい表通りで(On The Sunny Side Of The Street)/小野リサ


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原曲はドロシー・フィールズ(Dorothy Fields)作詞、ジミー・マクヒュー(Jimmy McHugh)作曲による1930年の作品。ハリー・リッチマン(Harry Richman)とガートルード・ローレンス(Gertrude Lawrence)が主演したブロードウェイのミュージカル「ルー・レスリーのインターナショナル・レビュー(Lew Leslie's International Revue)」で使われたのが最初とされる。

その後、ジャズ・ミュージシャンたちが好んで取り上げるスタンダードとなり、ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン(Benny Goodman)、ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、カウント・ベイシー(Count Basie)などのジャズの巨人たちによる、さまざまな名演が残されている。

アメリカではフランク・シナトラ(Frank Sinatra)やエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)、トニー・ベネット(Tony Bennett)などのヴォーカル・バージョンもあるが、日本ではなぜか、新倉美子(しんくら・よしこ)、フランク永井、デューク・エイセスなど、数えるほどしかカバーが残されていない(ただし、それらのバージョンは歌、演奏ともに絶品だが)。

今回は、小野リサが1999年に発表したアルバム「Dream」のオープニングを飾るバージョンを。ボサノバ調で奏でられ、歌われると、曲のタイトル通り、晴れた午後にのんびりとブラジルの街角を散歩しているような、幸せな気分になってくる。



11.恋人よ我に帰れ(Lover Come Back To Me)/ザ・ピーナッツ


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これも「私の青空」と同じくらい、日本人に長く愛されているジャズ・スタンダード。1928年に上演されたブロードウェイのオペレッタ/ミュージカル「ニュー・ムーン(The New Moon)」のために、作詞オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II)、作曲シグマンド・ロンバーグ(Sigmund Romberg)のコンビで作られた。

明るい導入部~主旋律(Aメロ)から哀愁を帯びた展開部(Bメロ)になり、最後はまたAメロの繰り返しかと思いきや、ドラマティックなエンディングになるという構成が素晴らしく、どんなアレンジを施されても印象が損なわれることがない。

アメリカ本国でもパティ・ペイジ(Patti Page)やバーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand)をはじめ、さまざまなアーティストにカバーされているが、日本では美空ひばりや江利チエミ、青江三奈といった女性歌手のみならず、ディック・ミネや笈田敏夫といった男性陣も録音を残しているところも面白い。個人的には、1982年に放送された「ミュージックフェア」(フジテレビ系)において、YMOによるテクノ・アレンジでジャズ・シンガーの中本マリが歌ったバージョンが印象深い。

今回は、悩みに悩んだ末、ザ・ピーナッツによるカバーを選んだ。彼女たちのバージョンは、動画を見てもらえばわかるが、他の歌手のカバーがゆったりめ(BPM100前後)なのに対し、BPM170前後とかなり速め。

しかしそれを全く苦にすることなく、むしろ情熱をほとばしらせるかのように原詞で歌い、途中スローな部分を挟みつつも最後は再びハイテンポで見事にエンディングまで駆け抜ける。しかも驚くことに、これは1975年に行われたラスト・ライブのものなのだ。改めて、ザ・ピーナッツが不世出の存在だったことを思い知らされる。



12.スターダスト(Stardust)/美空ひばり


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そのザ・ピーナッツが、伝説のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ系)のエンディングで歌っていたのが、この「スターダスト」である。

ご存じの方も多いだろうが、この作品は「我が心のジョージア(Georgia on My Mind)」などで知られるホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)が1927年に作曲。その後、1929年にミッチェル・パリッシュ(Mitchell Parish)が歌詞を付け、現在聞かれるようなスロー・バラードとして定着した。ビング・クロスビー、メル・トーメ(Mel Torme)、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルドなど、多くの名カバーが残されている。

この美空ひばりのバージョンは、1965年に発表した「ひばりジャズを歌う~ナット・キング・コールをしのんで~」に収録された。そのタイトル通り、生前ナット・キング・コールと親交を持ち、ジャズの師とも仰いでいた美空ひばりは、その死を悼み、全曲彼のレパートリーでカバー。他の曲もそうだが、完全に「美空ひばりの歌」として仕上げている。その見事な歌声、表現力の豊かさに、ただただ聴き入っていたいと思う。


※記事の情報は2024年2月6日時点のものです。

  • プロフィール画像 音楽ライター:徳田 満

    【PROFILE】

    徳田 満(とくだ・みつる)
    昭和映画&音楽愛好家。特に日本のニューウェーブ、ジャズソング、歌謡曲、映画音楽、イージーリスニングなどを好む。古今東西の名曲・迷曲・珍曲を日本語でカバーするバンド「SUKIYAKA」主宰。

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