BMC(ビルマニアカフェ)【後編】|マニアが語る1950~70年代のビルの魅力。ビルを愛する活動が街に新たな価値を生む

趣味

BMC(ビルマニアカフェ)〈インタビュー〉

BMC(ビルマニアカフェ)【後編】|マニアが語る1950~70年代のビルの魅力。ビルを愛する活動が街に新たな価値を生む

1950~70年代のビルをこよなく愛する5人組「BMC(ビルマニアカフェ)」。メンバーの髙岡伸一(たかおか・しんいち)さん、阪口大介(さかぐち・だいすけ)さん、岩田雅希(いわた・まさき)さんの3人に、結成の経緯やこれまでの活動内容をうかがった前編に続き、後編では、高度経済成長期ならではのビルの魅力や、活動の醍醐味について語っていただきました。

写真:成田 舞

前編はこちら

手仕事と工業製品が融合した高度経済成長期のビル

――皆さんがビルに目覚めたきっかけは何だったのですか。


岩田さん:30歳前後で入社したリノベーションの会社で、大阪市内を自転車で移動する機会が増え、かわいくてそっくりなビルがいっぱいあるって気づいたのが始まりです。建築学科の学生だったし、それまでも設計事務所に勤めていましたが、20代の頃はあまり気付かず、街を走るようになってから急に見えてきました。


阪口さん:僕の場合は社会人になってから、建築や不動産の仕事をする中でビルを見ていて、「デザイン的に好き」ということから入ったんです。古いけど新しく、かっこいい。元々70年代とかのレコードを集めるのも好きでしたが、それをコレクションしているのと同じ感覚で、街中で見つけて自分の中にコレクションしていきました。


髙岡さん:僕は大学卒業後、大阪の設計事務所で8年ほど設計の仕事をしていて、自分が設計する時の参考にしていたのが、街中に建っている倉庫や古いオフィスだったんです。事務所の周りを歩いてみると、高度経済成長期のビルや倉庫がたくさんあって、ああいうのを造りたい、どうやったら造れるかなと見ながら設計していました。



――50~70年代のビルの、ほかの年代にない魅力とは何でしょうか。


髙岡さん:今は自社ビルを持つよりもテナントで入った方が良いという風潮ですが、この年代は自社ビルを建てることにステータスがあり、小さな会社が自分の城としてビルを持つことに誇りを持っていました。建てるならかっこいい建物にしたいし、よく出る台詞は「ほかとは違う建物にしたい」。50~70年代は建物にその会社の誇りのようなものが濃厚に出ていて、そうした価値観が好きです。


岩田さん:戦前と戦後、そしてバブル景気に入る80年代では、それぞれ建物のデザインが全然違います。50年代は、戦前ほどお金をかけられないからお城みたいに派手にはできないけど、遊び心が詰まっている。80年代からは、お金があるので派手で豪華になっていく。50年代は建築法規で建物の高さが制限されていたので、同じ高さの中で個性をどう出すか、ビルによって顔が違うのもすごく面白いです。


3人ともお気に入りだという輸出繊維会館(1960[昭和35]年竣工)の西玄関前にて。この時代を代表する建築家の一人、村野藤吾(むらの・とうご)による設計。クリームがかったホワイトの外壁に、色のついた角丸の窓が均等に並ぶ。シンプルな外観の中に、幾何学模様を施したドーム状のキャノピー(玄関の庇[ひさし])が目を引く


阪口さん:遊び心ですね。今は建材がそろっているから、カタログで何でも選べるけど、当時はまだ手作業でしか造れないものがあり、かつ高度経済成長期で技術が発展していく中での、手仕事と工業製品がちょうどミックスされた30年間だと思っています。


髙岡さん:工業化はどんどん進んでいて、さまざまなメーカーがいろんな建材を開発していますが、結局現場では職人が手作業でやっているところが残っている時代でもあります。今と比べると人件費も安かったので、手間のかかる左官仕上げも多かったんです。手仕事と工業製品の混ざり具合は、戦前の建物とも、今の建物とも違う、この時代にしかないものです。


――初心者に向けて、ビルの注目ポイントを教えてください。


岩田さん:最初はタイルから入る人が多いですね。私は窓の形から入り、水平の窓の建物があまりにも多いことに気づいたのが始まりです。あと階段の階数のグラフィックデザインとか。今は売っている中から選ぶのですが、当時は全部図面に描いて、職人さんに造ってもらっているんですよ。そういう形とか気になるものを見ていると、これもこれもってハマっていきます。


「月刊ビル1号」で特集した丹平ビル(1958[昭和33]年竣工)。1ページ目に注目ポイントがまとまっていると紹介してくれた。BMCのメンバーは外観を見るだけでビルの年代が分かり、普段は竣工年を当てるクイズをして楽しんでいるという


阪口さん:僕は階段が好きなんですよ。階段室がちゃんと造られている建物は、この時代の特徴です。例えば、らせん状の手すりとかたまりませんよ。絶対現場で削って何回も工場に持ち帰ってやり直してるやんみたいな。これこそがこの時代特有の、手仕事と工業製品との過渡期を表していて、階段室や手すりにはそれが詰まっていると思います。


「いいビルの写真集 WEST」に掲載されている西谷ビルのらせん階段




小さなビルは、オーナーが建物の魅力に気付いていない

――古いビルが減っているのは、老朽化が原因なのでしょうか。


髙岡さん:大きなビルはどうしても経済の合理性によって建て替えられてしまいますが、個人オーナーの小さなビルは、オーナーが残そうと思えば残す手段はいくらでもあります。


僕らが活動を始めた当初は、オーナーがその建物の魅力に気付いておらず、ただ古いだけで機会があったら建て替えようと思っている人が多かった。あとは自分の建物に誇りを持っていても、誰も共感してくれへんとか。そういうところに僕らのような人間が入っていくことで、オーナーの意識が変わっていくことはあります。


岩田さん:古いからどうしようもないことはないもんね。個人的には老朽化は言い訳と思っています。経済の合理性には勝てないけど、いいと思う人がいないと残りはしないから、オーナーさんはもちろん、使う人や街を歩いている人が何か思ってくれるようになったらいいなと思って活動しています。5人全員でビルの写真を撮って、めちゃくちゃ褒めたたえて(笑)。


髙岡さん:最近はオーナーの意識が変わってきていて、レトロな建物にオフィスを構えたい人も増えているから、家賃も上がっています。声をかけてオーナーの意識を変えていくのは、すごく大事なことやなと思っています。


イケフェス大阪では、戦前の建物のほかに、BMCが対象とする戦後のビルも公開するようにしていて。オーナーさんは初め「うちの建物を公開しても、人が来るわけないじゃないですか」という反応なのですが、ふたを開けてみるとやっぱり来はるんですよね。その状況を見れば、大事にせなあかんなと思うオーナーも増えていくはずです。めちゃくちゃ大変ですが、中長期的にじわじわ広がるようにと思って活動していますね。



――必ずしも老朽化だけが理由ではないのは意外でした。BMCの活動が影響を与えていると実感するのはどんなところですか。


岩田さん:古いビルを借りてお店にしようという人が増えてきましたね。ビルはどんどん減っているけど、いい使われ方をしているビルも増えてきたなと思うと、徳を積んだなとこっそり感じています。


髙岡さん:例えば、ビアホールをやったリバーサイドビルディングは、元々は普通のテナントオフィスとしてしか使っていませんでしたが、今、デザイナーが事務所を構えたり、シェアオフィスが入ったりと使われ方が変わってきています。それに国の登録有形文化財にもなりました。


阪口さん:4年前に発行した「月刊ビル8号」では、日本欄罫(らんけい)工業本社ビルのオーナーさんの娘さんから、ビルを明け渡す前に、自分が生まれ育ったビルの記録を月刊ビルとして残してほしいという連絡がきました。初めて依頼されて組んだ特集でした。長くやっているとこんな新しいアプローチもあるのだなとうれしかったです。





純粋にビルが好きで楽しいから活動している

――BMCに入って良かったことや、変わったことはありますか。


岩田さん: BMCをやっていなかったら、人生が全く違ったと思います。この5人が集まったことが、すごく面白くて良かった。ビルの魅力だけでなくて、「この人たち面白そう」という気持ちでイベントに来てくれた人もいっぱいいるのかなと思います。


お金の匂いがしないグループで、純粋にビルがめっちゃ好きで楽しいから活動している。好きなことが派生していくのがすごく楽しいです。それをいい歳になってからできたことが良かったな、人生が楽しくなったなと思います。



阪口さん:大人の青春みたいなね。東京で同じような活動をしているグループに「BMCは無欲の勝者ですね」と言われたことがあります(笑)。


僕らは最近忙しくて、理由がないと会わないのですが、何かあった時に集まると、何も変わっていない。歳を取ったけど、ビルはずっと好き。そういう人との関係は宝物ですし、解散は絶対にないんですよ。活動しなくなっても、ビル旅行に行くとか関係は続くだろうなと。ライフワークのひとつになっています。


髙岡さん:僕らの活動の影響は、微々たるものではあるけれど、でも確実に影響を与えているなという実感はあります。基本的には楽しんでやっているだけで、活動中は社会的にどうなるかとか意識はしていないのですが、その結果が多少なりとも状況を変えているのはすごくやりがいを感じます。


――これからやってみたいことはありますか。


岩田さん:よくビジョンを聞かれるんですが、一度もビジョンを持って動いたことはないです(笑)。


阪口さん:具体的なビジョンが向こうから来るんですよ。


髙岡さん:ずっと、来たら打ち返すみたいな動き方だよね。明確な目的を持って活動しているわけではなく、ただ楽しんでいるだけです。


綿業会館 新館(1962[昭和37]年竣工、写真右側)の前にて。国の重要文化財に指定されている綿業会館(1931[昭和6]年竣工)の隣に位置する。設計は渡辺建築事務所。水平に連続する窓と茶色のスクラッチタイル、両サイドの穴あきブロックなど、直線的でシンプルながら細部にこだわりを感じるデザイン


――BMCは大人の趣味サークルのようなものでしょうか。


阪口さん:趣味でもないし仕事でもない、何と呼んでいいか分からない。商売目的ではなく、大人のサークルやから運営費はみんなで賄ってるし、ほんまに好きでやっているだけです。


髙岡さん:週末に仲間で山登りをするのに資金はどうする? って言う人はいませんよね? それと同じです。でも完全に趣味かと言うとそうでもなく。


岩田さん:人との出会いとかがそれぞれの仕事にもつながっているから、仕事とBMCに相互関係はあるよね。細々と本の売り上げなどで、大きなイベントがいつでもできるぐらいは経済的なストックがあります。少し収益のある趣味かな。非常に良い趣味です。


――3人とも穏やかなお人柄で、明るく和やかな取材となりました。ただ好きで楽しんで活動していることが社会に広がっていく。"好き"という気持ちは大人になっても大事にしたいものだと改めて感じました。今後の活動も楽しみにしています!


※記事の情報は2026年10月9日時点のものです。

  • プロフィール画像 BMC(ビルマニアカフェ)〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    BMC(ビルマニアカフェ)
    「1950~70年代のビルがかっこいい」という同じ思いをもって集まった5人が、各々の目線でビルの魅力を謳う活動体。著書に、選り抜きの“いいビル”を集めた「いいビルの写真集 WEST」「いい階段の写真集」(パイ インターナショナル)、「喫茶とインテリア WEST」「特薦いいビル 国立京都国際会館(別冊月刊ビル)」「特薦いいビル 千日前味園ビル(別冊月刊ビル)」(大福書林)がある。いいビルを使ったイベントの開催や、リトルプレス「月刊ビル」の不定期発行など、本業の傍ら活動中。

    BMC公式サイト https://bldg-mania.blogspot.com/

    髙岡伸一(たかおか・しんいち、写真左)
    1970年大阪府生まれ。建築家、近畿大学建築学部教授。大阪の街を建築的側面から盛り上げるさまざまな活動に関わっている。近年力を入れているのは大阪の建築を一斉に公開する「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)」。BMCのビル博士担当。

    阪口大介(さかぐち・だいすけ、写真右)
    1979年大阪府生まれ。大工・電気・左官など内装工事を一人でこなす工務店 株式会社サカグチワークス代表。宅地建物取引士でもある。BMCでは主にイベントリーダーとして企画・交渉・設営を担当している。

    岩田雅希(いわた・まさき、写真中央)
    1972年大阪府生まれ。設計を担当するサカグチワークス(主にリノベーションを手掛ける工務店)でも趣味のBMCでも、総務経理広報その他担当。民泊の運営も始め、楽しんでいる。

人物名から記事を探す

公開日順に記事を読む

ページトップ