スポーツ
2019.05.07
江頭重利さん 久保田スラッガー グラブ型付け師〈インタビュー〉
プロ野球選手に愛される"グラブの神様"。野球を支えるプロの技
プロを支えるプロの仕事。第3回は「野球のグラブ型付け職人」にご登場いただきます。グラブ型付けのパイオニア、久保田スラッガーの江頭重利さんが生み出した「湯もみ型付け」のグラブは、プロ野球選手を含む多くの野球人に愛用されています。長い間、野球を道具の面で支え続けたその功績が称えられて、2012年には「現代の名工」を、2013年には「黄綬褒章」を受賞されました。そんな"グラブの神様"江頭重利さんが働く久保田運動具店・福岡支店でお話をうかがってきました。
顔を覚えてもらうために、ロッカーでスパイクをピカピカに磨いた。
江頭さんは1932年、佐賀県大和町(現佐賀市)で生まれた。江頭さんが小学校へ入学する前に一家は満州(現中国東北部)へ転居。終戦後の1946年に帰国し、佐賀商業高校へ入学した。この年日本の野球界では、戦争で中断していたプロ野球、学生野球、社会人野球が相次いで復活。江頭さんも野球が好きだったが「家が貧しくて用具が買えず、野球なんてできなかった」と、入学後は陸上選手として活躍した。2年生になり盲腸の手術を受けたことで、陸上競技を断念。「野球が好きだから応援しよう」と応援団を創設し、団長として頑張ったのが認められ卒業式には功労賞をもらった。
――江頭さんは、どんないきさつでスポーツ用品店に就職されたのでしょうか。
「就職は、本当は衣料関係に進みたかったんですよ。当時は衣服も配給品だったから。ところが佐賀には希望通りの仕事がなくて、大阪へ出たんですけど、やっぱり思うような仕事が見つからなかった。何でもいいから働きたい、と高校の先生のつてをたどって虎印の野球用品メーカー、美津和タイガーへ出向いた際に、小売店だった久保田運動具店を紹介してもらって、ようやく就職できることになった。給料はいくらでもいい、とにかく働ければいいと言ったら、初任給は3,000円だった(当時の公務員の初任給は7,650円)。でも食事はついてたから生きてはいける。店の2階、3畳一間に下宿して、先輩たちと一緒に寝起きして仕事を覚えたんです」(江頭さん)
久保田運動具店はもともと先代社長、久保田信一さんが創設。久保田さんは大学野球の名門、明治大学を経て社会人野球のオール大阪などで遊撃手として活躍した。久保田運動具店がプロや社会人野球に顧客が多いのは、この先代社長の人脈がベースにあった。
――江頭さんのプロ野球チームとの関わりは、どんなふうに始まったんですか?
「最初は先輩について球場に通ったんですよ。南海(ホークス、現福岡ソフトバンクホークス)や近鉄(パールス、後のバファローズ)は大阪球場。グラブ、バット、スパイク、重い荷物を自転車に積んで通った。夏は道路のタールが溶けてね、大変だったんですよ。阪神の甲子園は電車で行くから荷物を全部かついでいきました。ただ、しょっちゅう行ってたけど『お前誰や』って言われてね、先輩の後について行っているだけだから、名前も顔も覚えてもらえないんです。これではいかん、自分を知ってもらうために何かせなあかんと思ったんです。それで選手のロッカールームにいってスパイクを全部磨いたんですよ。ピカピカに光ってるスパイクを見て、選手たちは『誰がやったんだ』と驚いてました。それからです、江頭という名前を覚えてもらえたのは。覚えてもらわないと商売ができないからね」(江頭さん)
――ただモノを納品するだけでなく、選手たちのいろいろな要望を聞いてそれに応えて覚えてもらったのですね。
「そうです。例えば試合後に明日の試合までにスパイクのケン(裏金)を取り換えてくれって言われるんです。そうすると試合が終わるまで待って、スパイクを持ち帰って、修理して翌日持って来ないとあかんわけですね。翌日、練習前に行くと選手たちが下駄を履いて待っとるんですよ。これでは選手を待たせるし効率も悪いなと思って、道具を全部持って行くことにしたんです。それで試合が終わった後、現場で修理するようにした。選手たちも翌日ちゃんとスパイクを持ってきてくれるのか、という余計な心配をしなくてよくなったのを喜んでくれて、それから道具を全部持って行くようになりました」(江頭さん)
「湯もみ型付け」のはじまりは、雨の中に置き忘れたグラブ。
この江頭さんが考案した出張修理は"スラッガークリニック"として引き継がれ、現在は江頭さんのもとで修業した球団専任スタッフが、試合が行われる球場で待機して選手たちの緊急修理などの要望に応えている。
江頭さんのグラブとの格闘が始まったのは1950年代半ば。西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の豊田泰光選手から「俺は下手やからエラーをせんグラブを持ってきてくれ」と無理難題を吹っかけられたことに端を発した。江頭さんは工夫を凝らしながら、そんな難しい要求にも懸命に応えようとした。たどり着いた結論が、グラブを売るだけでなく自社で作ろう、というものだった。
試行錯誤の末、スラッガー印のグラブができるのは1960年代に入ってから。ちなみに「久保田スラッガー」のブランド名である強打者を表す「スラッガー」は江頭さんの発案によって加えられた。当時の社長は「久保田のみで良い」と言ったが、「スラッガーをつけなかったらダメです。絶対に」という江頭さんの強い進言で、「久保田スラッガー」が誕生し、以後多くの野球人に愛されるようになる。
――グラブを作り始めた頃から新品のグラブを手になじませる「型付け」もしていたんですか。
「いや最初はやってなかった。型付けは西鉄ライオンズの島原のキャンプがきっかけ。選手たちが寒くて、グラブをはめたまま焚き火にあたってたんです。するとグラブが熱くなるので油が溶けて柔らかくなる。そうなるとまた嬉しそうにグラウンドに散らばって行くんですね。そこからヒントを得たのが型付けのはじまり。新品のグラブをコンロの上で温めながらひっくり返して、揉んで、グラブが柔らかくなって手になじむ方法をいろいろ試しました」(江頭さん)
――いまではスラッガーのグラブの代名詞にもなっている「湯もみ型付け」にいきついたのは何がきっかけだったんですか。
「ある学生が雨の中にグラブを置き忘れてね。もう土砂降りの雨だったから、びしょびしょになってて。なんとかなりませんか? って親御さんも一緒に来た。昔は、皮製品は水に濡れたらもう終わりで、硬くなってダメになっちゃうっていうのが常識だった。でも可哀想だったからいろいろ考えてね。スチームサウナって、熱い石に水をかけると蒸気が出るやないですか。それで温まったら、皮膚は柔らかくなってる。それと同じことなんじゃないかって気づいてね。人間もいうたら皮やないですか、グラブも皮やし。うまく乾かしたらきっちり使えるようになる」(江頭さん)
――濡れたものを乾燥させて直した。それが逆に具合が良くなって、手にしっかりなじむようになったことをヒントにしたということですか。
「そう。湯に漬けた後に乾燥機で乾燥させて、乾いたらかちかちになるから蒸気で温める。いまは専用のスチーム機材を使ってますけど、昔はなかったから、熱いフライパンに水をいれて、蒸気が出る機械を作った。スチームから出した瞬間グラブ全体が柔らかくなって、そこからきちんと型を付けるようになったんです」(江頭さん)
勝負はコンマ1秒、バット1本分の距離。
だからボールを捕る位置や握る速さを追究する。
皮製品は水に濡れたらダメになる、という常識を覆す「湯もみ型付け」をはじめてから、プロ野球選手からのオーダーも増えた。1980年代と90年代に西武ライオンズで活躍した石毛宏典選手もそのうちのひとりだった。西武ライオンズのリーダーとしてチームを引っ張っていた石毛選手は1987年にショートからサードに転向する。30歳を超えてからのポジション転向。石毛選手が久保田スラッガーにオーダーしたのが、3塁手用のグラブだった。「ショートに比べて打球も強い、横に広いショート用のグラブではなく、縦に少し長いものが欲しい」という内容だった。江頭さんは50個ほどのグラブを見ながら思案し、ウェブ(網の部分)を改良しながら、石毛選手に渡した。そのグラブが石毛選手の守備を生き返らせ、87年、88年、91年~93年とサードで5度もゴールデングラブ賞に輝いた。
また2塁手では過去最多、8度のゴールデングラブ賞を受賞している辻発彦選手(現埼玉西武ライオンズ監督)のグラブも江頭さんが担当した。他球団の選手にもたくさんの愛用者がいて、興味深いエピソードは書ききれない。江頭さんはそんなプロ野球選手とのやり取りを通して、自身の守備理論も確立し、積極的に指導も行っている。
――柔らかさや大きさ、形などポジションによってグラブも細かく違いを要求されるんですね。プロ選手の使用していたグラブを見ると、黒ずんでいるところは決まっていますね。
「そう。網(ウェブ)がきれいでしょ。みんな網で捕ってない、手のひらで捕る。キャッチする場所で次の動作が変わるんです。グラブの奥側で捕ると、次の動作がコンマ1秒遅れる。それでセーフになる」(江頭さん)
――そういうことも選手と話しつつ、グラブの形も研究されるんですね。
「そうです。どの部分でボールを捕ることが多いか、どんなボールに対応したいか、辻とも、石毛とも話しましたよ。1塁でセーフになるかアウトになるかの勝負はコンマ1秒。コンマ1秒あると、打者走者はバット1本分(約84cm)も走ってしまう。だからグラブのなかでボールを捕る位置、右手で握る早さが重要。それを研究するために私も、家に帰ってテレビを見ながらでも、グラブをはめて、ボールを捕って投げるまでのトレーニングをするんです。目を瞑って体が覚えこむまでやり続ける。そのことがグラブ作りにも生かされるわけです」(江頭さん)
毎年同じグラブに仕上げるのが久保田スラッガーの職人技。
久保田スラッガーのグラブはこの「湯もみ型付け」までが価格に含まれている(型付け自体がサービスとのこと)。手にはめさせてもらうと、型付け前と後で感触が全く違い、同じ商品だとは思えない。型付け前の新品のグラブは硬すぎて、手を入れることさえ困難だが、型付け後のグラブはすんなり入るうえに、手にしっくりなじむ。その驚きの加工技術、「湯もみ型付け」の行程を見せていただいた。
① 湯漬け
お湯の温度は47度前後、人肌では熱いと感じる温度。ザブザブと漬ける。グラブを漬ける時間の長さも、季節や状況によって変わるので一定ではない。漬けすぎると柔らかくなりすぎ、その逆では硬くなる。職人としての経験が一番問われるところ。
② 型付け
クスノキの切り株でできた専用作業台の上で作業を行う。型を崩さないようにグラブの関節や可動部を丁寧に揉みほぐす。かなりの力仕事。
③ 小づちで叩いてポケットを作る。小づちは折れたバットを再利用して自作したもの。
④ 乾燥
専用の乾燥機にいれ、風をあてて乾燥させる。乾いたら取り出し、柔らかさを確認してスチーマーで温め、さらに揉みほぐす。理想的な柔らかさになるまで①~④を何度も繰り返す。
プロ選手からはやはり細かいオーダーが来ますかと尋ねると、「グラブそのものというより、結局は型付けが大事」と語る。「革は天然素材なので固さや手触りが毎年微妙に違います。それを型付けで同じになるように調整するわけです。違和感がないようにするには、型を付けて仕上げるのが『誰なのか』が重要になる。それぞれの担当者が技術を確立していないと、毎年同じグラブに仕上げるのは難しいでしょう」とのこと。革がどんな状態でも、同じ感触に仕上げる。それが久保田スラッガーの誇る職人技である。
――江頭さん、いまプロを目指して野球をやっている人、野球が好きな子どもたちにメッセージをお願いします。
「やっぱり努力やろね。みんな努力に努力を重ねてっていうけど、意味がよくわからんで言ってる人も多いんじゃないかな。グラウンド走るのも努力だけど、余計な話をしながら、というのはあかんよね。やっぱり人よりたくさんやる。黙々とやる。それしかないんじゃないかな。グラウンドに入れば、先輩も後輩もない。ただ走るだけでも、何のためにやってるのか、ちゃんと目的意識をもってやることが大事やね」(江頭さん)
――江頭さんありがとうございました。取材の前は、職人気質で気難しい方だったらどうしよう、と少し思っていましたが、お店についた時「よう遠くから来てくださったね」と優しい顔でおっしゃってくださり、有り難かったです。お話をうかがう中で、気遣いや心配りのできる穏やかさの中に、芯の強さや厳しさ、難しい要求にこそ応えようとする根気と職人魂、また何よりも野球への大きな愛を感じました。福岡支店のみなさまも、ご協力ありがとうございました。
取材協力:久保田運動具店 福岡支店
※記事の情報は2019年5月7日時点のものです。
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【PROFILE】
江頭重利(えがしら・しげとし)
1932年生まれ、佐賀県出身。佐賀商業高校卒業後、1952年(昭27)久保田運動具店に入社。1968年福岡支店長に就任し、現在は久保田運動具店の顧問を務めている。グラブの「湯もみ型付け」を生み出した。辻発彦、中村紀洋、松井稼頭央、本多雄一など数多くの名手がスラッガー製のグラブを愛用。温和な語り口と表情だが、木槌を握る姿は刀かじにも重なる。現在は後進の指導と、各地で講演や野球指導などを行っている。2012年厚生労働大臣による「現代の名工」表彰を受賞。2013年「黄綬褒章」を受賞。
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