【連載】Beaches! ビーチバレーと私
2025.05.13
西堀健実
中学ではじめてバレーボール日本一。人生で一番厳しい練習をした|西堀健実【連載③】
ビーチバレー選手の西堀健実さんが、バレーボールとビーチバレーにかけた青春の日々を綴ります。連載第3回はついに全国大会で優勝した中学3年生時代のお話です。
日本一になるのは私たちだ
日本一を目指し、入学した裾花(すそはな)中学校。1年、2年と先輩とともに全国大会の舞台を経験させてもらい、いよいよ中学最後の学年になりました。この頃は、県外の強豪校との練習試合で遠征したり、裾花中学バレー部OGや高校生のチームに相手をしてもらったり、シニアのクラブチームの大会に参戦し優勝するなど、日本一になるための準備を着実に進めていきました。
日々の厳しい鍛錬と、高いレベルの環境に身を置くことで、「日本一になるのは私たちだ」という自信が備わって、実際、3年生の時には県内では敵なしというチームになっていました。
予選を勝ち抜いて夏の全国大会への切符を手にした私たちは、日本一に向け最終調整に。大会の前は、暑さ対策のために上下長袖のジャージを着て練習しました。そしてこれは、1年生の頃からの慣例ですが、全国大会前の練習中は「ミュンヘンへの道」という曲を流し、試合に向けて気持ちを高めていきました。
この曲はミュンヘンオリンピック(1972年)の直前に放送されたテレビ番組「アニメドキュメント ミュンヘンへの道」の主題歌です。今でも、この曲を聴くと心が熱くなります。裾花中学校女子バレーボール部の卒業生はみんな同じ気持ちになるのでは。
悲しい出来事も進むための糧に
そして、大会まで残り少なくなったある日、とても悲しい出来事がありました。小布施スポーツ少年団から一緒だった選手のお父さんが、急逝してしまったのです。小布施スポーツ少年団の時から熱心に応援してくれていたお父さんで、みんなに愛されていました。
それでも、進むしかありません。お父さんのためにも日本一に、それが私たちの合言葉になりました。監督も、あえてその選手に同情はせず、手加減もせず、それまでと同じように厳しい指導を行っていました。それも優しさだったのだろうと思います。その選手は厳しい練習にも負けず、亡きお父さんに捧げる日本一のために頑張っていました。
監督の飴と鞭? 順当に重ねる勝利
そうして迎えた中学生活最後の全国大会。会場は岐阜県の岐阜メモリアルセンター長良川競技場の体育館でした。この年もとても暑かったのを覚えています。私たちはどのチームにも負ける気がしない、そんな自信をもって会場へ。
不安などという気持ちは、その時の私の中には存在していませんでした。とにかく日本一厳しい練習をしてきた、日本一厳しい監督の下で。その監督が、全国大会の時は一切怒鳴ることがありませんでした。普段は、水を飲むことも少なく、休憩すらほとんどなかったのに、全国大会ではスポーツドリンクを飲むことを許可され、自主性に任せてもらえ、自分たちの思うようにプレーすることができました。
今思うと不思議です。あれは飴と鞭とでもいうのでしょうか......。まんまと監督の術中にはまっていました。試合は順当に勝ち上がり、あと1つ勝てば日本一。いよいよ決勝戦です。
平成8年8月、第26回全日本中学校バレーボール選手権大会。スパイクを打っている背番号3が西堀さん
ついに日本一へ
小学生最後の全国大会の時とは違い、チームメイトの声も、応援の声も、よく聞こえました。全員が自信を持って、終始笑顔でプレーしていました。やることなすこと、全てがうまくいって、楽しくて仕方ありませんでした。
そういう時は、今までやったことのないようなプレーが出せたり、またそういう事をしてみようという発想が生まれるんですよね。いよいよ、最後の1点が近づいてきた時、もう少しで日本一という気持ちよりも、この試合が終わってしまうことが惜しいとさえ思いました。それくらい、抜群に調子が良かったのです。バレーボールが楽しかったのです。
そんな無双状態のまま、最後の1点が決まり、念願の日本一に。入学時に「日本一になる!」そう心に決めて歩んだ3年間。3年かかりましたがついにその思いが叶いました。この連載を書かせていただくと決まった時、ある方のツテで当時の大会の様子が書かれた雑誌の記事を読み返せることになりました。
バレーボールの技術向上と同じくらい大切なもの
そこに監督のコメントがこう書かれていました。
「100%の出来。持っているものを全て出し切ったと思います。楽しくバレーをしてくれました。今のメンバーが1年に入ってきた時、"日本一になろう"と誓い、目標を持ってやってきました。子供たちは立派でした」と。
選手全員のコメントには、監督への感謝の気持ちや、小学校の時には果たせなかった、日本一への誓い、達成の喜びといった熱い気持ちが溢れていました。中学3年間はとてもここでは書けないような内容の厳しい練習をしてきましたが、それでもみんな監督を心から信頼していました。
今では、そういう指導方法はナンセンスと言われてしまうでしょう。確かに時代は変わり、新しい考え方、指導方法があるのだと思います。ただ、私はこの時代にこういう指導を受けられたということを今でもとても誇りに思っています。
日本一のチームワークと、強固な信頼関係のもと、人生で初めての日本一をつかみ取り、亡くなった同期の選手のお父さんにも、最高の結果を届けることができました。後から聞いた話ですが、その選手は試合中にお父さんの声が聞こえたそうです。それを聞いて、みんなで泣いた記憶があります。お父さんも天国から応援してくれていたのですね。最後は、応援団と一緒に「ミュンヘンへの道」を大合唱。これも裾花中学校の伝統なのです。
私の中学校での3年間は人生で一番厳しい練習をして忍耐力を手に入れ、バレーボールの技術向上と同じくらい人間性が大切だということを知り、はじめて「日本一」を知った時代でした。
次回は、高校時代のお話です。
つづく
※記事の情報は2025年5月13日時点のものです。
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【PROFILE】
西堀健実(にしぼり・たけみ)
1981年生まれ、長野県中野市出身。身長171㎝。
所属:biid株式会社
経歴:小布施スポーツ少年団→裾花中学校→古川学園高等学校
得意なプレー:相手選手の観察
好きな言葉:一意専心
【2023年国内大会】
・ジャパンビーチバレーボールツアー2023
第2戦平塚大会 ガラナ・アンタルチカ杯 3位
第3戦渋谷大会 3位
・ジャパンビーチバレーボールツアー2023サテライト
第1戦横浜大会 3位
【2023年国際大会】
・アジアツアー
サラミオープン9位
・FIVB Beach Pro Tour 2023
Futures/Satun(サトゥーン) 9位
Futures/Seoul(ソウル) 5位
Futures/Geelong(ジーロング) 5位
【2024年国内大会】
ジャパンビーチバレーボールツアー2024
第8戦JBG須磨大会 3位
第9戦マイナビ松山大会旭食品杯 3位
【2024国際大会】
・アジアツアー
ヌバリオープン 9位
天津オープン 9位
ヌバリチャンピオンシップ 19位
・FIVB Beach Pro Tour 2024
Futures/Mollymook 9位
Futures/Coolangatta 9位
Futures/NUVALI 3位
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