ただ野球が好きだから。素晴らしき草野球の世界

スポーツ

草野球チーム「アペックス」〈インタビュー〉

ただ野球が好きだから。素晴らしき草野球の世界

あまり知られていませんが、「草野球」の競技人口は500万人とも言われ、実は日本国内で屈指の人気スポーツです。草野球の魅力とは何か? いま草野球に夢中になっている人に、お話を聞いてみました。

隠れた巨大な競技人口。草野球の魅力とは?

選抜高校野球が熱闘を終え、プロ野球、メジャーリーグも開幕。野球ファンにとっては待ち望んだシーズンですが、コロナ禍という試練に加え、野球界は競技人口の減少という問題も抱えています。スポーツの多様化に少子化が追い討ちをかけ、すでに年代によっては競技者数でサッカーに抜かれてしまいました。いま日本の野球人口は、プロ野球の約千人を筆頭に、小学校、中学校、高校、大学、社会人野球合わせて約50~60万人と言われています。


ところが実は、日本にはそれよりはるかに巨大な「野球界」が存在しています。一説では全国で500万人近くが楽しんでいるとも言われる「草野球」です。


隠れた巨大な競技人口。草野球の魅力とは?


週末ともなれば、夜明け前の早起きもいとわず多くの人たちが河川敷のグラウンドにやってきます。コロナ禍の今は、試合後みんなでちょっと一杯といったイベントがあるわけでもありません。ただ野球を1試合やって、終われば解散という純粋な集まりです。地域の試合から全国大会までレベルもさまざまで、日本軟式野球連盟主催の大会のほか、全国規模の私設リーグも次々と立ち上がって、活発に試合が行われています。


いったい草野球の何が、これほど多くの人を夢中にさせるのでしょうか。アクティオノート編集部は、本サイトで昨年紹介した冨山議慎さんが監督を務める「アペックス」の練習試合の日、早朝の河川敷グラウンドにおうかがいして、選手たちに野球との出合いや草野球の魅力について聞いてみました。




高いレベルの野球を経験して、上達したい

倉持仁一さん


倉持仁一さんは47歳の地方公務員。小学生のときに野球に興味を持ち、少年チームに入れてもらったのが野球との出合いだった。しかしそこでは、誰も野球のやり方を教えてはくれなかった。


「僕が打席に立つとチームメイトから『また三振か』とヤジられるんです。ノックも捕れない。そうすると監督が『オーイ、ああいうのなんて言うか知ってるかー』ってみんなに聞いて、みんなが『トンネルー!』って言う。しばらくして練習に行かなくなりました」(倉持さん、以下同)


「野球は好きだったんですが、中学でも、下の学年にもバカにされるのがイヤで、野球部に入る気はありませんでした。高校ではもっとレベルが上がるし球も硬いから、部活でやるという選択肢はなかったです」


できる子は楽しいが、できない子はできないままでいるばかりか、笑われる。倉持さんのような少年が野球に親しめる環境はなかった。それでも、野球はずっと好きだった。


20歳の頃のある日、友人と公園でキャッチボールをしていた倉持さんは、同じ公園でソフトボールをしていた人たちに、「チームに若者がいないから入ってほしい」と声をかけられ、ソフトボールを始めた。何気ないきっかけだったが、この日から少しずつ草野球にのめり込むことになる。


「運動靴じゃ動きづらいので、スパイクを買おうとスポーツ用品店に行って、店員さんと世間話をしたときに、本当はソフトボールじゃなく軟式野球をやりたいんだと言ったら、チームを紹介してくれたんです」


入ったチームは年2回の区民大会に出ていたが、それでは試合数が少ないから、メンバーの多くが別のチームにも入っていた。倉持さんも次々と複数のチームに誘われて、多いときは5チームを掛け持ちした。気がつけば、毎週末どこかで野球をやるようになっていた。


「どうせならうまい人がいるチームに入って、自分も上達したかったんです。でも、どのチームも週末に集まっていきなり試合するだけだし、どうすればいいのか聞いても、あまり野球を教えてくれる人はいなかった」


やがて就職し結婚した倉持さん。結婚するときに奥さんと、野球の参加チームは1つだけに絞ると約束した。


「1つに絞ったチームは、メンバー同士の気の合う、楽しむ野球をするチームです。そこでずっと続けていました。今でも野球を教えてくれています。でも、そのなかで自分は下手なほうなので、うまくなるために極端な選択をしました。それがアペックスです」


アペックスとの出合いは、いまから1年ほど前だった。


「チームにアペックスの冨山監督も来ていて、朝練に来ないかと誘われたんです。アペックスはすごいチームだと聞いていたので、自分はムリだと思ったし、1つのチームだけという約束もあったので、最初は練習だけ参加するつもりで、行ってみました。練習だけ参加して、そこでおいとまするつもりだったのに、そのまま『一緒にやりましょう』と声をかけてもらって、それで入ることになりました」


アペックスには高校時代に甲子園を経験した選手もいる。全国大会を本気で目指すチームだ。にもかかわらず、倉持さんにも丁寧に野球を教えてくれた。ただし、チームは集合時間も早く、ミーティングも欠かさない。遠征もある。


「家を長時間空けるし、妻には『そのレベルで通用するわけがない』と最初は反対されました。でも息子に、家族を顧みない父をどう思っているのか聞いてみたら、『そんなすごいチャンスがあるのに、それを逃す方がもったいない』と言われたんです。それで僕も、50歳までにすごいレベルの野球を勉強したい、人生最後の野球として教えてもらいたい、と心を決めました」


それほどまでに野球をやりたい理由は何なのだろうか。


「ただ......好きとしか言いようがないです。体力的にはすごくキツイですけどね。ボールの下を振ってると言われて、自分では修正しているつもりでも、身体がついていかない。自分を変えないといけないと思ってます」


チームは「全員野球」を掲げていて、倉持さんも試合に途中交代で出場する。ポジションは外野手。取材に訪れた日にはスクイズを成功させ、これがアペックスでの初打点となった。


「良いプレーができたときがうれしい。できなかったら悔しくて腹立たしい。ヒットになりそうな打球を捕れたりすると、みんなにウォーッと喜んでもらえる。そういうふうにみんなと喜びを共有できたときが一番です」




年間200試合、野球に全力投球

松島正和さん


不動産会社で働く松島正和さん(41歳)は、数多くの草野球チームを掛け持ちし、年間約200回を超える試合に出場している。


「最多は2年前の235試合ですね。土日のほかに、ナイターの試合にも出ています」(松島さん、以下同)


プロ野球チームが1年間にこなす公式戦とオープン戦を合せた数よりも多く試合に出場していることになる。ポジションは投手、外野手、内野手と幅広い。


松島さんは小学3年生のとき野球を始めた。ほどなく頭角を現し、中学生時代は軟式の部活と硬式のシニアリーグの両方で投手として活躍。長野県内の私立高校に進み野球部に入部。部員数130人、プロ野球で活躍するトップレベルの選手も輩出している強豪高校だった。


「高校には個々の能力が高い選手が多かったのですが、そのころは甲子園に出るまではいきませんでした。そのなかで自分は投手でしたが、1年生のときに故障してしまって、野球はそのときでやめてしまいました」


高校を卒業してから十数年の間、全くボールを握ることはなかった。不動産業の仕事に就いても野球とは無縁だったが、31歳のとき、ひょんなことから知人に呼ばれて、仕事仲間の野球大会に出ることになった。


「ぜんぜん身体も動かなかったけど、一度やったらもう火がついてしまって、やっぱりどうしても野球がやりたくなった。インターネットの草野球のサイトを見つけて、どこか野球チームに入れてくれ、という募集を出しました」


その募集に真っ先に返信をくれたのが、アペックスだった。


「早速その週の日曜日に体験として試合に出ました。試合後すぐにトミー(冨山議慎さん)に『じゃあ入団決定で』と言われて、うれしかったし、流れで入ってしまった。その一言がなかったら、いまのように野球をやるようにはなってなかったと思います」


草野球とはいえ、アペックスは真剣度が違った。長年オフィスでデスクワークの日々を送っていた松島さんの身体はすっかり鈍り、アペックスでプレーできる状態ではなかった。


「体験で呼ばれた日に1~2イニング投げたと記憶していますが、そのあと1週間くらい、ずっと上半身も下半身も筋肉痛でした。これじゃまずいと思って、試合数をこなさないと上達しないから、いろいろなチームに登録したんです。さらに別のチームの助っ人にも行って、アペックスで試合に出られるような体力作りと、感覚を取り戻していきました。半年くらいたったところで、ようやく身体ができてきました」


かつての感覚を取り戻すためにより多くの試合に出たい。ただその思いから年間200試合に出るまでに。投手として投げられないときは、打撃に専念して出場する。いまでは野球が生活の一部となり、自分の時間は野球に全力投球している。


「高校までは、野球は『やらされている』感がありました。いまは完全に自分からやっているのが大きな違いです。いまは僕も部員の募集をやる立場になっているので、助っ人先でスカウトもしています。チーム全体で勝ちにこだわる野球をやって、勝つ。その達成感が楽しいですね」




甲子園と勉強と。いまも野球が楽しい

青木友宏さん


腕自慢の集まるアペックスのなかでもひときわ目を引く、華麗な球さばきの若者がいる。大学2年生の青木友宏さん。高校生だった一昨年、夏の甲子園に内野手として出場した経験を持つ選手だ。


「兄の影響で、小学2年生のときに野球を始めました。中学は、硬式のシニアリーグに入ると送り迎えなどで母にかかる負担が大きかったので、それなら野球部の強い中学で真剣に野球をやりたいと思って、強豪として知られていた東京の世田谷区立八幡中学を選んで進学しました」(青木さん、以下同)


その八幡中学野球部の当時の監督が、いまのアペックス監督、冨山議慎さんだった。中学で3年間、冨山監督に鍛えられ主将も務めた青木さんには、野球の強豪高校からスポーツ推薦入学の誘いも来るようになった。


「でも僕は野球も勉強もどちらもやりたかったので、高校は普通に勉強で入ると決めていました。中学3年生で部活を引退してから半年間、塾に通いました」


受験したのは、野球の強豪校でもある国学院久我山高校。野球部はプロ野球やメジャーリーグで活躍した井口資仁さんをはじめ、多くのプロ選手を輩出している。スポーツ校のイメージもあるが、勉強の面にも力を入れる文武両道、超難関の進学校だ。青木さんはその国学院久我山に見事合格を果たし、野球部に入部する。


スポーツ推薦のある強豪校では、一般入試組の部員がレギュラーの座を獲得するのは難しい。


「1年の時はケガをしてしまって、2年の夏からベンチ入りしました。3年生の時に念願の夏の甲子園に出ることができました」


2019年夏の全国高等学校野球選手権大会。意外だが、ラグビー、サッカー、バスケットボールなどで全国大会レベルにある国学院久我山にあって、野球部は、それまで春夏合わせ甲子園で1勝もあげたことがなかった。


チームは悲願の甲子園初勝利に向け一丸となった。青木さんも正3塁手として出場。1回戦の前橋育英戦で、2点ビハインドから反撃の口火を切る安打を放ち、この日のチーム初得点を踏む。そこからチームは連打で逆転し、創部以来初の甲子園での勝利をあげる。


「でも2回戦の敦賀気比には敗けてしまいました。やはり全国は甘くなかったです。それでも甲子園で勝つという目標はみんなで達成できた。僕は弁護士になるという夢があるので、甲子園から戻って、受験勉強を始めました」


3年間の野球部生活で鍛えた持ち前の集中力で、大学受験では、法曹界に多くの人材を輩出する名門、中央大学法学部に合格。入学後は、コロナ禍のリモート授業をこなしながら、冨山監督に誘われて、アペックスに参加するようになった。


「僕の高校のときのことを知ってる人からは、なんで大学でも野球をやらないのって言われますけど、自分のなかでは甲子園で勝てたことでキリがついたので、大学でも野球をしようとは思いませんでした。それよりそろそろ法科大学院進学に向けて勉強が忙しくなります。アペックスは、厳しかった高校野球とは違いますが、いろいろな人たちが集まって、やっているのが楽しい。時間が許す限り、このチームで続けたいと思っています」


チームのメンバー



草野球のチームには、監督や先輩の強要もなければ、地域や家族の過度な期待もありません。純粋に野球を楽しみたい、究めたいという思いを持った、野球への関わり方や思いも様々な人たちが、あくまで自分の意思だけで集まって野球をやっています。スポーツの本当の良さが、そこに凝縮されているような気がしました。たとえ野球人口が減っても、この草野球文化は次代にしっかり受け継がれていくのではないでしょうか。みなさんのお話を聞いた後、清々しい思いでグラウンドを後にしました。(アクティオノート編集部)


インタビューの中で名前の出てきた野球チーム「アペックス」とその監督、冨山議慎さんについては、「野球と歌で『笑顔の連鎖』を起こしたい」をお読みください!


※記事の情報は2021年4月20日時点のものです。

  • プロフィール画像 草野球チーム「アペックス」〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    草野球チーム「アペックス」
    社会人や学生が参加して横浜市を拠点に活動する草野球チーム。監督は都内の中学校野球部監督、高校野球部監督などを務め、ミュージシャンとしても活動する冨山議慎さん

    草野球チーム Apex(アペックス)
    https://www.youtube.com/channel/UCsQqMneVGYNE9foRmkLu2eA

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