バレーボールと学業を両立。憧れの高校生活がスタート|西堀健実【連載④】

【連載】Beaches! ビーチバレーと私

西堀健実

バレーボールと学業を両立。憧れの高校生活がスタート|西堀健実【連載④】

ビーチバレー選手の西堀健実さんが、バレーボールとビーチバレーにかけた青春の日々を綴ります。長野県内の中学校で日本一を経験した西堀さんが進学先に選んだのは、宮城県のバレーボール強豪高校でした。

宮城県の強豪「古川商業高等学校」へ進学

小学校で果たせなかった日本一という目標を中学校で達成。その後、進学先の高校を考えはじめた時、ありがたいことに、県内外の高校よりお誘いを受けました。


お話をいただいた学校はどこも魅力的で、最後まで迷っていました。そろそろ決めようと思っていた矢先、宮城県にある強豪校から練習見学のお誘いをいただきました。


それが、後に進学する古川商業高等学校(現:古川学園高等学校)でした。当時の女子バレーボール部の平均身長が180cm以上と、超高校級の選手たちを名監督と名コーチが指導しているという事前情報を聞き、双子の妹と一緒にはやる気持ちを抑えながら遠路、長野県から東北は宮城県へ。古商(古川商業高等学校の愛称)の体育館の玄関を入ると、早速ボールの音が聞こえました。


中に入ると、本当に高校生なのかと疑うような選手たちが練習をしていました。まず、とにかくデカい。そして上手い。そして優しい。見学だけのつもりでしたが、一緒に練習をさせていただけることに。夢のような時間は、一瞬にして過ぎ去り最後に選手から「一緒にやろうね!」という言葉をいただき帰路につきました。


長野に帰るまでに、もう気持ちは決まっていました。あのメンバーの中でバレーボールがしたい! ただ、後に聞いた話ですが、妹はすぐに試合に出ることになるだろう、しかし、私はすぐに試合に出るのは厳しいし、もしかしたら3年間レギュラーになることも難しいかもしれないということを、古商の監督から、裾花(すそはな)中学校の監督へ伝えられていたそうです。


しかし、裾花中学校の監督が「あの子たちは2人だから力が発揮できるのです、2人で採ってあげてください」というお話をしてくださったということでした。


この話は、入学して随分時間が経った後に知らされたと記憶しています。ただ、入学前にこの話を私が知っていたとしても、古商に入学したいと言ったでしょう。


そのくらい、古商バレーボール部の虜になっていました。宮城から帰った後も、気持ちは変わることなく、裾花中学校を卒業し古商に入学しました。高校ではじめての寮生活を送ることになりました。




はじめての寮生活

寮は監督のご家族のお住まいの横にありました。中学校時代は毎日8人分の朝食、昼のお弁当、夕飯、そして毎日の洗濯も私の母が担ってくれていましたが(今思うと本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです)、高校では基本的に食事、掃除、洗濯は選手たち自ら当番を決めて行うシステムでした。


まずは色々なルールを覚えることから始まりました。部屋割は各学年1人ずつ同部屋の3人部屋。部屋の上級生が下級生にさまざまなルールの指導を行いました。とはいえ、理不尽に厳しい上下関係はなく、常識の範囲内で礼儀が必要という感じでした。


練習の厳しさは覚悟してしまいましたが、月に何度も長野に帰らせてもらえたし、ボールを触る時間もとても短時間でした。その代わり、練習の一つひとつのクオリティを上げて、練習の効率を上げること、それに対しては綿密なミーティングをして、お互いに厳しさを持って取り組みました。




徹底した効率化。今にも通じる教え

そしてそれが可視化できるように、常にプレーは数値化され、日々の目標、大会までの日めくりカレンダーをつくり、大会毎の目標を設定して、部屋の見えるところに掲げていました。厳しい練習には免疫があったのですが、ミーティングなど練習以外のことははじめての経験でしたので、慣れるまでにとても苦戦しました。


中学時代はバレーボールの基礎スキルと、いわゆる根性ともいうメンタル面を鍛えられましたが、高校時代は日々の生活、練習に対しての効率を重視していたように思います。ミーティングは効率を上げるためにも、勝つためにもとても重要でした。チームは一つの小さな社会という感じでした。時に理不尽なことがあっても、自分の力と日々の積み重ねで信用を獲得していく、そうすることで自分の居場所を獲得する、それは私生活でもコートの上でも同じでした。


今でもすごかったと思うのは、自チームの縁起のいいコートや応援席を必ず確保する作戦、試合中に食べる栄養食は毎回同じで、食べる時間を逆算してどんな地域であっても必ず手配する。さらに、それを代々受け継いでいくための人材を育成するシステム、ここは高校生以上のことをしていたように思います。常に何歩も先を見て、言われる前に完璧にしておく、タイミングも完璧にしておく。決めたことは絶対にミスをしない、ミスをさせない。本当に徹底していたと思います。


常に何歩も先を見て準備をすることは、試合に出るまでのエントリーや航空券、宿泊の手配など何もかも自分でしなくてはいけないプロのビーチバレーボール選手としてのその後の生活にも役立っています。信頼は自分で築くものであること、事前に決めたことはミスをしない、させない遂行力は、試合でパートナーを生かす必要があるビーチバレーボールでは特に大切なことです。




必死に勉強した高校時代

そして、学校生活も大切でした。バレーボール部は古商の看板を背負っている、生徒の鏡でなくてはいけない、生徒の模範となるような行動はもちろん、学業の成績は必ず上位にいなければならないという、私にとってはとても過酷な条件もプラスされました。決められた順位以下だと、遠征に帯同させてもらえないという暗黙のルールが存在しました。


テストの前はしっかり勉強する時間もあったので、必死に勉強しました。常に言われていたのが、「試合の結果は試合をする前から決まっている。普段の練習、生活態度の積み重ねが結果に反映される」ということでした。試合になったらどうせやるでしょなんて、付け焼き刃な努力じゃ、勝てないということですね。




1年生キャプテンに抜擢

コーチからもよくこう言われました。「安いメッキはすぐに剥がれる。ちゃんとやっている振りをしても、本気じゃないことはすぐにばれるし、大事な試合の大事な場面では力を発揮できない」ということ。憧れの場所で、盛りだくさんのはじめてを経験しているうちに、すっかり古商バレーボール部の一員として馴染んでいくのでした。


高校1年生の秋、私はレギュラーを獲得し、なんとキャプテンに抜擢されました。キャプテンを任されたのははじめて。1年生ながら、上級生にも厳しいことを言わねばならず、具体的なキャプテン像も分からず......でも、やるしかありませんでした。


時には厳しい先輩からの丁寧な指導もあり、同期と後輩にも恵まれ、古商に決めて良かったと思わせてくれる瞬間があったから頑張ることができました。高校でも1年生、2年生と全国大会決勝の舞台を経験させていただきながら、高校最後の年を迎えます。


次回は、高校3年生のお話になります。


つづく


※記事の情報は2025年6月17日時点のものです。

  • プロフィール画像 西堀健実

    【PROFILE】

    西堀健実(にしぼり・たけみ)

    1981年生まれ、長野県中野市出身。身長171㎝。
    所属:biid株式会社
    経歴:小布施スポーツ少年団→裾花中学校→古川学園高等学校
    得意なプレー:相手選手の観察
    好きな言葉:一意専心

    【2023年国内大会】
    ・ジャパンビーチバレーボールツアー2023
    第2戦平塚大会 ガラナ・アンタルチカ杯 3位
    第3戦渋谷大会 3位
    ・ジャパンビーチバレーボールツアー2023サテライト
    第1戦横浜大会 3位

    【2023年国際大会】
    ・アジアツアー
    サラミオープン9位
    ・FIVB Beach Pro Tour 2023
    Futures/Satun(サトゥーン) 9位
    Futures/Seoul(ソウル) 5位
    Futures/Geelong(ジーロング) 5位

    【2024年国内大会】
    ジャパンビーチバレーボールツアー2024
    第8戦JBG須磨大会 3位
    第9戦マイナビ松山大会旭食品杯 3位

    【2024国際大会】
    ・アジアツアー
    ヌバリオープン 9位
    天津オープン 9位
    ヌバリチャンピオンシップ 19位
    ・FIVB Beach Pro Tour 2024
    Futures/Mollymook  9位
    Futures/Coolangatta 9位
    Futures/NUVALI 3位

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