ラグビー日本代表の心を鍛え、躍進を支えたメンタルコーチ

AUG 6, 2019

荒木香織さん 園田学園女子大学教授〈インタビュー〉 ラグビー日本代表の心を鍛え、躍進を支えたメンタルコーチ

AUG 6, 2019

荒木香織さん 園田学園女子大学教授〈インタビュー〉 ラグビー日本代表の心を鍛え、躍進を支えたメンタルコーチ ラグビー日本代表のメンタルコーチとして、2015年W杯での日本の躍進を支えた荒木香織園田学園女子大学教授にお話をうかがいます。〈前編〉では、アスリートとして青春時代を過したのち、選手を支えるスポーツ心理学の道に進むに至った、ご自身のこれまでを振り返っていただきます。

2015年9月19日(日本時間20日未明)、イングランドで行われたラグビーW杯で、優勝経験2回を誇る南アフリカを打ち破った日本代表の勇姿は、日本国内はもちろん世界中のラグビーファンの心に深く刻まれた。ラグビーという最も番狂わせが起きにくいとされる競技での日本の勝利は「全スポーツ史上最大のアプセット(番狂わせ)」とまで称された。W杯3勝の大健闘。チームを厳しく鍛え導いたエディ・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)とともにクローズアップされたのが、選手の心を鍛え支えたメンタルコーチ、荒木香織さん(園田学園女子大学教授)の存在だった。ラグビー日本代表を支えたメンタルトレーニングとは何なのか。いま荒木教授が教鞭をとる兵庫県の園田学園女子大学を訪ねた。



「もったいない」と言われ続けたスプリンター。一念発起しアメリカへ

学生時代は京都の中学、高校で、そして東京の大学でも陸上競技短距離のトップレベルの選手として活躍していた荒木教授。はじめに、スポーツ心理学の道を選ぶに至るまでを、お話しいただいた。

―― 荒木先生のスポーツとの出会い、そしてスポーツ心理学の道を志すまでについて、お教えください。

私は中学1年生のときに陸上競技を始めましたが、中学、高校、大学と毎年全国大会に出ていました。でも日本一になったことはありません。記録的にはなれなくはないのに、大会になると成績はそれほど良くはなかった。

周りの人には「チャンスをなぜ掴みにいかないのか。もったいない」と言われました。「気持ちが足りない」とか、「自分が一番になりたいとは思わないのか」と。

同じ練習をして同じもの食べているのに、先輩も同級生も後輩も、日本記録を出したり世界大会に出ていったりする。それだけの資質が私にあったのかは疑問ですけど、その違いはなんだろうなと思っていました。


「もったいない」と言われ続けたスプリンター。一念発起しアメリカへ

大学のときの陸上競技部の監督が、なぜかはわからないのですが、私ともう一人の同級生を、1年生のときからずっとアメリカに連れていってくれていたんです。監督は全米の大学を陸上競技のコーチに会いに回るのですが、とにかくいろんな大学に行きました。

アメリカの学生に交じって私たちも走りました。ヒューストン大学では、カール・ルイスとも一緒に練習したんですよ。ところが、カール・ルイスがいるのに、英語が話せないので訊きたいことを何も訊けないんです。監督みたいに英語が話せたら世界は広がるんだろうな、と思ったことはあります。

大学を卒業して京都に戻って、私立の高校に保健体育の非常勤教師として就職しました。氷河期と言われる時代でしたから、就職できたのは上出来です。陸上競技部の顧問として生徒と一緒に走りながら、保健体育の教員をやりました。ただ、自分のやりたいことと少し違うなと思いました。

そのとき大学時代を振り返ってみたら、せっかく貴重な機会をもらっていたのに、自分はあまり学習をしたという憶えがなかった。これから勉強しないと人生きっと大変なことになると思って、自分で決めて、アメリカに行くことにしました。

とはいえほぼ大学を卒業したての23歳です。「スポーツ心理学を究める」というようなクリアな目標を持ってアメリカに行ったわけではありません。英語くらい話せたら外国人とお友だちになれるかもくらいに考えていました(笑)。本当にそれくらいの感じです。

両親には、1年間だけ授業料と生活費を出すから、それで帰ってきなさいと言われて、じゃあ1年間行ってきます、と言って渡米したんです。それが、8年になりました。

1年間行ってきます、と言って渡米したんです。それが、8年になりました。

米国で学び続けたスポーツ心理学の魅力

語学学校で1年間学んで帰国する当初の予定が、ノーザンアイオワ大学大学院での修士課程、ノースカロライナ大学大学院グリーンズボロ校での博士課程と、アメリカでの勉強は長期にわたった。生活費は常にギリギリ。食べものにも苦労し、一日の食事をインスタントラーメン一袋で我慢する日も多かった。

―― 学費はどうされたのですか。

親に学費と生活費を出してもらったのは、約束通り1年間だけです。1年で帰国すると言ったら語学学校の先生に「もったいない、もうちょっといたら」と言われて、その先生に推薦状を書いてもらって、あと1枚を陸上競技部時代の監督に書いてもらって、大学院に受かりました。アメリカでは大学院生が学部生に授業を教えたら大学から給料がもらえて、授業料も無料になるシステムがあるので、それに挑戦して勝ち取りました。

大学院の面接で、日本で保健体育の教員免許を持って教員をやってきたと言ったら、じゃあ保健体育の授業ができるんですね、ということになって、はじめは体育実技の授業です。それなのに最後の年には、教室でアメリカ人の学生にスポーツ心理学や統計学を教えるまでになっていました。自分がやったことだとは思えません。

―― 8年間もアメリカで続けることになったスポーツ心理学という学問の魅力は、どのようなものですか。

すべてが理にかなっていたことです。日本にはよく競技者が使う「意識を高く持つ」とか「試合に気持ちを持っていく」など、意味のわからない言葉がいっぱいあって、それっぽいけれど実は何も示していない言葉をずっと使って競技をしています。いまメンタルトレーニングでは、「きっちりやる」とか「最後は気持ち」とかも全部ダメですと言います。なんのことか全くわからない。

試合の前は「気持ちを高めて集中」などと言われますが、気持ちを高めるって、どこが高くなるのか。集中は、どうやったら何に集中することになるのか、それらの言葉が示すものは何もわからなかった。でもスポーツ心理学は、すべてが理論や研究に基づく理にかなったものでした。

私は、この理論を当てはめる実例をあげましょうというテストはいつも点数が良かったんです(笑)。ダメな例もいい例も、自分の競技経験があるから、あれのことや!ってわかりました。やがて、自分が経験してきたこと、指導者が私たちに伝えようとしてきたことも、あの教え方は間違っているな、と考えるようになったんです。一例をあげると、自分は力を発揮したいときにいつも「リラックス」と言われてきましたが、スポーツ心理学を勉強してみたら、リラックスしていいことなんてひとつもありません。

2015年のラグビーW杯で、日本代表の初戦、南アフリカ戦の前のミーティングの時も、選手たちに言ったのは「リラックスしないで。緊張しているのはいいことです。たくさんのお客さんに観てもらって、全力を発揮したいと思うからドキドキするんだから、それを遮ったり、なかったことにしないで、それをエネルギーに変えて精一杯いきましょう」と言ったんです。そうしたみんなが「そうだ」みたいになって。あそこで「みなさん、リラックスしていきましょう」なんて言っていたら負けていたかも知れない。ラグビーでリラックスしていたら、タックルされて骨が折れてしまいますよね(笑)。

いえ、職業にしたくても働ける場所がありませんでした。

―― アメリカでの博士課程を終えてから日本に帰国して、すぐにスポーツ心理学を生かした職に就いたのですか。

いえ、職業にしたくても働ける場所がありませんでした。アメリカから帰ってきましたといっても、大学では誰も雇ってくれない。それで帰国したときは、最初に就職した高校でまた臨時に雇ってもらいました。この8年間は何だったのだろうと思いましたけど。

その後、早稲田大学の助手をしながら講師の道を探したのですが、日本中ぜんぶ落ちました。書類を出すけど落ち続けて、一つだけ面接にいったけれどそれも落ちて。シンガポールの大学にだけ受かって、それでシンガポールに専任講師として行きました。博士課程を卒業してから定職を得るまでに7年くらいかかっています。

―― シンガポールでもスポーツ選手にメンタルトレーニングをやられたのですよね。

セーリングの代表チームです。北京オリンピックに行きました。そのときは出場自体が初めてで、成績は良くなかったですが、いまシンガポールは強いですよ。国をあげてセーリングを盛り上げています。

シンガポールには2年間いて、帰ってきてからまたニートです。ぶらぶらしつつ職を探して、2008年に兵庫県立大学が雇ってくれました。帰国後はじめて日本でちゃんとしたお給料をもらいました。


帰国後はじめて日本でちゃんとしたお給料をもらいました。

帰国後初の定職、そしてラグビー日本代表との出会い

兵庫県立大学で教鞭をとっていた2012年、日本ラグビー協会から、代表チームのメンタルコーチを探しているという電話がかかってきた。英語と日本語が使えるスポーツ心理学の専門家で、ラグビーチームのコンサルティング経験がある人という条件が合致していた。東京で行われた面接ではじめて日本代表のエディ・ジョーンズHCに会い、合宿見学とレポート提出を経て、正式にメンタルコーチとしての採用が決まった。

―― メンタルコーチとしての4シーズンにはいろいろなことがあったと思いますが、いちばん思い出に残っているのはどのようなことですか。

W杯に行くメンバーに残れるかどうか微妙だった選手との取り組みです。

一日一日が瀬戸際というところで選手と話しました。ここで行けても行けなくても、自分としてどんなプレーを続けていきたいのかというところに焦点を当てながら毎日過せば後悔することはない、と話したんです。

結局、31人のメンバーにその選手は残れませんでした。W杯の後で当時の所属チームを出ると聞いたときは一瞬、ラグビーをやめるのかなと思ったのですが、いま別のチームで主将までやっている。2年くらい経ってから「あのときに話してくれたから僕はラグビーを続けられています」と言ってくれました。

競争だから落ちていく選手はいます。そのときダメだったと落胆するのか、ダメかもしれないけどその経験をどのように生かしていくのか。私はその一所懸命さをどうやって引き出して先につなげてあげられるのか。全力を尽したんだけどW杯に行けず、懸命に私と話をしてくれた選手のことが、いちばん印象に残っています。

〈前編終わり〉


※記事の情報は2019年8月6日時点のものです。


後編〉では、スポーツ心理学に基づくメンタルトレーニングの実例について、荒木教授にお話をうかがいます。

  • プロフィール画像 荒木香織さん 園田学園女子大学教授〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    荒木香織(あらき かおり)
    京都市生まれ。園田学園女子大学人間健康学部教授。京都女子中学・高校から日本大学文理学部在学中は、陸上競技短距離選手としてインターハイ、国体などに出場。その後、スポーツ心理学を学び、ノーザンアイオワ大学大学院で修士、ノースカロライナ大学大学院グリーンズボロ校で博士課程を修了。エディ・ジョーンズHCに請われて、2012年から2015年までラグビー日本代表のメンタルコーチを務めた。著書「ラグビー日本代表を変えた『心の鍛え方』」(講談社+α新書)。

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