アート
2025.10.07
野沢直子さん 芸人〈インタビュー〉
野沢直子|60代になっても変わらない"自分らしい生き方"
60歳を過ぎた現在、「60歳を過ぎたら肩の力が抜けた」と笑うお笑いタレントの野沢直子(のざわ・なおこ)さん。人気絶頂だった28歳の時にアメリカへ渡り、バンド活動、子育て、離婚、借金、アルバイト生活などと、波乱に満ちた日々を経てなお、軽やかに生きる姿が印象的です。「我慢しない」「会いたい人とだけ会う」「好きな服を着る」。他人に合わせるのではなく、自分らしさを大切にするその姿勢に、シニアライフの時間をどう過ごすか悩んでいる方へのヒントをうかがいました。
文:吉田 彩乃 写真:吉澤 健太
60歳になって、"第3の人生"が始まった。野沢直子流シニアライフ
――還暦を目前に控えた2022年に出版された著書「老いてきたけど、まぁ〜いっか。」 (ダイヤモンド社)では、「この先は第3の人生」「自分のためだけに時間を存分費やしてもいい」と書かれていました。60歳を過ぎた今、気持ちや生活で変わったことはありますか。
肩の力が抜けたような気がしていて、細かいことが気にならなくなり、開き直れるようになりました。いい意味で加齢の影響もあるのかもしれませんね。「今食べているこのご飯が美味しければ満足」「外に出て、空が青く晴れていれば幸せ」みたいな、そんな心境に自然となってきました(笑)。
――本を書いたことで気持ちが整理された面もあるのではないでしょうか。
そうですね。書くことがセラピーのようになって、気持ちを整理できたのかもしれません。年齢とともに感覚が鈍っていくのは当たり前だし、そこを考えてもしょうがないと思えるようになりました。努力して気の持ちようを変えたわけではなく、自然と気持ちが切り替わってきた、という感じですね。
本の執筆をしていた頃はちょうど60歳になる手前で、「物忘れがひどくなったな」「若いアイドルの顔が区別できなくなってきたな」「世の中で流行っていることが理解できなくなってきたな」とマイナス面ばかり目についていた時期でした。落ち込む、というほどではないけど、「あー、歳を取ってきたなぁ」という気持ちが大きくなっていたんです。
49歳、59歳のように年代が切り替わる時期は不安になりやすいのかもしれないですね。思い返せば突然アメリカに渡ったのも28歳で30代目前だったし、境目の年齢の時って、その先の人生を考えて「これでいいのかな」と思ってしまうものなのかもしれません。今はそれがふっきれた気がしています。
――自然と心境が変化し、シンプルな幸福感に気持ちがシフトしてきたのは素敵ですね。
今年、一番下の子どもが自立して家を出て行ったことも大きく、「これからの人生は、自分のためだけに過ごすぞ」とフォーカスできるようになりました。
だから、人間関係で、「会いたくないけど会わなきゃいけない」みたいな人は切るようになりましたね。会いたいか会いたくないかの決め手は「一緒にいて楽しいか」。若い頃は「あまり会いたくないけど、この人といると自分が向上できそう」ということを気にした時期もありましたが、今はもうそういう余計な人付き合いはどうでもよくて、笑い合える人と一緒にいることが大切。そうじゃない人との付き合いは極力バッサリ切ってます(笑)。
人生の残りの時間は短いですし、しがらみを気にしているのは、時間がもったいないなって思うんです。一緒にいて楽しい人たちとの時間は宝だから、そちらを大事にしたい。
――年齢を重ねるごとに我慢をしなくなってきた感じでしょうか。
もともと、若い頃から我慢はあまりしない性格でした。やりたくないことは避けて通るタイプ。歳を取るにつれてその傾向が加速している気もします。
ストレスを感じることもあるけど、切り替えが早い。それに、日々のスケジュールに楽しいことをいっぱい入れていると、自然とイヤなことを忘れられます。自分の機嫌の取り方がうまいんです。好きな映画や本でスイッチを切り替えることもありますよ。
――いつもカラフルな洋服を着ている印象があります。服選びについて教えてください。
昔からずっと、好きなものを着ることを大事にしています。子どもが生まれても、それは同じ。学校行事などTPOに合わせて洋服を選ぶ、ということは一度もなかったですね。骨盤がプリントされたTシャツや、昔のプレイボーイ誌の表紙をモチーフにしたヌード系のプリントの服を着て、子どもたちの学校までお迎えに行ったこともあります。子どもたちから「恥ずかしいからやめて」と怒られても、やめなかった。そうするうちに子どもたちも「これがお母さんなんだから、仕方ない」って受け入れて......いや、諦めてくれるようになりました(笑)。
――そこまで洋服にこだわる理由はなんですか。
着ることで「自分になれる」。本当の自分、なりたい自分に近づける、というのはあると思いますし、自分のアイデンティティのような感じですね。形から入るって意外とラクだし重要。派手な服を見つけると、とりあえず買っています。持っている服は全部、派手。
結婚、子育て、離婚......。30年以上の海外生活で今が一番楽しい
――これまでの人生を振り返って、「やってよかった」と思っていることはありますか。
1991年にニューヨークに渡る決断をしたことですね。本当に突発的な決断で、決意してから半年も経たないうちに渡米しちゃった。所属している吉本興業には「1年で帰国する」と言って許可をもらったのですが、本当は最初から「そんなに早くは戻らないな」と思っていたんです。
――ウソをついてでも、ニューヨークに行きたかった理由があったのですか。
自分の芸を磨くための勉強をしたかったんです。日本にいたら、どこに行っても自分のことを知っている人がいるし、毎日スケジュールも入っていて、勉強する場所も時間もない。私のことを誰も知らないところに行くしかないと、あの時は思ったんですよね。
ニューヨークという場所を選んだのは、単純に当時の流行りです。1980年代後半に流行っていたドラマでは、主人公が人生に迷ったり困ったりしたら、ニューヨークに行っていましたよね。その影響です。
――1980年代後半の野沢さんの活躍は華々しく、レギュラー番組を何本も抱え、まさに人気絶頂の中での渡米でした。そういう状況を手放せる人はなかなかいないので、そんな自由さに憧れる人も多いのではないでしょうか。
自分ではそこまで意識していなくて、ただ「行きたい!」と思ったから行ってしまっただけでした。でも確かに、周囲には驚かれましたね。「どうしちゃったんだ?」と。
そんな中、テリー伊藤(テリー・いとう)さんだけが「お前、いいよそれ」と言ってくださったんです。当時のテリーさんは、演出家・伊藤輝夫(いとう・てるお)さんとして活動されていたのですが、「最初は面白い人も、スタジオと飲み屋の往復になっちゃうとつまらなくなるもんな。違う景色を見るのって、すごくいいと思うよ」と背中を押してくれて。後から考えると、あの時期に渡米して本当に良かったなと思います。正しい選択でしたね。
――渡米後、30代はどんなふうに過ごしていましたか。
渡米してしばらくは、英語の学校に通いながら「オープンマイク」という飛び入り参加自由のライブに出たり、メトロポリタン美術館の前で大道芸をしたりして過ごしていました。そのうちに仲間ができて、1992年に「チンパンジーズ」というバンドを結成。同じ年に、バンドメンバーのアメリカ人男性と結婚しました。すぐに子どもが生まれて、育児もスタート。その後、1996年に全米ツアーに出たのはいい思い出ですね。
――幼い子どもを連れて、全米ツアーを敢行! ものすごいバイタリティですね。
今思えば、ずいぶん無茶なことをしました(笑)。生後5カ月の赤ん坊と2歳児を連れてよくやったな、と思います。でも、おかげで人生観が変わりました。車に乗って家族で全米を横断したので、アメリカの大きさを肌で感じることができたんです。とても楽しかったし、あの時にしかできないことをやれたな、と思っています。
渡米した時もそうでしたが、「やりたい」と思ったら迷わずやる。その姿勢は昔からずっと変わりません。だから、過去を振り返ってみて「30代、40代でこういうことをしておけばよかった」という後悔もあまりないですね。
――その後、40代はどのように過ごしましたか。
30代後半で3人目の子どもが生まれて、40代は子育てに集中していました。アメリカは学校までの送り迎えが必須ですし、サッカーや空手、ダンスなど子どもの習い事も多かったので、とにかく忙しかった。
夫はバンドをやめて、看護師になるために大学へ6年間通っていました。その間、私は父が経営する会社の役員になり、その他に日本のメディアの仕事をしたりしながら、どうにか生計を立てていました。
――近年の野沢さんといえば、「出稼ぎ」と称して毎年夏に帰国してメディアのお仕事をされているイメージが定着しています。一部のメディアでは「『野沢直子』は夏の季語」「夏の風物詩」とも言われるほどの人気ですが、この「出稼ぎ」スタイルはいつ頃からどのようにして始まったのでしょうか。
夏に日本で集中的に仕事するようになったのは、40代くらいからです。渡米してから最初の数年は、日本のテレビの仕事はほとんどしていませんでした。でも、その間も吉本興業が籍を置かせてくれていたんです。
子どもが学校に通うようになると、アメリカの学校の夏休みが2カ月くらいと長期間なので、その間日本に里帰りするようになって。その時期に、吉本興業から「テレビに出てみたら?」と声をかけてもらったのがきっかけで、毎年夏になると帰国して猛烈に仕事するスタイルができあがっていきました。
帰国中は、スケジュールが合わないなど余程のことがない限り、どんな仕事でも引き受けています。現場が好きで、どんな現場でも行くと楽しくなっちゃう。もともと人前に出ること、人と話すことが好きなので、この仕事は本当に自分に合っています。
――近年は吉本興業に所属する芸人さんが渡米することも増え、ロサンゼルスに「よしもとエンターテインメントUSA」も設立されました。野沢さんはいわばその草分け的存在でもありますね。
そうですね。当時は私の他に誰もいなかったのでアメリカに拠点はありませんでしたが、それでもずっと吉本興業に在籍させてもらっていたことに、今でもとても感謝しています。そのおかげで、「出稼ぎ」ができているので。
当時の東京事務所の所長が、私の渡米をおおらかに受け止めてくださったのは大きかったです。1年で帰ってくるとウソをついた時も「頑張ってこい」と見送ってくれました。その1年半後に「アメリカ人と現地で結婚します」と報告した時も、聞かれたのは「なんて名前になるんや」の一言。「オークレアです」と答えたら「かっこええなぁ」と言ってくれました。結婚した時点で「もう帰国しない」と宣言しているようなものなのに、ありがたかったです。
――現在、アメリカでは毎日どのように過ごしていますか。
私事ですけど、2年前に離婚しました。その際に家を譲ってもらったものの、ローンが残っていて、その支払いでクレジットカードの借金がかさんでしまって。アメリカは保険もとにかく高いし、生活費や固定資産税、光熱費も支払わなければいけない。それらをすべてカードで賄っていたら、結構な金額になってしまっていて......。
返済のために、去年からアルバイトを始めました。フードデリバリーをしていた時期もありますが、今は託児所での週5日のアルバイトと、あとペルシャ絨毯(じゅうたん)のお店で絨毯をめくる仕事をしています。
――バンド活動は現在も続けていますか。
はい。これまた私事ですが、離婚後、バンド仲間の日本人男性のトラさん(愛称)と再婚しまして。そのバンドでの活動を現在も続けていて、週1でスタジオ練習、月1くらいでライブをしています。このメンバーでニューヨークやロサンゼルスでライブをしたこともあるし、つい最近はスペインにも行きました。とても充実しています。バンド活動は私のライフワークですね。
――ところで、熟年離婚をおすすめされていますね。
熟年離婚は、本当におすすめです。私の場合、前の夫との離婚のきっかけは相手が荷物を持って家を出て行ってしまったことでしたが、話し合ってみると「子どもを介した親としての関係が続いてきた、長い時間の中でこんなにも関係がズレてしまっていたんだ」と気づいたんです。
最初は本当に好きで、楽しく過ごしていたけど、子どもが生まれて"親"という役割ができていく中で、ずいぶん関係性が変わってしまっていた。毎年の感謝祭やクリスマスなど家族での時間は充実していたけど、子どもも大きくなって、話し合ってフタをあけてみたら夫婦の関係はこんなにズレてしまっていたんだな、と。驚きとショックがあって、離婚は精神的に大変でしたが、乗り越えてみると「もうどうにもできないズレがあるんだ、これでいいだろう」と思えるようになりました。
熟年離婚をおすすめしているのは、先ほども言いましたが、とにかく残りの人生の中で「一緒にいて楽しい」を優先させるべきだと思うから。この年齢になれば、子どもを育てなきゃ、家庭を守らなきゃ、というプレッシャーもない。それなのに、「長く連れ添ってきたから」というしがらみや、経済的理由、面倒くささで二の足を踏んでいては、時間がもったいない。バッサリ離婚していいと思います。ただ一緒にいて楽しい、日々が面白い、好きなものが似てる、といった単純な理由で、新しいパートナーと一緒に暮らすのもアリですよ。
「おばあちゃん役をやりたい」。60歳を超えた今だから叶えられる夢
――これからの人生を、野沢さんはどのように「遊んで」いきたいと考えていますか。 これから挑戦してみたいことはありますか。
役者の仕事をしたくて、演技のクラスで勉強を始めました。そんなに頻繁にではないですが、オーディションも受けています。まぁ、落ちるんですけど(笑)。 ただ、若い頃だったら「結果を出さないといけない」と力んじゃったりもしますが、今なら「やっているだけでもいいじゃないか」と楽しめています。
欲を言えば、日本とアメリカの両方で役者の仕事をしてみたい。せっかく英語を話せるようになったから、それを活かしたいですよね。日本の作品にも出てみたいけれど、ハリウッド映画もいいなぁなんて憧れています。
――役者になることは、60歳過ぎてから立てた目標ですか。
昔から漠然と考えてはいました。歳を取ったらおばあちゃんの役ができる役者さんになりたいなぁ、と。子どもの頃から樹木希林(きき・きりん)さんのファンだったんです。ドラマ『寺内貫太郎一家』での寺内きん役が忘れられない。ああいう、ちょっと変わったおばあちゃんの路線を狙いたいなと、ちょっとおこがましいけど、思っています。本当におばあちゃんの年齢になってきたから、「やるなら今!」と始めました。
――「何歳になっても、やりたいことをやる!」という野沢さんの姿勢に、私たちも励まされるような気分になります。最後に、これから何かを始めようと思っている人に応援のメッセージをお願いします。
ただやってみればいい。その一言に尽きます。まったく新しいことを始めてみるのもいいし、10代、20代で挫折したり、成功しなかったり、子育てなどライフステージの中で断念したことにもう一回挑戦してみてもいい。今度は「成功しなきゃ」「これで食べていかなきゃ」みたいなプレッシャーなしに、ただやってみたらいいと思いますよ。
※記事の情報は2025年10月7日時点のものです。
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【PROFILE】
野沢直子(のざわ・なおこ)
芸人
1963年、東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。高校卒業後、1983年に吉本興業に入社。お笑いタレントとして人気を博すも、1991年に芸能活動休止を宣言し、単身渡米。米国でバンド活動、ショートフィルム制作を行う。現在はサンフランシスコに拠点を置き、バンド活動の傍ら、託児所と絨毯店でのアルバイトに勤しむ日々を送る。また、毎年夏に帰国し、日本のメディアや劇場で活躍している。著書に「老いてきたけど、まぁ〜いっか。」(ダイヤモンド社)、「笑うお葬式」(文藝春秋)など。
Instagram https://www.instagram.com/naoko.nozawa/
ブログ https://ameblo.jp/naokonozawa-official/
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