共鳴する肉体、言葉、そして音楽 | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part2

教育

山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉

共鳴する肉体、言葉、そして音楽 | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part2

ゴリラ研究の第一人者であり、京都大学総長を経て2021年からは総合地球環境学研究所所長を務めている山極壽一さんのインタビュー。Part2ではさらに一歩踏み込み、人間以外の霊長類と人間とを分かつものである「言葉」、そして「音楽」、さらに人間の創造性の源泉についてうかがいました。

Part1はこちら

人間はまだ「言葉」を使いこなせていない

――先ほど「場の共有」の重要性をうかがいました。コロナ禍において感染防止の観点から、いろんな人と場を共有する機会が激減しました。一方でそれをリモートなどの技術で乗り越えようとしているとも思いますが、そのような形での補完はできないのでしょうか。


デジタル技術の進展によるメールやSNSなどの隆盛で、コロナ禍以前から物理的な距離を越えた言葉のやりとりは激増していると思います。そうした技術や効率性を一概に否定するつもりはありません。でもね、人間の家族や共同体って、もともと言葉ではつながっていないんですよ。


――言葉でつながっていないんですか。


「言葉」というものは不完全なものだと僕は思っています。人類が現代人に近い言語を使い始めたのが7万年前といわれています。人類の進化史が700万年ですから、その99%は言葉がなかった。だからまだ人類はうまく言葉が使いこなせていないと思います。だって言葉で気持ちを伝え合うことはできないじゃないですか。いくら言葉で自分の気持ちを相手に訴えても、分かってもらえないことが多いですよね。


それに相手の言葉を聞いても、本当は相手が自分のことをどう思っているのか、何を考えているのは分からない。逆に言葉が障害になっているのかもしれないよね。だって僕はゴリラの方がよっぽど気持ちが分かるもの。ゴリラだって僕の気持ちが分かる。だから付き合える。そこに言葉は介在していません。


例えばスポーツの集団って、ゴリラの集団と同じぐらいの数なんです。サッカーが11人で、ラグビーが15人ぐらい。この集団はいざ試合になったら言葉なんか交わさないです。声だけ、あるいは身振りや手振り、体の動きで仲間に自分の意図を知らせる。仲間はそれを悟って適切に動く。それがチームプレーです。


ゴリラだって全く言葉を話さないのに、チームプレーで1つの群れがまるで1つの生き物のように動ける。これが体の共鳴なんですよ。だから言葉って、瞬間的に今の状況を知らせたり、瞬間的に相手の気持ちを察して自分がどう動くかを悟るためには必要ないんです。これらは音楽的なコミュニケーションでつながっています。


総合地球環境学研究所 山極 壽一所長



――音楽的なコミュニケーションとは何でしょうか。


例えば、お祭りのお囃子(はやし)は音楽そのものですよね。この共同体の人はみんな耳慣れて知っています。それだけではなく、ちょっとした体のこなし方やリズム、方言、あるいは服装、食事、家並み、家、すべてがあるリズムを持ち自然の流れに沿って動いています。我々は毎日その流れに乗って暮らしているわけです。


誰もが違和感を感じないように自然なリズムの流れになっているからこそ、我々はお互い、何の疑いもなく付き合える。もしそこに異文化の人が入ってきたらすぐ分かりますよね。ちょっと物腰が違ったり、服装が違ったり。それがまさに音楽的なリズムの違いなんです。そこに言葉は介在していません。


――人間は言葉でコミュニケーションする生き物だと思っていました。


言葉は何のためにできたのかと言ったら、「考える」ためです。さらに言えば「物語」をつくるためです。ゆっくりとした対話の機会があって、そこで何か物語を紡ぐときに必要なんです。我々は言葉で世界を分類し、それをつなぎ合わせて物語をつくった。因果関係とか、過去と現在と未来とか。一方、ゴリラには過去も未来もありません。ほとんど現在だけです。だからゴリラには物語はありません。


言葉は物語をつくり、そして物語を仲間と共有することで、自分が経験していない遠くのもの、あるいは自分が経験できなかった過去のことを、言葉によって自分のものにすることができるようになったんです。言葉はそういう距離や時間を超えたものが得られる素晴らしい伝達手段です。しかし同時に全く起こっていないことをつくり上げたり、嘘をつくり上げることもできるという裏表も持っている。


言語は抽象化されたものですから、100%リアルじゃないんですよ。誤解も生じるわけ。あるいは、嘘もつけるわけ。それに今我々は悩まされているわけじゃないですか。フェイクニュースね。でも、それは考えるための手段だとみなせばいいんです。もともとそういうものです。そして、同時にこれは人間の「創造性」にもつながってきます。


だけど忘れちゃいけないのは、人間の言葉ができたのは、共感という能力が育った後です。だから人間のつくった物語というのは、共感を表にも裏にも使ったつくりになっています。人々が助け合う物語であったり、人々が騙し合って悪を働く物語があったり。だけどそれは、どこかで善と悪がつながっていく。言葉がつくり出したのは善悪です。好き嫌いじゃないです。言葉というのはもともと論理なんです。


――過去や未来も、人間が言葉を持ったから生まれたものなのでしょうか。


そう思います。だって、動物はいつ死ぬかなんて考えていませんから。人間は死というものを言葉にしちゃったから、死から遡って過去や未来という時間的な経過に沿って事物を眺めることができる。動物はそんなこと考えていません。




文字で「意味」は伝えられるが「気持ち」は伝えられない

――最近はスマホを持つ人が増え、言葉の中でも特に文字、テキストのやりとりが増えているように思います。話し言葉と書き言葉では、伝えられるものが違うのでしょうか。


そもそも言葉は、同じ言葉であっても、その話し方や表情、置かれた状況や相手との関係性によって意味が変わります。つまり言葉は、音声だけでは成り立っているわけではない。だからこそ、話しながらジェスチャーを付けたりするわけです。会話というのは瞬間芸であって、例えば「お前を殺したいほど憎んでいる」と言われたら、表情や話し方で、冗談だと受け取ることもできますし、怖ろしい意味にもなる。言葉は、話し声の音色や表情や、周囲の状況によって大きく意味が変化しますから、本質的には2度と繰り返せないものです。だからこそ、会話には同調が伴うんです。相手の言っていることに頷く。体が同調して、それを見て言葉が発せられる。


総合地球環境学研究所 山極 壽一所長



今、言葉はどんどん抽象化されて文字になり、あるいはインターネット上に浮かび、話し手がそこに居なくなっています。SNSのテキストというのは相手の表情を見ながら書くわけではないよね。だから話し言葉に内包されている音楽的な要素はすべて捨象(しゃしょう)される。するとどうしても読み手本位になる。意味の解釈の仕方が読み手に委ねられるわけです。


本来、書き言葉と話し言葉は違うものなのに、我々は効率性やコストを優先したおかげで、抽象化した言語と実際の音声で、状況で語られる言語を同一視し始めている。ですから書き言葉やテキストは意味を伝えるものであって、気持ちを伝えることはできない、と僕は考えています。




「音楽」は一体感を高め、ともに困難に立ち向かう力を与える

――言葉では気持ちが伝えられないとすると、音楽で気持ちを伝えることはできるのでしょうか。


音楽が可能にしたのは、伝えることよりも「気持ちのふれあい」です。音楽の素は、お母さんが赤ちゃんに話しかける「インファント・ダイレクトスピーチ」といわれています。赤ちゃんはいくら言葉で語りかけても、言葉の意味を理解しない。では何を聞いているかというと、お母さんが語りかける声の音程やトーンを聞いているんです。だから日本人の赤ちゃんに英語で話しかけてもちゃんと反応してくれる。


赤ちゃんはみんな絶対音感の能力を持っているんです。でも言葉をしゃべるようになる2歳、3歳になると、絶対音感は失われます。なぜ絶対音感を失うかというと、言葉の意味が前面に出てくるから。意味を理解するためには、トーンに左右されてはいけないわけです。高い声で言ったって低い声で言ったって、意味は変わらないわけ。もともと音楽には言葉はありませんでした。音楽はもともと、翻訳する必要がない。だから、文化や国を超えて伝わるんです。歌詞は後で音楽に乗ったに過ぎません。


総合地球環境学研究所 山極 壽一所長



――合唱って校歌でも応援歌も、みんなで声を合わせると一体感を高めますよね。


音楽というものは本来そういう使われ方をするものなんですよ。辛い労働をしているときに、みんなで歌う労働歌とかね。もともと宗教は昔から音楽を多用してきました。讃美歌とか。仏教の声明(しょうみょう)だって、あれは言葉というより音楽なんだよね。


言葉というのは、物事を細かく分ける。区別をする。でも音楽は逆。音楽は一緒にするんだよ。一体感をつくる。だから音楽は、違うものを一緒にしてくれる作用があるわけ。それでコンサート会場には、何万人という人が集まるわけです。そんなに人が集まるのはスポーツか音楽だけ。スポーツも音楽も、体を共鳴させるものだからです。自分が一人ではないということ。それはすごく人間にとって大きいんだよね。


人間はそれまでゴリラやチンパンジーが住んでいた森を出て、肉食獣に襲われる危険があるサバンナに出ていったわけです。もし肉食獣に襲われたら一人では歯が立たない。だからみんなで一緒にその危険から逃れよう、という状況がたくさん起きたはずです。その時に、音楽を使ってみんなで力を合わせようということが起こったんじゃないのかな。


――確かに何万人単位で人が集まるのは音楽かスポーツだけですね。


人間が最初に手に入れた人間らしい特徴は、直立二足歩行です。それで手が自由になり、子どもや身重の女性たちに食物を運ぶことができるようになったことで人間は生き延びられた、というのが定説です。でも直立することで咽頭が下がって喉に空域ができ、いろいろな声を出せるようになったのが言葉の起源につながったという話もあります。


僕はもう1つあると思っていて、それは「踊る体」です。ゴリラもチンパンジーも、みんなで興奮してディスプレイをするときは二足で立つんだよ。チンパンジーにはレインダンスというのがあって、雨が降ってくるとみんなで踊るようなことをやる。ゴリラも興奮すると立って、胸を手で叩く。これを「ドラミング」と言います。人間も立つことによって、踊る体を手に入れた。それは腰の支点が上に上がって、上半身と下半身が別々に動くようになって、さまざまな踊る動作が可能になった。


マウンテンゴリラとともに(写真提供:山極壽一先生)マウンテンゴリラとともに(写真提供:山極壽一先生)


そのダンスとは、他人の体と一緒に動くこと、つまり同調です。おそらく人間が最初に手に入れた直立二足歩行が人類にもたらしたものは、踊る体と音楽だったんじゃないのかな、と僕は思っています。そこからだんだん行為につながっていった。自分と相手が共鳴できるものになり、信頼感が高まっていったからこそ、例えば遠くに食物を探しに行った仲間が、自分の好きな物を持って帰ってきてくれると信頼できた。それが人間の社会をつくる根本でもあると考えています。


――そういえば、山極先生は2017年の京都大学総長式辞でボブ・ディランの歌詞を引用されて話題になりましたが、ディランがお好きなんですか。


ボブ・ディランはたまたまですよ。僕が一番好きなのはアフリカのリンガラミュージック*。最近は踊らないけど昔はよう踊ったよ。現地に住んでいる時は自分でも踊りの会を催したり、パーティーに出かけて行って踊ったり、コンサートも行ってよく踊ってました(笑)。


*リンガラミュージック:1950~1960年代にラテン、リズムアンドブルース、ロックなどさまざまな音楽の要素を取り込みながら独自の発展を遂げてきたコンゴ民主共和国のダンスミュージック。リンガラはコンゴ民主共和国で使われる共通語。


※記事の情報は2022年5月13日時点のものです。



Part3はこちら

  • プロフィール画像 山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    山極 壽一(やまぎわ・じゅいち) 1952(昭和27)年、東京都生れ。霊長類学者、ゴリラ研究の第一人者。京都大学理学部卒業、同大学院で博士号取得。京都大学理学博士。(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科助教授、教授、理学研究科長・理学部長、京都大学総長を経て、2021(令和3)年より総合地球環境学研究所所長。著書に「父という余分なもの―サルに探る文明の起源―」、「虫とゴリラ」(養老孟司と共著)ほか多数。河合隼雄学芸賞選考委員。

    総合地球環境学研究所
    https://www.chikyu.ac.jp
    山極壽一
    https://www.chikyu.ac.jp/yamagiwaHP/

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