食
2022.12.20
三舟隆之さん 東京医療保健大学教授〈インタビュー〉
古代食を再現! 誰もやったことのないことを研究したい
東京医療保健大学教授の三舟隆之さんは、古代(飛鳥~奈良時代)の食事を再現する研究を行っています。「正倉院文書」や「延喜式(えんぎしき)」といった文献や木簡(もっかん)に書かれた食材の記録を基に、これまでアユやイノシシの加工法の実験、酢、漬物、餅などの復元に取り組んできました。そんな三舟さんに、これまでの経歴、古代食の研究を始めたきっかけ、研究の醍醐味などをうかがいました。
文:藤田 千恵子 写真:三井 公一
大学時代は、考古学の研究者になりたかった
――どのようなきっかけで研究者の道に入ったのですか。
私は自分で言うのもなんですが、文学少年でしてね。中学生の頃に遠藤周作の「埋もれた古城」という本を読んだんです。その本で東京都世田谷区の豪徳寺にあった世田谷城*1の存在を知って、自宅の目黒から豪徳寺まで自転車をこいで行きました。世田谷城は、豊臣秀吉の関東攻め(1590年)の時に廃城になってしまったのですが、その城跡を見た時にすごく感動しましてね。こんな世田谷のど真ん中に、歴史が残っている! と。それで歴史を勉強したいと思ったんです。
*1 世田谷城:清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られる。応永年間(1394~1426年)に築城されたといわれるが、正確な築城時期は不明。現在も世田谷城阯公園(東京都世田谷区豪徳寺)付近に土塁と空堀の一部が遺っている。
――では少年時代の夢を叶えたのですね。
いや、そこからが長いんです(笑)。大学では、中世の城を勉強したいと思い、明治大学文学部を選びました。明治大学には古墳研究の大塚初重(おおつか・はつしげ)先生がいらしたので、入学後に考古学という学問が面白いと気がついて。私の専攻は日本史だったのですが、考古学にも興味を惹かれて発掘調査にも参加するようになりました。
たまたま山梨県笛吹(ふえふき)市で行われた寺本廃寺*2(てらもとはいじ)の発掘調査に参加した時に、古代の寺院の瓦が出てきたことがありましてね。私は基本的には宗教史を学んでいたのですが、その時に奈良文化財研究所の森郁夫(もり・いくお)先生がいらしていて、森先生から教えてもらった瓦のお話がとても面白かった。それで瓦というのは面白いなと思い、卒論では瓦のことを書いて、考古学研究の学術雑誌に載りました。私は大学院に進んで考古学の研究者になろうと思っていたんです。
ところが大学院の試験を受ける1週間前に父が急死してしまいまして。一度はドクター(博士課程)のコースにも進んだのですが、研究職も厳しかったので、働かざるを得なくなって、高校の教諭になりました。勤務先の高校では、授業のほかにクラス担任や進路・生活指導をしたりバレーボール部の顧問になったりとかなり忙しくなってしまって、妻から「バレーボール未亡人だ」と言われるほど、家にいなかったんですよね(笑)。
*2 寺本廃寺:飛鳥時代後期に創建されたと推定される古代寺院
諦めなかったら最後に間に合う電車がある
――別の道で多忙になってしまったのですね。
はい。でも研究の道は諦め切れなくて、高校に勤務しながらも1年に1本は、古代史についての論文を書こうと思っていました。初志貫徹でね。自力の勉強を続けながら高校の教諭を10年ほど続けていた頃、母校の明治大学から非常勤講師の声がかかったんです。勤務先の高校の校長に「大学の講師として教えに行きたい」と相談してみました。許されるはずがないと思っていたのに「いいよ、行ってこい」と言ってもらえて。
明治大学理工学部の一般教養の日本史の講義を持つことになり、高校での仕事と大学での講義と勉強、両方ともやる気が湧きました。毎週火曜日は明治大学で講義をして、その後大学の図書館に行って夜9時まで勉強して、という生活がずっと続いていましたね。研究が諦め切れなかったんです。
私には「終電理論」というのがありましてね。それは諦めなかったら最後に間に合う電車があるということです。酔っぱらってヘロヘロで駅に着いた時に、電車のドアは開いてるけど、1本待って次の電車に乗ろうかなと思う。でも、やっぱり乗っちゃえ! と走って行って乗ったら終電だったというようなもので。その後の乗り換えでも、走って行って乗ったら、またそれも終電だったと。私の場合は、最後のチャンスにうまく乗っちゃった。人間万事塞翁(にんげんばんじさいおう)が馬ですよ。
――1つ1つの機会をきちんとつかんでいったのですね。
でも時間はかかりました。論文を一年に最低1本ずつ書いていましたが、それも毎年毎年、どんどんハードルが高くなっていって。40代になっても高校に勤務していましたが、ある時、「研究者としては40歳を超えたら、もう最後のチャンスはないのか。どうしたらいいんだ」と思った途端、誰もいない職員室で急に汗が出てきて、めまいがして、パニック障害のような症状が出て。その時に「自分はここにいていいのか」と思いましたね。結局、高校教諭を退職したのは45歳の時です。前後して2003年に「日本古代地方寺院の成立」(吉川弘文館)という本を出して、博士の学位をいただきました。
誰もできない、誰にもまねできない、それが研究の本分
――それで現在の大学に移ったのですね。古代食の研究へはどのように?
自分の専門は古代寺院史じゃないですか。大学からは、ゼミを持つよう言われたけれど、瓦じゃなあ、と自分でも思い、学生は何がテーマなら興味を持ってくれるのかなと考えました。そこで思いついたのが古代食でした。食がテーマなら食いついてくれるんじゃないかと(笑)。最初の年に入ってきてくれたゼミ生の中にたまたま新潟県出身の学生がいて、新潟から都に送ったアユの木簡も平城京から出てきているから、では、まず古代のアユの加工法を調べてみようと。
再現実験をやってみると、これは面白い! と思いました。あんまり面白いものだから、そのゼミ生と「これを雑誌に投稿しよう」と。学術誌に投稿したら、それが通って掲載されて。そんなことから、このテーマを深くやってもいいのでは、と自分自身もやる気になったんです。
でも、古代食の研究で何がブレーキになるかというと、そもそも(研究対象の)食べ物が残っていないということなんですね。ただ、人間の身体で消化されて体外に出たものは、糞石*3(ふんせき)といって残る。それを分析すると古代の人たちが食べたものや食べた人の性別までもが分かるんです。
古代食については、ほかにもいろいろな研究をやっている人はいるんですよ。ところが、料理研究家の方の研究とかだと料理がおいしそうなんです。でも、ほんとかな? と。なので、イメージは全部捨てて、資料にだけ忠実なものを素のまま、素人たちでやってみようと。資料としては木簡などの文献史料がありますから、食材が何であったのかは分かる。ところが、どんな加工をして、どんな調理をしたのかは分からない。どうやって食べるのかも分からない。それを実験してみようと思いました。
ありがたいことに木簡に食材の名前は残っていて、私が感動したのは、アジとかイワシとかサバとか、これらの魚の名前は奈良時代にもあったということなんです。1,300年前の魚と今の魚の名前が同じだって感動しませんか。
*3 糞石:動物や人間の排泄物が化石化したもの。
――誰が名付けたのでしょうね。
でしょう?! 面白いでしょう! 誰が名付けたのか。中国語とは違うんですよね。例えば魚へんに占うで「鮎」(あゆ)ですが、中国でそのまま「鮎」の字で注文したらナマズが出てきます。中国と食材のルーツは違うんです。
それで、とにかく古代食は面白いから研究しよう! ということになって、アユやサケの保存方法を研究したりしました。そうなったら私は真面目ですので(笑)、学生たちの卒業研究は必ず論文にするという目標を持って、最初は国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)などに研究成果の論文を投稿したんですよ。
初めは駄目でした。なかなか掲載されなかった。でも、そのうち研究の方法の価値を認めてもらえて、あとは掲載されることが増えました。要するに、誰も手をつけていない分野の研究だったんです。歴史学の研究者は食品を作れないし、食品を作っている人たちは歴史を研究していませんから。
――三舟先生のゼミでは、そのどちらも実践された。そこが特殊だったのですね。
そうなんです。これは、実験考古学という方法を応用しています。過去の食品は食材のことしか分からない。なので食材をどう作って食べたのかということを、文献史料を用いながら実験していきます。ほかにも縄文時代や弥生時代の食事を再現する人たちもいて、いろいろな研究があるのですが、私たちは、より多く文字資料が残っている時代のものとして奈良・平安時代に限定して実験しようということになったんです。その分野の研究は誰もやっていなかったですから。
誰もできない、誰にもまねできない、それが研究の本分じゃないですか。次の段階では大学だけではなく、外に出てほかの団体の方々との共同研究も行いました。現在は国立歴史民俗博物館や奈良文化財研究所のメンバーと共同研究を行っています。
生活も健康も食に左右される。古代も現代も変わらない
――そのゼミ生の卒論も含めて編纂された著書「古代の食を再現する」は、研究者の方々だけでなく大学生の研究成果が加わったことで、現場感のある面白い読み物になっていますね。
当たりましたねえ(笑)。本のあとがきにも書きましたが、研究論文を書いたゼミ生たちは、研究者としての道を進むわけではないんです。けれど、研究は研究者だけのものではないですからね。それに私自身も研究者ではないところからスタートしていますから。卒業研究をしっかり指導して論文の形にするということは大変でしたけど、でも、ちゃんと学生を育てればこんなこともできるんだ、ということを世間に伝えたかったし、学生たちにもその大事さを知ってほしかった。
大学に来て学べるということは、素晴らしいことなんですから。いや、別に大学でなくてもいいけれど、能力があるなら、もう一歩やってみようよという思いはずっと持っていますね。
――三舟先生ご自身の論文「写経生への給食の再現の諸問題」(「古代の食を再現する」に収録)も大変興味深かったです。奈良時代の官人にも給食が出ていたのですね。その食事が意外にも現代人と同じように生活習慣病も呼び起こしていたという......。
そう! 皆さん、和食に対しては、すごくヘルシーなイメージを持っているでしょう。でも、日本は海に囲まれた国だから魚がとれる。それを古代の人たちが保存しようとしたら塩漬けにするしかなかったんですよね。そして、米をたくさん食べている。つまり、炭水化物も塩分も多過ぎる食事なんです。それは仕方のないことです。食は自然環境に左右されるものですから、日本人はそういう食事を選ばざるを得なかった。なので、おそらく高血圧や狭心症で寿命も短かったのではないかと思います。日本人は欧米人に比べてインスリンの分泌量が低いといわれていますから、たくさんの米を食べていたら糖尿病にもなるでしょう。
ですから私は、単なるヘルシーなイメージだけで手放しで和食を礼賛するつもりはないんです。我々は結局、生活も健康も食に左右される。それは古代も現代も変わらない。山上憶良(やまのうえのおくら)はこのことに気づいていて、「病は口より入る」と書いています。私も先日、人間ドックの結果が戻ってきましたけど、「食事に気をつけましょう」と書いてありましたからね(笑)。
研究の醍醐味は、世界で最初に「ある事実」を知ること
――古代食は大変興味深く、面白いと思われる方も多いテーマだと思います。三舟先生が市民講座などでお話しする機会はありますか。
私は、地方自治体から講演を頼まれた場合は、基本断らないことにしています。自分たちの研究の成果は一般公開して市民の皆さんに還元するものだと思っていますから。国の税金を使った科学研究費の補助金を受けてやらせていただいている研究なのですから、それは市民に還元しないといけない。私は立派な人間ではありませんが、そういうモラルはありますね。
あと、研究者ではなくても、誰でもみんな身近なところで研究することはできるということも伝えたいですね。市民講座をやっているのは、研究は皆さんのものなのですよということを伝えたいからでもあるんです。
――今後はどんなことを実現したいですか。
まだ誰もやったことがないことを研究するという挑戦をしたいです。私の専門は古代寺院の研究ですが、古代食というテーマは誰もやっていない研究でした。やってみて気がついたのは、食の文化というのは生活なんですよね。それは現代にもつながってくるし、だから皆さんが関心を持って面白がってくれるのかなと。
私自身もやはり研究というのは、面白いからやっていますね。研究で何が面白いかというと、世界で自分や共同研究者だけが最初にその事実を知ることができる、ということです。それが研究の醍醐味ですね。時折失敗することもありますが(笑)、これからも真実は何かということを追い求めていきたいなと思います。あとは、コロナ禍の影響で延期してしまいましたが、海外での学びも深めたいですね。自分たちの足元を見つめながら、広い世界にも出ていきたいと思っています。
※記事の情報は2022年12月20日時点のものです。
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【PROFILE】
三舟隆之(みふね・たかゆき)
1959年、東京都に生まれる。1989年、明治大学大学院博士課程単位取得後、退学。現在、東京医療保健大学医療保健学部医療栄養学科 教授。博士(史学)。著書に「古代の食を再現する みえてきた食事と生活習慣病」(吉川弘文館)、「日本古代地方寺院の成立」(吉川弘文館)、「浦島太郎の日本史」(吉川弘文館)、「古代氏族と地方寺院」(同成社)など。
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