ギザのピラミッド(エジプト)| 現存する世界最古の巨大建造物

MAR 31, 2021

旅行&音楽ライター:前原利行 ギザのピラミッド(エジプト)| 現存する世界最古の巨大建造物

MAR 31, 2021

旅行&音楽ライター:前原利行 ギザのピラミッド(エジプト)| 現存する世界最古の巨大建造物 "創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。コンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。

※本文の内容や画像は1996年の紀行をもとにしたものです。

現存する世界最古の建造物とは何だろうと考えたとき、筆者が真っ先に浮かんだのが、エジプトにあるギザのピラミッドだ。世界にはそれよりも古い住居跡や巨石文明、都市遺跡はあるが、構造物として今もその姿を保っているものでは、これが最も古いのではないだろうか。今と比べれば技術力の低い約4500年前に、すでに人間の創造力はこれほどのものを創り上げていたのだ。そしてその魅力は、現代でも失われていない。




旅の途中で。カイロ

エジプトを訪れたのは、もうずいぶん前のことだ。私は仕事を辞めて出た長い旅の途中で、日本を出てすでに1年が過ぎていた。1996年5月、ギリシャのアテネから飛行機でカイロに入り、新市街にあった当時の日本人宿サファリホテルに入り、そこで2週間ほど過ごしていた。


安宿には、まだ自分が何者にもなっていない、またはなることを拒否した日本人の若者が常時7、8人おり、毎夜、おしゃベリや議論に花を咲かせていた。私もそのうちの一人だった。インターネットも携帯もまだ普及していない時代、宿ですることといえば会話と読書ぐらいしかなかったのだ。


その頃も私は歴史好きだったが、現在ほど詳しくはなかった。それでも絶対に行かなければと思っていたのが、ギザのピラミッドだ。3大ピラミッドがあるギザは、カイロ市街から西に14kmのところにある。私のピラミッドのイメージは、砂漠の中に忽然(こつぜん)と現れる山のようなものだったが、実際に行ってみると、ほぼ市街に隣接した場所にあるのに驚いた。街中を抜けた、すぐ先にピラミッドがあったのだ。

住宅地の端からも、ピラミッドの姿がよく見えた住宅地の端からも、ピラミッドの姿がよく見えた

初のピラミッドは階段ピラミッド

ギリシャの歴史家ヘロドトスの言葉に「エジプトはナイルのたまもの」がある。エジプトの歴史は、ナイル川とともにあるといっていい。国土の大半が砂漠地帯のエジプトでは、人が住めるのはナイル川沿いか、わずかなオアシスだけ。そのナイル川沿いに、今から約5000年前の紀元前3000年、エジプト文明が生まれた。初期王朝時代を経た紀元前2600年代から約500年間、「エジプト古王国時代」が続く。王権もこの頃には強力になり、神と同一視される神権政治が行われるようになった。


ピラミッドが最初に造られたのは、古王国の第3王朝ジェセル王(紀元前2660年頃)の時代で、それがサッカーラにある階段ピラミッドだ。石造りの巨大建造物としてはエジプト初で、建設当時はピラミッドの周辺に王宮や神殿もある複合施設だった。

サッカーラの階段ピラミッドサッカーラの階段ピラミッド


階段ピラミッドのあるサッカーラは、カイロ市街から南西へ約27km離れたところにある。宿にいた旅行者数人とタクシーをチャーターして、そのピラミッドに行ってみた。高さは約60mと、のちの大ピラミッドに比べると半分以下で、傾斜もきつくないことから、見た目はちょっとした丘のようだ。


「最初」ということで試行錯誤だったのだろう。建設中に何度も計画が変更された跡があり、このピラミッドだけは底辺が正方形ではない。6層からなるこの階段ピラミッドは、メソポタミアの神殿建築のジッグラトの影響を受けて造られ始めたというのが定説だ。それがエジプトで独自に発展していき、やがて方錐形の「真正ピラミッド」に発展していったのだ。

ピラミッドの建設

その後、途中で角度が変わる屈折ピラミッドなど試行錯誤が重ねられ、紀元前2550〜紀元前2490年ごろにいよいよクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3代の王によるギザの3大ピラミッドが建設される。なかでもクフ王のピラミッドは底辺約230m、高さ138.8m(建設当時は約147m)ある、エジプト最大のピラミッドとなった。階段ピラミッドから約100年で、これだけのものが造れるほど建設技術が向上したのだ。

ナイル川の夕焼けナイル川の夕焼け


石材はナイル川上流のアスワンで切り出され、船で800km下流に運ばれ、ギザに近いナイル河畔の石切場でブロックの形に整えられた。ピラミッド建設が行われたのは、おもに農閑期となる4カ月の間だった。建設現場近くには労働者村が築かれ、そこで労働者は家族たちと暮らしていた。
ヘロドトスが、「クフ王はピラミッド建設のために強制労働を強いた」と著したので、「クフ王は悪い王」というイメージがついてしまったが、近年ではピラミッド建設は「農閑期の失業者対策」も兼ねていたという説が有力になっている。
労働者の食料はファラオの食料庫から提供されており、パンやビール、そして精がつくようにニンニクとタマネギが配られた。ここで働けば少なくとも食は保障されたわけだ。また徴用も、数年から10年に1度、それも4カ月間だけなら、大きな負担ではなかっただろう。しかもクフ王のピラミッドは建設に30年もかかったというから、そもそも完成が目的ではなかったのかもしれない。

ギザのピラミッド訪問

世界最大というクフ王のピラミッド世界最大というクフ王のピラミッド


ギザに着き、最初に目に入ったのが、3大ピラミッドの中でもっとも大きいクフ王のピラミッドだった。頂上が崩れた現在の高さは138.8m。遠くからだと分かりにくいが、近づくと階段状に積み上げられた石のブロックの一つひとつはかなり大きい。そばで見上げると、全体は小山ほどの大きさがあった。この内部まで石のブロックが詰まっていると思うと、その途方もない労力に言葉を失った。


現在は無骨な石積みの姿だが、建設当時はピラミッドの表面は白い石灰岩の化粧岩で覆われていた。そのため、太陽の光を受けると、その表面は遠くから見えるほど輝いていたという。ただし、ピラミッドの表面は赤く塗られていたという説や、文字が描かれていたという説もある。いずれにしても、数千年かけて表面の石灰岩のほとんどが剥がされ、カイロの町の建設に転用されてしまった。わずかにその名残が、カフラー王のピラミッドの上部に残っている程度だ。


クフ王のピラミッドの中に入ってみた。「大回廊」と名付けられたトンネルの斜面を登ると、ピラミッド内部中央にある王の玄室に着く。ただしそこには空っぽの石棺があるだけで、壁に装飾もなければ他に何もない。かつてはここに金銀財宝があったのか、それともそもそも何もなかったのか。そしてかなり蒸し暑かった。この部屋には特に見応えはなかったが、ピラミッドの中にいるのは不思議な気分だった。


クフ王のピラミッドの裏には、頂上付近に一部化粧岩が残っている高さ143.5m(現在は136.4m)のカフラー王のピラミッドがあり、その前の葬祭殿跡からスフィンクスまで参道が延びていた。カフラー王のピラミッドの先には、高さ約65mと3つのピラミッドで最も小さなメンカウラー王のピラミッドがあるが、そこまで行く人は少なかった。その先はもう砂漠だ。

ピラミッドは何のために造られた?

ピラミッドが何のために造られたかは、実はいまだに正解が出ていない。ヘロドトスの時代から王墓だと言われていたが、内部空間はほとんどなく、そのわずかな空間にも王の遺体はなかった。3大ピラミッドには3人の王の名が付いているが、本当にそうなのか当時の記録もない。そもそも「ピラミッド」という名もギリシャ語で、ギリシャ人がそう呼んでいただけであり、本当の名前も分からないのだ。

スフィンクススフィンクス


ピラミッドのそばにあるスフィンクスの像の正体も分かっていない。「スフィンクス」は、謎かけをして答えられない者を食べてしまうギリシャ神話の怪物だが、ここにある石像は、単に姿が似ているから古代ギリシャ人がそう呼んだに過ぎない。時代的には3大ピラミッドよりも少し前の時代に造られたと言われる。ただしこれは構造物ではなく、岩を彫った石刻になる。


このスフィンクスは数百年ごとに砂に埋もれたり、顔を出したりしている。ヘロドトスがスフィンクスについて記述していないのは、彼の時代には砂に埋もれていたのだろう。18世紀にナポレオンがエジプトへ遠征したときは、砂の上に顔だけ出した状態だった。


文明の最初期に造られた石造建造物であるピラミッド。古代ギリシャの人々がギザのピラミッドを見上げたとき、すでに建設から2000年の時が過ぎていた。私がピラミッドを見て感じたのは、人の想像力は技術より先を行っているということだ。現代の技術があれば、ピラミッドを造ることはそれほど難しくないだろう。しかし技術もなければ(初めての石造建造物なので構造計算のノウハウもない)、道具(石を削る鉄器)もない時代だ。その時にできることで、これだけのものを創り出した古代エジプト人には驚かされる。その創造物は4500年後の今も、私たちにとって驚異に見えるのだから。

階段ピラミッドの頂上から階段ピラミッドの頂上から

  • プロフィール画像 旅行&音楽ライター:前原利行

    【PROFILE】

    前原利行(まえはら・としゆき)
    ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。

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