暮らし
2024.09.10
楠田悦子さん モビリティジャーナリスト〈インタビュー〉
モビリティジャーナリスト・楠田悦子さんが語る、社会の課題を解決するモビリティとそのトレンド
電気自動車(EV)やカーシェア、電動キックボード......。技術の進展とともに、私たちの「移動」の形には変化が生じています。高齢化を背景とする「交通弱者」の存在や、子どもの安全を守る交通のあり方が議論される機会も増えてきました。社会を変え、救うモビリティとはどのようなものか。モビリティジャーナリストの楠田悦子さんにお話をうかがいました。
文:小林 佳代
写真:山口 大輝
暮らしやすくするための移動手段の活用が「モビリティ」
──楠田さんはモビリティジャーナリストという肩書きで活動していらっしゃいます。そもそも、モビリティとは何を指すのでしょうか。
日本では自動車メーカーがモビリティという言葉をよく使うので、モビリティのことをクルマと同義にしている方もいるかもしれませんが、そうではありません。
私は「社会をより良くし、暮らしやすくするために、どのように移動手段を活用するか」をモビリティと捉えています。この場合、移動手段はクルマだけでなく、自転車もバイクも公共交通機関も歩行も含まれます。
「モビリティ=Mobility」という英語を調べると、「ability to move freely」と出てきます。本来は「動きやすさ」「機動性」や「流動性」「移動性」といった意味です。自動車業界では、クルマが電動化し、通信技術とつながるなど進化を遂げるのに伴い、新しい移動の形を提案する"移動体"という意味を含ませてモビリティと呼ぶようになりました。2000年ぐらいから、今のような使われ方をするようになってきたようです。
世界の注目を集めるEVだが、普及にはさまざまな制約も
──近年、世界的に注目されているモビリティのトレンドというと、どういうものがあるでしょうか。
世界的なトレンドでいうと、電気自動車(EV)の普及ですね。ガソリン車に比べ、CO2排出量を減らせるため、温暖化対策として力を入れる自動車メーカーが多いです。
ただ、EVが注目されるのは別の事情もあります。日本の自動車メーカーは、CO2排出量の少ないハイブリッドという素晴らしい技術を持っていて、省エネ性が高く燃費の良いクルマをつくることができます。その技術を持てない他国の自動車メーカーは、競争力が低下してしまうと考え、代わりにEVを強化する戦略をとったのです。
──欧州などでは、一時EV強化一辺倒の政策をとっていましたが、最近は少し揺り戻しているようにも見えます。
EVの普及にはいろいろと制約があります。例えば、充電スタンドなどインフラが整うのか、半導体やレアメタルなどの原材料がきちんと確保できるのかといったことが挙げられます。先日、国内で発電する電力量から、使用可能なEV台数を計算している方がいました。電力量の面でも制約があり、普及が進んだ場合には、使用制限をかけないといけなくなるかもしれないといいます。日本では、EVに修理が必要になった際、地方の中小規模の整備会社は対応できていないという問題もあります。バリューチェーン全体で見たとき、EVの普及にはさまざまな課題が残されているのです。
エンジン車でも、水素、バイオ燃料など、ガソリンに代わる多様なエネルギーが考えられるようになっていますので、今後、その国々のエネルギーやインフラの状況に応じて、求められるクルマの形も変わっていくだろうと思います。
──少し先、5年~10年後ぐらいに出てきそうな新しいタイプのモビリティはありますか。
自動車業界では一時期、「CASE*1」や「MaaS*2」といった言葉が飛び交い、多くの新しいモビリティの構想が打ち上げられました。自動運転車や空飛ぶクルマなどはその一例です。そういうアイデアの中で、実現可能なものは、実証段階にあるものなども含めて既に市場に出てきています。それ以外は、実現にはまだ相当な時間がかかるでしょう。中には、「実現不可能」と既に消えてしまったアイデアもあります。
今後10年の間に全く新しい発想、全く新しいコンセプトのモビリティが出てくるかというと、正直、それはないのではないかと思います。
*1 CASE:Connected(情報通信)、Automated/Autonomous(自動運転)、Shared & Service(カーシェアリングとサービス)、Electrification(電動化)の頭文字をとった言葉。自動車を、単なる移動手段ではなく、付加価値を持つサービスとして捉え直す意味合いがある。
*2 MaaS:Mobility as a Service。モビリティを単なる交通手段ではなく、自動運転やAIなどのさまざまなテクノロジーを掛け合わせた、次世代の交通サービスとして捉えた言葉。
運転免許証返納後の高齢者は「交通弱者」。いかに移動手段を確保するか
──では、楠田さんが注目しているモビリティトレンドを教えてください。
私はモビリティを課題解決の軸で見ています。追いかけているテーマは幾つかありますが、中でも一番注目しているのは、高齢者の運転免許証返納問題です。高齢者の運転による悲惨な自動車事故が頻発したことを背景に、免許返納者数は増えています。一方で、長年クルマに頼ってきた高齢者たちの、その後の移動手段はどうするのかという課題は全く解決していません。
──確かに、地方都市など、クルマがないと生活しにくい地域では、バスもない、タクシーも呼べないとなると暮らしが行き詰まりそうです。
私は兵庫県加西市で生まれ育っていますが、生活にクルマは欠かせませんでした。日本の地方は完全にクルマ依存社会です。高齢者はクルマの運転をやめた途端、買い物にも通院にも困ってしまいます。高齢になっても社会に参加し続けることができ、自分らしい暮らしができる移動手段と社会の仕組みをつくらなくては、「交通弱者」ばかりの「移動貧困社会」となってしまいます。
──クルマの依存度の高い地域では、どういう取り組みが必要になるのでしょうか。
「自分で移動するタイプ」と「誰かに送ってもらうタイプ」の移動手段を増やすことが必要です。
「自分で移動するタイプ」の現在の選択肢は、ハンドル型電動車いすやジョイスティック型電動車いすがあります。ただ、どちらも時速6kmまでしか出せないと道路交通法で定められているので、用途は限定されてしまいます。
私は二輪の特定小型原動機付自転車の次の展開や、四輪の超小型モビリティに期待しています。 現在、主に都市部でよく利用されている電動キックボードは二輪で、元気な若者がターゲットですが、高齢者も乗れるマイクロモビリティが発展することも大切です。
「誰かに送ってもらうタイプ」で私が注目しているのが、複数の利用者が乗り合わせるデマンド交通*3です。小さい自治体の中にも試行錯誤しながらデマンド交通の提供を実施しているところが出てきました。こういうデマンド交通は、高齢者だけでなく、子ども向けにもサービス提供が可能です。
*3 デマンド交通:予約する利用者に応じて運行する時刻や経路が変わる交通方式。
社会課題を解決する、楠田さん注目のモビリティやモビリティサービス
運転免許証返納後の高齢者や子どもなど、「交通弱者」が利用できるモビリティやサービスを楠田さんに紹介していただきました。
■最高時速20kmの電動パーソナルモビリティ「四輪型特定小型原動機付自転車 プロトモデル」(glafit)
「シニアカー」と呼ばれる既存の電動車いすは、最高速度6kmしか出せず、それまで時速40km、50kmでクルマを走らせていた高齢者からすると遅すぎることがもの足りないところ。その点、glafit社が開発したこのプロトモデルは特定小型原動機付自転車に区分されるため時速20kmまで出せ、より遠くへの外出もしやすくなります。トヨタ自動車グループのアイシン社が開発する「姿勢制御」を採用することで、車幅が狭いゆえの車体の不安定さも解消。今後の実証実験の行方が気になるところです。
■「スタイリッシュに若々しく移動したい」高齢者におすすめのシニアカー「WHILL Model S」(WHILL)
「すべての人の移動を楽しくスマートにする」をミッションに掲げるWHILL(ウィル)社。歩道を走れるスクーター型の「WHILL Model S」はデザイン性の高さが特徴で高齢者のシニアカーに対するイメージ転換に貢献、「気軽に出かけるための移動手段」として受け入れられ始めています。時速6km以下での歩道の走行が可能で、直感的で簡単な操作性と段差7.5cmでも乗り越えられる走破性、安定性を兼ね備えています。
2024年9月にはよりスマートになったスクーター「WHILL Model R」が新登場しました。その場での旋回や着脱式バッテリーの採用などで、幅広い住環境に取り入れやすくなっています。
■「足腰に自信がない」方も乗れる「電動シートボード」(Luup)
Luup社が2024年冬以降、シェアリングサービス内に導入予定の特定小型原動機付自転車「電動シートボード」。立ち乗りのモビリティに不安がある、または長時間大きな荷物を持っての移動シーンでは使いづらいといった課題を解決すべく開発されました。座席付き・かご付きで、「足腰に自信がない」という方でも乗りやすく、使いやすい仕様です。
■楽しい移動を可能にする電動パーソナルモビリティ「SUZU-RIDE」(スズキ)
スズキが2023年の「JAPAN MOBILITY SHOW」に参考出品したものです。特定小型原動機付自転車の区分で、電動キックボードのように手軽で、転倒しづらい一人乗りの電動モビリティです。機能的特徴のひとつは、ボックスが収納と座席を兼備している点。デザイン性に富み、16歳の高校生から「シニアカーはちょっと......」というご高齢の方まで、幅広い利用者層を想定しているそうです。
■地域の交通不便を解消し、高齢者の外出を促進するアイシン社の「チョイソコ」
2018年から始まった乗り合い送迎サービスです。高齢者に移動手段を提供し、外出機会を増やして健康維持・増進を図ることを目的としています。2024年7月時点で66自治体への導入実績があります。
■Community Mobility社が提供するサブスクリプション型の相乗りモビリティサービス「mobi」
WILLER社とKDDIが出資するCommunity Mobility社が提供する30日間エリア内定額乗り放題のサービスです。秋田県大館市、宮城県利府町、名古屋市千種区、大阪市北区・福島区、シンガポールなど日本国内・ASEANで実証実験を行っています。
■ネクスト・モビリティ社が全国で導入を推進する「のるーと」
西日本鉄道と三菱商事が共同で出資するネクスト・モビリティ社のAIデマンドバスで、それぞれの利用者の出発地や目的地に応じて、AIが最適なルートを導き出します。福岡市のアイランドシティにて、ネクスト・モビリティが自主運行して培ったノウハウを、福岡市壱岐南をはじめとする全国の事業者・自治体へ提供し、まちづくりと連携しながら導入を進めています。電話、専用アプリの他、LINEやMaaSアプリとも連携し、利用者が使いやすい多様な予約方法を提供しています。
社会課題のソリューションとしてモビリティに注目
──そもそも、楠田さんがモビリティの領域で活動するようになったのはなぜですか。
実をいうと、私は移動にも移動手段にもそれほど興味はないんです。根底にあるのは社会課題への関心です。「心が豊かになる社会の仕組みをつくりたい」と考えていて、そのソリューションとしてモビリティに注目しているだけなんです。
モビリティをテーマに活動するようになったのは、大学卒業後に自動車新聞社という業界紙をつくる会社に就職したのがきっかけで、その入社も本当に偶然でした。私は日本の画一的な就職活動になじめず、大学4年生になっても就職活動を全くしていませんでした。アルバイトで、ハローワークから紹介された神戸新聞社の商店街調査をしていた時、一緒に働いていた方に、「こういう会社が人を募集しているよ」と教えていただいたのが自動車新聞社でした。
入社後は記者として、国土交通省の自動車局が管轄する乗り物を横断的に取材していました。そのうち、デジタル化が進み紙媒体では競争力がない、縦割りの業界を横断的に捉えるビジネス誌がないとわかり、モビリティビジネス誌「LIGARE(リガーレ)」を立ち上げることになり、創刊編集長に就きました。
──それが入社から3年のことと聞いています。大抜擢ですね。
私自身、「面白そう」と思ったし、周囲も私が「心が豊かになる社会の仕組みをつくりたい」と語っているのを知っているので、「ちょうどいいからやってみれば」と(笑)。ドイツやフランスに行って、現地のモビリティの最新状況や街と人との関係などを取材し、日本に紹介していました。こうした経験が、その後フリーのモビリティジャーナリストとして活動するようになった私のベースになっています。
──当時、楠田さんがお考えになっていた日本のモビリティや街、社会の問題というのは何ですか。海外に比べて足りていない点や「もっとこうなったらいいのに」と思ったことはありますか。
理想像として描いていたのは、今でいうMaaSです。クルマ、電車、バス、自転車など、さまざまな移動手段を組み合わせて、一人ひとりのニーズに合った移動ができるようになるサービスが必要だと考えていました。
人が主役となって、どういう社会をつくるのか、そのために移動手段をどう再構築して活用するかという思想を持つことが重要だと考え、それを発信していましたね。
──当時はまだMaaSという言葉も生まれていないような時代だと思います。どのような経緯から、そういう理想像を思い描くようになったのですか。
高校時代、大学時代にスイスに留学した経験が大きいと思います。今思えば、ヨーロッパの街は、私が留学した当時から、人を主役とする移動の発想が浸透していました。例えば、スイスでは電車、バス、トラム、船などの交通機関が乗り放題のパスを使って利用できます。学生用のパスで確か年間12万円ぐらいだったと思います。あらゆる移動手段の乗り継ぎを一元検索できるシステムもありました。
当時は、「日本にもこういう仕組みがあれば便利なのに」と感じるだけでしたが、社会人になってモビリティの最新トレンドを追っている時に「あれだよね」と。
学生時代にはヨーロッパやアジアでバックパッカーとなって、一人でさまざまな移動手段を使って旅行をしていたので、知らず知らずのうちに、いろいろな国の公共交通の仕組みや生活スタイル、価値観なども吸収していました。自分の中で蓄積されていたものと、業界の現場で聞くさまざまな情報とがマッチしていったという感じです。
「日本人が真の豊かさを持てるように貢献したい」という思い
──「心が豊かになる社会の仕組みをつくりたい」と考え、そのソリューションとしてモビリティに注目しているというお話がありました。そのような考えを持つようになったのはなぜですか。
それも海外での経験が大きく影響していますね。高校時代に留学したスイスで、多様な価値観を認め合い、一人ひとりが豊かに暮らす社会に溶け込んだため、帰国後には画一的で閉塞感の漂う日本社会に"逆カルチャーショック"を受けたんです。
その違和感は大学入学後もぬぐえず、再度スイスに留学したり、カンボジアのNGOに参加したりしていました。カンボジアは途上国で日本から見れば貧しい国ですが、一人ひとりの生活を見ると、家族との絆を強めながら、自分の時間を大切に生きています。
日本は物質的にはとても豊かですが、果たして心は豊かなのか。むしろ、真に豊かなのはカンボジアの方ではないのか。「幸せ」というのは、経済的な指標でははかれないのでないか。そんな思いを抱くようになりました。
私が通っていた京都外国語大学の学生は、「海外と日本の架け橋になる」という夢を抱くことが多いのですが、私はそれよりも、「日本人が真の豊かさを持てるように貢献したい」と思うようになりました。私は兵庫県で生まれ育ったこともあり、地方・地域の活性化に寄与したいと思いました。
どんな人も豊かに移動できるようにするために必要なこととは
──そういう思いが、今のモビリティジャーナリストとしての根底にあるのですね。では、楠田さんが今、力を入れている活動を教えてください。
私はモビリティを課題解決の軸で見ていると話しましたが、運転免許証返納問題のほかに興味を持っているテーマが、子どもの安全、インバウンド、効率化・デジタル活用、人材育成です。
インバウンドに関しては、近々本を出版する予定です。インバウンドが多い地域、これから増えるかもしれない地域と、地域ごとに抱える課題も異なります。それぞれのソリューションを考えていかなくてはなりません。
──国土交通省や自治体の有識者会議委員を務めるなど、執筆以外にも活動を広げていらっしゃいますね。
数年前にグロービス経営大学院で経営学修士(MBA)を取得して以来、企業や自治体のコンサルティングやアドバイザーなどの依頼をいただくようになりました。
例えば、長野県伊那市では安全な通学路を整備するプロジェクトを進めています。安全な道路をつくるには、「速度の抑制」「交通ルールを守る」など、いろいろな条件があります。デジタルを活用して中学生が通学路の危険箇所を洗い出し、マップ化し、PDCA*4を回す社会の仕組みづくりに取り組んでいます。
*4 PDCA:Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善)の頭文字を取ったもので、業務や事業などの継続的な改善を目指す手法の一つ。
徒歩で通学する生徒たちに安全であれば、高齢者や障害者が乗るパーソナルモビリティもスムーズに走行ができます。
──日本をどんな人も豊かに移動できる社会にするには、何が必要でしょうか。
移動手段だけでなく、道路、街、社会のあり方から考え、人々が暮らしやすい環境をつくっていく必要があります。
意識面の変革も必要です。 私の姉は重度心身障害を持っているのですが、留学や旅で訪れたヨーロッパで、障害のある方も気楽に外出している姿を見て驚きました。石畳のあるヨーロッパよりも日本の方が段差も少なく移動は楽なはずですが、日本の障害者はあまり出歩こうとしません。"心のバリア"があるせいだと思います。
一人ひとりが多様な価値観を受け入れる。お互いを思いやる意識を持つ。そんな社会に成熟していくことも必要だと思います。
──モビリティという切り口から、日本社会のさまざまな課題が浮かび上がりますね。それらの課題が解決され、日本で、また世界で、すべての人が豊かに移動できるようになることを期待します。本日は貴重なお話をありがとうございました。
※記事の情報は2024年9月10日時点のものです。
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【PROFILE】
楠田悦子(くすだ・えつこ)
兵庫県生まれ。京都外国語大学卒業後、自動車新聞社に入社。モビリティビジネス専門誌「LIGARE」創刊編集長となる。2013年にモビリティジャーナリストとして独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」などの委員を歴任。スタートアップ経営のためのヒントやナレッジを発信するメディア「DIMENSION NOTE」元編集長。グロービス経営大学院英語MBA卒業。
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