【連載】創造する人のためのプレイリスト
2024.10.11
音楽ライター:徳田 満
アナログシンセの名曲・名演・名音 1974~1985年(邦楽編) Part2
クリエイティビティを刺激する音楽を、気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドする「創造する人のためのプレイリスト」。今回は、「アナログシンセの名曲・名演・名音」の邦楽編・Part2です。シンセサイザーが大衆に認知されるようになった1981~1985年の名曲をお楽しみください。
2023年10月に「アナログシンセの名曲・名演・名音 1967~1979年(洋楽編)」を紹介したが、今回はその邦楽編。1970年代中期から1980年代前半までを取り上げる。
この時期はロック、ポップス、ジャズ、映画・テレビ番組の主題歌(テーマ曲)やBGM、CM音楽など、日本でアナログシンセを使った音楽が一気に花開き、そこかしこで流れていた。ちょうど筆者が10代を過ごした頃でもあるので、「極私的アナログシンセの名曲・名演・名音」だとも言える。
1974~1980年の名曲を紹介したPart1に続き、Part2では、1980年代前半の名曲を紹介。今回も魅惑的でレトロ・フューチャーな、アナログシンセの時間旅行にご招待しよう。
1. 寺尾 聰「リフレクションズ」(1981年)
50代以上なら、1981年、人気テレビ番組「ザ・ベストテン」(TBS系)で寺尾聰(てらお・あきら)の「ルビーの指環」が12週連続1位という前人未到の記録を打ち立てたことを知っている人も多いだろう。12週というのは3カ月。今と違ってヒット曲が目白押しの時代に、それまで久しく音楽活動から遠ざかっていた俳優が、である。
「ルビーの指環」の人気に火がつくと、前年に発売していたシングル「SHADOW CITY(シャドー・シティ)」「出航 SASURAI」も売れ始め、「ザ・ベストテン」には一時、3曲が10位以内にランクインするという事態も起こった。
結局、この1981年までの「ルビーの指環」の売り上げは160万枚、これら3曲が収められたアルバム「リフレクションズ(Reflections)」も、それまでのトップだった井上陽水(いのうえ・ようすい)の「氷の世界」(1973年)を上回る180万枚を売り上げているが、数字以上に世間への影響は大きかったと思う。当時筆者は男子校の高校生で、音楽の時間に「一人ずつ好きな歌を歌っていい」と教師から言われ、筆者を含む大半の生徒が「ルビーの指環」を選んだことをよく覚えている。
現在、「リフレクションズ」はシティポップの名盤として高い評価を得ているが、それはこのアルバムの全曲を編曲した井上鑑(いのうえ・あきら)によるところが大きい。そして、井上自身が弾くアナログシンセが効果的に配されていることが、このアルバムを1970年代とは違う80年代のポップスにしていると思う。
例えば、「ルビーの指環」はギターのリフから始まり、そこにシンセ(ミニモーグ)のソロが入って歌へと誘う。「出航 SASURAI」もギター → シンセ → 歌の構成。「HABANA EXPRESS」はやわらかな音色のシンセからスタート。「SHADOW CITY」は全編、生ギター、エレピ、シンセによるストリングスが絶妙なアンサンブルとなっている。
「楽器だか何だかわからない」状態から10年。シンセサイザーはようやく、大衆に認知されるだけでなく、時代を表現する存在になったのである。
2. 姫神せんせいしょん「奥の細道」(1981年)
姫神せんせいしょんは、その名の通り、岩手県盛岡市にある姫神山の麓に住んでいた星吉昭(ほし・よしあき)をリーダーに、同県出身者のみで1980年に結成されたバンド。音の特徴としては、東北地方の民謡やわらべうたなどに影響された「和」のメロディーを、星のシンセサイザーが奏でるだけではなく、ギターやベース、ドラムスといった生のバンド・アレンジで演奏するというものだ。
この「奥の細道」がデビューシングルながら、サウンドはすでに完成されている。
筆者は高校〜大学時代、YMOとその関連作品にハマる一方で、このバンドのレコードも愛聴しており、モロに影響された曲まで作ったこともある。その理由を言葉で説明するのは難しいが、日本人の感性に訴える(日本古来の)メロディーを、未来的な楽器であるシンセが表現していることと、そのシンセを主役としたバンド・アンサンブルが魅力だったのだろう。
バンドとしての姫神せんせいしょんは1984年に解散。以後は星のソロユニット「姫神」となり、2004年に星が逝去して以降は、1994年からユニットのメンバーだった息子の星吉紀(ほし・よしき)が引き継ぎ、現在も活動を続けている。
3. ロジック・システム「ドミノ・ダンス」(1981年)
松武秀樹(まつたけ・ひでき)。この人がいなければ、日本の大衆音楽へのシンセサイザー普及はずいぶん遅く、また質的にも低いものになっただろうと思われる。
かつては「YMO4人目のメンバー」とも呼ばれていたが、YMOに限らず、シンセを使ったレコーディングやライブで彼のお世話になったミュージシャン、バンドは膨大な数に上る。
冨田勲(とみた・いさお)のアシスタントから音楽業界に入り、程なく独立。所有するシンセを貸し出すだけでなく、使い方を教えたり音色を作ったりするマニピュレーターや「MC-8」といったシーケンサーなどのプログラマーとして活躍する一方、テレビ番組のテーマ曲やCM曲の制作も請け負っていた(それらの一部は「LOGIC CHRONICLE(ロジック・クロニクル)」というCDボックスセットで聴くことができる)。
そんな超多忙だった1981年に発表したのが、本作「Domino Dance」を収めた初のリーダーアルバム「ロジック(Logic)」。聴いていただければおわかりと思うが、YMOというよりエレクトロニック・ダンス・ミュージックのビートルズ(The Beatles)とも評されるクラフトワーク(Kraftwerk)に通じるシンプルなテクノポップで、なぜか香港で人気を呼び、当時ライブまで行っている。筆者も当時このアルバムを買ってよく聴いていた。
松武は以降もこのロジック・システム(Logic System)名義でアルバムを発表。そのたびに違うコンセプトで、共作者やアレンジャーも変えているので、それぞれ作品テイストも異なる。彼自身はキーボーディストではないので、高度な演奏はほかのプレイヤーかコンピューターに任せているのだが、それでも音楽やシンセについての知識と経験、そしてイマジネーションがあれば、十分に魅力的な作品が作れることを証明してくれている。
4. Various Artists「うる星やつらMUSIC CAPSULE(音楽編)」(1982年)
2022年、「うる星やつら」が突然、完全新作のテレビアニメとして復活したことを覚えている人も多いだろう。その1981年版、つまり最初にアニメ化された時のサウンドトラック盤がこれである。
筆者もよく観ていたのだが、近年このサントラを聴き直してみて、アナログシンセがそこかしこに使われていたことを思い出した。例えば、何か騒動が持ち上がったときに流れる「事件だ事件だ大事件」は、(おそらくMC-8による)速いリフの上に手弾きのコード(和音)が乗っかるという構成。また何かを探検する際に流れる「サスペンスタッチ3」は、リズムボックスとシンセベースに、ポルタメント(音程がなめらかに変わる)機能を使ったシンセソロという組み合わせだ。
これらのシンセによる楽曲を制作した安西史孝(あんざい・ふみたか)によれば、「うる星やつら」の音楽は、「洋楽編」で紹介したペリー&キングスレイ(Perrey&Kingsley)の影響が強いという。確かに、アナログシンセの単音が持つ「はっちゃけ」感はどちらにもある。
安西は1976年、弱冠18歳にして国産メーカー・ローランド(Roland)の技術開発室にアルバイトとして採用され、同時にスタジオ・ミュージシャンも始めている。「うる星やつら」の劇伴(BGM)制作はその縁から生まれた仕事で、当初はレコード化の予定はなかったが、とてもユニークなので商品化したところ、大ヒット。安西の名は一気に高まり、のちの音楽ユニット「ティーピーオー(TPO)」の結成や、つくば科学万博のキャンペーンソングなどにつながっていく。
本盤のヒットには、もちろん原作の漫画やアニメの内容、主題歌などの人気もあるだろうが、安西の作るサウンドが多くの人に受け入れられたことは間違いない。1981年版が放送されていた1981年10月から1986年3月までの約5年半は毎週、まさに全国のお茶の間で先鋭的な音が流れていたのである。
5. ゲルニカ「改造への躍動」(1982年)
細野晴臣(ほその・はるおみ)と高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)が立ち上げたアルファレコード内の「¥EN レーベル」から、1982年6月21日、ゲルニカというユニットのデビュー・アルバムがリリースされた。
メンバーは、作詞と美術(アート・ディレクション)が太田螢一(おおた・けいいち)、作曲・演奏が上野耕路(うえの・こうじ)、歌唱が戸川純(とがわ・じゅん)。いずれも一般的には無名の3人だったが、「面白そう」と思った筆者は、なけなしの小遣いをはたいて買った。結果、大当たりだった。
大正〜昭和初期から題材を採った、太田の毒を潜ませた歌詞に、上野が独学で得た管弦楽の知識をフル活用して作曲。その摩訶不思議な世界を、女優として仕事を始めていた戸川が変幻自在の歌唱法で表現。世界に二つとない、このユニットだけのオリジナリティーが爆発している。
このアルバムの音的な特徴は、上野が自宅でシンセやリズムマシンなどを用いて多重録音した音源が、そのまま使われていること。プロデューサーである細野が、スタジオで録り直すよりも、そのまま出したほうがいいと判断したのである。そのため、単音だとチープにしか聞こえないアナログシンセがシンフォニーとなって、なんとも言い難い魅力を醸し出している。
ゲルニカは、その後も1枚のシングルと2枚のアルバムを出し、それらはいずれも本物の管弦楽を使っている。それはそれでもちろん素晴らしいのだが、過去(と思われる世界)がアナログシンセで表現された、この「改造への躍動」には、このアルバムの中だけに存在する時空が描かれているようなサムシングが感じられる。
なお、¥ENレーベルには、ほかにもテストパターンやインテリア、井上誠と山下康によるイノヤマランドといった、シンセをメイン楽器とするユニットがアルバムを残している。それぞれ個性的な内容なので、興味があれば聴いてみてほしい。
6. 東海林 修「Digital Trip 海のトリトン」(1983年)
1970年代後期から80年代初期にかけては、ジャンルを問わずさまざまなアーティストがシンセサイザーに興味を示し、演奏していた。その主な動機は、既製の楽器にはない音が得られることと、(その時点での)未来的なサウンドを創り出せることだったのだろう。レコード会社もそうしたサウンドが商売になると考え、シンセをフィーチャーしたいろいろな企画盤を制作した。
ここで紹介するのも、日本コロムビアが「Digital Trip」シリーズとして発売したものの一つで、前編で紹介した深町純(ふかまち・じゅん)や安西史孝なども、このシリーズでSFアニメなどのシンセサイザー・アレンジ作品を発表している。ちなみにSFがらみで言えば、SFを題材としたシンセサイザー作品の多い難波弘之(なんば・ひろゆき)は、自らSF小説も書いている。
「海のトリトン」は手塚治虫(てづか・おさむ)原作のテレビアニメで、音楽は鈴木宏昌(すずき・ひろまさ)が担当。そのサウンドトラックも1979年に発売されていたが、作・編曲家で、シンセサイザーも早くから使っていた東海林修(しょうじ・おさむ)がアレンジ・演奏したのが本盤である。
オリジナルのファンからは賛否両論あるようだが、温かみのある音色とほっこりしたリズムにアレンジされた主題歌「GO!GO!トリトン」のインスト版など、多重録音したシンセとリズムマシンだけの音世界はなかなか心地よい。
オリジナルを離れて、1枚のイメージ・アルバムと捉えれば味わい深く聴けるだろう。使用したシンセの機種は不明だが、音の響きから、アナログシンセに加え、発売されて間もない世界初のフルデジタルシンセサイザー「YAMAHA DX7」も使っていると思われる。
なお、東海林は1981年に映画「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」の音楽を手がけている。フルオーケストラ編成の中で唯一、自らシンセだけで演奏した「大宇宙の涯へ~光と影のオブジェ~」は、大のお気に入りだというだけあって完成度も高いので、機会があればぜひ聴いてほしい。
7. 井上 誠「ゴジラ伝説」(1983年)
別々に好きだったものが一つに結びついたときの喜びは、体験した者にしかわからないだろう。「ゴジラ伝説」のリリースは筆者にとって、まさしくそれだった。幼い頃から好きだったゴジラ・怪獣映画とその音楽、そして当時熱中していたシンセサイザー音楽とテクノポップが「合体」したのである。
当時ヒカシューのメンバーだった井上誠は、やはり幼少時からの怪獣映画ファン、そしてそれらの音楽を担当した伊福部昭(いふくべ・あきら)の熱烈なファンだった。それゆえ、1978年、レコードデビュー以前のヒカシューのライブで、すでに「ゴジラ」などの音楽をアレンジ・演奏していたという。
もとより、伊福部の書いた原曲は、フルオーケストラによる編成。ただシンセに置き換えるだけでは薄っぺらい音になるだけで、到底その魅力を伝えられない。そこで井上は、シンセを何度も重ねるとともに、生のベースやドラムス、巻上公一(まきがみ・こういち)や戸川純などのゲスト・ヴォーカル、合唱を加えたバンド編成にすることで、ロック的なサウンドにアレンジ。
プログレ好きだったという井上の志向が吉と出て、「怪獣大戦争」などのマーチ曲はもちろん、「聖なる泉」などのバラードにも、新たな生命が吹き込まれた。シンセは、現在でも名機の誉れ高い、ローランドの「ジュピター8(JUPITER 8)」を選択。この機種ならではの美しいストリングスやブラスの音色が絶大な効果を上げている。
この「ゴジラ伝説」は各方面での好評を受け、1984年までに計3作が作られた後、2014年と2017年にも続編が発表されている。今、改めてこの1作目を聴きながら、まだ復活するかどうかわからなかったゴジラ映画の新作の音楽のつもりで、繰り返しレコードに針を落としていた高校生の頃を振り返り、「好きなことをずっと好きで良かった」とつくづく思う。
8. 細野晴臣「バイオ・フィロソフィー」(1985年)
今回はあえてYMOとしての作品を選んでいないが、最後はやはり、この人に登場してもらおう。
「Bio Philosophy」は、1985年の「コインシデンタル・ミュージック(Coincidental Music)」に収められた楽曲。このアルバムは1曲を除き、全てCM用に制作されたもので、この曲も1984年、ヤクルトのCMのために作られた。映像には細野本人が出演している。
細野によると、本作を含め、この時期に制作した楽曲は歌謡曲であれCM曲であれ、ほとんどがスタジオに入ってから即興で作ったものだという。本人は「火事場の馬鹿力」と称しているが、そもそも何もないところからはメロディーもリズムも湧いてこない。つまりはそれだけ多種多様な音楽を聴き、また演奏してきたという蓄積が成せる技なのだろう。
MC-4(MC-8をさらに使い勝手よくしたシーケンサー)による単純なパターンと素朴なメロディー。それでいて、やはり細野晴臣を感じさせる音。この静かな響きに耳を澄ませていると、社会現象にまでなったYMOが前々年に「散開」し、少し肩の荷が下りた頃なのかな? と、つい当時の彼の心境を想像してしまう。そしてまた、いろいろなことでくたびれている、40年後の日本と日本人を、時を越えてそっと癒やしてくれているようにも感じる。
(参考資料)
・田中雄二 著「電子音楽 in JAPAN」(アスペクト、2001年)
・美馬亜貴子 監修「THE DIG PRESENTS DISC GUIDE SERIEDS TECHNO POP」(シンコーミュージック、2004年)
・松武秀樹 著「松武秀樹とシンセサイザー「限定愛蔵版」 MOOGⅢ-Cとともに歩んだ音楽人生」(ディスクユニオン、2015年)
・コラム「シンセサイザー鍵盤狂 漂流記 ~音楽を彩った電気鍵盤とシンセ名盤の数々~ その81」(サウンドハウス公式サイト、2022年)
・各作品CD盤解説
※記事の情報は2024年10月11日時点のものです。
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【PROFILE】
徳田 満(とくだ・みつる)
昭和映画&音楽愛好家。特に日本のニューウェーブ、ジャズソング、歌謡曲、映画音楽、イージーリスニングなどを好む。古今東西の名曲・迷曲・珍曲を日本語でカバーするバンド「SUKIYAKA」主宰。
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