「ロボット水門」に会いに、岐阜のまちをサイクリング!

【連載】ドボたんが行く!

三上美絵

「ロボット水門」に会いに、岐阜のまちをサイクリング!

遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!

まさかのシェアサイクルで、まずは大仏さまにごあいさつ

2023年12月、ドボク探検倶楽部(通称ドボたん)隊長である(隊員はいない)私三上は、岐阜市を訪れました。お目当ては、"ロボット水門"こと「忠節用水分水樋門(ちゅうせつようすいぶんすいひもん)」です。長良川の近くに、昭和のSFアニメに出てきそうなロボット顔をしたドボかわいい水門があるというのです。


JR岐阜駅からロボット水門へ行くには、バスで15分ほどの停留所「長良橋」が最寄り。でも、せっかくならあちこち寄って岐阜のまちを探検しよう。そう思った私は、駅前でシェアサイクルを借りることにしました。


スマホで会員登録し、サイクルポートへ。自転車の鍵に付いているQRコードを読み取ると解錠される仕組みです。自転車は、電動アシスト付き。乗ったことがないけれど、大丈夫かな。もたつきながらも、なんとか鍵を開け、いざ出発!


アシスト付きって意外とペダル重いのね、、、と思いながらしばらく走ります。赤信号で停まった時、ふとハンドルを見ると、スイッチらしきものを発見。あ、スイッチ入れるのか(笑)。信号が青になり、ペダルを踏み込むと、あら楽ちん。軽くひと漕ぎで、ぐいぐい進みます。


ところが快適に走行したのもつかの間、なんだかまたペダルが重くなってきました。降りてみると、なんとバッテリー切れ! 目的地はまだ先だけど、トレーニングと思ってがんばろう......。


気を取り直してしばらく走ったところで、道沿いにとても大きな木造建築があるのを見かけました。お寺のようだけれど、とにかく大きい! 横に広い三重塔のような形をしています。通り過ぎかけたものの、気になってUターンし、自転車を降りてみました。


沿道から見えた3階建て風の木造建築。不思議な形をしている沿道から見えた3階建て風の木造建築。不思議な形をしている


入口に立っている石柱には、「黄檗宗 大佛殿(おうばくしゅう だいぶつでん)」と彫ってあります。ということは、この巨大な堂宇の中に大仏さまがおわすのでしょうか。自転車を停めて中に入ってみることにしました。


堂宇の前の石柱には、側面に「日本三大仏」と彫られている堂宇の前の石柱には、側面に「日本三大仏」と彫られている


パンフレットによれば、お寺の名前は「黄檗宗 金鳳山正法寺(おうばくしゅう きんぽうざんしょうぼうじ)」。大仏殿は江戸時代後期の建物で、岐阜市の重要文化財。明朝建築と和様が融合した様式で、内部は高さ13mを超える坐像を収めるための大空間となっているそうです。


大仏殿に足を踏み入れたとたん、思わず声を上げました。数字から想像していたよりはるかに大きな大仏さまと目が合ったのです。そのお顔のなんと柔和なこと!


岐阜県の重要文化財であるこの「岐阜大仏」は、度重なる災害による犠牲者の供養を目的として建立された大釈迦如来像。直径約57cmもの大イチョウの真柱を背骨のように通し、木材で骨格を組み、表皮はカゴのように竹材を編んだ構造であることから、「籠(かご)大仏」と呼ばれているそうです。


正法寺の岐阜大仏。狭い堂宇では真下から見上げることになるため、参拝者が目を合わすことができるように、あえてうつむく姿に造られている。岐阜県重要文化財正法寺の岐阜大仏。狭い堂宇では真下から見上げることになるため、参拝者が目を合わすことができるように、あえてうつむく姿に造られている。岐阜県重要文化財


編んだ竹材に粘土を塗り、経文を貼り重ね、その上に漆を施して金箔で仕上げる。この工程上、大仏を造立する段階から風雨を避ける屋根が必須でした。このため、大仏殿の造営は大仏づくりと並行して一体的に行われたと考えられています。




ドボかわいいロボット顔の水門と仲間たち

岐阜大仏殿から再び自転車に乗って、織田信長の居館跡として知られる岐阜公園の横を通り抜けたあたりで、小さな水路に差し掛かりました。ふと右を見ると、あった! 三角の耳に丸い目、四角いおちょぼ口のロボット顔がこちらを向いています。「ロボット水門」の愛称で親しまれている忠節用水分水樋門です。


忠節用水は長良川から取水し、岐阜城下を網目のように流れた後、再び長良川へ排水される農業用水路。江戸時代初期にはすでに存在したといわれます。ロボット水門は1931(昭和6)年に始まった忠節用水の改良工事の一環として、新たな取水口や放水路、第二樋門、逆水樋門などと同時に建設されました。


「ロボット水門」という通称がぴったりの忠節用水分水樋門。1933(昭和8)年の竣工時から、三角の「ロボット水門」という通称がぴったりの忠節用水分水樋門。1933(昭和8)年の竣工時から、三角の"耳"以外はほぼ現在と同じ風貌だった。耳は水門の門扉を上下させるためのシャフトのカバーとして後年に取り付けられた


ロボット水門は忠節用水が放水路と分岐する個所にあります。放水路側にロボット水門、用水路側には第二樋門があり、用水路へ流れる水量をコントロールしているのです。取水した水量が田畑で必要な水量を上回るときは、第二樋門を閉じ気味にしてロボット水門を開け、余分な水を放水路へ流す仕組みです。


また、放水路の先には逆水樋門があり、長良川の水位が上がったときはこの樋門を閉じて水が逆流して洪水になるのを防ぎます。これらの施設群が連携し、絶妙なチームプレーで利水と治水のバランスを保ってきたのです。


忠節用水と放水路の分岐点。手前が取水口側で、左に第二樋門、右奥にロボット水門が見える忠節用水と放水路の分岐点。手前が取水口側で、左に第二樋門、右奥にロボット水門が見える


ロボット水門の近くにある第二樋門。壁は玉石張りで、川原石が埋め込まれているロボット水門の近くにある第二樋門。壁は玉石張りで、川原石が埋め込まれている




川湊で栄えた川原町と美しいアーチの忠節橋

ロボット水門から忠節用水沿いに下っていけば、すぐに長良川に出るはずです。せっかくここまで来たのだから、長良川の2~3km下流にある「忠節橋」を見て帰ろう。忠節橋は「土木学会選奨土木遺産」にも認定されている美しい橋です。私は再び重いペダルを漕ぎ始めました。


すると、忠節用水の奥、長良川の川原の方向に、瓦屋根の連なりが見えます。行ってみると、細い路地を抜けたところに伝統建築のまち並みが広がっていました。この一帯は、斎藤道三や織田信長の時代から、長良川の水運の拠点、「川湊(かわみなと)」として栄えたまちで、今は川原町と呼ばれています。


長良川上流域の美濃紙や木材、茶、刃物などの産品を船で運び、ここを中継点として全国へ流通させていたのです。今も、往時の問屋街をしのばせる格子戸造りの商家が残っています。有名な「長良川の鵜飼(うかい)」の観覧船乗り場も近くにありました。


川原町のまち並み。江戸時代には紙問屋や木材問屋などが軒を連ねていた川原町のまち並み。江戸時代には紙問屋や木材問屋などが軒を連ねていた


川原町の端近くにある忠節用水逆水樋門を見て、その先は長良川に沿って通る幹線道路を進みます。しばらく漕ぐと、遠くにうっすらとアーチ橋が見えてきました。電動アシストのバッテリーが残っていれば、おそらく余裕で到着できる距離でしょう。しかし、今は唯一のエンジンである自分の脚が、悲鳴を上げかけています。


長良川の雄大な眺め。中央ずっと奥に忠節橋らしきアーチが見える。がんばれ、自分!長良川の雄大な眺め。中央ずっと奥に忠節橋らしきアーチが見える。がんばれ、自分!


せめて忠節橋がもう少し大きく見えるところまで、あと少し、もう少し進もう。自分を鼓舞して、よいしょ、うんしょとペダルに体重をかけて踏み込みます。ふーっ、だいぶ進んだはずですが、肉眼では橋の細部はよく見えません。自転車を降りて、デジカメのズームを目一杯上げてみました。


おお、美しいラインが見えた! 選奨土木遺産のサイトによれば、忠節橋の形式は「ブレーストリブバランストアーチ鋼橋」。アーチ部分は強度を増すために鋼材をトラス状に組み(ブレーストリブ)、両側のトラス桁と合わせてバランスを取っています(バランストアーチ)。竣工は、戦後間もない1948(昭和23)年。岐阜の市街地に架かる長良川の橋では、現存する中で最も古いそうです。


コンパクトデジカメのズームを最大にして撮った忠節橋。中央のアーチから両側の側径間へ続く滑らかなラインが美しいコンパクトデジカメのズームを最大にして撮った忠節橋。中央のアーチから両側の側径間へ続く滑らかなラインが美しい


近くまで行って、橋のディテールを味わいたい気持ちは山々でしたが、そこからまた岐阜駅まで自転車で戻らなければなりません。なんとか写真が撮れたのでよしとして、今回はここで引き返すことにしました。うう、残念!




「長良川とともにある暮らし」を感じさせるまち

12月とはいえ日差しは暖かく、渾身の力でペダルを踏み続けたこともあって上着を脱ぐほど。頬を切る風が心地よく感じられます。長良川を離れ、金華橋通りを通って駅へ戻る途中、岐阜市役所を過ぎて少し走ったあたりで、歩道の脇に「橋の欄干だったらしきもの」を発見しました。


元欄干の外側はコンクリートで塞がれており、川か水路が暗渠化されたように見えます。岐阜市内を網目のようにめぐらされていた忠節用水は、昭和の高度成長期に多くが暗渠化され、用水の水もほとんど利用されなくなったとか。もしかするとこの橋も、元は忠節用水に架かる橋だったのかも......と想像が膨らみます。


残された立派な親柱と欄干。橋名板は見当たらなかった。奥のコンクリートの部分は蓋をされた暗渠に見える。手前の金華通りと斜めに交差していた残された立派な親柱と欄干。橋名板は見当たらなかった。奥のコンクリートの部分は蓋をされた暗渠に見える。手前の金華通りと斜めに交差していた


一方、そのすぐ近くには、凝ったデザインの新しそうな歩道橋が架かっていました。銀色のアーチと、つづら折りになった両側の階段がかっこいい! こんなところにも、橋に目の肥えた岐阜の人たちの美意識が反映されているのかな、と感じました。


金華通りに架かるアーチの歩道橋。銀色の塗色が輝く金華通りに架かるアーチの歩道橋。銀色の塗色が輝く


昔も今も、長良川とともにあるこの地域の人々の暮らし。シェアサイクルのバッテリー切れというアクシデントはあったものの、そんなまちの様子がうかがえる有意義なショートトリップとなりました。



(参考資料)
・黄檗宗 金鳳山正法寺 パンフレット
岐阜県公式ホームページ
・土木学会誌 2019年11月号(公益社団法人土木学会)
金華・川原町散策マップ[pdf](川原町まちづくり会)
土木学会選奨土木遺産―忠節橋(公益社団法人土木学会)
「忠節橋project~川の記憶のデザインⅣ」[pdf](今井裕夫, 岐阜市立女子短期大学研究紀要第56 輯, 2007年)


※記事の情報は2024年4月23日時点のものです。

  • プロフィール画像 三上美絵

    【PROFILE】

    三上美絵(みかみ・みえ)

    土木ライター
    大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
    著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
    建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp

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