スポーツ
2020.12.15
宮川紗麻亜さん ビーチバレーボール選手〈インタビュー〉
コートの上がいちばん輝ける場所
ビーチバレーボール宮川紗麻亜選手は高校バレーボールの名門、八王子実践高校で1年生エースとして活躍、春高バレー*のヒロインと呼ばれ、大学、実業団を経て2010年にビーチバレーへ転向。2011年のJBAツアーでは新人賞を獲得、その後もコツコツと積み重ね活躍を続けてきました。2020年はどの競技のスポーツ選手にとっても非常に厳しいシーズンになる中、バレーボール生活がちょうど30年目に突入した宮川選手に、今の心境や来期の目標をうかがいました
*春高バレー:全日本バレーボール高等学校選手権大会。2011年より毎年1月に行われる。
小学校時代の練習が一番ハードだった
――宮川選手は今年でバレーボールを始めて30年目という節目だそうですが、正確にはいつからバレーボールを始めたのですか。
小学校1年生の時ですね。たまたま体育館に遊びに行った時にバレーボールをやっていたんです。初めてちゃんとしたスポーツを見て、楽しそうと思ったのがきっかけなので、それがバレーボールじゃなくてバスケットボールだったら、バスケットボールをやってたかも。誰かにやりなさいとか誘われたわけではなく、自分で楽しそうだと思って始めたのがバレーボールです。
――小学校で参加したチームは強いチームだったのですか。
山梨県の韮崎市出身なんですが、当時県内で一番強いチームでした。練習がすごくハードで、これまでのバレーボール競技人生の中で、小学校時代の練習が一番きつかったですね(笑)。高校がバレーボールの名門校だったので大変だったのでは? とよく言われるんですけど、実際の練習内容はそんなに厳しくなかったです。
小学校時代はボールを触るまでが大変でした。もうずっと走ってる。山まで走りに行って帰ってきたら体育館をダッシュして、筋トレしてって。体力的に一番きつかったですね。
――身体を作るトレーニングってことなんですね。まだ小学生なのにそんなにきつい練習で、辞めたくならなかったのですか。
1回だけありましたね。本当に辞めたいって親に言ったことがありますけど「辞めたかったら辞めていいよ」って、そう言われたら、なんか悔しくて続けた感じです。負けず嫌いだったから親も分かっていたんでしょうね。
――中学でも続けて高校はバレーボールの名門校、八王子実践高校に進まれました。スカウトですか?
はい。声をかけていただきました。八王子実践高校のバレーボール部は、監督が選んだ人しか入れないんですよ。どこで見つけてくださったのかは私も分からないんですけど、中学まで来てくださって、スカウトという形で声がかかりました。東京都にある高校ですが、私たちの代は東京出身の部員が一人もいなかったですね。全国各地から来ていてみんなで寮生活です。
――高校の時はバレーボール三昧ですか。
そうですね。体育祭だけ出るんですけど、その他の文化祭とか修学旅行、課外授業とかには一切出なくて練習です。
――えっ。修学旅行にも行かないんですか。
はい。みんなが旅行に行ってる間は授業がないので、その分練習できるじゃないかっていう......。勝ちたい、日本一になりたいっていう気持ちが強くて、目標があったので、別に行けなくてもいいかなって思ってました。
――なるほど。それで1年生の時は春高バレーで準優勝、2年生では3位でした。高校卒業後、大学は日本女子体育大学へ進学してバレー部で活躍。その後は実業団のチーム「GSSサンビームズ」へ行かれましたが、そこはVリーグじゃなくて創設間もないチームだったんですよね。
はい。創設1年目ぐらいの時に入って、地域リーグという一番下のリーグからスタートしました。そこから3年でV リーグの下のリーグまで昇格したんです。そこで4年やったところでビーチバレーに転向しました。
焼けた肌に憧れて!? ビーチバレーの世界へ
――ビーチバレーに転向するきっかけは何だったのですか。
インドアのバレーボールって、冬がメインで夏はサマーリーグとかあるんですけど試合数は少ないんですよ。その時期に同じチームの友人がビーチバレーをして、日焼けして帰ってきたんです。なんでそんな黒いのって聞いたら、ビーチバレーやったんだよって。私昔から黒くなりたい願望があって...。
――美白ブームのトレンドとは逆ですね(笑)
はい。そこですかってよく言われるんですけど(笑)。肌が黒くなる上に、バレーボールの練習になるんだったら行ってみたいっていうのが、実は最初のきっかけです。実際やってみたら、楽しいんですけど、全然思ったようにできないんですよ。自分がこれまでバレーボールでやってきたイメージでやると、足が砂に埋まっちゃってジャンプもできないし 走れないし。悔しくて、いつかちゃんとやってみようって思いました。
――それで実業団を辞めてビーチバレーへ行く決心をしたのでしょうか。
その時ではないですが、インドアのバレーをしながらビーチバレーも少しずつやるようになって回数が増えていったという感じです。でも実業団でのプレーがちょうど4年終えた時点で、いずれにしろバレーボールは辞めようと思っていたんです。
――なぜ辞めようと思ったのですか。
小学校から始めて競技歴が20年経ったところだったんです。もういいでしょうって、やりきったかなって思いました。
――でもそこから本格的にビーチバレーへ転向したんですよね。
結果的にはそうですね。最初にビーチで組んだ保立沙織という選手がいたんですが、彼女は大学の同級生でビーチバレーの大学選手権で4連覇していたんですよ。今もまだその4連覇という記録は書き換えられていないはずです。お互い存在だけは知っていて、接点はなかったんですが、たまたま共通の友人がいて引き合わせてくれて。初めて一緒に練習してみたら、すごい上手だったんです。
彼女はビーチバレーを長年やっていて、結果も残している選手なのですごい人だなっていう印象でした。でも、自分ではその1回きりで終わりだと思ってたんですよ。そうしたら保立さんから本気でビーチバレーやらないかって声をかけてくれて。そんな人からせっかく声をかけてもらったのなら、日本一目指してやろうって思ったのが2010年の夏前ぐらいですかね。ペアを組む人はその後何度か変わって、ビーチバレーを始めてから今年でちょうど10年目になります。
――2020年は新型コロナウイルスの流行でほとんど試合がありませんでした。現在の心境はいかがでしょうか。
去年まではジャパンツアーは出場可能な大会は全て出場してましたが、今年はコロナで試合がないのでペアも一旦解消ということになりました。来年、組んでくれる人がいるかなっていう心配がありますね。
自分主体でプレーできるのがビーチバレーの魅力
――ペアはどういう風に組むのですか。自分から組みたい選手に連絡するんでしょうか。
そうですね。組んでみたいと思う人に声をかけて食事に行ってお話しして、目標や目指してるもの、やり方が合うようであればやってみようかって感じ。声をかけたり、かけられたりしてペアを組むような形ですね。
――シーズンを戦い抜くパートナーを選ぶわけですから難しいですよね。
ビーチバレーボールのチームを持っている企業、例えばトヨタ自動車の選手であっても、絶対にそのチーム内の誰かと組まなきゃいけないっていうわけではないんです。もちろん企業側としたら同じチームのメンバー同士で組んでほしいっていうのはあるんだろうと思うんですが、合う人がいない場合は違うチームの人と組んだりもします。
――それでもチームというのはあって、一緒に練習しているんですね。面白い世界ですね。
そうですね。インドアのバレーボールとは違う世界という感じはします。 ペアを解消する時にお互いが納得していない場合は、後々ちょっと気まずい雰囲気になったりすることもあります。特殊だなとは思うけど、自分にとってより良いパートナーを探さないと生き残っていけないっていう世界でもあります。
――ビーチバレーの魅力っていうのはどういうところですか。
それは今も探し続けている感じではあるんですけど......。監督の指示で動くことが多いインドアのバレーボールと比べて、自分でどうしたいか考えて、自分主体でプレーできるのは魅力だなと思います。
――インドアのバレーボールは、特に強豪校などでは名監督がいらっしゃって、作戦はほとんど監督やコーチが考えるということですよね。
試合中はセッターが大体決めますけど基本方針は監督が決めることが多かったですね。
――攻める時は「あいつ中心で行け」みたいな?
そうですね。監督がベンチから出すサインっていうのもありましたね。だからプレイヤーはみんな試合中ベンチをチラチラ見るっていう。フェイントのサインもあるぐらいでした(笑)。
――ビーチバレーは自分たちで相手のチームの分析もしないといけないですね。
そうですね。ビデオを撮ったり、実際に試合を見て、この人はこのコースに打つことが多いとか、後ろが弱いとか、前に出てることが多いとか。その中で、この人に対してはこういうサーブを打とう、こういう攻撃をしよう、スパイクだったら苦手なほうへ打とうとか、そういう作戦も全部自分たちで立てます。
――でもお互いが分析されてますよね。それをどう組み合わせるか、組み立てるのか駆け引きみたいなところですね。しかもスピーディーにいろんな状況が変わります。
体育館はそんなにも外的環境って変わらないと思うんですよ。でも、ビーチバレーって会場によって砂の深さも硬さも変わりますし、吹く風とか太陽の位置も時間で変わります。1分1秒変わってくるので、それに対応しなきゃいけない難しさもあるけど、その中で競技する面白さもあります。
30代、40代でも第一線で活躍できる競技
――それにしても素人からすると、暑さもあるし、作戦とか分析以前に体力を奪われそうです......。途中で動けなくなったりしないのでしょうか。
試合が重なってくるとかなり体力を消耗しますから、どうしても動けなくなってきたりもします。 その一方で体力がなくてもベテランの方って経験豊富なのでどこに落とせば決まるのか、効率的に攻撃するポイントが分かってるんですよね。ですからビーチバレーは体力があるから勝つとは限らず、年をとっても勝てる、長く競技が続けられることも魅力です。実際30代の選手も多いし、40代の選手もいます。走ったりするのは大変なんですけども、それ以外の部分でカバーできることがあるんです。
――なるほど、体力がない部分を試合運びの巧さでカバーするのですね。他に、砂の上で走ったりジャンプしたりは大変だけど、逆に膝への衝撃が少ないとか身体には優しい部分があるんでしょうか。
ありますね。インドアの床だとジャンプした反発って結構腰とか膝にくるんですけど、砂はクッション性があるので衝撃は少ないと思います。
――一般の人も長くできるスポーツとして、今後流行ってくる可能性もありますよね。中高年の人は体力的に厳しくて、これからやるスポーツという認識はないかもしれませんが。
インドアより現役を続ける選手が多いです。インドアだと平均して25~26歳くらいで引退していく人が多いですね。私と同年代で現役でがんばっているのは、荒木絵里香さん(トヨタ車体クインシーズ)ぐらいかな。代表でまだやってますけどすごく少ない。
――インドアの選手が現役でやれる期間が短いのは故障しやすいとかもあるんですか。
膝とか足首、腰は怪我をしやすいと思います。
――ビーチバレーの選手は経済的な面、環境的な面で続けていく難しさがあるのではないかと思うのですがどうなのでしょうか。
そうですね。私も今はアルバイトをしながらプレーを続けていますが、それでもここまで続けてこられているので、きっと誰でもできると思います。環境的に厳しいから辞めてしまうっていう人も中にはいますが、やり続けることでまた違った世界が広がると思うので、それを理由に辞めてほしくないですね。
就職とかその段階で、若い選手たちがビーチバレーを続ける環境がないから諦めようっていう声を聞いたことがあるんですけど、続けたいならどうにかしてやってみたらいいんじゃないかなって思います。私もビーチバレーだけに専念して続けてこられたわけじゃないんですけど、続けることによっていろんな人と出会って世界が広がったので。
――パーソナルトレーナーをされたり、今年からビーチバレーの指導も始めるとうかがいました。
パーソナルトレーニングはアスリートではなく、主に一般の方に向けてやっています。身体を作る、健康でいるためのボディメイクをお手伝いする感じです。ビーチバレーの指導についてはスクールのお手伝いをしているので、小学生からママさんまで幅広くやっています。依頼されたら行く感じですが、今後需要があればビーチバレーだけじゃなくて、砂の上で運動することも伝えていけたらいいなと思います。砂の上でちょっと動くだけでエクササイズになるし、気持ちいいです。
ビーチバレーは自分が表現できる場所
――2021年の目標をお聞かせください。
まずは試合に出ることですね。そこが一番で、今活躍してる選手がいますが、そこを脅かす存在になりたい。もちろん試合に勝って優勝したいです。
――将来的には指導者になるという方向性もありますか。
動けるうちは選手としてやりたいですが限界はあると思うので、いつかはチームを作りたいっていう目標があります。自分が選手であるうちに動いておいた方がいいなとも。辞めた後にやろうよって言っても説得力がないですよね。自分が選手として続けられなくなった後も、自分のチームの選手が活躍できる場を作っていきたいっていうのはあります。
――何度か辞めようかなっていうタイミングがありつつの30年ですよね。今も続けていらっしゃるのは、もうビーチバレーがライフワーク的な存在だったりするんでしょうか。
今年はコロナ禍で試合に出られなくて、ビーチバレーから少し離れて、自分って何なのかなっていうのを見つめ直した時間でもありました。そこで改めて自分が輝ける場所、自分を表現できる場所がコートの上なんだっていうのを実感しました。
美容や食べることも大好きで関連するお仕事をいただいたりもしますが、やっぱり宮川紗麻亜としてビーチバレーや、バレーボールがあってこそのもの。そういう意味で、ビーチバレーは自分が一番輝ける場所だと思っています。
――輝ける場所。そういう場所があるのは素敵ですね。
そうですね。ビーチバレーに出合えて本当によかったと思います。
――来年はオリンピックもあります。ビーチバレー自体が日本ではまだまだ発展途上な面があると思うのですが、その魅力とか見どころなどを読者の方に教えていただけますか。
やっぱりインドアと違って、会場では音楽がかかって DJ が入って、お酒を飲みながら観戦できるパーティー感のあるスポーツなのでそこはすごく楽しいのかなって思います。その場を楽しめるのが魅力の一つですね。
あとは肉体美! 今はまだ仕上げてないんですけどシーズンまでには絞っていきます。男子選手も女子選手も仕上がった身体で戦うカッコイイ姿が見られます。選手との距離感も近いです。インドアと違ってコートサイドが近くて、応援しやすいと思います。試合中でもサーブの時に観客の誰かが「一本」って言ったことに対して、答えてくれてる選手もいますよ。
――ありがとうございました。太陽のような笑顔が印象的な宮川選手。コツコツと積み重ね、プレーを続けてきたことにビーチバレーへの情熱と愛を感じました。来年よりアクティオノートで宮川紗麻亜さんの新連載がスタートする予定です。どうぞお楽しみに!
※記事の情報は2020年12月15日時点のものです。
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【PROFILE】
宮川紗麻亜(みやがわ・さまあ)
所属:フリー
出身地:山梨県韮崎市
生年月日:1983年8月17日
身長:171cm
利き手:右
ホームビーチ:神奈川県・鵠沼海岸(くげぬまかいがん)
経歴:
韮崎小学校→韮崎東中学校→八王子実践高校→日本女子体育大学→GSSサンビームズ
2011年 JBVツアー新人賞
2013年 全日本メンバー登録
2017年10月~12月 バレーボールフィリピンスーパーリーグに外国人選手として出場
2018年 JBVツアー 第4戦 南あわじ・神戸淡路鳴門自動車道全通20周年記念大会 優勝
2018年 FIVB WORLD TOUR 蔚山ジンハオープン 1☆ 4位
2019年8月 スノーバレーボールワールドツアーアルゼンチン大会に日本代表として出場
2020年 日本ランキング41位
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