宮尾俊太郎|20歳の再決意「オレ、バレエをやりたかったんじゃないの?」

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宮尾俊太郎さん バレエダンサー・俳優〈インタビュー〉

宮尾俊太郎|20歳の再決意「オレ、バレエをやりたかったんじゃないの?」

14歳でバレエを始め、熊川哲也氏が率いるK-BALLET COMPANYのプリンシパル(最高位ダンサー)となったバレエダンサーの宮尾俊太郎(みやお・しゅんたろう)さん。パリのバレエ学校は出たものの欧州のバレエ団への入団はかなわず日本でバイト生活をしていた宮尾さんは、20歳のときにもう一度バレエへの道にチャレンジしようと決心します。バレエとの出合いから今日までの宮尾さんの歩み、今後の夢について、お話をうかがいました。

文:長坂 邦宏(フリーランスライター) 写真:小林 みのる

14歳の遅いスタート。パリ留学で自信をつけるも「就職」はうまくいかなかった

――宮尾さんは、2004年に熊川哲也さんが率いるK-BALLET COMPANYに入団し、2015年から2020年までプリンシパルとして活躍されました。バレエを始めたきっかけから教えていただけますか。


両親が2人とも音楽に携わっていたので、僕も3歳からバイオリンを始めました。その後、中学で油絵をやったり、剣道も習ったりして、好きなことをやらせてもらった幼少期でした。


14歳のときに、コーヒーのCMに出演する熊川哲也さんをテレビで見て、高く跳んだり回ったりする姿がカッコよくて衝撃を受けました。それまでバレエといえば、女性がチュチュ(スカート状の舞台衣装)を着て、爪先で立っているイメージでしたから。


僕は人がやっていないことをやるのが好きな少年でしたので、ぜひやってみたいと思い、札幌舞踏会でバレエを始めました。バレエの基本として脚を外旋させる動作がありますが、あれは体が柔らかい子どものうちに形を作った方が有利なんです。なので、始めるのはだいたい3歳ぐらいで、遅くても10歳。14歳でのスタートはかなり遅いですね。他の人に追いつこうと、猛練習を重ねました。


宮尾俊太郎さん


――その後、17歳でフランスに留学されていますね。


パリ・オペラ座バレエ団のエトワール(同バレエ団の最高位のスターダンサーのこと)だったモニク・ルディエールさんの講習会が日本で開かれ、それに参加したところ、翌年からフランス・カンヌのロゼラ・ハイタワー・バレエ学校の校長になるので、「よかったら来ない?」と声をかけられたのです。


世界で活躍するにはローザンヌ国際バレエコンクール*に出場して、スカラーシップ(奨学金)を受けて......といったコースが考えられるのですが、僕はバレエを始めてまだ3年。そんなチャンスは訪れそうにない。そう考えていましたので、声をかけていただいたときは二つ返事で「行きたい」と答えました。両親も「海外へ行った方が固定給を得られる。就職先を見つけられたらいいね」と賛成してくれました。


* ローザンヌ国際バレエコンクール:スイスのローザンヌで毎年行われる、15歳~18歳までのバレエダンサーを対象としたコンクール。歴代の受賞者の多くがプロとして活躍していることから、新人バレエダンサーの登竜門として位置づけられている。


――高校を中退されてフランスへ行き、言葉の問題など苦労したのではないですか。


フランス語は何もわかりませんでした。ただ「トイレはどこですか」というフランス語だけ覚えて行きました。練習中に無言で教室から出ていくと「あいつ、どうしたんだ?」となりますからね(笑)。


ロゼラ・ハイタワー・バレエ学校には2年半通いました。卒業公演で、カンヌ映画祭のメイン会場となるリュミエール劇場の舞台で主役を踊れたことがうれしかったですね。「ドン・キホーテ」のバジル役です。


卒業後、スペイン・マドリードを拠点にしてヨーロッパ各地を回って就職活動をしました。外国語は何も話せなかった17歳が、19歳になって英語で履歴書を作成して、 1人でホテルや航空券を取って、ドイツやノルウェーなどにも行けるようになったんです。若いうちに海外へ出るのはいい経験になります。




熊川哲也氏のもとでつかんだ主役。のしかかるプレッシャーと成長

――その頃、バレエが楽しくて仕方がなかった?


いえ。海外での就職活動はうまくいかず、結局は日本に帰って来て、居酒屋やコンビニ弁当を作る工場でバイトしていました。焦りも募ってきました。ある日、札幌のホテルの地下にある高級和食店でバイトをしていると、お店の人から「熊川哲也さんという人が昨日ここで打ち上げをやったよ」と聞かされたんです。


そのとき僕はハッとしました。「何してんの、オレ。バレエをやりたかったんじゃないの?」。そう思い、バレエに戻る決心をしました。お店の人の言葉がなかったら、今の自分はなかったと思います。


当時、熊川哲也さんがバレエを学んだ久富淑子(ひさとみ・よしこ)先生が、札幌にいらして、「久富淑子バレエ研究所」をやっていらっしゃいました。その門をたたいて、久富先生の下で学び、半年後の2004年、20歳のときに熊川さんのK-BALLET COMPANYに入団しました。


宮尾俊太郎さん


――熊川さんに最初にお会いしたとき、どんな会話をされたのですか。


初めてお会いしたのは、東京の熊川さんのスタジオでレッスンを受けさせてもらえるように、久富先生がつないでくださったときです。踊りを見ていただいた後で、熊川さんが「お前、札幌で何をしたいんだ? 踊りたくないの? だったら東京へ来ないか。東京に来て、苦い水を飲んでみろよ」。そんな感じでした(笑)。憧れの人が目の前にいる。僕はただ「はい、はい」と答えるだけでした。


熊川さんと僕は年がちょうどひと回り違います。「おっ。ねずみ年か」「はい」、「魚座か」「はい」、「一緒じゃん。血液型は?」「O型です」、「じゃぁダメだ。オレ、A型だもん」なんて会話をしたことも覚えています。


――入団から11年、2015年12月にプリンシパルに昇格しましたね。


長かったですね。ですが、僕は幸せなことに入団3年目から主役を演じさせていただきました。ただ、プロとしてのキャリアがスタートし、厳しいレベルのものが求められるようになると、主役を演じることへのプレッシャーは並大抵ではありませんでした。幕が降りた瞬間からダメ出しが始まり、舞台に立ったら幸せなんていっさいなかったですね。


でもそのおかげで、自分を高めていけました。努力する経験、追求する思考、そういったものが人から「やれ」と言われることで芽生えていく。そうした機会を作っていただけたのは、本当によかったと思います。


――ところでバレエダンサーには階級があるそうですが、どんな階級名があり、上の階級へ行くには何が求められるのでしょうか。


通常、下からアーティスト、ファーストアーティスト、ソリスト、ファーストソリスト、プリンシパルの5段階でしょうか。階級名はバレエ団によって多少違います。


階級を上っていくのに必要なのは、基本的には実力です。作品をどれだけ解釈して表現できるか。1人で上手に踊れればいいというわけではなく、チームワークの問題もありますし、作品のストーリーをどれだけ牽引できる存在であるのかといったことも問われます。人間性も評価されます。


最高位になるためにキャリアが必要な人もいれば、必要でない人もいます。キャリアが必要でない人はいわゆるスターですね。


――今「解釈」とおっしゃいましたが、作品の解釈を深めるとはどういうことでしょうか。


バレエってステップが結構決まっていて、音楽も同じなのに、踊る年齢で感じ取ることが違ってきます。経験を積んでいくと、なぜこのステップで、なぜこの音楽なのかっていうことがわかってきて、それが解釈ということになるのかなと思います。解釈というのは、そのときの自分の創造力だと思います。ですから、解釈を深めるには、いろんな経験を積むことが大切だと思います。




「人のために生きる」を教えてくれた、人生の師

――これまで多くの方に出会ってこられたと思いますが、大きな影響を受けた方はいらっしゃいますか。


バレエという時間の中では、やっぱり熊川さんですね。熊川さんを初めて見て衝撃を受け、そして育てていただきましたから。


人生という意味においては、実は昨年、よい出会いがありました。そこである種の人生の答えを見つけたように思いました。


京都に伝わる伝統技法「京繍(きょうぬい)」の作家で、奈良・中宮寺に伝わる聖徳太子時代の日本最古の刺繍「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」の紋様の一部を復元し再現した着物を制作した長艸敏明(ながくさ・としあき)先生です。酸いも甘いもかみ分ける人生の先輩が、そこにいらっしゃるだけで優しく感じられる。優しさそのものが存在しているように感じられ、「人のために生きるってこういうことなんだ」という実感が湧いてきたんです。


僕は27歳のときに靭帯を切り、もう元のようには踊れないと思いました。一番やりたかったことができなくなった瞬間、人は何をして生きていけばいいのか。そう考え、いろんな哲学書や宗教本を読んでみたところ、共通していたのは「人のために生きよ」という教えでした。でも、当時はその考えが実感として持てませんでした。人間は1人では生きていけないし、他人から求められないと満足できない生き物です。だからこそ、「人のために生きましょう」ということなんですが、その実感を長艸先生とお会いして初めて持つことができたのです。


宮尾俊太郎さん




バレエの魅力はセリフがないこと、そして「人間の業」を扱っていること

――2010年に放映されたテレビドラマ「ヤマトナデシコ七変化」で連続ドラマに初出演し、その後も「下町ロケット」「私の家政夫ナギサさん」などのドラマや、ミュージカルにも出演されています。2019年には映画「吾郎の新世界」で主演されました。ドラマや映画、ミュージカルといったバレエ以外の分野に触れて学んだことは何かありますか。


やはり技法が全然違うということですね。舞台も映像も、感情表現するという根底は同じですが、技法が違うので、そのためには訓練が必要だと思いました。


これからも活動の幅を広げていきたいと思います。踊れるし、作品が作れるし、俳優もできて映画にも出られる。絵も描けるし、バイオリンも弾ける。あとは本を書けたらいいなと思いますね。


――宮尾さんが考えるバレエの魅力とは何ですか。


やっぱりセリフがないことです。音楽もメロディーしかなく、歌詞がない。これは人間の創造力をかき立てるものであり、しかも取り扱っているテーマは「人間の業」です。人間は絶対的に争いと愛を繰り返すというのがテーマとしてあります。そうした普遍的なところが魅力だと思っています。


――これからバレエを楽しんでみたいという人にアドバイスはありますか。


いろんなものを見て、自分の感受性を磨くのがいいと思います。バレエに限らず、自然を見るのもいい。人生経験の豊かな人の方がいろんなことを味わえると思います。


――好きなバレエ作品について聞かせていただけますか。


ちょっとマイナーな作品ですが、「若者と死」(1946年初演)という作品が好きです。ローラン・プティさんという「ボレロ」の振り付けをした方が、ジャン・コクトーの台本により、バッハの曲に振り付けた作品です。画家である若者が黄色のドレスを着た女に惑わされて自殺するという話ですが、いろんな見方ができて面白い。まだ僕は踊ったことがないのですが。


――今後どのような活動をされたいか、具体的な計画をお持ちでしたら聞かせてください。


いっぱいあるんですよ、僕は。俳優としては、舞台と映像両方ともやっていきたいです。バレエダンサーとしては、自分で踊ったり、作品を作ったり、その派生系として寺社など特別な場所で踊ってみたいとも思っています。


あと、植物や野菜を育てることもしたい。完全無農薬で野菜を栽培し、それを自分の愛する人たちと分け合って食べたいですね。


今、ベランダで栽培の実験をしています。プランターに花やアボカドの種、ほか7種類ほどの野菜の種を植える。ジャガイモやニンジンを混ぜこぜで入れ、コケも何種類か入れる。それで育つのかなと思うかもしれませんが、とてもよく育つんです。そして、そこに命の循環のようなものを想像し、ロマンを感じます。


人間がAI(人工知能)と違うのは、創造する力があることだそうです。何かを表現する上でも、創造する能力ってすごく意味があることだと思うんですよね。


宮尾俊太郎さん


――本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしています!



スタイリスト:徳永貴士
ヘアメイク:宮田靖士

ブルゾン \196,900/GIORGIO BRATO、パンツ \92,400/CANALIともに(CORONET)、その他、スタイリスト私物
【問い合わせ先】
●CORONET
 〒107-0052
 東京都港区赤坂8-5-26 住友不動産青山ビル西館4階
 GIORGIO BRATO : 03-5216-6524
 CANALI : 03-5216-6521


※記事の情報は2024年3月5日時点のものです。

  • プロフィール画像 宮尾俊太郎さん バレエダンサー・俳優〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    宮尾俊太郎(みやお・しゅんたろう)
    1984年生まれ。北海道根室市出身。14歳よりバレエを始める。2001年ロゼラ・ハイタワー・バレエ学校(フランス)への留学を経て、2004年K-BALLET COMPANYに入団。多くの作品で主演を務め、2015年プリンシパルに昇格。2020年よりゲストアーティスト。現在はダンサー・振付家として活躍するいっぽう、俳優として舞台やドラマなど活動の幅を広げている。主な舞台出演作品に2013年「ロミオ&ジュリエット」、2018年「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」、2021年「マタ・ハリ」「フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~」、2022・2024年「ハリー・ポッターと呪いの子」など。2024年6月から舞台「未来少年コナン」の出演が決定している。

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