スポーツ
2019.05.14
佐渡ケ嶽満宗親方 大相撲 佐渡ケ嶽部屋師匠13代〈インタビュー〉
日本の国技、その次代の担い手を育成する
プロを支えるプロの仕事。第4回は「相撲部屋の親方」です。伝統に培われた厳しい指導をしながら、新しい時代の若者の心を見守る優しいまなざし。「自分の出世より弟子の出世のほうが嬉しい」と語る大相撲 佐渡ケ嶽部屋の師匠13代・佐渡ケ嶽満宗親方にお話を伺いました。
逃げたい自分を変えた師匠の一言。
――はじめに親方ご自身のお話になりますが、先代の師匠(12代佐渡ケ嶽親方・元横綱琴櫻)が親方をスカウトするために10回も山形に来たというのは本当ですか。
そうですね、申し訳ないぐらい来ていただきました。でも私は「相撲は厳しい世界だ」と聞かされていたので、ずっと断り続けていたんですよ。山形で進学して、山形で働きたいと思っていました。
ところが田舎町ですから、まわりの人たちが「あそこの息子を横綱がスカウトに来たぞ」と盛り上がって、壮行会の日取りまで勝手に決められてしまい、壮行会では「目指せ横綱!」なんて幕が下がってて(笑)。
私自身は「入門します」なんて一言も師匠に言っていなかったのに、ある朝起きたら東京から師匠(本人)が来ていて、「おはよう。今日から入門だよ、着物に着替えてね」と言われました。普通はみんな着物を着て入門するんですよ。でも私は気が進まなかったから、なんとか抵抗しようと思ってジャージを脱ぎませんでした。飛行機の中でボロボロ泣いて、到着した羽田空港のことなんかぜんぜん覚えていないんです。気づいたら部屋の前でした。着物じゃなくても怒られなかったけれど、出迎えてくれた先輩たちが「なんでこいつはジャージなんだろう」と不思議そうな顔をしていましたね。
それから部屋の稽古をはじめて見て、あまりの厳しさに早く逃げようと思いました(笑)。荷物をまとめたこともあったんですが、帰り方がわからない。飛行機で連れて来られたから電車に乗ったことがなくて、山形新幹線もなかった時代です。仕方なく布団の中で「帰りたい、帰りたい」って毎晩のように泣きましたよ。稽古も厳しかったし、私生活も厳しかった。
私の同期生は5人で、みんな全国大会に出ていたレベルなのに、私だけ柔道の県大会で1回戦負けするぐらい弱かったんです。そのせいかも知れませんが、兄弟子にいやがらせをされる。
そんな私の顔を見ただけで、師匠はわかったんですね。
「この世界は番付がモノを言うんだ。おまえが強くなればいいだけの話だ。何かやられたら稽古場でやり返せ」と師匠に言われました。
その言葉によって逃げ出したい気持ちが変わりました。辞めるのはいつでもできる。強くなってからでもいいやと。
それで私は、5時起きと言われたら4時には起きて、みんなが来る前に四股を踏んだり、いろいろなことをやりました。早く強くなりたかったんです。師匠には「人と同じことをやっていても強くはなれない。強くなるためには人の2倍3倍4倍、そのくらいやらなければダメだ」と言われていました。
先輩に逆らうことはできない世界ですが、稽古場だけは違うので、イジメた先輩を師匠の前に叩きつけてやりましたよ。そうするうちに番付も上がりました。あのときの師匠の一言がなかったら今の自分はいないだろうと感謝しています。
さまざまな縁が取り持つ弟子たちとの出会い。
――現在のお弟子さんたちもスカウトが多いんですか。
ほとんどそうですね。自分から力士になりたいという子は少ないです。琴太豪も小学生のときに相撲大会を見に行って「あ、この子いいな」と思い、中学2年でスカウトしたんです。そのときは断られて、高校3年のときにお父さんから「プロでやらせたい」と連絡をもらいました。今はスカウトもなかなか難しいですよ。
――スカウトを成功させる秘訣のようなものはありますか。
秘訣というより、やはり縁でしょうか。たとえば琴恵光は、小学校4~6年生を対象にした「わんぱく相撲」という全国規模の相撲大会で見かけてピピッと来て、調べてもらったら実家が宮崎県延岡市のちゃんこ屋さんなんです。お父さんに「元力士ですか?」と聞いたら「いえ、私じゃなくて私の父が立浪部屋の松恵山という十両の力士でした」と。つまり琴恵光のお祖父さんですね。写真も化粧まわしもあって、これは縁だなぁと思いました。
その琴恵光のところには何回か足を運びましたが、高校で柔道やるからと断られて(笑)。でも「九州場所の稽古場を見に行っていいですか」と聞かれたので、ご両親と一緒に来てもらいました。そこで小さい力士が大きい力士を倒しているのに驚いて「やりたい」と。柔道で高校の特待生に決まっていたのに、うちに来てくれたんです。
いろいろ話を聞くと、お祖父さんの松恵山関が宮崎に帰って土俵を立ち上げるとき、うちの先代の女将の父親が寄付をしていたんです。だからお互いに知り合いだったわけです。もしかすると「琴恵光が高校で柔道をやるのはけしからん」と天国で2人が怒って、縁を取り持ってくれたのかも知れません。
――そんな繋がりがあったんですか。スカウトで声をかける子はたくさんいても、入門するまでの子になると何かしら縁があるのかもしれませんね。
香川県出身の琴勇輝については、「四国大会で香川県へ54年ぶりに優勝旗を持ってきた高校1年の子がいる」という話を聞いていました。本人が九州場所の稽古場へ遊びに来たんですが、香川県では国体の強化選手として離さないらしい。だから仕方なく「高校を卒業するまでうちの部屋の名前を頭の隅っこに入れておいてね」とだけ伝えました。
そうしたら帰りの新幹線の中でそうとう考えたようで、次の日にお母さんから「入門したいと言ってます」と電話があったんですよ。あと2年ある高校はどうするのか聞いたら「その2年間で自分がどこまで強くなれるか試したいと申しております」ということでした。
「ほかの部屋からも誘われてたけど、頭の隅っこに入れておいてねという言葉が印象的だった。早く入門して、早く親孝行したい」と言って、高校1年の2月に入門しました。やはり縁があったんでしょうね。
琴奨菊は、私が現役時代に巡業で行った九州柳川の「琴ノ若激励会」に、小学校3年か4年の頃、お祖父さんに手を引かれて来たんです。そのときは先代の師匠も一緒にいて「大きくなったらうちにおいでよ」と声をかけていました。それを本人が忘れなかったわけです。どこかで繋がって、切れなかった縁があるんです。そういうことを大切にしたいですね。
日常の目配り・気配りが、立ち合いで相手を読む訓練に。
――入門してくるのは、まだ遊びたい盛りの子供たちですよね。なぜ頑張れるんでしょうか。
うちは入門してから1年間は携帯電話禁止なんです。1年以内に番付が三段目に上がれば持たせますけれど。一番遊びたい盛りにこの厳しい世界で修業するのはつらいですよね。だから誘惑のツールは絶たせます。でも覚悟して入ってくる子たちだから、半年で心が変わりますよ。
琴恵光は入門して1年でお金を貯めて、お盆休みに帰ったとき実家にお金を置いて来たそうです。私はそれを知らなかったんですが、お母さんから「うちの息子が貯めたお金だと言って置いて行ったんです」と泣きながら電話がありました。親孝行したいという気持ちで入る子が多いですからね。まだ16歳になるかならないかなのに、えらいですよ。
私もそうでしたが、師匠が「出かけるよ」と言えば若い子が靴を磨くし、荷物を持てばすぐに「自分が持ちます」と飛んでくる。そして親方のクルマが見えなくなるまできちんと見送るんです。
――そういうことは教えているんですか。
いや、先輩の姿を見て覚えるんですね。入門してからの1年間で、心身ともに大きく成長します。師匠の荷物をすぐに持つというような日常の目配り、気配りはとても重要で、15歳からそれを学ぶことは相撲にも生かされてくるんです。
――共同生活の中での学びですね。
はい。師匠がお客さんと一緒にご飯を食べる際は、必ず力士がお客さんの後ろに立って給仕します。そのとき師匠の目が動いたら、お客さんに何かが足りないということなんですね。ちゃんこがないのか、ご飯がないのか、飲み物がないのか。師匠の目が動かないうちに自分で気づかなきゃいけない。
ふだんから目配り、気配りしていると、立ち合いでも相手が何を考えているのか読めるようになってきます。相撲で仕切っている間に相手の目が動いたら「何か考えているな」とわかるわけです。かけひきですね。私は先代の師匠からそう教えられたので、今の子たちにも同じように伝えています。
個々のタイプに合わせ、技と心を鍛える。
――さきほど稽古を見学しましたが、場所前と場所中で稽古の内容は違いますか。
今はまだ番付が発表されていないので(2019年4月取材時)、あまり厳しくありません。通常の稽古のほかに、腕の力が弱い子には腕立てをさせたり、差し手の肘を取られてケガをした子には、そうならないようにするための肩の寄せ方を教えたりと、それぞれのタイプや課題に合わせた内容になっています。
番付が発表されてからはペースをあげていきます。番付発表前と後ではまったく稽古が違って、番付発表後はだいたい5時から5時半起きで、番付の下から順番に稽古するんです。いちばん下の子は5時に起きて30分ぐらい準備運動、5時半から稽古を始めて......というのが理想ですが、大体みんなギリギリに起きてくるね(笑)。
場所中は関取が対戦相手について聞きに来たりもします。私は対戦相手も幕下の頃からよく見てるので「今日の相手にはこうやったほうがいいんじゃないか」「左を取ったら相手はこっちから来るから絶対に取らせるな」「四つ相撲のときは自分の形になるようにしろ」などと注意をして、あとは本人が考えている相撲をさせます。
――先代の指導法を踏襲なさっているんでしょうか。
私はね、先代に褒められたことがなかったんです。毎日怒られていました。アメとムチだとすると、昔は10のうちムチが9で、アメが1あるかないかです。褒められた記憶は、引退する1年ぐらい前の「その膝でよくやったな」という一言だけですね。でも、毎日怒られていたせいで、その言葉がとても嬉しかったなぁ。
ただ、そういう指導を今の子たちにやるのは無理だと思うんですよね。だから先代の教えは教えでしっかり守りながら、厳しくするだけではなく、それぞれのタイプに合わせた新しい指導方法も取り入れています。
――メンタル面でのケアも親方がするんでしょうか。
それはどちらかといえば兄弟子の役割ですね。プライベートな悩みを抱えている子がいれば、兄弟子が話を聞いてやっています。私が個人個人のケアをするというわけではなく、上の者が下の者の面倒を見て、私自身は部屋全体で問題がないか見ている感じです。どうしても自分たちで解決するのが難しい場合は、私のところに来ます。
15歳で入門するんですから、複雑な悩みもあるでしょう。そんなときは私が喫茶店に連れて行ったりしますよ。そうすると悩んでいる子も、何も言わず甘いパフェやケーキをガーッと食べて、ちょっと元気になったりする(笑)。そのくらいのほうがいいんですね。ただひとつだけ私が弟子たちに厳しく言っていることは、「イジメは絶対に許さん」ということです。私がされて嫌だったこともあって、それは徹底しています。
年間5~6トンの米で力士たちの身体を作る。
――力士として有望かどうかは、やはり体格が重要ですか。
入門直後の体格はあまり関係ないですね。先代も若い頃は痩せていましたよ。例えば幕下の琴翼は、校長先生から「学校の面談で入門したいと言ってる生徒がいるんです」と電話をもらった子なんですが、ちょうど名古屋場所の宿舎の近くに住んでいる中学生だったので名古屋駅で会いました。そのときに「何キロ?」と聞いたら「60キロです」と。だから「米を送るからそれを食べて身体を大きくしなさい」と言ったんですね。そうしたら入門までに10キロ近く増やして来ました。琴恵光も80キロそこそこだったかな。稽古についても体格についても、やはり相撲は本人の努力がすべてということでしょう。
――立派な体格を作るための基本となる力士の食事について教えてください。
力士の食事は1日に2回、朝食は稽古の後です。料理は「ちゃんこ番」と呼ばれる当番制で、5~6班に分かれてやっています。米の消費量は、年間にすると5~6トンになりますよ。1日に食べる量が20キロぐらいなので、部屋の裏にプレハブの冷蔵庫を作って保管しています。
――トンですか......やはりすごい量ですね。みんなで一緒に食べるんですか。
どこの部屋でも食事は上から順番です。親方と関取衆、後援会などのお客さんが先で、そのあとに若い力士たちが食べます。
みんなで一緒に食べるのは、駐車場でバーベキューやったり、座敷にテーブルを並べて鉄板焼きをやったりするときかな。私が山形出身なので、後援会長が米沢牛や山形牛を送ってくれるんですよ。バーベキューのときは塊の牛肉だけで40~45キロ、そのほかにスペアリブやソーセージ、豚肉、鶏肉......全部で60キロぐらい。先日はご飯を8升炊いて、おにぎりを200個以上作ったけれど足りなくて、急いで4升追加しました。全部で1斗2升ですね。
――壮観ですね。ちゃんこ鍋のほうは日常食ということでしょうか。
そうですね、ちゃんこ鍋は栄養バランスがいいですから。今の子たちは肉が好きなので、野菜や魚も意識して食べさせるようにしています。ちゃんこ鍋の種類は100種類ぐらいで部屋ごとに特色もありますが、うちの子たちは卵黄を120個ぐらい使ったタレで食べる「湯豆腐」が好きですね。鍋の具は、白星のゲンを担いで豆腐のほかに大根、エノキダケ、そして卵白。野菜がたっぷり取れて健康的です。
自分の出世より弟子の出世のほうが嬉しい。
――親方が指導者として一番嬉しい瞬間はどんなときですか。
よく先代の師匠が「自分の出世より弟子の出世のほうが嬉しいんだ」と言っていましたが、部屋を継いだばかりの頃は「そういうものなのかなぁ」と、よくわかっていなかったんです。ところが琴国という力士が幕下優勝して十両に決まったとき涙が止まらず、勝った瞬間すぐ女房に電話して「国が勝ったよ」と言おうとしたのに、言葉にならない。そのとき「ああ、師匠が言ってたのはこれか」と実感しました。
琴奨菊が幕内で優勝したときは、私は巡業の準備があってその場で見ることはできなかったのですが、尾車親方に「よかったな」と言われてボロボロ泣きました。やっぱり努力している姿を一番近くで見ているので、こみ上げるものがあります。自分が昇進した時なんか、特になんの感慨も覚えなかったんですけれどね(笑)。
――プロの力士を育てるために、単に相撲の技を教えるだけでなく、食事など生活面の管理やメンタル面のケア、そして何より愛情を大切にされていることを、親方のお話から強く感じる取材でした。親方、お忙しい中どうもありがとうございました。
このあと我々取材チームは佐渡ケ嶽部屋の「味噌ちゃんこ」をご馳走になりました。ボリュームたっぷりの肉料理、卵料理、春雨サラダ、漬物etc. 前述の通り力士さんが後ろに立って、お椀が空になりかけると「お代わりいかがですか」と間髪を入れずに声をかけて下さいます。身に余るおもてなし、恐悦至極でした。
※記事の情報は2019年5月14日時点のものです。
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【PROFILE】
佐渡ケ嶽満宗(さどがたけ みつむね)
1968年5月15日生まれ。山形県尾花沢市出身。大相撲の元関脇・琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ)佐渡ケ嶽部屋。引退後に部屋を継承し、13代年寄・佐渡ケ嶽満宗となる。現役時代の得意手は右四つ、寄り、上手投げ。イケメン力士として女性ファンが多かった。夫人は先代親方(横綱・琴櫻)のお嬢さん。長男は現・幕下2枚目の琴鎌谷(5月場所番付)。
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