「何でもやってみる」人たち

MAR 26, 2019

小田かなえ 「何でもやってみる」人たち

MAR 26, 2019

小田かなえ 「何でもやってみる」人たち 少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。

黒豆をピシャリ!と投げるハイカラ婆さん

もう半世紀以上前のこと、小学校低学年だった私は、大晦日に泣くほど怖いものを見てしまった。お正月の仕度で修羅場と化した台所でおせち料理を作っている母である。

ピシャリ!ピシャリ!......コトコト湯気の上がる鍋に菜箸を突っ込み、指先で何かをつまんではクルリと振り向いて、食器棚のガラス扉めがけてソレを投げつける母。

「ママ何やってるの?」

「危ないから向こうの部屋で遊びなさい」

よく見れば投げているのは黒豆。もう何度も投げていたようで、食器棚の下には黒豆が点々と落ちている。

母が何をしていたのかといえば、おせち料理に欠かせない黒豆をふっくら柔らかく煮ていたところ。ピカピカの艶やかな光沢を放ち、美しくまぁるい曲線を描いて、口に運べば舌の上でトロリと溶ける......これが理想だ。

その火の通り具合を確かめる方法が、黒豆をガラスにピシャリ、と投げつけることなのだ。投げた豆がピタッと貼りつくらいに煮上がると完成らしい。

小学生の私にとっては大好きな母親が妖怪か何かになってしまったようで、とても悲しくなった。そして、ついポロリと大粒の涙をこぼしたのである。それを見た母が笑うこと笑うこと。翌日、親戚が全員集合した新年会で暴露されてまた笑われた。

この、黒豆の煮え方を確かめる方法は広く知られているものだとは後で知った。だが、これは「投げたとしたら壁に貼りつくくらい」という例えであって、本当にやるものではないだろう。大晦日に日本中の家庭で黒豆を投げているなどとは聞いたことがない。もしかすると年末が忙し過ぎてアタマに来たどこかの主婦が、ストレス発散のために発案したのかもしれないが。どこかの主婦というのは、私の母か、あるいは母の母すなわち私の祖母みたいな人たちだ。どちらもやりかねない性格なのである。

明治生まれの祖母はハイカラで、なんでも「自分で考えて何でもやってみる」女性だった。たとえば子どもの歯の健康管理。昭和初期、人々は今のように歯の健康に気を使ってはいなかったが、祖母は歯を丈夫にするためといって、廊下に煮干しを常備して、子どもたちが本を読みながら、音楽を聴きながら、好きなだけ煮干しを食べられるようにしていた。さらに歯磨きも徹底させた。そのせいか、90代になった今も母は、お財布に優しい輸入牛のステーキが食べられる。母の兄弟姉妹は歯なんて磨くのは面倒だとコップを磨いてシャカシャカと音を立て誤魔化していて、ずっと後になってそのツケを総入れ歯という形で払うことになる。

子どもに音楽を聴かせたと書いたが、祖母は当時珍しい蓄音機を持っていた。そんなものが買えたのは祖父が事業に成功していたせいだが、祖母自身もあれやこれやに興味を持つタイプで、蓄音機に限らず家庭用の新しい製品はひと通り揃っていたそうだ。

肉を挽肉にする「ミンサー」も持っていた。祖母がそれを使って作るハンバーグは、母の子ども時代の定番メニューだったし、ときにはミンサーで挽いた野菜や果物に牛乳を加えてドロドロにした「ジュース」も作っていた。この飲み物を見たら現代人も馴染み深いと思うはず。そう、凍ってはいないが、今のスムージーにそっくりなのだ。大正時代に21世紀のヘルシードリンクがあったというわけだ。




「さしすせそ」でも「そせすしさ」でもいい。

ミンサーで作った特製ドロドロ野菜ジュース、つまり明治時代のスムージーは、大正、昭和と受け継がれ、平成の我が家にも伝わった。そして母の習い事仲間が公民館に集まるときも、そのヘルシードリンクが持ち込まれたのである。これはイスラムの教えにも反することのない飲み物なので、全員が安心して味わえた。

この祖母の元で育った母も、昔の教えを頑なに守るのではなく、まず自分なりに考え、試みて、改良を加える人になった。たとえば料理の基本「さしすせそ」。これが「砂糖、塩、酢、醤油、味噌」という調味料投入の順番だというのはご存じの通りだが、ある日のこと、日本語練習中の韓国女性が、さしすせそは「砂糖、醤油、酢、生乳、ソース」だと言い出してみんなに笑われた。ところが母は平然と言った。

「笑うことないでしょう。『さしすせそ』じゃなく『そせすしさ』の順に入れたって、べつに食べられなくなるわけじゃないわよ」

「そりゃそうだわね」

「だいたい『さしすせそ』を全部入れることって少ないじゃない?」

「うんうん、最近はミルクやソースだってよく使うしね」

オバちゃん連中もそんな風に納得した。母はべつに韓国女性を庇ったのではなく、母自身がそれはどうでもいいと信じているからだ。

ちなみに「さしすせそ」については科学的な根拠がある。砂糖の分子は大きくて染み込みにくく、また肉などを柔らかくするから最初に入れたほうが良い。塩は素材を引き締めるから砂糖の後で。酢、醤油、味噌は風味を生かすため仕上げに加えるという理屈。ただしこれを守らなくてもそんなには不味くなるわけではないから、母のいい加減さにも一理ある。計量カップも料理本もなかった我が家で、母が出した結論だ。

物事のやりかたは臨機応変で良い。煮干しは安くて手軽だから食べさせよう。スムージーも美味しくて健康的だから飲もう。「さしすせそ」はどうでもいい。大晦日に煮豆をピシャリと投げたら面白いからやってみよう。祖母と母はこうした思考を受け継いできた。

1899年に生まれた祖母が煮干しによるカルシウム摂取と歯磨きを徹底させ、ビタミンと食物繊維を補うために元祖スムージーを作ったおかげで、大正生まれの我が母はたぶん2020年の東京オリンピックを、スルメ噛みつつテレビ観戦できる。実にありがたい。

昔の伝統も、新しい試みも、自分なりに考えて「やってみる」人たちがいた。情報が行き渡って自分で試行錯誤したり失敗したりしなくなった私たちよりも、ずっとチャレンジ精神にあふれた人たち。人生100年時代の生き方を私たちが今から考えなければならない、などというのは不遜なのかもしれない。そういうのは、もうこの世にはいない祖母のような、そして老いてなお好奇心を絶やさない母のような、大勢の日本庶民が「やってみる」ことで、ずっと模索してきたのだ。そう考えると、なにやら胸が熱くなるのである。


※記事の情報は2019年3月26日時点のものです。

  • プロフィール画像 小田かなえ

    【PROFILE】

    小田かなえ(おだ・かなえ)

    日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。

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