【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2019.09.03
小田かなえ
高齢者でも楽しめるバリアフリーな珍道中
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
箱根でバッタリ、運命の出会い!?
その年の夏も母は「箱根へ行こう」と言い出した。1990年頃のことである。
電車が大好きな私の息子を、ケーブルカーやロープウェイに乗せてやりたいらしい。
母も亡き祖母も旅行好きで、私自身も子どもの頃からいろいろなところへ連れて行ってもらった。なかでも箱根は夏休みの定番だった。祖父母と母、そして私の4人で、馴染みの宿に1週間ぐらい滞在する。毎年欠かさぬ恒例行事で、旅行中の会話まで前の夏と同じになってしまう。
まず新宿からロマンスカーに乗り、サンドイッチと紅茶を注文する。しかし私は食べるのが遅い。その結果「早く食べなきゃ着いちゃうわよ」と母に急かされ、車窓の景色を楽しむどころではなくパンを口に詰め込むのだ。
「乗ってる時間が短いんだからサンドイッチなんか頼まなきゃいいだろう」という祖父のセリフと「そうねぇ、次からはおミカンぐらいでいいわねぇ」という祖母のセリフまで毎年必ず繰り返される。
そして宿に到着すると祖母が私を売店へ連れて行き、色ガラスのついたオモチャの指輪をひとつ買ってくれるのだ。「本物のルビーみたいよ」「本物のエメラルドみたいだわ」「本物のサファイアに見えるわよ」石の名前は変わるけれど、ここでも同じセリフが交わされた。
その年もそんな想い出をたどりながら、母と私、そして幼い息子の3人は、箱根湯本でロマンスカーから登山鉄道に乗り換え、早雲山を目指していたのである。
やがて登山鉄道が強羅駅に到着。何気なくホームに目をやると、なんとまぁ、ちょうど私たちの座席の窓の外に、見慣れた隣家の奥さんが立っているではないか! 母と2人で仲良く公民館デビューを果たした、あのお隣のおばさんだ。ここは箱根。家の最寄り駅や沿線の乗換駅ではない。
「えええっ? 」
「あらっ、なんで? 」
母も私も、そして隣家の奥さんも、目をまん丸に見開いて仰天。まだ幼い息子だけは驚くこともなく、顔見知りのおばちゃんに手を振っている。
あちらは姉妹で美術館巡りをしていたそうで、母とはお互いに箱根へ行く話などしていなかったため、思いがけぬ出会いにビックリした次第。
縁のある人とはいろいろなところで出くわすものだ。相手の職場や家の近くで会うのはもちろんのこと、両者の日常的な行動範囲の外でも遭遇する。
私の場合は、たとえば銀座のデパートの裏口でバッタリ会ったママ友に、池袋駅のトイレや、渋谷のスクランブル交差点でも会ってしまう。
「ちょっと、なんでどこにでもいるの? 4次元ドアを使ってる? 」
「そっちこそヒトの行く先々に現れるでしょ! 影武者がいるんじゃないの? 」
実にもう不思議としか言いようがない。
母とこの隣家の主婦は、この箱根でバッタリ事件をきっかけに一緒に旅行するようになった。
友達との親密さは、たとえ一晩でも泊まりが入ると格段にアップする。公民館へ通って昼食を共にするだけでも親友になれるが、同じ部屋で眠ると親友のランクが上がって、家族の感覚に近づくのだ。メイクを落とし、昼間のファミレスでは話せないプライベートなことを語り合い、心を許して無防備に眠る。母と隣家の主婦は、こうして深い絆を結んだ。
旅行はこの人と2人で出かけることもあれば、公民館の仲間を誘って大勢で行くこともある。65歳から85歳ぐらいまで、母は友達と一緒に年10回ぐらい旅行していた。ほかにも親戚との旅行や家族旅行もあって忙しい。母の旅行用のカバン類が次々と増え、おかげで私は未だに自分のリュックを買わずに済んでいる。
中高年女性に人気があるのは何といってもバスツアーだ。送迎バスの集合場所は自宅から30分以内、ときには家から徒歩5分のところにあるスーパーの駐車場だったりして、オバちゃん特有の大荷物(だいたい半分はお菓子)でも安心。東北三大祭りや花火大会などはツアー客専用の特等席が用意されているため、待ち時間ゼロで大迫力のイベントが楽しめる。
加えて、だいたい似通った世代が申し込むものだから、往路の車内で早くも女子パワー炸裂。初対面のグループともおしゃべりが始まる。
「伊勢海老と松坂牛のお代わり!」
母の時代にはまだ存在しなかったと思うが、近年は格安の温泉ホテルグループが幾つもあって、常連さんたちは「あら、また会ったわね」と挨拶し合い、帰りのバスに乗るときも「今度は草津あたりで会えるかしら? 」などと言いながら手を振って別れる。
年齢に関係なく、女子旅というものは珍道中になりがちだ。なぜかと言えば、女同士だと素のままをさらけ出すから。
もちろん家族旅行にも気取りはないが、主婦という立場は旅先にも付いてくるため、完全には気を抜けない。たとえば夫の脱いだ服をハンガーにかける、お茶を淹れる、子どもたちを静かにさせる等々。その点、女友達との旅行では全員が自由を満喫できるというわけ。
「この伊勢海老おいしい! もっと食べたいわ」
「じゃアタシのあげるから、そっちの松坂牛ちょうだいよ」
「いいなぁ、あたしも伊勢海老もっと食べたい」
「ねぇ、お代わりできないのかしら? 」
みんなで添乗員さんを手招きする。
「お代わりですか? ご飯ですね? 」
「違うわよ、伊勢海老と松坂牛! 」
「それは無理ですよっ」
女という生き物は図々しいのである。図々しいだけではなく、還暦を過ぎると足腰が弱ってくる。
「なるべく歩かない観光地がいいんだけど」
「途中のトイレが和式なのもダメだからね」
「布団もイヤよ、ベッドのある洋室にしてちょうだい」
旅行会社の窓口で申し込むときから迷惑をかけまくる。そんな母たちを見ていた私は、還暦を過ぎても周囲に甘えずシャキッと旅行しようと決意していた。
しかしである。最近ふと気づけば、旅先の和式トイレで「イテテッ」と声をあげ、「階段の多い神社はお詣りしたくない」などと我が儘なことも言ってしまう。さすがに伊勢海老のお代わりは頼まないが、朝食ビュッフェではあれこれ盛り付けた挙句、お互いの皿を批判する。
「パンはカロリーが高いのに何個も持ってきちゃダメよ」
「自分こそベーコンを山盛りにして、また血圧が上がるじゃない」
オバちゃん同士の珍道中はハタ迷惑な部分もあるけれど、観光地のバリアフリー化が進んでいる昨今、自分に合ったプランを選べば超高齢者でも旅行を楽しめるようになった。朝食ビュッフェにもヘルシーなお粥や柔らかく煮た野菜が並んでいる。
母には97歳になる姉がいて、数年前まで娘や孫、ひ孫たちと旅行していた。旅先から届く車椅子に乗った伯母の写真を見ながら私が母に聞く。
「また旅行したくならない? 」
「あたしはもう観たいところを全部まわったわ。それに姉さんは若い頃から出好きだったけど、あたしは家で本を読んでるほうがいいもの」
ああ、そうか。母は煮干しを食べながら読書するのが好きな子どもだったのだ。老眼鏡をかけた母が、新聞を片手に上目遣いで私を見て言う。
「あたしのことは放っといて大丈夫だから、自分がたくさん旅行しなさいね」
その言葉に甘え、ネットで2019年の紅葉狩りツアーを検索する私である。行きたいところが決まったら、母のおやつの煮干しを買いだめして出かけるつもりだ。
これを読んでくださっている皆さまも、ご自身の体調や日程・予算に合う旅行プランが見つかりますように。
※記事の情報は2019年9月3日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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