【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2019.11.06
小田かなえ
超高齢者だって音楽を聴きたいに決まってる。
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
オーディオが、ご近所付き合いに一役買った
30年も前のことだが、私は母の公民館仲間に頼まれ、手持ちのレコードから曲を選んでカセットテープにダビングすることがあった。アルバムを丸ごと入れるのではなく、彼女たちが語るイメージに合わせたオーダーメイドである。
「ひとりでのんびりコーヒーを飲みながら聴けるような、きれいなメロディーの静かな曲がいいわ」
「クルマの中でかけたいから、明るい感じでスカッとするのを10曲ぐらい欲しい」
「60年代にヒットした歌謡曲をお願いしていい? 」
「うちの娘がピアノを習ってて、クラシックだけじゃなく、いろんなジャンルのピアノ曲を探してるの」
なぜそんなことを頼まれたのかというと、私はちょっとだけ良いオーディオを持っていたから。22歳のときに購入した機器をマイナーチェンジ的にグレードアップしながら約20年間愛用し、後半の10年間は母の公民館仲間にも重宝されていたのだ。
誰かに音楽をプレゼントするのは楽しい。その人の顔を思い浮かべながら何枚ものレコードを引っ張り出し、いろいろなアーティストの曲をバランスよく並べて録音する。お金をかけずに喜んでもらえる贈り物である。
母が公民館デビューを果たした1980年代半ばは、ちょうどカラーコピー機が売り出されたころだ。我が家には導入されていなかったが、私はコピー屋さんまで行ってレコードジャケットをカラーで縮小コピーし、切り貼りしてカセットテープのインデックスを作成した。
ただし、音楽をダビングして贈るのは頼まれたときだけ。頼まれもしないのに自分の好きな音楽を押しつけたら、相手にとってありがた迷惑になってしまう。これは興味のない本をプレゼントされた場合と同じだろう。
ある出版社の人が教えてくれた話だが、人間は無料でもらった本は読まないそうだ。だから音楽も「欲しい」と言われたときだけに限っていた。
そのオーディオセットは母の公民館仲間に限らず、うちに遊びに来た人たち全員のおもてなしに使われていた。
会話の邪魔にならない程度のボリュームだと音質の真価は発揮できない。それでも、私のウエストのあたりまであるどっしりしたスピーカーは見た目の迫力だけでもお客さんたちを魅了した。ふだんはあまり音楽に興味のない人でも、私が厳かにレコードを取り出してターンテーブルに乗せ、鈍い光を放つスタビライザーを置くのを見ると、それだけで聴く気になるから不思議だ。
音楽のおもてなしの結果としてダビングを頼まれたりするのだから、オーディオが近所づきあいに一役も二役も買っていたという次第である。
SPレコードの素材はカイガラムシ
私は小学5年から中学3年までずっと放送部に所属していた。ランチタイムの放送がある日は放送室で給食をとりながらマイクに向かい、夕方は「お帰りの音楽」を流す時間まで学校に残って、放送室に施錠してから帰るのが日課だ。
小学6年のある日、顧問の先生が雑然と散らかった放送室を見まわして「明日の放課後は大掃除をする」と予告した。掃除なんてイヤな仕事だと思うのは大人の考えで、子どもたちにとっては退屈な日常に彩りを添えるイベントである。私はいたずら心で母の古い割烹着を持って登校した。
大掃除終了後、ヨレヨレの割烹着姿が予想通り友達にウケて気を良くしていた私に、顧問の先生が「ご褒美」と称して棚の奥から出てきた数枚のレコードをくれた。曲は童謡とクラシックで、その中に1枚だけ半透明の黄色いレコードがある。
「あ、それはSPだから蓄音機じゃなきゃかけられないなぁ」
「SPって何ですか? なんで黄色いの? 」
「昔のレコードだよ。カイガラムシの汁で作るから黄色いんだ」
「カイガラムシ? ムシのシル? ぎゃっ! 」
私はSPを放り投げた。
「こらこら! シェラックは脆いんだから」
「シェラックって? 」
「だからムシが出す分泌液で......」
「ヤダッ! 」
「なんだよ、ムシぐらいで騒ぐな。オマエんち蓄音機あるか?」
そういえばデンチクという言葉を耳にした気がする。先生にそう言うと、蓄音機と電蓄の違いを聞かれた。
「蓄音機は手でまわすけど、電蓄は電気でまわす」
「うんうん、よく知ってるな」
「でも、たぶんもう家にはないと思います」
「聴けなくても懐かしいはずだから、お母さんに見せてあげなさい」
私は爪の先で黄色いレコード盤をつまんで古びたジャケットに戻し、ランドセルに入れて持ち帰った。もう蓄音機は残っていなかったが、先生の言う通り母も祖母も懐かしがり、その黄色いレコードを手に取って音楽談義に花を咲かせる。私は虫の汁についても語りたいと思ったのだが、貴重な遺物が放り投げられて割れると困るので沈黙した。
始まりは珊瑚色のポータブルプレーヤー
うちの家族は音楽好きで、私が小学5年のときのクリスマスプレゼントがポータブルレコードプレーヤーだった。ナルシソ・イエペスの「禁じられた遊び」が添えられている。レコードプレーヤーは、小学生のしかも女児に買い与えるものとしては珍しい。珊瑚色のプラスチックで出来たそれは私の宝物で、大学生になっても使っていた。
余談だが、小学生のときに初めてお小遣いで買ったレコードは、これまた子どもらしくないアニマルズの「朝日のあたる家」である。なぜ私がその曲を知っていたのかと言えば、両親がよくラジオを聴いていたから。おかげで今も1960年代の洋楽はけっこう好きだ。
そのころ、大人たちには「ステレオ」があった。サイドボードぐらいの木製キャビネットの両側にスピーカー、中央にレコードのターンテーブルとラジオチューナー、アンプがセットされているものだ。
1960年代から70年代前半あたりはこの箱型ステレオが主流だったようだが、私の珊瑚色のプレーヤー同様、この大人用の「ステレオ」も音質は今ひとつ。しかし音楽のある生活は良いもので、母も私もそれぞれに好きなレコードをかけ、調子っぱずれな歌を口ずさむ毎日だった。
私が22歳になったとき、父が100万円くれた。我が家は決して裕福ではないが、娘が大学を卒業したときにプレゼントするつもりで、22年間コツコツと貯めたお金らしい。海外旅行をしても良いし、宝石を買っても良いと言われ、私は迷わずオーディオマニアの従兄に電話して秋葉原へ同行してもらった。目的の場所はオーディオ屋さんだ。
大小のスピーカーがズラリと置かれた店内は、電気と木材と金属が混ざった独特の匂いがする。私はドキドキしながら大きなスピーカー、アンプ、プレーヤーをあれこれ組み合わせて聴き比べ、ついでにスタビライザーと高級な針、カセットデッキ、ラジオチューナーと太いケーブルも買って、100万円すべてを1日で使い切ったのである。
少し説明すると、スタビライザーというのはレコードを安定させるための重石で、プレーヤーにレコードをセットしてから真ん中に差し込む。そうしておけばレコードが浮かずに安定し、音に歪みがなくなるのだ。
各機器に付属されたケーブルをわざわざ太いものに買い替えた理由は、従兄曰く、太いほうが迫力のある音になるのだと。これは聴き比べていないので本当かどうかはわからないけれど、かくして我が家のオーディオシステムは完璧なものに仕上がった。
蓄音機の名曲をタブレットで聴く95歳
しかし時代は移り変わる。アナログからデジタルへ、大型から小型へ、据え置きタイプから持ち運びタイプへとオーディオも変化し、21世紀を迎えると、こよなく愛した100万円の機器は無用の長物と化してしまった。もう私にダビングを頼んでくる人もいない。
もちろん2019年の今でもレコードマニアは数多く存在するが、私はCDプレーヤーで聴く音に自身が満足した時点で、場所ふさぎなスピーカーやレコードプレーヤー、アンプその他すべてを手放した。広くなった部屋には観葉植物を増やす。
南の島を思わせるフェニックスの下でコンパクトなスピーカーから流れるシャープな音を楽しむ......それが現在の私である。そんなとき母はなにをしているのかと言えば、やはり自分の部屋で昭和歌謡や映画音楽を聴いていることが多い。音の出どころはテレビではなくタブレットだ。
まもなく95歳になる老女がタブレットを手にしている姿は珍しいが、使わなくなった私の2台目の機種を母に渡してあるのだ。不要なアプリをすべて削除し、消せないものはまとめて次ページへ移動。動画サイトの赤いアイコンが目立つようにした。
充電するのは私の役目だが、ありがたいことに母の好きそうな歌を自動的に選んで再生してくれる動画サイトは、手持ち無沙汰な年寄りの強い味方になっている。
スマホに子守をさせてはいけないと言われるが、高齢者がスマホやタブレット使うのは悪くない。音楽を聴いて懐かしい日々を思い出し、それをきっかけに昔話を始めれば、脳の働きも良くなるだろう。家族や友人、ヘルパーさんなど、身近な人とのコミュニケーションにも役立つのである。機械に対する苦手意識のない人なら、遠くの孫にメールしたり、SNSやゲームを楽しむことだってできるはずだ。
蓄音機で音楽を聴いていた世代が、ベッドの上で同じ曲を手軽に楽しめる現代。もし身近に退屈しているお年寄りがいたら、枕元にスマホやタブレットを置いてあげると喜ばれるかも知れない。
※記事の情報は2019年11月6日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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