【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2020.03.24
小田かなえ
オーバー90女子の『恋バナ』はいかが?
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
タマコさんの大恋愛
お正月明けのある日、母の部屋で電話が鳴った。電話が鳴ると私は一応、聞き耳を立てる。母専用の固定電話にかけてくる相手は、限られた友人と親戚だけ。たまにセールスもある。それは本人が、毅然と......ではなく高齢を武器にヘラヘラと断っている。
「アタシは年寄りだから何か言われてもわからないのよ」
「あとで若い人に聞いておくわ。覚えてたらね」
「娘が帰ってくる時間? どこかに書いてあったけど忘れちゃった。ごめんなさい」
今のところ振込め詐欺の電話はないし、もしかかってきてもお金がないから大丈夫。とはいえ最近は新手の詐欺も多いので、聞き耳を立てるに越したことはない。
「あら、タマコさん元気? かかって来るころだと思ってたわよ」
うんうん、タマコさんなら安心だ。
タマコさんというのは、母が美容師になる前に勤めていた丸の内の商社の先輩で、今年97歳になるお婆ちゃんである。タマコさんは毎年お正月明けに電話してくるのだ。私は階段を下りて母の部屋に行った。タマコさんと母のやり取りが面白いから。
以下、母とタマコさんの会話。タマコさんは声が大きいのでよく聞き取れる。
「あのね、今年も西郷さんのお墓参りに行ってきたの」
「タマコさん、律儀だわねぇ」
「あらぁだってアナタ、一世一代の恋よ、大恋愛なのよぉ! 年に一度は必ず会いに行かなきゃ」
西郷さんというのは、タマコさんと母が働いていた商社の社員の男性で、真偽のほどはわからないがあの西郷隆盛の親戚スジにあたる男性らしい。母によれば上野公園の銅像には似ても似つかぬ優男だったとか。
昭和15年から16年ぐらいだろうか、タマコさんはその西郷さんに一世一代の大恋愛というか、片想いをしていたのである。
戦前は70%がお見合い結婚
ご存知の通り、昭和16年の12月に真珠湾攻撃が行われた。
戦争の記録は数限りなくあるが、恋愛に絡むものはあまり語られない。とはいえ戦火に引き裂かれたカップルは多かったと聞く。
もし戦争がなかったら、タマコさんの一世一代の片想いだって成就していたかも知れない。タマコさんだけではなく、たくさんの女性たちの恋が、ごく普通に実を結んだはずだ。しかし青年たちは徴兵され、娘たちは遠くの知人を頼って疎開したため、無事に終戦を迎えられても再会できないカップルがたくさんいたのだ。
ましてやタマコさんは片想い。西郷さんのほうには彼女を探す気などサラサラないので、疎開先のタマコさんを見つけるはずもない。結局タマコさんは東京での大恋愛の思い出を胸に、終戦後すぐ疎開先でお嫁に行った。
ちなみに昭和前半の結婚は約70%がお見合いである。現在のお見合い結婚率は5%程度だというから、当時の結婚観は今とかなり違う。当時のお見合い結婚のなかには職場結婚も含まれた。上司が独身の男女を結び付けるのだ。これはセクハラという概念が存在しなかった時代だから出来たこと。
「キミは幾つになったんだ? 早く嫁に行かないともらい手がなくなるぞ」
「おい、そこの○○ンガー(独身男性のこと。昭和時代には親しみを込めて一般的に使われていた)。そうそうオマエだ、オマエ。この子どうだ? 安産体型だぞ」
今だったら確実にクビが飛びそうな発言が日常的に交わされ、それをきっかけに職場恋愛が生まれる。もし戦争がなければ、タマコさんの一世一代の片想いに気づいた世話好きの上司が一肌脱ぎ、めでたくゴールインした可能性は大いにあるというわけだ。しかし現実にはタマコさんの気持ちは伝わらず、一世一代の恋はただの思い出になってしまった。
ところが運命の女神は再びふたりを巡り合わせる。
終戦から10年ほど経ったころ、タマコさんが都内の実家に里帰りしているとき、銀座のデパートでバッタリ西郷さんに遭遇したのだ。西郷さんのほうは帰国してから会社に復帰し、数年後に上司のお嬢さんと結婚していたが、デパートでの再会をきっかけに交流が始まったそうだ。
交流と言ってもお互いの住所を交換して年賀状を出す程度だが、タマコさんは嬉しくてたまらない。以来お正月になると、西郷さんの近況を後輩の我が母に伝えてくるようになったのである。
しかしその後も、タマコさんと西郷さんが会うことはなかった。家族ぐるみで付き合うほどの親しさもなかったし、ふたりだけで食事に行くなどという感覚はない。
戦後生まれや平成生まれから見れば、せっかく再会できたのにもったいない話だが、大正生まれのタマコさんにとって、既婚者である自分が未だ西郷さんに惹かれているということだけでも罪悪感を覚えるのだ。
だからこそ、思いのたけをウチの母にだけこっそり話す。電話の声は大きいけれど、こっそり話す。
恋の思い出でアンチエイジング
その永遠の王子様だった西郷さんも20年ほど前に亡くなった。タマコさん曰く、ご家族に見守られて安らかに旅立ったとのこと。12月だった。
それからタマコさんは年末になるとお墓参りに行く。命日には身内の方たちが来るだろうと遠慮し、数日後に出かけて気の済むまで西郷さんに語りかけるのだ。
そしてお正月が明けた頃、母に電話をしてくる。生前は西郷さんの近況報告だったが、亡くなったあとは若かったころの話が増えた。
「あのころからアナタは西郷さんよりトシローさんのほうがいいって言ってたけど、どうして」とタマコさん。
「だって美男子だもの」
「たしかにトシローさんはガイジンみたいなお顔だけど、西郷さんのが素敵だったわよ」
「まったくタマコさんったら、失礼だわねぇ」
ふたりで声を合わせて笑う。何を隠そう、トシローさんというのが私の父。しかし残念ながら、私はガイジン顔ではない。
母の部屋でベッドに座り、賑やかなタマコさんと母の90代の恋バナを聞いていると、心が温かくなる。
もう西郷さんも私の父もこの世には居ないのに、明日また職場で会えるかのように話しているのだ。その様子は90代とは到底思えず、まるで女子高生みたい。女子は幾つになっても女子なんだと感心する。
そういえば母の公民館仲間も70代80代で「恋バナ」に花を咲かせていたっけ。旅先で名も知らぬ男性に缶ジュースを貰ったこと、カラオケ教室の先生が素敵だという話。韓流タレントのファンだというお婆ちゃんは雑誌から切り抜いた写真を財布に入れていた。
また、私の知人に元気な90代男性がいるのだが、彼は今も恋をしていると言う。お相手は最近になって習い始めた小唄のお師匠さんで50代。その先生の顔を見るため、毎週のように神奈川から都内まで通っているそうだ。
人生100年時代、人々は幾つになっても心身ともに若くありたいと願う。その願いを叶えるためにサプリを飲んだり、エステに通ったり、高価な化粧品を購入したり。それはそれで良いと思うが、お金をかけずに若返りたければ友達と喋るのが効果的だと聞いた。
同世代の仲間に過去の出来事を語って笑い合うとき、私たちの脳は昔に戻るらしい。ましてその内容が恋愛の記憶なら、なおさら心が浮き立つに違いない。
恋愛にまさるアンチエイジングの特効薬はない、と思う昨今である。
※記事の情報は2020年3月24日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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