【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2020.08.04
小田かなえ
珍客万来、愉快な高齢コミュニティー!
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
「センセーいる?」102歳の女性患者来襲
あれは去年の秋のこと。私が自室で昼寝をしていたら、とつぜん階下が騒がしくなった。母の大声と、もうひとり誰かの声がする。
「あらあらあら! ちょっとちょっと!」
「センセーいる? ここ○○病院よね?」
「違うわよ! そっち行かないで、カナエ! カナエ!」
何事かと飛び起きて階段に向かうと、廊下を見知らぬお婆さんが歩き回っていた。今どき珍しく真っ白な割烹着姿で、手には頑丈そうな杖。
その後ろにはオロオロしながら手を差し出し、追いかける母がいる。
「どうしたの?」
「この人、病院と間違えてるみたい」
お婆さんは廊下をバタバタとせわしなくウロつき、キッチンに入ったり母の寝室に入ったり、浴室やトイレまで覗き込む。
そして私が近づくと......
「あ、センセー! 良かった、センセーいたわ!」
どうやらお婆さん、私をお医者さんだと思ったようだ。
お婆さんが勘違いしたのには理由がある。
我が家は駅前通りから2本目の道の角だが、◯◯病院は1本目の道の同じ位置にあり、そこには院長先生の他に女医さんがふたり居るのだ。
少し耄碌(もうろく)したお婆さんが迷うのも当たり前。
その病院にはうちの家族もお世話になっているので、私はお婆さんを送って行った。受付で事情を話し、顔見知りの看護師さんにバトンタッチ。
「ありがとう、このお婆ちゃん102歳なのよ」と看護師さん。
ビックリである。杖を持っているとはいえ自宅からひとりで病院を目指し、間違えたとはいえ我が家の廊下をバタバタと歩き回った脚力。102歳、畏るべし!
「ネギ無いと困っちゃうでしょ?」行商、あるいは押し売り
もうひとり、数年前にやって来た年齢不詳のお婆さんも強者だった。
その人は昭和初期のものと推測される籠型の乳母車に野菜や花を入れ、売り歩いているのだ。玄関先で母を相手に商売を始める。
「奥さん、お花いらない? これ庭で育てたのよ。ほら、赤もいいし、白いのも青いのも綺麗でしょ」
面白いから見に行くと、今度は私にも言う。
「あんた、お嫁さん? お花飾らない? 300円でいいよ」
ところがその300円は新聞紙に包まれた貧弱な数本のアネモネ。私が首を横に振ると、新聞紙の花束を乳母車に戻し、今度はむき出しの長ネギを取り出した。
「ネギは? ネギ使うでしょ? 1本100円、ネギ無いと困っちゃうでしょ?」
いや、べつに困らない......と私が言いかけると、再び乳母車に手を突っ込み、今度はトマトを出す。
「若い人はやっぱりトマトが好きかしら、ね? トマト! それからさ、これね、さっき揚げたばっかりの揚げ餅! 美味しいんだよぉ」
トマトと一緒にビニール袋入りの揚げ餅も差し出す。
「揚げ餅は500円だけど、どう? トマトは300円」
どう? と言いながら母と私を見比べ、続いて何やら和柄の布を引っ張り出した。
「これ見てよ、手作りの巾着よ、便利だから買わない? 500円」
次から次へと手品のように乳母車から商品を取り出すのは面白かったが、何か買わなきゃ帰ってくれない気がして、無くても困らない長ネギを2本貰うことにした。
「ありがと、また来るね」
それからしばらくの間、母も私も、「また来たらどうしよう」とビクビクしていたのだが、結局それきり来なかった。多分ケチな家だと思われたに違いない。
おにぎり爺さん「ちょっと縁側を借りてるよ」
私にとって史上最強の珍客はお爺さんだった。
ある日のお昼どき、裏口から庭の方へ回ろうとしたら、途中の縁側に見知らぬお爺さんが座っていたのだ。
「ギャッ!」
思わず悲鳴を上げる。
「あれぇ驚いちゃった? ごめんねぇ、ちょっと縁側を借りてるよ」
見ればお爺さん、手におにぎりを持っている。うちの縁側に座り、ペットボトルのお茶を飲みながらムシャムシャ。
私の叫び声を聞いて様子を見に来た母が一旦引っ込み、ミカンを持って戻ってきた。さすがは昭和の下町育ち!
「小粒だけど甘いのよ、いかが?」
「こりゃスマンです、奥さん」
それをきっかけにお爺さんと母は話し始めた。
「うちは養鶏場の方なんですわ、わかります?」
「知らないわねぇ」
「じゃあホラ、○○寺は知らない? 古い鐘がある寺」
「うーん、わからないけど」
「床屋があってさ、その先の橋を渡ればすぐだよ」
お爺さんの家を教えてもらっても仕方ないのだが、いちおう私も聞いてみた。
「ここまで歩いて何分ぐらいなんですか?」
「そうだねー、何分ってことはないけどさ、だいたい1時間半ちょっとかねぇ、散歩にいい具合だけど、家ばっかりで休むところがないからね、お邪魔しちゃったよ」
1時間半ちょっと!? それは一体どれくらいの距離なのよ!?
人間の歩く速さを時速4キロとすれば約6キロ......往復で12キロ!?
「あの、お幾つ?」
「ワシかい? このあいだ90になったよ」
そうこうするうちに食べ終わり、ミカンの皮と空のペットボトルをゴミ袋に入れ、頭を下げて裏口から出て行った。
そのお爺さんもまた、それから一度も来ていない。
病院へ行きたいお婆さん、乳母車の行商お婆さん、そして驚異の脚力を持つおにぎり爺さん、いずれも一期一会の思い出だ。
顔見知りならぬ、イヌ見知りのご近所さん
いちばん新しい珍客は今年のお正月。郵便物を取りに出たら、庭の奥から勢いよく子犬が走って来た。
「うわっ! アンタなんでウチにいるの!?」
思わず犬に向かって聞く。
「このあいだ生まれたんだよ。冬に生まれた子は丈夫だって聞くから、欲しいかなぁと思ってさ」
玄関の外から声をかけられ、振り向くとニコニコ顔のお爺さんがいた。誰だろう? 顔見知りではない気がするけれど......と脳内を検索していたら、門の陰からひょっこりと顔見知りの犬が現れた。
我が家には犬も猫も居ないのだが、なぜか私は動物に懐かれる。その犬も初対面で路上にひっくり返りお腹を撫でさせてくれたコーギーで、お爺さんはその飼い主だった。
私は犬の方しか覚えていなかったという素振りなど微塵も見せず、足元にまとわりついてきた母犬を撫でながら話を聞く。
「こいつが子犬を4匹産んで、1匹余ってるから連れてきたんだよ」
欲しかった! この子犬と暮らせたらどんなに幸せだろう。庭の隅から隅までロープを張って自由に走らせてあげよう。そして夜は家に入れて一緒に寝るのだ......などと妄想していたら、母が現れて子犬に目を輝かせた。
「まぁ可愛いわねぇ」
「そうでしょ? 若奥さんが犬好きみたいだから、良かったら飼わないかと思ってさ」
「あらぁ、いいわねぇ」
その呑気な姿を見て、私はハッと目が覚める。
ダメだ、無理だ、我が家にはこの先おそらく手がかかるであろうこの老母がいるのだ。今はともかく、日常生活すべてに介護が必要になったら散歩の時間さえ取れないかもしれない。ワンちゃん中心の暮らしはできないのである。
余談になるが、私は母に対し、本人が気づかぬよう万全の態勢を敷いている。
たとえば深夜に救急搬送されることを想定し、母には定期的に新しいパジャマを買い与え、私自身はいつ何が起きても飛び出せるように普段着のまま寝ているのだ。
庭木も10年ほど前にすべて伐採し、道路から家が丸見えになるようにした。もし母が庭で転んだり倒れたりした場合、通行人に見つけてもらえるからだ。家の中で具合が悪くなったら、窓を開けて誰かを呼ぶこともできる。
また、玄関先には私が不在でもわかるように母の保険証とお薬手帳、各病院の診察券、私の電話番号と小銭が置いてある。
いくら「元気なお婆ちゃんね」と言われても95歳は95歳、常に臨戦態勢なのだ。
というわけで私は泣く泣く子犬を諦め、子犬はそのまま母犬と一緒に暮らすこととなった。
以来、本当の顔見知りになったお爺さんは、ときどき散歩の途中に2匹の犬を連れて立ち寄ってくれる。2匹の犬を交互に撫でる母は嬉しそうだ。
老母と暮らしてわかったが、高齢になればなるほど「遠くの親戚より近くの他人」という言葉が生きてくる。近くの他人どころか、近くの犬にまで支えられている母は、なかなかの果報者だ。
これを書いている今も垣根越しに向かいの奥さんと喋る母の声が聞こえ、うるさいけれど、とりあえずは安心......といったところ。
近所付き合いは気を遣うことも多いが、いざというときに助け合うのは地域の人々なのである。
※記事の情報は2020年8月4日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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