【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2020.02.05
小田かなえ
ルーティンは楽しい
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
自然発生する理由なき習慣
ルーティンは日課や習慣化を意味する言葉。「ルーティンワークをこなす」というような使いかたをするため、なんとなく業務上のノルマ感が漂うが、実は日常生活のあらゆる場面に個人的かつ独自のルーティンが存在する。
たとえば寝る前に砂糖を小さじ1杯入れたホットミルクを作り、庭を見ながら飲んで、そのあと雨戸を閉めるとか。新聞を地域版から読み始め、三面から一面に目を通して、最後に人生相談を熟読するとか。
公民館で習い事をしたり、ジョギングなどをスケジュールに組み込んだりするのもルーティンだが、それらはカルチャーセンターが日程を決めたり、自分で趣味や健康に費やす予定を決めるだけなので、ここで言いたいルーティンとは少し違う。
私が話したいのは理由もなくいつのまにか習慣化されてしまう行動のことで、つまり自然発生するルーティンだ。とくに高齢者はこういうルーティンがお好き。仕事や生活に追われているわけでもないのに、なぜ行動をわざわざ規定して自分を縛るのだろうか。
「なんとなくそうなっちゃった」
そう思って周囲を見回すと、いろいろなことをルーティン化しているお爺ちゃんお婆ちゃんがたくさんいることに気づく。まずは、自分だけの娯楽ルーティンを持っている人たちをご紹介しよう。
ひとりめは、うちの近所の御隠居さん。5のつく日に必ず手打ちうどんを届けてくれる。5日、15日、25日の正午ぐらいに、打ち立てのうどんが入った紙袋を持ち、ピンポーンと我が家のチャイムを鳴らすのだ。
その人は普通のサラリーマンだったのだが、定年後に自己流でうどんを打ったら絶品に仕上がった。それで隣近所にお裾分けを始めたらしい。
「どうして5のつく日なんですか」
「いや、べつに意味はないんだけどね、なんとなくそうなっちゃったんだよね」
この「なんとなくそうなっちゃった」というのが、自然発生するルーティン遊びの真髄だろうと私は思う。うどんなんか、何日に打ったって構わないのに。
ふたりめは70代になる私の知人女性。第1と第3火曜日にはランチを食べるためにわざわざ遠くの病院まで通っている。通院先は都心にある大学病院。最上階に高級ホテルのレストランが入っていて、誰でも自由に利用できるシステムだ。
その人は毎回タンシチューを食べに行く。通院のついでにタンシチューを食べるのではない。タンシチューを食べるために通院しているのである。病気そのものは近所の病院でも治療できる軽いもの。しかしタンシチュー食べたさに隔週で埼玉から都心へ出向く。時間も交通費も無駄だが、それもまたルーティン遊びならではの贅沢と言えよう。
余談だが、私もその病院に入院したことがある。レストランの入口には長さ3メートルぐらいのハンガーラックがあり、医師は白衣を脱いで入店する仕組みになっていた。「お医者さんも患者さんも立場を忘れ、気兼ねなく食事を楽しんでほしい」というレストラン側の気配りだそうだ。ちなみに私はタンシチューではなく、お財布にやさしいサンドイッチをよく食べた。
嬉しいときは台詞までルーティン!
続いて、50年以上前に亡くなった私の曽祖母。明治に生まれて88歳で彼岸へと旅立ったが、晩年は毎週月曜日と木曜日に自宅から歩いて映画館へ通っていた。週に2度も行くのだから上映されている作品は変わらない。しかし長谷川一夫のファンだった曽祖母は、同じ映画を何度も観るのが幸せだったのである。
「長さんはいい男だよ。長さんに勝てるのは死んだ亭主ぐらいだ」
というのが曽祖母の口グセ......ルーティン言葉だ。
長さんというのは、デビュー当時に林長二郎という名前だった長谷川一夫のニックネームである。亡くなってすぐに国民栄誉賞を贈られた超イケメン大スター。ビデオもBlu-rayも存在しない時代に、年寄りの脚で歩ける範囲に映画館があったのはラッキーとしか言いようがない。
最後に私の亡父。午前中は庭の手入れをし、午後は麻雀ゲームで遊ぶ。3時のおやつは和菓子。陽のあるうちに入浴し、少しだけ晩酌。夕食後は早く寝た。そして毎週土曜には必ず神保町まで出雲蕎麦を食べに行くのである。私もときどきお供したが、蕎麦屋以外に寄り道はせず、三枚重ねの割子を食べて帰るだけ。
「やっぱりパパはここの蕎麦がいちばん好きだな」
これまた必ず同じ台詞を言う。どうやら人間は嬉しいとき口にする言葉もルーティン化されてしまうようだ。
さて、現在の母。公民館仲間と出歩くこともなくなり、暇を持て余しているかと思いきや、案外そうでもないことは皆様のご推測どおり。短時間ながら決まった時間に体操をして、朝食後は新聞を隅々まで読み、午後はiPadで昭和歌謡の動画を観ながらウトウトする。そして夕食前にシャワーを浴びる。お風呂に入るのではなく、95歳になった母は真冬でもシャワーだ。
「寒いんだからお湯に浸かれば?」
「面倒くさいからシャワーのがいいわ」
そう言って立ったままシャワーを浴び、必ず先にシャンプーしてから身体と顔を洗う。何度かこっそり覗いたことがあるので間違いない。こんなこだわりも高齢者の特徴である。食事の後はテレビドラマか映画を楽しみ、日にちが変わってから眠りに就く。
物事のルーティン化は生活にメリハリを与え、精神的な安定を得ることに繋がっているのかも知れない。
高齢社会に役立つ暮らしのルーティン化
高齢者の暮らしがルーティン化していると助かることも多い。
「9時に起床するお婆ちゃんがまだ部屋から出てこない、様子を見に行かなきゃ」
「お爺ちゃんが3時のおやつを食べなかったけれど体調が悪いのかしら」
等々、異変に気づきやすいからだ。
さらに隣近所に目を向ければ......
「90歳の◯◯さんは毎朝きちんと雨戸を開けるのに、今日は11時になっても閉めっきり。様子を見に行ったほうが良いだろうか」
「ちょっと耳の遠い△△さんのテレビの大音量が昨日から聞こえない、大丈夫かな」
という話にもなる。
実は我が母、10年ほど前に孤独死の男性を発見したことがあるのだ。公民館仲間でもある隣家の主婦から電話があり、一人暮らしをしている高齢男性の家の玄関灯がお昼過ぎても消えないとのこと。ふたりで行くのは怖いので町会長さんも呼び、カギのかかっていない勝手口から入って遺体を見つけた。
悲しいエピソードだが、亡くなった人の身内には感謝されたし、これから増えてくる問題でもある。あまり近所付き合いをしたがらない高齢者は数日間寝込んでも気づかれない。だからといって用もないのに毎日訪問したら親切の押し売りになってしまう。そんな場合、相手のルーティンをちょっとだけ把握していれば役に立つというわけ。
お年寄りがルーティン化を好む理由はわからないけれど、少なくともそこにいろいろなプラスの面があることは間違いなさそうだ。
※記事の情報は2020年2月5日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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