日本に"アラひゃく"の時代がやってきた!

【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る

小田かなえ

日本に"アラひゃく"の時代がやってきた!

人生100年時代、「あなた」はどう変わるのか。何十年も前から予測されていた少子高齢社会。2022年9月時点で100歳以上のお年寄りは9万人を超えました。自分に訪れる「老い」と家族に訪れる「老い」。各世代ごとの心構えとは? 人生100年時代をさまざまな角度から切り取って綴ります。

さて、冒頭からクイズです。


"アラひゃく"という言葉が使われるようになった現代日本。正しく表すと「高齢化社会」「高齢社会」「超高齢社会」のどれでしょう?


「高齢化社会」とは、65歳以上の高齢者が人口の7%超を占めている状態。それが進んで高齢者の割合が人口の14%超になると「高齢社会」、さらに人口の21%超が65歳だと「超高齢社会」となる。


日本の高齢化率が7%を超えて7.1%になったのは1970年だった。この年に生まれた人たちは2023年に53歳を迎える。つまり現役世代の大半が高齢化社会を生きてきたということだ。


そして1995年には65歳以上の割合が14.6%に達して高齢社会となり、2007年には21%まで増えて「超高齢社会」に突入した。


そう、正解は「超高齢社会」です。


ちなみに2022年の高齢化率は29.1%で、これが2040年には35.3%になると予想されている。私たちの日本は世界第1位の超高齢国家なのである。


これを若い世代の視点から考えると、まだ高齢化社会に突入していない1950年には、12.1人の現役世代(15~64歳)で高齢者(65歳以上)1人を支えていた。2020 年には、現役世代2.1人で高齢者1人を支えている。そして現在20代の人たちが高齢者の仲間入り目前の2065年には、現役世代1.3人で高齢者1人を支えているという予測だ(参考:「令和4年版高齢社会白書」)。


皆さんは1973年に作られた「ソイレント・グリーン」というSF映画をご存知だろうか。人口が増えすぎて食糧が不足した未来では、ソイレント・グリーンという合成食品が開発されているのだが、はたして原料は!?......というストーリー。その舞台になっているのが2022年の世界だ。


実際の2022年にソイレント・グリーンはなかったけれど、興味のある方は日本が高齢化社会へ足を踏み入れた頃に描かれた2022年の世界をのぞいてみてほしい。




ピンピンコロリ VS ネンネンコロリ

どんなに平均寿命が延びても、生き物である以上は死出の旅立ちを免れない。ピンピンコロリという言葉は大昔からあるのだろうと錯覚しがちだが、実は1983年、昭和の終わり近くに生まれたものだ。


ピンピンコロリとは、死ぬ直前までピンピン元気に生きて、病気に苦しむことなくコロリと死ぬこと。長寿で知られる長野県の方が「健康長寿体操」を考案し、日本体育学会(現・一般社団法人日本体育・スポーツ・健康学会)に「ピンピンコロリ(PPK)運動について」と題して発表したのが始まりだとか。以来ぴんころ神社やぽっくり寺が全国に広がり、シニア層の人気を集めることとなった。


我が母も80代の頃に長野県佐久市の成田山薬師寺の参道に建てられたぴんころ地蔵に参拝している。現在98歳、杖を使わずに歩き、自分の歯で食事しているのだから御利益があったのかな......ということで、私も御礼がてらお参りに行ってみた。


平日で人は少なかったが寂れた感じは全くない。成田山薬師寺の参道には幼児が描いたと思(おぼ)しき絵などが飾られ、観光スポットということもあって、全体的に手入れが行き届いている。お地蔵様も思ったより大きくてきれいだ。


お参りを終え、参道の入口にある老舗風の鯉屋さんをのぞいてみる。佐久の鯉は有名だから、自分の家と近所の友達にお土産を買いたい。そのお店は食事処ではなく鯉の問屋さんのようで、贈答用とおぼしき鯉のほかに、かわいらしいぴんころ地蔵グッズも並んでいた。


お店の人は同世代のおばちゃん......となれば一瞬でココロが通じる。目と目が合った途端「ウフフフ」と意味もなく笑みを交わし、雑談が始まった。


「やっぱりお年寄りのお客さんが多いんですか?」
「そうでもないんですよ。おじいちゃんおばあちゃんだけじゃなく、息子さんやお嫁さん、お孫さんたち、ご家族そろっていらっしゃいますよ」
「あら、にぎやかですね」
「ぴんころ地蔵さんは町おこしのシンボルなんです。この界隈のみんなで少しずつお金を出し合って、お年寄りにも小さい子にも好かれるお地蔵さんを作ったの。幼稚園と共同でいろいろ催しをやったりね、ハロウィンの日は仮装した子どもがいっぱい集まって......」
「えっ? お寺なのに?」
「実はね、お寺さんの敷地はお借りしてるだけなの。だから子どもたちが喜ぶイベントはなんでもやってあげられるんですよ」


なるほど、である。佐久のぴんころ地蔵様は宗教的な存在というだけではなく、地域の皆さんの優しさが生み出したアイドルなのだ。お年寄りが子どもたちと楽しく暮らせるように......お地蔵様のかわいいお顔にはそんな願いが込められていた。


さて、そのピンピンコロリの対義語としてネンネンコロリという言葉もある。こちらは長く介護を受けながらゆっくり旅立つこと。


一般的には前者が良いとされるわけだが、ピンピンコロリとネンネンコロリどちらが多いのかといえば、これはもう好むと好まざるを問わず圧倒的に後者である。
ピンピンコロリに該当する人は、一説によれば約3%だそうだ。それ以外の人は平均10年前後の介護を受けて亡くなる。


そういう話を聞いて若いうちは(私も含め)「ネンネンコロリはイヤだなぁ」と思うわけだが、ではピンピンコロリの明るいイメージ......例えば朝ごはんをおいしく食べた後に大きく伸びをして、そのままポックリ......なんていう例は稀(まれ)である。


それに、普通に考えればピンピンコロリというのは予期せぬ死になることが多いわけだから、それはそれでちょっと怖い気もする。




在宅医療は、「往診」から「訪問診療」へ

愚母とその仲間たち(親戚や友人)がよく言っていた良い旅立ち方は「ちょっとだけ寝込んだあとにお迎えが来る」というもの。


ちょっとだけというのは1週間ぐらいで、風邪をひいて自宅の離れで寝ているのが理想だと。うつらうつらしていると、孫が縁側に向いた障子を開けに来て、部屋に心地よい空気が流れるなか、のんびりと他愛もないおしゃべりをする。


嫁か娘がトロトロのおかゆを炊き、離れに持ってきてくれる。吸い飲みには甘いジュースかミルクが入っていて、ひと口ふた口......。庭には季節の花が咲き、小鳥のさえずりも聴こえ......。


そこに往診の医師がやってくる。お茶を飲みながら「もうおトシですからねぇ」と家族に告げ、その数日後に眠ったまま息を引きとるというシナリオである。


なんとなく設定が昭和っぽいけれど、確かに理想の終焉かも知れない。これがピンピンコロリの極意だとは思うが、このシチュエーション、現代においてはいろいろと無理がある。


90歳以上の超高齢者には孫がいたとしてもおそらく成人しており、縁側の障子を開けるくらいならともかく、離れで寝込んでいるおばあちゃんとのんびり雑談する暇はないだろう。
自分の子どもたちも高齢でトロトロのおかゆを炊くのは億劫だから、きっとレトルトに違いない。


それらはまぁ良いとして、何よりも昔のように往診してくれる近所のセンセが滅多にいない。これはお医者さんが薄情になったわけではなく、システムが変わってきたからだ。


現代の「訪問診療」と昔の「往診」は全く別モノ。「往診」というのは、腹痛や発熱等の訴えを聞いた医師が臨機応変に患者の家へ赴いて行う診療のこと。昔のかかりつけ医が担っていた役割である。


それに対して最近よく耳にする「訪問診療」は、医療関係者がチームを組んで慢性病の患者などを定期的に訪問し、経過観察も含めたプランに基づいて24時間体制で対応するシステムだ。縁側でお茶を飲みながら患者の家族と雑談する雰囲気とは違う。


団塊の世代の多くの人たちが後期高齢者(原則75歳以上)になる2025年は目前。コロナ禍の時期のように病院の空きベッドが足りなくなる状況を避けるため、日本はもっともっと在宅医療を充実させなければならないだろう。


自宅や施設での訪問診療にはたくさんの人の協力が必要だ。いろいろな職種の連携があってこそ、入院するほどではない(急性期ではない)病気を抱えたお年寄りのもとに医学の手が届く。


兎にも角にも"アラひゃく"という言葉が生まれる時代。私たちはピンピンコロリかネンネンコロリか自分で選ぶことはできないのだから、アラフォー、アラフィフ、アラ還、アラアラ......と慌てつつも、将来的に自身が置かれた状況のなかで最善を選べるよう、今からアンテナを張っておきたいものだ。



(参考資料)
●「高齢化社会」「高齢社会」「超高齢社会」について
健康長寿ネット」(公益財団法人長寿科学振興財団)


●高齢化率などの統計データ
高齢社会白書」(内閣府)
将来推計人口・世帯数データアーカイブス」(国立社会保障・人口問題研究所)


※記事の情報は2023年5月9日時点のものです。

  • プロフィール画像 小田かなえ

    【PROFILE】

    小田かなえ(おだ・かなえ)

    日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。

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