【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2021.08.17
小田かなえ
ヒトの心は幾つになっても成長する!
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
亀の甲より年の功
「亀の甲より年の功」ということわざを、私は単なる「お婆ちゃんの知恵袋」的にとらえていた。
「お婆ちゃんの知恵袋」には、発熱したらキャベツの葉っぱをアタマにかぶるとか、急にポチ袋が必要になったときは四角い紙を折って作るとか、残りご飯と小麦粉を混ぜ、平たく延ばして焼けば自家製のお煎餅が出来るとか......ユーモラスなものから節約術まで、知っていれば役に立つのかも知れないけれど、べつに知らなくても困らないものが多い。
そのため私は「年寄りの言うことは聞くもんだ」なんて、ただ長生きして知識が増えただけだろうと軽んじていたのだ。
しかし、である。自分自身がジワジワと年寄りになってくると、知識や経験が増えるか否かではなく(私の場合は知識なんか増えなかった)「世界の見え方が変わってくる」ということに気づいた。
やたら尖っていた若い頃や、いろいろなことが心配になる子育て時代、世間体や建前を気にしなければならない中年期を経験し、ようやく60代を迎えた今見えてきたのは......発熱時にキャベツの葉っぱをかぶるという知恵ではなく、キャベツをかぶってもかぶらなくても熱は下がるという事実だった。
「この世の中に怖いものなんか何もないんだよ」
そう言った父の目に映っていたのは、アッという間に過ぎ去った戦火と、その後に続く高度経済成長だったのか。
「いつも笑っていなさい。苦しいときもニコニコしていれば大丈夫」
そう言った祖母の目に映っていたのは、子だくさんの祖父の後添えとなり、その子どもたち(うちの母も含め)と温かい家庭を築き上げた自信だったのか。
「柳の木は柔らかいから雪が積もっても折れないのよ」
街路樹の柳の下を散歩しながら呟く曽祖母の目には、娘である祖母と共に他人ばかりの家で暮らす自分の姿が映っていたのか。
私も最近、さまざまな事柄を別の角度から見られるようになってきた。だからといって名言が生まれるわけでもないし、若い世代に立派なアドバイスができるわけではないが、困ったことが起きたとき、過去の自分には考えつかなかった解決策を思いつく。
ただし......
ホコリじゃ死なない
そう言い切る96歳の愚母、こればかりは亀の甲と比較したら亀に失礼な発言である。
美容院を経営していた頃から怠け者だった母は、隣のおばさんに「この家は掃除してからじゃなきゃ座れないよ!」と怒られていたそうだ。おばさんは赤ん坊だった私を背負って箒(ほうき)をかけ、それから自分でお茶を淹れて座ったと聞く。
現代の日本人は繊細なうえ、ハウスダストで病気になることも知られているので、「ホコリじゃ死なない」という母の言い分は間違いだ。間違いなのだが......それでも母の妄言を信じたフリして掃除をサボる私もまた、怠け者である。
しかし、その怠け者の遺伝子を素直に受け入れることこそ、私が老いの入り口に立って得た「世の中の見え方の変化」だった。
若い頃の私は、家事すべてキチンとしなければならないと考えていた。
毎朝の簡単な掃き掃除、週に数度の掃除機がけと拭き掃除、年に4回の大掃除。いつ誰が来ても恥ずかしくないように家を維持し、庭も竹箒で掃いて、通りすがりの誰かが外壁沿いに咲き誇る薔薇を褒めたり、近所の子どもが庭に置いた陶器の人形に喜んだり......そんな声を聞くことで満足していた。
だが今の我が家は悲惨な状態だ。薔薇は枯れ、側溝から雑草がビヨンビヨン伸び、庭の人形も色褪せ......いつ誰が来ても恥ずかしい住まいに成り下がっている。
つまり私は母から受け継いだ怠け者の遺伝子に逆らわず、「恥」という感情を捨てたのだ。念のため申し添えるが、これは道徳的な意味での「恥知らず」とは別モノである。私が捨て去ったのは世間体......無理してでも自分を良く見せたいという気持ちだ。そのおかげで毎日の暮らしがとてもラクになったのは言うまでもない。
「大掃除なんかしなくていいわよ」
と、96歳の母。
「そうね、やめとくわ」
と、64歳の娘。
ラクになったというより、自堕落になったと言うべきか。
もちろん、旧来のやり方を守り続けている人々も多い。毎日しっかり住まいの手入れをし、季節ごとの行事もしきたりを守って執り行う。そして師走になれば障子を張り替え、窓をピカピカに磨いて、お正月飾りを念入りに整えるのだ。そんな正統派の日本文化を継承し、そこに清々しい喜びを見出すのも、これまた正しく健全な価値観だと思う。
神棚は何のため?
それで思い出したが、諸事情により我が家には仏壇がない。その代わりに神棚らしきものがある。「らしきもの」というのは、何を、あるいは誰を祀っているのか不明だから。
そもそもこの神棚は、現在の家に引っ越してきた際に父トシローが手作りしたシロモノで、その後、遠縁のお寺から送られてくるお札や、旅先で買ったお守りなどを積み重ねる場所と相成った。どう見ても不謹慎の極み。
しかし不謹慎だろうが何だろうが、神棚というものは天井近くに置くものと決まっているため、それは私の身長より上にある。
そして「ホコリじゃ死なない」我が老母、身長がどんどん縮んで現在は140センチ程度なのに、神棚には毎朝わざわざ背伸びしてコーヒーを供えるのだ。なぜコーヒーなのかと言えば、単に自分が朝はコーヒーを飲むから。午後になって緑茶が飲みたくなると、自分の分を淹れるついでに神棚のコーヒーも緑茶に取り替える。
「どうして神棚だけは大事にしてるの? 」
「え? べつに大事にしてないわよ、トシローさんが作ったから不格好だし」
「そういえば綺麗な木切れを棟梁(とうりょう)にもらってたのよね。だけど上手くできなくて大騒ぎ。完成予想図とは似ても似つかないカタチになっちゃったのよね」
「そうそう、パパは大工仕事が苦手だったからね。棚ひとつ満足に吊れないの」
「それならどうして1日に2回ちゃんと飲み物を供えるの?」
「だって、これはタイソーだもの」
「タイソー?」
「この高いところに手を伸ばす体操よ。届かなくなったらもうやらない」
なるほどいかにも母らしい。信仰心でも習慣でもなく、ただ神棚を自分の体操の道具にしているなんてね。そのうちバチが当たらないかと心配だ。
話を元に戻そう。
亀の甲より年の功で、私たちは身体の衰えと引き換えに新しい視点を手に入れて成長し、他者に何らかの助言ができるようになったりする。知識と経験を生かした解決法だけでなく、若いときには気づかなかった様々なものが見えてくるため、その新たな着眼点を元にしたアドバイスが可能になるのだ。
そこでひとつの疑問が生じる。私たち人間の「気づき」は、いったい何歳まで得られるのだろう? 私たちは何歳まで成長できるのだろう?
自分のことを振り返ってみれば、10年前より今のほうが大らかになった。何かを決めるときに「白か黒か」で考える必要がないと分かり、「グレーでも良いのだ」と気づいたわけだ。
我が愚母に関して言うと、10年ぐらい前までは些細なことで不満を口にすることも多かったのだが、今は毎日のように「アタシは幸せよ」と言っている。いったい何によって、いつ世の中の見え方が変わったのか、私には分からない。しかしそれは確実に、母が85歳から95歳までの間に得た変化なのだ。
だから私は断言したい。ヒトの心は生きている限り成長するのだと! これを読んでくださっている皆様も、止まることなく進化し続けるご自身の未来を楽しみにしてほしい。
※記事の情報は2021年8月17日時点のものです。
-
【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
RANKINGよく読まれている記事
- 2
- 筋トレの効果を得るために筋肉痛は必須ではない|筋肉談議【後編】 ビーチバレーボール選手:坂口由里香
- 3
- 村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい 村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉
- 4
- インプットにおすすめ「二股カラーペン」 菅 未里
- 5
- 熊谷真実|浜松に移住して始まった、私の第三幕 熊谷真実さん 歌手・女優 〈インタビュー〉
RELATED ARTICLESこの記事の関連記事
- 日本に"アラひゃく"の時代がやってきた! 小田かなえ
- 時間上手になってオトナの今をたっぷり楽しむ! 小田かなえ
- 65年生きてみた。思考は変われど、嗜好は変わらず 小田かなえ
- すべての年齢の人たちがキラキラ輝く社会へ 小田かなえ
- ルーティンは楽しい 小田かなえ
NEW ARTICLESこのカテゴリの最新記事
- 老いてなお、子どもみたいな探究心 小田かなえ
- モビリティジャーナリスト・楠田悦子さんが語る、社会の課題を解決するモビリティとそのトレンド 楠田悦子さん モビリティジャーナリスト〈インタビュー〉