【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2020.11.05
小田かなえ
老後の幸せは十人十色、何が快適か決めるのは自分!
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
100年前のアルバムと「二百三高地」
母の部屋にある写真類を食器棚の引き出しに移動した。なぜ食器棚? と思われるだろうが、単にみんなで見られるようにである。「みんな」と言っても同居の息子が見たがるわけもなく、母と私がときどき出して眺めるだけだが。
ちなみにキッチンに持ってきたのは最近の写真ばかりで、古いアルバムは和室の天袋に入っている。
それらのアルバムは本当に古くて、まだ母が生まれる前の写真まで貼り付けてある、文字通り100年前のお宝だ。曽祖母も祖母も和服で、髪を結い上げている。花嫁さんの文金高島田とは違い、前髪を丸く大きく膨らませたような独特な髪型をしていた。
「これは束髪(そくはつ)よね? 」
「束髪と言えば束髪だけど、お婆ちゃんたちは二百三高地って呼んでたわよ」
「はぁ? 二百三高地? なんで? 」
「ほら、日露戦争で日本が勝ったから......」
日露戦争があったことは知っているし、「二百三高地」という映画が存在することも知っているが、二百三高地などというヘアスタイルは聞いたことがない。
調べてみると、束髪のひさしを高めに結ったものが「二百三高地髷(まげ)」で、日露戦争が終わった1905年直後に流行したらしい。おそらく曽祖母が二百三高地と言っていたため、祖母も同じ名前で呼ぶようになったのだろう。
その二百三高地という束髪を結ったお婆ちゃんたち(まだ若かった)は、大きい派手な柄の和服を着ていた。色は不明だが「銘仙」である。これは普段着として織られた絹織物で、あまり丈夫ではなく、生地が傷んだら座布団にしてしまうとか。
綿で織られている「紬」は母娘三代にわたって着られるのに、絹の銘仙は一代かぎり。なんだかもったいない気がするけれど、そもそも銘仙は絹が贅沢品として禁止された江戸時代に、わざと木綿っぽく見えるよう工夫して織られた絹地なのだから仕方ない。
天袋のアルバムは二百三高地の曽祖母&祖母と山高帽をかぶった祖父の写真から始まり、やがてお下げ髪の母や伯母、坊主頭の叔父、手作りのワンピースを着た叔母たちが登場する。写真が朽ち果てる前に天袋から出さなければと思いつつ、つい後回しにしている不精な私。
さて、話を食器棚の引き出しに戻そう。そこに入っている新しいアルバムの中に、5年ほど前の親戚集合写真がある。母の実家(私から見れば叔父の家)で撮った1枚だ。
母には姉1人と弟妹が3人いて、その写真にも母の姉、すぐ下の妹夫婦、弟夫婦、末妹、そしてその子どもたち(私の従兄弟・従姉妹)が写っていた。
全員が満面の笑み......というより爆笑しているのは、叔父が「みんなで集まれるのは最後かも知れないので写真を撮ろう」と提案し、私がうっかり「イエーイ(遺影)」と言ってしまったせい。親戚だから笑って許されたが。
その写真を改めて見ると、やはり誰も彼も似ている。似ているのは親世代だけではない。今までは気づかなかったけれど、私たち従姉妹もそっくりだ。そして従姉は祖母に、私は曽祖母に似ていた。どうやら御先祖さんたちも同じ顔だったらしい。
2020年現在、98歳の伯母を筆頭に、まもなく96歳になる我が母、93歳の叔母、 90歳の叔父、そして最年少の87歳の叔母まで、全員が存命している。人生100年時代なのだから珍しいことではない。
ただし、老後の過ごしかたは各人各様である。
独居、介護施設、大家族......それぞれの暮らし
最年少の叔母は独居。近くに息子夫婦と孫娘がいるので不便はないが、年老いてからのひとり暮らしは本人も家族も心配なものだ。
そのため叔母は宅食サービスを利用している。買物に行く必要もなく、調理の手間もなく、盛り沢山のおかずが詰まったお弁当が食べられて、担当の配達員が毎日ちゃんと安否を確認してくれる。異変があれば家族や自治体に連絡するシステムで、叔母自身にとっても家族にとっても安心だ。
同様の取り組みは乳酸菌飲料の宅配でも行われている。高齢社会ならではのサービスである。
最年長の伯母は、数年前に介護施設へ入居した。それまでは70代の従姉とふたり暮らしで、アクティブな従姉は国内外問わず伯母を連れ回っていたのだが、さすがに伯母も静かな生活のほうが居心地よくなったのだろう。
この伯母は、毎年必ず盛大な誕生日パーティーを開いてもらっている。主催は伯母の長男である従兄。レストランを借り切って、伯母を頂点とする子ども、孫、曽孫たちが勢ぞろいするのだ。私も出席させてもらうが、まるで劇場のロビーのように生花がふんだんに飾られ、主役の伯母が雛壇に鎮座して花火が弾け散るケーキタワーを前に笑う光景を見れば、やはり長生きはするものだと実感する。
それ以外の三人、うちの母と、3歳違いの叔母、その下の叔父は、それぞれ子どもたちと同居だ。
叔母は大家族で、総勢7人。最近まで中部地方に住んでいたのだが、息子一家が暮らす横浜へ引っ越してきた。この家の息子(私から見れば従兄)は私と同学年で、その妹とも年齢が近いため、遠距離だった割には親しみがある。
この叔母とウチの母は「話しかた」がそっくりで面白い。
「ちょっとちょっと聞いてよ! この間アタシってばさぁ、あははは」
「何よ、何したの? アタシだってあんた、はははは」
「ほらオカ町の家の隣りのミコちゃんが、キャー」
「そうそう! トヨシマのおじさんだってねぇ、キャー」
「美味しかったわね、ホントにあれ」
「これどこで買ったの? 似合うじゃない」
「あんたは茶系が好きだけどアタシは藤色が、でしょ? でしょ? 」
「こし餡より粒餡だって言うのよ、やぁね」
向かい合って立ち、時折お互いの身体をペチペチ叩きながら機関銃のように喋る。どこで息継ぎをしているのか分からないし、それ以前に何を話しているのかも不明だ。
そんなふたりを見ながら、従兄が私に言う。
「あれって通じてるのかな? 」
「さぁ......? 」
母も叔母も年相応には耄碌(もうろく)しているのかも知れないが、今のところ話は理解できるようなので、おそらく支離滅裂に聞こえる会話も噛み合っているに違いない。いや、たとえ噛み合っていなかったとしても、ふたりが楽しそうなのだから構わないと思う。
お爺さんたちは、あまり威張らないでね!
病院の待合室などで、見知らぬお年寄り同士がお互いに意味の分かっていない身の上話で共感したり、まるで知らない人の噂で盛り上がったりする、あの感覚が大切だというのは私の自論。たとえ30分間だけでも、そしてその後はキレイさっぱり忘れてしまっても、退屈な時間が愉快なものに変わればよいのだ。
そういうフレンドリーな過ごしかたは、どちらかといえばお爺さんよりお婆さんのほうが得意な気がする。
唯一の男兄弟である叔父は、姦しい姉妹に囲まれて育ったせいか、お爺さんにしては話しやすい。自営業だったので近所に友達も多く、よく遊びに出かけたりする。
夫婦仲も良好で「母さんと結婚できて幸せだった」というのが口癖だ。ふたりとも膝やら背中やら痛いところが多いと聞いてはいるが、娘たちの手を借りながら穏やかに暮らしている。
長年連れ添った妻に対して威張ってみたり、町内会で自分の意見が通らないと怒り出したり、電車に乗るときやお店のレジなどで順番を守らなかったり......そんな気難しいお爺さんたちに言いたい。
老後を心地よく過ごすなら、威張るより譲るほうが得策ですよ!
「今日はいい天気だねぇ」
「女房が腰を痛めちゃったんでアタシが布団干しですわ」
「おやおや、それは困りましたなぁ」
困りましたなぁと言いながらニコニコしているお爺さんたちが、公園のベンチにバラバラと座っている。さほど親しそうではなく、ただの顔見知りなのだろうが、通りすがりの私にも優しい視線で会釈してくれる温かい雰囲気がとてもうれしい。
そういった光景は、デイサービスや介護施設、入院病棟でも見受けられる。
年を重ねれば誰だって心身に不具合が生じるけれど、認知症の人たちが何度も自分の大切なエピソードを繰り返したり、身体が不自由な人や病気になった人たちが、それぞれに現在の愚痴を交えながら幸せな過去を語ったり......。
単に退屈だからなのかも知れない。あるいは人恋しさなのかも知れない。でも、日常のわずかな時間を誰かと共有することで楽しめるのだから、やっぱり人間って素晴らしい!
※記事の情報は2020年11月5日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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