【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2020.09.04
小田かなえ
人生が100年になり、高齢者の言葉遣いも変化した!?
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
「最近はアベックなんて言わないでしょ」
私はほとんどテレビを観ないが、母はキッチンで食事をするとき必ずニュースかワイドショーをつける。
先日、東京・巣鴨の地蔵通り商店街を歩くご夫婦のインタビューを観ている母に、私は番組とは無関係な質問を投げかけてみた。
「ねぇお母さん、あんなふうに恋人や夫婦がふたり一緒に居るのを何て呼ぶ? 」
「ええ? いきなり何なの? そうねぇ、カップルって言っちゃうけど?」
「カップル? アベックじゃなくて?」
「最近はアベックなんて言わないでしょ」
アベックというのは昭和の言葉。今でも通じることは通じるが、なんとなく古臭くてカッコ悪い。しかし昭和前半に生まれた人は、うっかり口にしてしまうこともあるようだ。
うちの老母は昭和前半どころか、大正の生まれ。それなのにどうしてアベックではなくカップルという言葉を使うのだろう。
「お母さんがアベックじゃなくてカップルって呼ぶようになったの、いつ頃だったか覚えてる?」
「よく覚えてないわ。公民館の友達はみんなアベックって言ってたかなぁ。でもテレビなんかじゃ20年も前からカップルに変わってたんじゃない?」
これは本当だ。アベックという言葉は1990年代から徐々に使われなくなってきた。そのためテレビ好きな母も、意識せず自然とカップルという呼び方をするようになったらしい。
「そういえばカナエ、アベックってどこの国の言葉か知ってる?」
「えっ!?」
想定外の逆襲を受けてうろたえる私。
「ほらね、知らないんでしょ。アベックはフランス語なのよ。トシローさんに聞いたことがあるもの」
鼻高々とそっくり返る母。前にも書いたが、トシローさんというのは私の父だ。
早速スマホで調べてみたら、たしかにアベックの語源はフランス語の「AVEC」(一緒に)だった。なんとなく負けた気分になる。
パスタやシリアルに詳しい理由は?
母の年齢に相応しくない単語はほかにもいろいろ。
「お母さん、今夜は何が食べたい?」
「口に入れば何でもいいけど、最近パスタを食べてないかしらね」
この「口に入れば何でもいい」というのは、母ではなく明治生まれの祖母の口癖。なぜか我が家に代々受け継がれてしまっている。意地汚く何でも食べることを揶揄するセリフで、全文は「口に入れば按摩の笛でもいい」だが、現在では按摩さんという単語が放送禁止用語(放送業界の自主規制による使用制限用語)だとか。
それはともかく、会話の続き。
「パスタが食べたいの? 買い置きあったかなぁ」
「スパゲティーじゃなくても、ペンネでもラザニアでも、何でもいいわよ」
最近の高齢者は昭和のお爺さんお婆さんたちと違い、豊かな食文化を知っている。イタリアンやフレンチはもちろん、タイ料理やトルコ料理、メキシコ料理などなど、それこそ口に入るものは何だって食べてきたのだ。
しかし90代半ばの日本人が、パスタという総称と、ペンネやラザニアという個々の名称を日常的に使い分けるのは珍しい気がした。
「お母さん、どうしてそういう細かい名前を知ってるわけ?」
「だって、お友達とランチに行けばメニューに書いてあるじゃないの、写真入りで」
なるほど、そういえばそうだった! かつて公民館仲間とよく行った店には本格イタリアンもあったはず。ということは、現代のお年寄りたちは皆さん、ペンネとスパゲティーの違いを知っているのかも。
ほかにもシリアルという総称と、コーンフレークやグラノーラなど種類別の名前を使い分ける。
「シリアルはグラノーラか甘いコーンフレークならいいけど、ブランっていうの? あれは美味しくないでしょ」
「ブランってクッキーみたいになってるのが多いじゃない」
「そうだっけ? じゃ違う名前かな、ホテルの朝ごはんで見かけるような......加工してなくて、自分で蜂蜜やメープルシロップをかけて食べるシリアル」
私は何食わぬ顔でこっそりスマホに「加工してない シリアル」と入力し、横目で画面を見ながら声高らかに告げた。
「あの甘くないシリアルはね、ミューズリーっていうのよ!」
「ふぅん、最近は何でもすぐに調べられて便利ねぇ」
......検索したのがバレていた。
「でもさ、昔はシリアルなんて言わずに、日本人はみんな、あの類いの食べ物をコーンフレークって呼んでたよね?」
「あの頃はコーンフレークしかなかったんじゃないの? でもトシローさんは、オートミールにお砂糖をいっぱい入れて煮たのが好きだったわね」
たしかに私の子ども時代、朝食に出てきたのはコーンフレークだけ。オートミールも近所では売られておらず、父が会社の近くで買っていた。
1991年に特定保健用食品制度が生まれた後は、様々なタイプのシリアルがトクホの認定を受け、ヘルシーな食品として日本にも定着している。
「お母さんはどうしてグラノーラとコーンフレークが別のものだって知ったの?」
「覚えてないけど新聞や雑誌のレシピなんかにも書いてあるじゃない?」
レシピ......これまた大正生まれはあまり使わない言葉。
「そのレシピっていうのはどこで覚えた? 昔は調理法って言わなかったっけ?」
「ああ、そうだったかも知れないわね。でもどこで覚えたかなんてわからないわよ。いつの間にか使うようになった感じかな」
変わる言葉、変わらぬ心
なるほど、と思う。言葉というものは自然に変化していくのが当たり前なのだ。
ましてや通信手段が発達した現代、どこかの誰かが使った単語が、あっという間に広がる。
いわゆる「ら抜き言葉」なども、好き嫌いは別として、いずれは定着しそうだ。私自身は習慣として使わないが、「食べれる」「見れる」と言っている人を笑うつもりはない。
言葉に限らず、いろいろな物事を変えながら人類は未来に向かう。
それらの変化に迎合したり、無理に取り入れたりする必要はないが、頭ごなしに拒否すると「柔軟性のない年寄り」なんて言われるのだ。
そういう意味では、母の頭は柔らかい。たぶん新聞や雑誌、テレビのおかげだろう。自分にはなんの関係もない話でさえ興味深そうにチェックしている。
いつぞやはテレビを観ながら「またタピオカが流行ってるのね」と言い出した。
私はタピオカミルクティーを持ち歩くより、中華屋さんに座ってココナッツミルクタピオカを食べたほうがよいけれど、母のためにタピオカ入りミルクティーを買って帰ったことがある。残念ながら、さほど好評ではなかったが。
私自身も、古い和製英語で言うところのローティーンだった頃は、よく食べ物を持って歩いた。ソフトクリームや、流行していたペロペロキャンディなど、見た目が可愛いものばかり。
そのときの自分の気持ちを思い返してみると、あれは食欲を満たす行為ではなく、ファッションを楽しむ行動だったと断言できる。
テレビや雑誌の真似をし、友達とお揃いの服を着て同じ色のキャンディを持つ楽しさ。
現代のタピオカミルクティーも味だけではなく、お洒落アイテムとして女子の心をつかんだのだろう。そして「タピる」などという愉快な造語まで生み出した。
昭和の私は濃厚なソフトクリームを手に「美味しい! ウソみたい!」とはしゃいだものだが、タピオカミルクティーを持った現代の女の子たちは「ヤバ! うまっ!」と言っている。
母の世代では、学校帰りにお洒落な甘味処へ寄るのがトレンドだったとか。
時代は刻々と移り変わり、言葉遣いも変わっていく。しかし人間の心は100年ぐらいじゃ変わらないという証拠である。
※記事の情報は2020年9月4日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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