【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2021.10.05
小田かなえ
終の棲家で最後の友達探し!
少子高齢社会となった日本で、共同体の最小単位『家族』はどこへ向かうのか。「すべてのお年寄りに笑顔を」と願う60代の女性が、超高齢の母との生活を綴ります。
介護デビューは手すりのレンタルから?
連載スタート時には94歳だった母も、間もなく97歳を迎える。
人生100年時代、それは確かな事実になりつつあるけれど、50歳や60歳のときと同じ状態で100歳を迎えるわけではない。この3年間で目立った変化はないものの、やはり100歳目前の母を私ひとりで見守り続けるのは不安になってきたのだが......。
「あたし、施設には入りたくないわ。まだ歩けるし、ひとりでご飯も食べられるし、お風呂だって入れるし。老人ホームは自由がないんでしょ? やっぱり家がいちばんよ」
というのは母本人の主張。しかし......。
「お母さんに長生きしてほしいなら介護施設に入れなさい」
こちらは親戚の意見。
親の介護経験がある友人たちにも相談したのだが、なにしろ介護に関する知識などまったく持っていない私、サコウジュウとかショウタキとかローケンとか、脳内で漢字に変換できない名称も多く、「要介護3以上じゃなければトクヨウに入れない」と言われたときは、思わず「妖怪度なら3だけど?」と余計なことを口走って顰蹙(ひんしゅく)を買う始末。
結局、困ったときの役所頼み。地域のケアマネージャーさんをご紹介いただき、その方を通じて、まずはデイサービスにデビューさせようと目論んだのだが......。
「何を着て行くか考えたり、朝早くからお化粧したり、いろいろ面倒だから行きたくないわ」
と、母がケアマネさんに言う。
デイサービスにメイクが必要とは思えないが、パンフレットに出張ネイルサロンだの美容室だのと書いてあるため、それなりの格好をしなければいけないと考えたのだろう。加えてコロナ禍で、施設の見学もままならず。
仕方なくデイサービスを諦め、とりあえず玄関や庭に手すりを設置してもらい、介護度が低くても借りられる歩行器(買物に行くお婆ちゃんたちが押して歩くアレ)を用意して、在宅介護サービスをスタートさせた。
だが、それらの介護用品では私の不安を払拭することができなかった。
在宅介護の限界に気付こう
いったい私は何が不安だったのか?
老いた母の世話をするのが当然だと思っていた私だが、まだ介護未満の状態であるにもかかわらず、母を置いて出かける際の細かな心配事が増えていたのである。
いくら元気に見えても超高齢者、自宅での転倒や急病のリスクに加え、大雨や猛暑、地震などの不安もある。そのため外出時はときどき母に電話して安否を確認し、用事が終わったら一刻も早く帰宅しようと家路を急ぐ。会社員だったら介護離職が視野に入ってくる段階かも知れない。
自分が抱える不安の正体に気付いた私は、本腰を入れて介護について調べることにした。
サ高住、小多機、老健、特養......今までは漢字に変換できなかった施設の内容を把握し、さらに「高齢者の介護は社会全体で担う時代へと変化している」ということも学んだ。
昔のように大家族で暮らしているならともかく、お婆ちゃんお爺ちゃんをワンオペ介護するなんて無理なのである。ましてや超高齢者の介護をする人間は60代以上で、昭和の前半だったら自身が介護されている年齢だ。いわゆる老々介護は、介護する側にもされる側にも危険が伴う。
私は母に施設入居の話を持ちかけた。
「ねぇ、やっぱり施設に入ったほうが良いと思うんだけどな」
「あたしが入所すればカナエは楽になるの?」
「楽になるというより、安心できる」
「......うーん、そうかも知れないわね、施設ならたくさん人がいるから」
「まだ決めたわけじゃないけど、どういうところなら入ってもいいと思う?」
「そうねぇ、トイレ付きの個室がいいわね」
「うん、ほかには?」
「あたしの年金で足りる施設じゃなきゃダメよ」
母は60歳まで働いていたため、90代女性としては年金が多いほうだ。
「お金は足りると思うけど、あとは?」
「部屋にテレビが欲しいわ」
なるほど、確かに母は一日中テレビをつけている。
「それから新聞も配達してくれるのかしら?」
だんだん難易度が上がってきた。
母の要望だけではなく、私にも絶対に譲れない条件があった。それは家から近いこと。おそらく入所しても頻繁に訪ねる用事ができると思うので、片道30分以内が私の必須条件だった。
友達が「どうしても見つからなければウチの近く(隣県)に空きがあるわよ。お宅からは遠いけど、代わりに私がときどき行ってあげるから大丈夫」と言ってくれた。実際、他県の施設に入るお年寄りも多いので、その提案はありがたかった。
しかし意外なことに、わずか数日でケアマネさんが母と私の条件にピッタリのところを探してくれたのである。
我が家からクルマで10分、ブラブラ歩いても30~40分で、往復10,000歩程度......私の健康にも良さそう。使い慣れたテレビを持ち込めるし、何十年間も愛読している新聞だって配達してもらえる。
母にホームページを見せたら
「あら、ホテルみたいに大きくて綺麗な建物ね。部屋もウチより広いんじゃない?」
と、なかなかの好印象。
「どうする? 試しに行ってみる?」
「しばらく住んでみてイヤなら帰れるんでしょ?」
「もちろんよ」
ということでバタバタと入所が決まってしまったのだ。
慣れる母、眠れぬ私......
入所した直後は私のほうが「寂しがっていないか、帰りたがっていないか」と心配になり、眠れぬ夜が続いた。そして入所から5日目にガラス越しの面会。
「あらカナエ、来たの? ここのお風呂は気持ち良いわ、食事も品数が多くて温泉旅館みたいよ」
なんと驚いたことに、母はすっかり馴染んでいた。
スタッフの方に「夜もぐっすりお休みになってますよ」と教えられ、眠れないのは私だけだったと拍子抜け。
何度も書いてきたように東京下町育ちの母は社交的だ。周囲のお仲間に自ら話しかけ、みんなで笑い声をあげているらしい。介護施設の暮らしに慣れるまでの日にちは本人の性格によって違うので一概には言えないが、少なくとも我が母にとってはハードルが低かったようだ。
高齢者施設は、現代を生きる私たちにとって最後の住まいと言える。
古い考えに縛られていると、住み慣れた家で子供と暮らすのがいちばん幸せだと思いがちだが、設備の整った施設でプロの世話を受けながら同世代の仲間と生活するのは、少子高齢社会に必要不可欠な選択肢であり、新しい幸せのカタチなのだ。
「ここは家より居心地が良いのよ。自分でエアコンをつけたり消したりしなくても温度はちょうどいいし、部屋の外には必ず誰かいるしね。だから私のことは何も心配しなくて大丈夫。カナエは自分のことだけ考えなさい」
その言葉を聞いて、私は母が終の棲家(ついのすみか)を見つけたのだと理解した。
人生100年、私たちは幾つものステージを経て生きる。子供、青少年、新社会人......やがて結婚したり、親になったりするかも知れない。あるいは日本を飛び出して別の国に移住するかも知れない。どんな人生を歩んでも、みんな等しく中年期を迎え、さらに時を重ねて年老いる。
前回のエッセイで、ヒトの心は幾つになっても成長すると書いたが、環境の変化は、その成長を加速させるのではなかろうか。ダーウィンも言っている......。
「生き残る種とは最も強いものではない、最も知的なものでもない、それは変化に最もよく適応したものである」と。
子供が大人になるように、大人はやがて老人になる。それと同時に、生活環境も変わって当然なのだ。老いて身体が固くなっても、気持ちは柔軟に。私はそれこそが幸せな老後への道しるべだと確信した。
さて、長らくお付き合いいただきました老母の話も今回でお仕舞い。次は人生100年時代を生きる若い世代に目を向けてみたい。まだまだ現役の60代・70代、社会の中枢を担う40・50代、そして自身の老後なんか目に入っていない20・30代、それぞれが人生100年時代をどう生きているのか。
変容する社会システムを踏まえつつ、楽しく愉快な観察&推考をしていきたいと思います。
※記事の情報は2021年10月5日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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