【連載】仲間と家族と。
2022.01.18
ペンネーム:熱帯夜
人生初の北海道旅行
どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。
1986年6月11日から10日間にわたり、人生初の北海道旅行に出かけた。大学2年生、21歳の時だった。大学同級の親友と男2人旅である。前年10月に、バイトでためた軍資金で購入したトヨタ スターレット(EP71)で東京の自宅から全行程を車で移動する旅行だった。
当時の道路状況は首都高速道路も東北自動車道も現在ほど整備されていなかった。首都高速と東北自動車道が未接続であり、東北自動車道も十和田インターチェンジと碇ヶ関(いかりがせき)インターチェンジ間が未完成であった。よって自宅から一般道を通って、浦和まで行き、そこから東北自動車道に入らなくてはならなかった。まずここで1時間30分ほどかかる。
浦和から東北自動車道を約600km走り、十和田インターチェンジまで行く。そこで一般道に出て、十和田湖周辺を抜けて、碇ヶ関インターチェンジから再度東北自動車道に入り、最後は青森インターチェンジで降りるのである。
朝5時に自宅を出て、途中休憩を挟みながら、青森インターチェンジを降りたのが、16時を過ぎていた。初日は青森県の大間(おおま)まで行き、そこで車中泊をして、翌日の朝一のフェリーで函館に渡る計画だった。青森の市街地から大間までもかなりの距離がある。大間に着いた頃には20時を廻っていた。2人で交代して運転するとはいえ、今思い返すと初日だけで疲労困憊(ひろうこんぱい)してしまうような計画である。若く、活力に溢れ、そして何よりも運転が好きで、新しい土地に行ける好奇心がなせる技だったのだと思う。
出発2日目の朝に函館に上陸し、そこから北海道内約4,000kmのドライブ旅行が始まった。計画では時計回りで周遊することになっていたので、函館、長万部(おしゃまんべ)、余市(よいち)、小樽(おたる)、留萌(るもい)、稚内(わっかない)、宗谷岬(そうやみさき)、紋別(もんべつ)、サロマ湖、網走(あばしり)、斜里(しゃり)、ウトロ、羅臼(らうす)、屈斜路湖(くっしゃろこ)、摩周湖(ましゅうこ)、釧路(くしろ)、阿寒湖(あかんこ)、美幌(びほろ)、上士幌(かみしほろ)、池田、帯広、広尾、襟裳岬(えりもみさき)、静内(しずない)、苫小牧(とまこまい)、札幌、長万部、函館と8日間で走破した。
1日平均約500kmのドライブ計画となり、時速60kmで走行すると考えると約8~ 9時間が移動時間となった。2人で交代の運転なので、休憩時間は取らずに、休憩は助手席に座る間とした。当時の北海道では高速道路はほとんど整備されておらず、全て一般道での走行だったが、都市部以外には信号が全くなく、ほぼ時速60kmで定地走行*が可能なのである。よって1時間走るとほぼ60km先の地点に着ける。ドライブ計画が立てやすかったのは印象的だった。計画通り進むのが目的となっていたので、あまり一定の場所に長時間留まることはなかったが、それでも道ばたに突然キタキツネが出てきて、一緒に写真を撮ったり、トウモロコシ畑やジャガイモ畑のわきで売っている生トウモロコシや、じゃがバターにかぶりついた。
*定地走行:一定の車速で平坦舗装路を走行すること。
真っ直ぐに続く道路に、前後左右に広がる平坦かつ緑深い自然に目を奪われ、都会育ちの私の心が大きく動いた。至る所に牧草や放牧された牛がたたずみ、都会では見たこともない牧場のサイロにも目を奪われた。留萌の先に広がるサロベツ原野から見た夕焼けの鮮やかさと、1日の終わりを告げる何とも言えない圧倒的な情景に心を奪われ、しばし立ちすくんだ。東京で過ごしていては全く経験できない大自然からの洗礼を初めて受けたのである。
順調に旅を進めていた2人であったが、朝から晩まで2人で過ごし、車の中も2人きりとなって、5日目ぐらいにどうにも友人との関係がギクシャクし始めた。「箸の動かし方すらいらつく」というのが、まさにこのときの感情だった。友人も同じような気持ちだったらしく、5日目には車中泊ではなく、帯広のユースホステルに宿泊しようということになった。
他の若者たちと一緒に過ごすことでお互いにたまったフラストレーションを何とかしようというような感じではなく、とにかく2人でいることが嫌になったというのが正直なところだった。私は久しぶりの大きな風呂にゆっくりとつかり、当時はお酒を飲まなかったので温かい夕食をおいしくいただくと、早々に布団に入りぐっすりと休んだ。その間、友人は持ち前の社交性を発揮し、見ず知らずの人たちと交流していたようである。
翌日、私が次の地へ出かける準備をしていると、友人が京都から来たという女子学生3人を連れてきた。その日1日一緒に車で行動することになったというのである。何の相談もなく勝手に決めた友人に対し、私は怒りが沸点に達したのだが、友人との約束を当てにしている女子3人を前に断ることもできず、渋々出発した。
私は車内で終始無言で運転を続けたが、友人は女子3人と楽しげに話し続けていたことは憶えている。摩周湖や然別湖(しかりべつこ)、阿寒湖などを巡り、夕方に釧路で女子3人とは別れたのだが、最後にその1人から物陰に呼び出され、「お2人の旅行を邪魔して申し訳ありませんでした」とお詫びされたとき、大人げない態度を取った自分を心から恥ずかしく思った。そしてその場から逃げ出したい衝動に駆られた。この3人には何の罪もないのに、私の態度でせっかくの旅行の貴重な時間の雰囲気を悪くしてしまったのである。
当時は携帯電話もメールもない時代だったので、別れ際にその女子が連絡先を渡してくれたのであるが、その時の自己嫌悪からか、結局連絡をすることもなく、そのままになってしまった。細かい気を遣える女性だったので、今頃はきっと幸せになっているだろう。それにしても若気の至りとはいえ、私の器量の小ささには今更ながら恥ずかしい。
現金なもので、女子3人との1日があったせいか、何となく友人とも融和することになり、旅行の後半は元通りに仲良く過ごし、計画通りにドライブをこなすことができた。今にして思うと、友人のファインプレイだったと思う。たまにこの友人と会ったときに、このときのことを私が聞いても、女子3人をナンパしたのは憶えているが、それが私との関係修復のきっかけをつくるためだったということは絶対に友人は認めない。女子3人にはおぼろげな記憶しかないが、可愛くて魅力的だった記憶があるので、友人は本気で誘っていたのかもしれない。私が台無しにしたのか......。青春のほろ苦い思い出である。
10日間、総走行距離約6,000km、総予算1人当たり68,000円。こんな貧乏かつ無謀なドライブ旅行はもう2度とできないだろう。北海道らしい食事も一切とらず(ジャガイモやトウモロコシは食べたが)、ひたすら運転し続けた10日間。宿に宿泊したのは9泊のうち3泊だけ。風呂は地元の銭湯や公園での水浴びで済ませた。車中泊とテント泊で宿泊費を浮かした。この10日間は私の旅行経験でもかなり大きな経験となっている。
銀行口座に預金もなく、クレジットカードなんて持っていない。つまり出発時に握りしめていた68,000円だけを頼りに過ごす旅行。高速代、ガソリン代は必要経費としてかかってしまう。それ以外は、計画通りに進めることで節約して、いかに無事に東京に戻ってくるか。常に頭はフル回転で、計画の見直しをしながら進む。その道中で頭に叩きこんだ大自然と雄大な景色、見たこともない自然との対話、キタキツネやシカといった野生の動物との触れ合い、遠くで聞こえたヒグマの遠吠え。全てが自分の心に深く刻まれている。
その後の人生で何かが具体的に生きたことはないのかもしれない。ただ自分の中に刻まれた経験が確かに生きていると感じる瞬間はある。未知なることに挑戦すること。未知なるが故に事前の周到な計画が必要であること。予想外の出来事に対応する力。そして最後まで実行し完遂すること。これらは今も仕事でもプライベートでも生きていると思う。
貴重な10日間を共に過ごした友人とは、今でも良い関係が続いている。お互いに家庭があるから、学生の時のように毎日一緒に過ごせないが、何年かに一度会うときには本当に楽しい時間を過ごすことができる。いまだに人生という未完の旅を続けているが、時として学生の頃の貴重な経験を思い出し、改めてもう少し頑張ろうと思う。
さあ明日からも1日600kmは進めないけど、きちんと考えて充実した日にしていくぞ。まだまだ気力を高めて前に前に進み続けていこう!
※記事の情報は2022年1月18日時点のものです。
-
【PROFILE】
ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)
1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。
RANKINGよく読まれている記事
- 2
- 筋トレの効果を得るために筋肉痛は必須ではない|筋肉談議【後編】 ビーチバレーボール選手:坂口由里香
- 3
- 村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい 村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉
- 4
- インプットにおすすめ「二股カラーペン」 菅 未里
- 5
- 熊谷真実|浜松に移住して始まった、私の第三幕 熊谷真実さん 歌手・女優 〈インタビュー〉
RELATED ARTICLESこの記事の関連記事
- 「らしくない」生き方 ペンネーム:熱帯夜
- 思い出の灯台 ペンネーム:熱帯夜
- 先を読んで走る、マニュアル車のように。 ペンネーム:熱帯夜
- 小学校、担任のA先生 ペンネーム:熱帯夜
- 私を創った人たちへ向けて <今を生きること> ペンネーム:熱帯夜
- 天才と不良 ペンネーム:熱帯夜
NEW ARTICLESこのカテゴリの最新記事
- 老いてなお、子どもみたいな探究心 小田かなえ
- モビリティジャーナリスト・楠田悦子さんが語る、社会の課題を解決するモビリティとそのトレンド 楠田悦子さん モビリティジャーナリスト〈インタビュー〉