【連載】仲間と家族と。
2022.07.05
ペンネーム:熱帯夜
思い出の灯台
どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。
私の父が鬼籍に入ったのが1974年なので、今年で48年になる。父と会えなくなってもう少しで半世紀。以前にも書いたように、強烈な印象のある出来事は今でも鮮明に記憶に残っているが、細かい記憶は私も年齢を重ねるにつれて忘却してしまっている。悲しくも寂しい現実である。「人事は無常」というが、まさにその通りである。
先日、本当に何年ぶりかという夢を見た。それは亡き父と話しているという何とも儚(はかな)い夢だ。夢の中で父が話す内容が、私がいつもは思い出すことのない出来事ばかりだった。父の会社の厚生施設で妹と3人で遊びに行った時の話、父のゴルフ練習について行った時の話、父とのドライブの話などなど、全て普段は全く思い出すこともない話ばかりだった。
最近は私も多忙で、父のことを思い出すこともめっきり減ってしまった。そんな私に何か父はメッセージを送ってきているのだろうか。きっと私自身が、自分の今の状況に対する危機感を持っていたのかもしれない。
その夢の中で父が淡々と語った思い出に、神奈川県三浦市に位置する剱崎灯台(つるぎさきとうだい)に2人で訪れた時の話があった。
以前にも父と海水浴に行った時の話を書いたが、その年よりも以前に父と2人で海水浴に行った時があった。父の会社の保養所が三浦海岸にあったので、毎年三浦海岸に行っていた。例年2泊3日でほぼ海で過ごしていたのだが、その年は中日の午後に父から「ちょっとバスに乗らないか?」と言われ、バスに乗った。行き先は伝えられていなかったと思う。結果的には「剱崎灯台」に向かっていたのであるが(当時は「けんざきとうだい」と言っていた)。
宿から徒歩で海岸線のバス通りに出て、そこからバスに乗り15分ほどで剱崎バス停に着く。そこから灯台まで農道のような田舎道を2人で歩いた。剱崎灯台までは20分ぐらいかかっただろうか。真夏のギラギラした太陽が照りつけ、木々からは蝉の鳴き声が響いていた。畑の中を父と話しながら歩いた。おそらく三浦大根の畑だったのだろう。大好きな父と未知の場所を歩き、そして一緒に過ごしている時間がとても幸せだった。
バス停から灯台に向かう途中に自家用車で来た人が停める駐車場があった。そこを通り過ぎる時、自分はなんて幸せなんだろう! と思ったことを鮮明に思い出せる。小学2年生の夏休みに海水浴に来て泳ぎ、砂浜で遊び、そして父と2人で食事をして、たくさんの話をして寝る。そして今日は2人で未知の冒険に出ている。そんな心から楽しいと思える時間を過ごしていた。小学2年生が感じる幸せなど小さな幸せであるが、その時はわずか1年後に父と永遠の別れになるなんて思いもせずに、無邪気に笑っていたと思う。
剱崎灯台に着いた時、私はとても感動した。灯台を実際に見るのは生まれて初めてだったが、自分が想像していた灯台と一寸違わない灯台がそこにあった。三浦半島の先端にたたずむ剱崎灯台は真っ白で小学2年生の私を包み込んでくれるようだった。灯台の周りを父と歩き、そこから見える広大な海の景色に圧倒されていた。
父は、「夜になると、ここから光を出して行き交う船の目印になり、安全を守るんだよ」と教えてくれた。7月の真っ青な空に向かってそびえ立つ(当時の私にはそう見えた)剱崎灯台。鮮烈な思い出である。いつも私に多くのことを教えてくれて、たくさん遊んでくれた父と、包容力があって海の安全を守る神々しい剱崎灯台が重なったのかもしれない。
不思議なもので私の記憶はここで終わっている。灯台を見た後、父と2人でまた歩き、バスに乗って、宿に帰ったはずであるが、その辺りの記憶が全くない。
1年後、父は突然私の前から姿を消した。その時のことは先述しているので割愛する。中学、高校の間には全く剱崎灯台のことは思い出さなかった。大学に入って自分の車を持った時初めて思い出した。何故かお墓ではなく、剱崎灯台に父がいる気がして、1人車を走らせ灯台に向かった。
父と行った夏ではなく、少しもの悲しい秋だったが、当然ながらそこに父は居なかった。そして自分の記憶に残る輝くばかりの真っ白で巨大な灯台とは異なり、思いのほか小さい灯台がそこにあった。8歳の少年の記憶とは、そういうものかもしれない。私は20歳になっていたのだから。
その時、無風だった灯台に一陣の風が吹いたのである。私ははっとした。少しセンチメンタルになっていた私に、父から「いつまでも立ち止まるな! 前に進め!」と叱咤されたように感じた。反抗期や大学受験失敗など多くの経験を経て、やっと大学に進み、少し落ち着いてきた私ではあったが、どこかで父の死を受け止められずに生きてきたのかもしれない。この時の経験のあと私の中で何かが変わったと実感している。
それから18年が経ち、自分の息子が2歳になった時、私は息子と2人で剱崎灯台に向かった。20歳の時とは異なり、父を懐かしむのではなく、父に息子を紹介するという気持ちだった。相変わらずそこには父の姿はなかったが、春の気持ちの良い晴天の中、走りまわる息子に剱崎灯台を見せ、灯台の周辺の海岸に降りて、岩場で遊んだ。自分の目の前で無邪気に笑顔を浮かべて遊んでいる息子を見ながら、私は父に伝えた。
「私は生きています。あなたの孫も元気です。いつか酒を一緒に飲みましょう」
剱崎灯台、私にとってとても大切な場所。夢を通じて、父が思い出させてくれたことに感謝しなくては。息子も20歳になった。久しぶりにまた訪れてみるかな。
※記事の情報は2022年7月5日時点のものです。
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【PROFILE】
ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)
1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。
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