もうすぐ100歳の母、葬儀と墓の希望は?

【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る

小田かなえ

もうすぐ100歳の母、葬儀と墓の希望は?

人生100年時代、「あなた」はどう変わるのか。何十年も前から予測されていた少子高齢社会。2022年時点で100歳以上のお年寄りは9万人を超えたそうです。自分に訪れる「老い」と家族に訪れる「老い」。各世代ごとの心構えとは? 人生100年時代をさまざまな角度から切り取って綴ります。

「死ぬ」ってなあに?

私が「死」という言葉を覚えたのは幼稚園のときだった。男児とケンカして「オマエなんか死んじゃえ」とののしられ、意味がわからぬまま、母親に叱られた際「ママなんか死んじゃえ」と言ってみた。


すると母は見たことがないほど悲しそうな顔になり、私をギュッと抱きしめて教えてくれたのだ。 「ママが死んじゃったらもう会えなくなるのよ。どんなに会いたくても、もうママはどこにも居なくなっちゃうの」


以来ずっと私は「ママが死んじゃう」ことを恐れてきた。ひとりっ子で結婚後も同居していたため母の存在感が薄れることもなく、私はあらゆる面で母を頼って生きてきたのだ。


30歳になった頃には「私が60歳になるまでママが死なないように」と祈った。はたから見れば問題のある母子かも知れないし、父はよく「キミたちが仲良すぎてパパは仲間はずれだ」と言っていたが......


結局のところ私が還暦をとっくに過ぎた今も老母は生存している。ありがたいことだ。しかし、さすがにそろそろ"その日"はやって来るだろう。年明け以降、私は見送りの準備をしなければと考え始めた。


そもそも我が家には墓がない。「手元供養だから」「海洋散骨だから」という明確な理由はなく、今まで必要がなかったためにお墓がないのだ。


老母の永遠の恋人である父の墓は埼玉県内にあるが、諸般の事情によりそこには入れない。母の実家の墓は都内で、叔父は「姉さんも入れば?」と言ってくれるようだが、そういうわけにもいかない。人口密度......いや、人骨密度が高すぎて。


そして墓がないということは、つまり葬儀の際に頼れる菩提寺がないということだ。お経をあげないと成仏できない? 院号付きの戒名をつけないと極楽での待遇が悪い? などなど、今まで考えたことのなかった不安が頭をよぎる。


日本の場合「我が家は神道である」「うちの家族はクリスチャンよ」という確固たる信仰を持っている人は少ない。私自身も宗教に馴染みがないから、極楽浄土や天国への見送り方に迷うわけだ。


「お葬式はいちばん安いのでいいわよ」と老母は言う。本人がそう言っているのだからお金をかけるのはやめようと思うのだが、母のイメージする安上がりと私の考える安上がりにどれだけの違いがあるのかもわからない。


そんなわけで今回は、まだ母が生きているうちに墓所や葬儀を決めておこうというお話。ちょっと縁起の悪いテーマだが、避けては通れないことなのでお許しくださいね。




昭和の葬儀、平成の葬儀、そして令和......

今から50年ぐらい前に祖父が他界した際の葬儀は、まさに昭和そのものだった。祖父の家が150mほど続く商店街に面していたため、現在はあまり見なくなった背の高い造花の花輪が150mの道の両側にズラリと並ぶ。近所の住民は他人の葬儀の花輪をくぐって自宅やお店に出入りする始末で迷惑だったとは思うが、そういう時代なのだから仕方ない。


自宅1階に祭壇を設置し、焼香を終えた通夜のお客さんたちは順番に2階の広い部屋まで上がってお清めの食事をとる。料理は近くの寿司店から届けられるのだが、懇意な料亭の女将さんもやってきて、手狭な一般家庭の台所で腕をふるう。私はこのとき初めて揚げたて熱々のトマトフライを食べ、その美味しさにビックリした......というのは余談。


通夜の終了後も大人たちはバタバタと忙しい。ふと気づいたら1階の祭壇のなかで寝ているお祖父ちゃんがひとりぼっちだったので、中学生の私はなんとなく棺の横に座っていた。 しばらくすると叔母が降りてきて叫んだ。

「ああっ、かなえちゃん居てくれたの! ごめんね、ひとりで怖かったでしょ?」

なんと答えたかは忘れたが、べつに怖くはなかった。もしかするとこの出来事がきっかけで数年後に遠縁の寺から縁談が来たのかも知れない。


それから20年ほど後に祖母が旅立ったときも自宅での葬儀だったが、もはや時代は平成。道路に花輪は置かず、その代わりに大量の生花を波打つようなデザインに設え祭壇を飾った。


叔父が私に小声で「700万円だよ」と言う。戒名代等も含めた値段だが、あまりの高額にびっくりした。


それからさらに30年が経過した今、皆さんもご存知のとおり葬儀は簡素化する傾向にある。加えてコロナ禍により家族葬が主流となった。この先、再び昔のようにゴージャスな葬儀へとシフトする可能性は殆どなかろう。

大会社の社長や会長が亡くなった場合は後日ホテルなどで「お別れの会」を開催することもあるが、これは公的な行事だから一般には当てはまらない。


というわけで庶民レベル100%の我が家では家族葬、しかも無宗教という選択をした。母も私も宗教を否定する気はまったくないし、読経に癒やされる心も持っているのだが、ひとつには最愛の母を私なりのやり方で弔いたいという思いがあることと、さらには私自身が戒名ではなく自分の名前で葬られたいからだ。


「大丈夫ですよ、お坊さんの代わりに私たちスタッフが葬儀の司会進行を承ります」


幾つかの葬儀社を見学した結果、そんな心強い言葉をかけてくれたところがあった。私はその方の名刺をいただき、いざというときの約束を交わした次第である。




「墓じまい」の時代に向かって

次は問題のお墓である。母の希望は家に近いこと。べつに頻繁な墓参を期待しているわけではなく、自分が家族と一緒に居られる感覚が良いらしい。


「うちの庭に埋めればタダ(無料)だけど死体遺棄になっちゃうから駄目ね」と私。


「ハムスターや金魚じゃないものねぇ」と母。


我が家の庭にはハムスターと金魚が眠っている。金魚は縁日の金魚すくいで連れ帰った2匹だったが、どちらも玄関先に置いた水槽で7年以上泳いでくれた。


歴代の犬や猫を火葬して庭に埋葬している友人は「私もワンニャンたちの隣に埋めて欲しい」と言う。気持ちはわかるが無理である。


地方に行くと、田んぼの横に幾つかの墓石がちんまりと寄り添っている光景をよく見かける。あのような個人墓地は現在の法律(墓埋法)ができた1948(昭和23)年より前に作られたもので、私たちが今から自宅の庭に墓を建てることはできない。


ご存知のとおり時代は「墓じまい」に舵を切っている。


厚生労働省の調査によると、2022年度には全国で15万1,076件の「改葬」が行われたようだ。これは前年度より3万2,000件以上の増加で過去最多。コロナ禍でお墓参りがしにくくなったことに加え、樹木葬・散骨など「墓じまい」後の選択肢が広がったことも背景にあると考えられる。


近年は少子化によって後継者のいないお墓が増えているし、たとえ跡継ぎがいても、お寺の檀家を続けるには相応のお金がかかる。終身雇用制度が崩壊し、来世の安泰どころか今生の生活すら保証されない現代人にとって、もはや先祖代々の墓を守るのは荷が重いのだ。


もちろん本来、仏教徒なら菩提寺があるということは家族みんなの安心に直結するはず。祖父母や曽祖父母の頃から葬儀や法事をお願いしてきたお寺の住職さんに読経してもらい、先に逝った家族が待つ墓で眠れる。だからこそ私たちはお寺やお墓を大切にしてきたわけだ。


友人の舅(しゅうと)は、晩婚だった息子が結婚して孫息子が産まれたとき「墓を守ってくれる子ができた」と泣いて喜んだとか。こういうケースもあるから、無理なく代々のお墓を維持できる皆さんは、御先祖様のためにも自分のためにも、そして子孫のためにも檀家でいたほうがよいのかもしれない。


しかし私は違う。昔からあるお墓を維持するならともかく、新たにお墓を建てるのはいろいろな意味でリスキーだ。さて、どうしよう......と考えていたら、ある日まるで私の心が通じたかのようにお墓のチラシがポストに入った。合祀墓(ごうしぼ)の案内だ。


しかも我が家からいちばん近いお寺で、毎朝6時の鐘が聴こえる距離。


実はこの墓地、3~4年前に母と散策しているのだ。お寺の前に桜のきれいな公園があり、花見のついでに立ち寄ったとき母は、
「ここなら近くていいわねぇ」
と言っていた。


改めて見学に行ってみると、家から徒歩1分のその墓は西を向いた真っ白い観音像を中心に据え、眩しいほど明るかった。


花屋さんの店先のようにたくさんの花が供えられているのは合祀の利点。いつも誰かがお参りに来るので花束が絶えないそうだ。私が見学しているときも、愛犬を連れた普段着の女性が手を合わせていた。たぶん毎日の散歩コースになっているのだろう。


もともと母はひとりぼっちで埋められるのはイヤだと言っているので、近所のお仲間と一緒なら寂しくなさそうだ。しかも我が家から100m、距離的には敷地内の個人墓地と変わらない。


観音様のまわりにズラリと並んだ墓誌には戒名ではなく本名が彫られている。私のときもこういうのが良いな......と思いつつ、まだしばらく現世に留まりそうな母の名前を朱色で入れてもらう契約を済ませた。


後日、以上の諸々を母に報告すると、


「いろいろ悪いわねぇ、忙しいのに。でも良かったわ、アタシもそんなに長くは生きられないだろうし。あはははは」


と大声で笑う。その顔を見て、もう少し先延ばししても大丈夫だったかなぁ......と思ったのは言うまでもない。


(参考資料)

衛生行政報告例 / 令和4年度衛生行政報告例 統計表 年度報 第4章 生活衛生 6「埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数,都道府県-指定都市-中核市(再掲)別」(厚生労働省)

衛生行政報告例 / 令和3年度衛生行政報告例 統計表 年度報 第4章 生活衛生 6「埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数,都道府県-指定都市-中核市(再掲)別」(厚生労働省)


※記事の情報は2024年5月14日時点のものです。

  • プロフィール画像 小田かなえ

    【PROFILE】

    小田かなえ(おだ・かなえ)

    日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。

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