【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る

小田かなえ

血は水より濃いってホント?

人生100年時代、「あなた」はどう変わるのか。何十年も前から予測されていた少子高齢社会。2022年時点で100歳以上のお年寄りは9万人を超えたそうです。自分に訪れる「老い」と家族に訪れる「老い」。各世代ごとの心構えとは? 人生100年時代をさまざまな角度から切り取って綴ります。

「家系図を作りませんか」

半年ぐらい前から「家系図を作りませんか」という広告を目にするようになった。もしかすると私が合祀墓(ごうしぼ)を探していたためターゲットになったのかな?


家系図......由緒正しい家にはあるのだろうが、庶民には縁がない。ご先祖様が歴史上の有名人だったりすれば、それこそ千年も遡った家系図が存在し、そこには世のため人のために頑張った立派な人たちの名前が並んでいるはずだ。


しかし......「もし我が家の家系図があったら?」と考えてみると、ある意味それはそれで面白いような気もする。「うちのご先祖サマは通りすがりの畑からネギを1本引っこ抜いて捕まった」なんて、貧民の祖先は大貧民という情けない事実が判明したりしてね。


それはさておき、もし合祀墓を購入した影響で家系図の広告が増えたのだとしたら、現代人が家系図を作ろうと思い立つきっかけもなんとなく見えてくるではないか。墓じまいが増えた昨今、その区切りとして家系図を作る人たちが結構いるのかもしれない。


それ以外にも高齢の両親や祖父母にプレゼントするとか、新婚カップルが家族の一員として名前を刻むとか、自分自身の終活のためとか......人間というものは人生の節目を迎えたときに家系図を作りたくなるのではないか。まあ、当たり前と言えば当たり前か。


最近たまたま聞いた話だが、先祖代々受け継がれてきた墓に刻まれている"誰だかわからない名前"を調べる目的で家系図を作った知人がいる。お墓に知らない人が入っていることなんてあるのかな? と不思議な気もするけれど、その知人の場合は曽祖父の後妻のお母さん(当然まったく姓が異なるし、曽祖父と同居もしていなかった女性)が入っていたそうだ。


ちなみに家系を遡るべく取得できるいちばん古い戸籍は明治19年(1886年)のもの。つまり、江戸末期に生まれた人たちの戸籍は現存していることになる。


ご存知の方も多いと思うが、今年(令和6年/2024年)の3月から戸籍謄本等の広域交付が始まった。これまでは本籍地のある市区町村でなければ戸籍謄本を取得できなかったのだが、現在は最寄りの市区町村の窓口で請求できるように変更されたのだ。これは朗報である。近所の役所へ行くだけで全国に散らばった血縁を辿れるわけだ。


とはいえ家系図作成に使用するための戸籍謄本は何十ページにもわたるもので費用も結構かかるため、ちょっとした好奇心を満たす目的で入手しようと考えるのはオススメできない。また、自治体によっては古い戸籍を廃棄していたり、戦争や震災で戸籍がなくなっているケースもあるそうなのでご注意を。




親戚、親類、親族......

「親戚」「親類」「身内」「親族」という言葉はほとんど同じ意味で遣われているが、厳密に言うと若干の違いがある。


親戚や親類、身内というのは私たちが一般的にイメージするように、血縁関係者および婚姻によって結ばれた人たちの総称。ハッキリ"どこまで"という決まりはない。


それに対して 「親族」のほうは法律用語としても使われる。民法でその範囲が決められており、 "親等"という数えかたで括ることができる。法的な「親族」とは、自分の6親等内の血族(血が繋がっている人)と、自分の配偶者の3親等内(自分とは血は繋がっていない人)を指すそうだ。


この話を友人にしたところ、
「6親等ってアタシから見たら誰までなの?」
「直系なら玄孫(やしゃご。孫の孫)の孫ね」
「玄孫の孫はなんて呼ぶの?」
「こんそん、だって」
「どんな字?」
「昆虫の昆」
「なんでムシなのよ?」
「私が知ってるわけないでしょう」
「調べてよ、それで教えて!」
という展開に。
友人の前でスマホをポチポチやった結果、昆という漢字には群れるという意味があると書かれたページが見つかった。本当に便利な時代である。我々の群れをなす昆孫が生きる世界はどれほど進歩しているのだろうか。


多くの人が自分から続く遥かな未来には興味を抱くと思うが、そもそも昆孫にあたる赤ん坊を抱くことは可能なのだろうかと数えてみた。


例えば20歳のときに産んだ子が20歳で出産すれば、私たちは40歳で孫を持つことになる。その孫が20歳で出産した子は曾孫、曾孫が玄孫を20歳で産み、その玄孫が20歳で来孫(らいそん)を、来孫が20歳で昆孫を産んだとして......えーっと......無理だ! 昆孫が生まれる頃には120歳、いくら人生100年時代でも不可能だ。


しかし20歳ではなく全員が18歳で子を持った場合は、36歳で孫、54歳で曾孫、72歳で玄孫、90歳で来孫、そして108歳でめでたく昆孫が誕生する。これならギリギリ昆孫を抱けるかな? ......などと言いつつ私には現時点で孫がいないので、昆孫どころか曾孫を抱く日も永遠に来ないのだが。


しかしまあ、お互いに顔を見ることもできない未来の、あるいは過去の人間同士を「親族」として繋ぐ戸籍って、なんだか凄いなと思ってしまった。




流動する親戚付き合い

私たちはどの程度の範囲で親戚を把握し、付き合っているのだろう。冠婚葬祭以外で日常的に連絡を取り合う親戚というのはさほどいない気がする。


子どもの頃は親に連れられてお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、おじさん・おばさんの家に行き、イトコたちと賑やかに遊ぶことが多かったかもしれないが、大人になるとそういう機会は減っていく。


また、もし結婚した場合は義実家との付き合いが増え、それ以外は自分の兄弟姉妹ぐらいしか密に連絡を取る関係ではなくなることが多い。


そうして次の世代の新たな親戚関係が形作られていくわけだ。


これは私自身も同じで、結婚して新しい親戚が増えると同時に、それまでは母と同行していた叔父宅(母の実家)へのお年始や、伯母たちとの食事会からは足が遠のいた。おそらく多くの方々は、そのまま親世代の親類との付き合いが薄くなって消えるのかもしれない。


ただ我が家の場合は少し違っていて、高齢になった母に代わり、私が母方の身内との交流を引き継ぐかたちになった。もちろん母の姉妹や弟も歳をとったわけだが、従兄の尽力でときどき親戚の集まりが開かれるのである。


それ以外にもイトコたちとは密に連絡を取り合っている。面白いことがあればLINEしたり、困ったことがあれば相談したり......ライブや従姉の絵の展覧会にも誘い合わせて行く。


それで思い出したが、小学校低学年の頃、私は大きくなったら従兄のなかの誰かのお嫁さんになるのだろうと信じていた。なぜかと言えば「従兄妹同士は結婚できる」と聞いていたから。誰に言われたのか、どんな話の流れで教えられたのか、まったく覚えていない。もちろん従姉と少年の無垢な悲恋を描いた「野菊の墓」(伊藤左千夫)など読む年齢でもない。ただ、私にとって従兄という存在は身近だったため、それは小さな子どもから見てごく自然に納得できるプランだった。


当時、私の結婚相手になれる?従兄は4人。全員が母方の従兄である。1人は富山県に住む母の妹の子で私とは同学年。あとの3人は栃木県在住の母の姉の子で、私との年齢差は7歳、8歳、12歳だ。年齢的に近いのは富山の従兄だが、あまり会ったことはない。


栃木の3兄弟のうち、いちばん上の従兄は長身の美男で寡黙、子どもの私など近寄りがたいオーラを放っていた。その弟ふたりは、夏休みのたびに伯母の家に預けられる私とよく遊んでくれた......否、"私で"遊んでくれた気もするが。


兄弟には姉がいて、その従姉がほぼ付きっきりで私の面倒を見てくれる。ひとりっ子の私にとって、それはとても楽しい記憶である。


ちなみに従兄と結婚するのだろうという思い込みは、程なく母に笑い飛ばされて消滅した。
「ええっ? 伯母ちゃんもママもそんなこと考えてないわよー」
だとしたら一体どこの誰が私に妙な未来図を刷り込んだのか、それは今もって謎だ。余談だが従兄のひとりは私の友人と結婚している。


さて、最後に......ここまで書いておきながら話の流れに逆らう発言になってしまうが、住んでいる地域や個々の家庭環境によっては「遠くの親戚より近くの他人」という感覚のほうがしっくりくることも多い。


前述の"親等"で数える「親族」に入らなくても親しい身内が存在することはあるし、あるいは血族ではない赤の他人だとしても物理的な距離が近ければお互いに支え合って生きようとするのが人間というもの。ましてや非婚化・少子化が進み、親族の数は減っていく一方である。


人生100年時代、人との出会いかたも多様化し、顔を知らない相手とさえ親しくなれる昨今。血縁は大切にすべきだが、"何親等"という法的な解釈は相続や婚姻の際に必要になるだけと割り切って、親戚でも友達でも"いま身近にいる人"と喜びを共有し、哀しみを分け合って、より豊かな人間関係を築きたいものである。



(参考資料)

・「新たな交流やライフワークを生む。『家系図づくり』の醍醐味とは?」(野村證券「閑中忙あり」サイト内)

・「親族と呼ぶのはどこまでの範囲?呼び方の単位や分類、葬式の際のケースも紹介」(セゾンファンデックス「セゾンのくらし大研究」サイト内)


※記事の情報は2024年8月20日時点のものです。

  • プロフィール画像 小田かなえ

    【PROFILE】

    小田かなえ(おだ・かなえ)

    日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。

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