【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る
2025.02.25
小田かなえ
さて、100歳になる準備はOK?
人生100年時代、「あなた」はどんなふうに過ごしますか。何十年も前から予測されていた少子高齢社会。自分自身に訪れる「老い」と家族に訪れる「老い」。世代ごとの心構えとは? 人生100年時代をさまざまな角度から切り取って綴ります。
エッセイのきっかけは......
「人生100年時代」をテーマに掲げたこのエッセイ、そもそもの始まりは何だったのかというと、2018年に東京国際フォーラムで開催された【テレビ朝日「人生100年時代」応援プロジェクト 「おとなランド」もっと楽しく、もっと素敵に!】というイベントに行ったことだった。まだアクティオノートがスタートする前のことである。
当時は「人生100年時代」という言葉が今ほど浸透しておらず、私は「そりゃ、まあ100歳まで生きられたら良いけど、そんなのは健康維持にお金をたくさん遣えるセレブや、とびきり丈夫な遺伝子を持ってる人たちだけの特権だろう。うちの婆サマなんぞは90過ぎたし、そろそろお迎えが来るに違いない」と思いながら各ブースを見学していた。
ところが我が母、とうとう2024年秋に満100歳を迎えたのである。敬老の日には自治体の長が内閣総理大臣からの大きなお祝い状を届けてくれた。母は満面の笑み。その姿を見た私は「この婆さん、世のため人のために何かしたワケでもないのになぁ」と、なんだかとっても恐縮してしまった次第である。
ご存知の方もいらっしゃると思うが、2016年に「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」(東京経済新報社)という本が出版された。著者は「ワーク・シフト」(プレジデント社)で働き方改革について書いたリンダ・グラットン氏と、長寿研究の権威アンドリュー・スコット氏の2人だ。
「LIFE SHIFT」では、日本の2007年生まれ(2025年で18歳)の子どもの50%が107歳まで生きるだろうと推測していた。2024年度に100歳を迎えた高齢者は47,888人で、100歳以上の日本人は95,119人(2024年9月現在)。なるほど、この勢いなら今の高校生の半数が107歳まで生きても不思議はない。
しかし「長生きは良いことである」「人生が100年あるなら、退職後に新しいスキルを身につけることも可能だ」「趣味を楽しむ時間だってたっぷりある」「それと同時に医療や介護の分野もさらに充実するだろう」「だから、みんなが快適な高齢者生活を謳歌できるに違いない」などと、夢ばかり見るわけにいかないのは自明の理。誰もが危惧するところだ。
ゆえに、年金問題など私ごときが考えても役に立たないことはさておいて、実際に100歳の家族を持つ者として気づいたことを書いてみたい。「本当に長寿を喜べる世界」の構築は、高齢者とそれを支える家族の考えかたや、日常生活のあれこれを"知る"ことから始まるのだから。
介護のリアルに目を向けて考えよう
まず理解すべきなのは介護が長丁場であること。通常は年単位、ときには何十年単位というケースだって珍しくない。人生100年時代となれば尚更だ。
長い介護暮らしが続けば家族構成も変化する。家庭内に高齢者より手のかかる乳幼児が増えたり、介護者が転勤になったり、さらに運悪く介護者のほうが急病や怪我で戦力外になることだって珍しくない。なにしろ子世代も高齢なのだから。その結果、同居している孫たちはもちろん、ときには遠方に住む息子や娘まで頼らざるを得なくなる。
そもそも人生は先が読めないものだし、さらに介護となったらアクシデントがつきものだ。
たとえば自宅のあらゆるところに手すりを付け、僅かな段差にもスロープを設置し、同居家族を呼ぶための非常ベルまで用意したとしよう。でも、夜間にベッドから降りるときタオルケットに足を引っ掛け、転んで骨折することもある。転倒は一瞬、家族を呼ぶ暇なんかないし、非常ベルだって24時間身につけていなければ役立たず。か細い声で助けを呼んでも、家族がみんな熟睡している時間なら聞こえない。
本気で緊急事態に備えるなら、やはり介護される者とする者が同じ部屋で寝なければならないのだ。
また、認知機能には問題がなかったはずなのに、突然せん妄(見当識障害)が起こることもある。せん妄が起きやすいのは体調が悪いときや知らない場所に居るとき、加えて夕方や夜間だ。入院して間もない高齢者が院内をウロウロしたり、点滴を自分で抜いて家に帰ろうとしたりする話はよく聞く。病院ならスタッフの皆さんがいるから安全だが、旅先や散歩中でせん妄が起きることもあるため油断できない。
父母や祖父母が長生きなのは幸せなことである。しかしそれは、自立している高齢者に限るのだ。心身の機能が衰えれば少しずつ家族の負担が増え、やがてみんな疲れてしまう。
「安心して100歳になれる社会」に必要なものとは何だろう、と考えてしまう。 介護施設の充実、生き甲斐に繋がる娯楽の提案、心身を健康に保つケアなど、人生100年時代を見据えて各分野で新たな研究や取り組みが行われている。さらに今まで高齢社会の問題に無関係だった業界も介護に目を向け始めた。
だが、それらの取り組みや、新しく生まれたサービスが"安心"につながるかと言えばまだその段階にあるとは思えない。すべての高齢者がそういったサービスを利用したがっているわけではないし、家族のほうも消極的なケースは多い。
なぜなら、人間というものは慣れ親しんだ環境が変わるのを嫌う生き物だから。
介護にまつわる情報は、高齢者本人にも家族にも入ってくる。たとえば前世紀にはあまり良いイメージではなかった施設暮らしだが、21世紀になると富裕層をターゲットにした高級老人ホームが増え、そのプライバシー重視の自由な生活スタイルは一般向けの施設にも取り入れられるようになった。最近は特別養護老人ホームもトイレ付きの個室が主流で、比較的お安い多床室タイプでも1人あたりの面積がゆったり取られるようになりつつある。
それらの施設を見学した高齢者とその家族は口々に賞賛する。
「広々として、いい部屋ね」
「ベッドにもトイレにも手すりがたくさん付いてて、これなら転ぶ心配もなさそう」
「テレビ観たり本を読んだり、好きなことしながら暮らせるじゃない」
入居する本人も家族もニコニコ顔だ。見学した施設に対する高評価は帰宅後も続く。
「あそこなら安心ね」
「いいところが見つかって良かった」
「うん、ラッキーだよね」
そして笑顔のまま、誰かがこんなことを言い出すのだ。
「でもまあ、入居するのはもっと先のことだけどね」
「そうよね、今は家で大丈夫だから」
「ええ、今のところは困らないわ」
......そう、人間は変化を嫌う生き物なのだ。
ゆとりの経験値。「ありがとう、大丈夫よ」
2024年10月、米イリノイ大学の研究チームが予想外のデータを発表した。日本をはじめとする長寿国で、平均寿命の延びが鈍ってきたという。
20世紀には医療が進歩して衛生環境も改善され、私たちの寿命は着々と延びてきた。ところが21世紀に入って以降、寿命の延びが過去の水準を下回っているそうだ。そのため今後は100歳を超えて生きる人の割合が、女性で15%、男性で5%ぐらいにとどまるだろうという予測である。
その数字が正しいのか間違いなのか......私はどちらでも構わないと思う。重要なのは何歳まで生きるかではなく"どんなふうに生きるのか"だ。
これは個人的感想なのだが、人間には老いを受け入れるための能力が備わっている気がする。いわゆる"トシをとると性格が丸くなる"というアレだ。"丸くなる"を言い換えると"おおらかになる""気長になる"......そんな感じ。
私たちは30代から40代、50代と人生経験を積むことで「すべては時が解決してくれる」という真実を学ぶ。やがて顔に深いシワが刻まれる頃には、殆どの人が老いに対する"ゆとり"を身につけているというわけだ。
ただし所謂ガンコ爺婆という面々もチラホラ存在する。彼らは年を重ねるほどトンガってしまうのだが、そこには日常のさまざまな不満や心身の不調が隠されている可能性もあると聞く。
そういうお年寄りに対しては、周囲の人ができるだけトゲを削ってあげる方向で接し、できれば原因を突き止めてあげたいところだ。
ちなみに母はよく「ありがとう、大丈夫よ」と言う。まだ自宅にいる頃から口癖のように「ありがとうね、アタシは大丈夫だから自分のことを優先しなさい」と言っていた。
そんな愚母も若い頃は決して丸くはなかったのである。
身内の言動にモノ申したり、レストランで順番を飛ばされたと文句を言ったり、どうでも良いことに怒る。年若い私が「恥ずかしいからやめてよ」と宥(なだ)めるほど!
ところが60代半ばあたりから穏やかなニコニコ婆さんになってきた。
以前なら一言ある場面も微笑んでスルーする。それと同時に、自分に関わる相手に対して「ありがとう」と口にすることが増えた。看護師さん、美容師さんはもちろん、デパートの店員さんやレストランのウェイターさんにも。
そんな母を見ていて私は思うのだ。介護される年齢になったとき自分に関わる人たちに「ありがとう、大丈夫よ」と言えるような「ゆとりの経験値」を積み重ねたい。単純だけれど、それが幸せな高齢者になる秘訣なのかも知れない......と。
※記事の情報は2025年2月25日時点のものです。
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【PROFILE】
小田かなえ(おだ・かなえ)
日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。
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